カナダ国境からメキシコ国境まで、アメリカ中部の分水嶺に沿って5,000kmにも渡って続くコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)。「トリプル・クラウン」と呼ばれるアメリカの三大ロング・ディスタンス・トレイルのなかでも、もっとも歩く人が少なく、難易度の高いトレイルです。
そんなCDTを、同じくトリプル・クラウンのひとつであるパシフィック・クレスト・トレイルを2015年に踏破したスルーハイカーであり、イラストレーターとしても活動する”Sketch”こと河戸良佑が、2017年に歩きました。その遠大なハイキングの記録を長期連載で綴っていきます。
#4となる今回は、灼熱のモンタナの路上とマクドナルドのハンバーガーにまつわるお話です。トレイルの話はまったく出てきませんが、数千キロの旅を続けるロングディスタンスハイカーたちの世界がとてもよくわかるエピソードになっています。
カナダ国境のグレイシャー国立公園(Gracier NP)から歩き始め、今回のエピソードではモンタナ(MT)を縦断中
マックとシュウエップス
炎天下、モンタナ州中部のハイウェイの脇を、僕はCDTハイカーの「マック」と「シュウェップス」と共に歩いていた。荒いコンクリートに跳ね返された日差しは熱で空気を歪め、ハイウェイをゆらゆらと生き物のように揺らしている。
コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)の特徴のひとつとして、ルートバリエーションの多さが挙げられる。2015年にスルーハイクしたパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)は基本的にメイントレイルは分岐していないが、CDTはいくつものルートが存在し、どれを歩くかはハイカーが決める。もちろん、どれを選んでもCDTを歩いていることになる。
木陰で休憩する2人
その時、僕は大きな分岐ルートのひとつであるアナコンダ・ルートを歩いていた。もうひとつの分岐はビュート・ルートと呼ばれ、前者が52マイル(82km)なのに対して後者は140マイル(224km)と距離が長い。雪の降るコロラドに数日でも早く到着するために、ほとんどのハイカーがアナコンダ・ルートを歩いて、日数を稼いでいた。
僕はどちらのルートを歩きたい、という強い思いはなかったのだが、シュウェップスとマックはアナコンダ・ルートを歩くと事前に決めていたので、それについて行くことにした。正直なところ、CDTはハイカーが少なくひとりで歩くのが寂しかったのだ。先行するシュウェップスはトレッキングポールをクルクルと回しながら、マックはイヤフォンで音楽を聴きながら、ただただ歩き続けている。
すぐ横を巨大なトラックがものすごい速さで通過する。トラックが巻き起こす熱風が体にぶつかり、よろめく。キャップが飛んでいかないように懸命に押さえる。地平線に吸い込まれるように小さくなるトラックを眺めながら、僕は何故、わざわざアメリカにまで来て道路を歩いているのだろうか……しかし、嫌ではないな、と思う。振りかえるとマックと目が合い、彼は腰を振りながらヘンテコなダンスをしておどけてみせた。
民家から勝手に水を拝借するハイカートラッシュ
舗装路なので歩くスピードはかなり速い。周りを見渡しても、牧草を育てている農園が続くだけで、特に面白味もない。そんな退屈な道程を黙々と3人で歩くいているが、誰も文句を言ったり、歩くスピードを緩めたりしない。
ああ、 僕らは歩くのが本当に好きなのだ。これこそがロング・ディスタンス・ハイキングにとても大切な要素なのかもしれない。
路上に落ちていた腕輪をはめて歩くシュウェップス
マック・ギャングバン
モンタナ州の町、アナコンダにあるマクドナルドの重い扉を押し開けて、空腹でふらふらの3人のハイカートラッシュは冷房の効いた店内に雪崩れ込んだ。街が近づき、ハンバーガーとソーダの味に脳内を支配されていた僕たちは、いまさら手持ちの不味いハイカー食を食べる気にもなれず、そのまま食事を摂らずに一気に歩いてきたのだった。広い店内ははまばらで、カウンターの向こうのスタッフも手持ち無沙汰な様子だった。
「腹ペコだ。『マックギャングバン』を頼もうぜ。」
そうマックが言うと、「もちろんだぜ」とシュウェップスが同意した。しかし、僕は『マックギャングバン』という単語の意味が分からなかった。
「今なんて言ったの? 『マックギャングバン』って聞こえたけど……それはどういう意味?」
もともと僕は英語がそれほど得意な方ではない。だから、会話中にしょっちゅう単語の意味を質問してしまう。
「スケッチはATを歩いたことないんだよな?」
AT(アパラチアン・トレイル)は東海岸にあるロング・ディスタンス・トレイルで、三大トレイルの中で最も歴史が長い。マックがニヤニヤしながら続ける。
「マックと言っても、俺のことじゃないぜ。マクドナルドのことさ。そして、ギャングバンってのはスラングで乱交パーティーのことさ。ATだと有名なんだぜ。」
シュウェップスも横でニヤニヤしながら、両手の指を組み合わせてクネクネ動かし、なんだかそれっぽいジェスチャーをしている。
「単語の意味は分かったけど、マクドナルドの乱交パーティーって何なんだ? そこにいる女の子をナンパして店内で行為に及ぶわけじゃないだろ?」
僕は窓際の席でダラリとしながら談笑している女子高生をちらちら見ながら言った。
「マックギャングバンは、チーズバーガーとチキンバーガーを頼んでから、それを二つ合わせて食べるんだ。乱交してる感じでな。ちなみにATだとマックギャングバンで注文できるんだぜ。」
本当にそんなことができるのか俄かに信じがたかった。しかし、シュウェップスも頷いているので、そういう食べ方があるのは本当だろう。でも、実際どんな感じで注文するのか分からないので、ここは先輩方に習って、真似してみることにした。
マックはレジまで行くと、スタッフと軽く談笑してから注文を始める。
「チーズバーガー6個とチキンバーガー6個。ポテトはLサイズで、ジンジャエールの1番大きいサイズください。あと、チキンナゲットも追加で。」
あまりの注文量に耳を疑う。それは店員も同様で、キョトンとした表情をした後、慌ててタッチパネルを打ち始めた。あとに続くシュウェップスの注文は簡単だった。「同じものを」それだけだ。僕の番になってカウンターに行くと、レジ打ちのヒスパニック系の青年は、笑いながら「こんにちは、ハイカーって面白いですね」と言った。
「まぁ、変な人ばっかりだけど、毎日楽しくやってるよ。」
「ははは、僕もいつかそういうことやってみたいな。おっと、注文はどうしますか?」
「僕も同じものを、あと、ケチャップとマスタードを多めに入れといて。」
「これって、1日で食べるんですか?」
「実は僕も分からない。今どれくらいお腹が空いてるのか、分からないくらい空腹なんだよ。」
青年は笑って、注文を確認した。 僕はクレジットカードで会計を済ませて、注文番号とジュースのカップをもらってレジを後にした、セルフのドリンクマシーンでコーラを並々入れてレジ前に戻ると、そこには客の列ができていた。僕らが急に大量の注文をしたので、スタッフ総出でハンバーガーを作っているのだ。ドライブスルーのサービスもあるので、レジ打ちの青年はそちらの対応に追われて、カウンターには誰もいない。これは申し訳ないことをしたな、と反省したが、彼らが注文を懸命に消化してくれたおかげで、そう待たずに受け取ることができた。
テーブル席へ移動し、持ち帰り用のペーパーバッグからチーズバーガーとチキンバーガーを抜き取る。バーガーたちの包装を乱暴に脱がし、上部のバンズを外す。そこにたっぷりとケチャップとマスタードを塗りつけ、チーズバーガーとチキンバーガーを強引に押し付けると、最後に二枚重ねのバンズで蓋をした。これがあの『マックギャングバン』らしいのだ。
僕は汚い手で、その豊満なバーガーを鷲掴みにして齧りつく。驚くほど美味い。これまで食べたハンバーガーの中で1番美味いのではないかとさえ思える。あっという間に食べ終わり、急いでもう一度先ほどと同じ様にマックギャングバンを作る。
マスタードとケチャップを塗りたくる
一心不乱に食べ続け、最後の一口を口に放り込む時に「もう飽きたな」と思った。単純に腹が減って美味かっただけで、マクドナルドのバーガー同士がどれだけ愛を交わしたとしても、やはりマクドナルドの味なのだ。
ふたりも同様で、残りのバーガーを退屈そうに咀嚼している。
マック・ギャングバンの断面図
「そろそろ行くか」というシュウェップスの声で、僕らは立ち上がり店を出た。まだ今日の宿も決めていないので、近くにあるホテルに向かう。その時、マックの歩き方がぎこちないことに気がついた。
「ねえ、マック。どこか調子でも悪いのか?」
「ああ、足が少し痙攣してるんだ。最近、たまにこうなるんだよな。」
「痛みはある?」
「腿の裏が痛いな。」
僕は彼が何か大きな怪我をしていて、リタイアしてしまうのではないかと不安になった。何故なら、カナダ国境から歩き始めてまだ30日しか経っていないにも関わらず、すでに多くのハイカーがリタイアをしていたからだ。
これには前年度の大雪が影響していた。南下するハイカーのスタート地点であるグレーシャー国立公園が残雪で例年よりスタートが大幅に遅くなった関係で、スケジュールがタイトになったからだ。そのことで、1日に歩く距離が増加した為、コンディションを崩したハイカーも、休みを取れずに歩き続けなければならず、怪我したり体調不良に陥るハイカーが増えていた。
アナコンダの町のアウトフィッターは潰れていて、ガスを補給できなかった
僕らはロッジのツインルームを取り、3人でシェアすることにした。部屋に汚いギアを広げ、順番にシャワーを浴び、クーラーの効いた部屋でスナックとアイスクリームを食べながら衛星放送を見た。まるで修学旅行のような楽しさが、ハイカー同士でシェアする部屋にはある。ただし、室内はとても臭い。
ロッジのベッドにバーガーを広げる
余ったバーガーはバックパックにくくりつける
一泊だけして、アナコンダを後にした。相変わらず身を焦がす様な暑さで、ロードウォークは続いた。あまりの暑さに堪らず木陰に隠れると、そこには車に跳ねられて死んだ巨大な鹿が横たわっていた。不吉な感じがしたので、鹿を避けて少し移動し、バックパックから食べきることができなかったハンバーガーを取り出す。横に腰を下ろしたシュウェップスもハンバーガーを取り出し、マックギャングバンを作った。
ハンバーガーを齧り、ガソリンスタンドで購入したコーラを飲む。やはり腹が減っているときは、とても美味い。
「マックも来れたら良かったのにね。」
「そうだな。」
シュウェップスは寂しそうに呟いてから、マックギャングバンを口に運んだ。
トレイルに復帰して焚き火をする
その日のディナーもマック・ギャングバンだった
【#5に続く】