Amatomi – Shinetsu 200km Journey #2
Amatomi – Shinetsu 200km Journey #2
今年2021年に30km延伸し全長110kmとなった信越トレイルと、同じく今年開通した長野駅から斑尾山まで86kmに渡って延びるあまとみトレイル。実はこの2本のトレイルは斑尾山を起点に繋がっており、つまり、あわせて200km近い新たなロングトレイルが今年誕生した、ということなのです。
このニュースを聞き、さっそく2本のトレイルを繋げて歩く旅に出たトリプルクラウン・ハイカー*の清田勝さん。そのトレイルジャーナル後編です。
*アメリカ3大ロングトレイル(アパラチアン・トレイル、パシフィック・クレスト・トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイル)を制覇したハイカーのこと
前編で「あまとみ」のセクションを終え、今回はいよいよ延伸した信越トレイルに足を踏みれてゆく清田さん。街、山、川、湖、田園とバラエティに富んだセクションを持つ2本のロングトレイルを繋ぐハイキングは、「200kmの中にここまで様々な要素が詰め込まれた道は他にあるだろうか」と思うほど、旅の魅力に溢れていたといいます。
今回も行間に旅とトレイルの匂いをたっぷり詰め込んで、あなたをロングトレイルの旅に誘います!
思い出をたどる旅
信越トレイルに足を踏み入れてからというもの、誰にも会わなくなった。聞こえるのも、雨粒がレインフードに当たる音と枯葉を踏みしめる自分の足音ぐらい。周りの景色もブナの森がどこまでも続いているだけで、これといった大きな変化は起こらない。
代わり映えしない景色に飽き飽きし、立ち止まり顔を上げ空を眺めた。
「いつまで続くんだろうなこの雨…」
レオくんと別れた斑尾山で降り出した雨は、グズグズと翌日も降り続けていた。今頃、レオくんは東京の自宅の屋根の下にいるんだろうな。なんてブツブツ言いたくなるほど雨は一向にやむ気配がない。
なんだか当たり前のことがやけに恋しくなってくる。ロングトレイルを歩いているとこんな気持ちがふつふつと湧き上がってくる時がある。
この感情が出てくる時は大抵が辛い、しんどい、めんどくさい時だ。腹が減った、暑い、寒い、臭い、汚い、喉が渇いた、帰りたい等々、ハイキング中に遭遇するネガティブな出来事や状況がそうさせるのだろう。そうなると普段の当たり前の生活がとても贅沢なものに見えてしまう。
そんな時、もうひとりの自分がこう囁く。
「勝手に歩いてるのはおまえだろ?」
僕はいつもこう答える。
「確かにね。まぁ、とりあえず歩くか」
もうひとりの自分と会話をしながら黙々と歩いていると、屋根付きの休憩所が現れた。とりあえず休んでいこう。
雨宿りに逃げ込んだ休憩所
バックパックを置いてナッツとグミを交互に食べながら体を休めていると、去年の記憶が蘇ってきた。そういえば、ここは去年JKこと山と道スタッフの中村純貴と歩いた時にふたりで写真を撮った場所だった。「まさるくん! いいの撮れたよ!」と満足げな表情で写真をチェックするJKの声が蘇ってきた。
同じ道を歩くことをあまり好まない僕ではあるが、過去の思い出を拾っていく感覚が2度目の信越トレイルにはあった。断片的な去年の記憶が蘇るとそれに紐付いてまた別の記憶が蘇りだす。
次に通るキャンプ地である桂池キャンプサイト。そこには「トレイルマジック(トレイルでハイカーのために飲み物や軽食等を振る舞うこと)」としてスナックやドリンクが入ったクーラーボックスが置かれていることを思い出した。
そのノートに当時の僕とJKは何かを書いたはずだ。何を書いたかは思い出せない。過去の記憶を確認するかのように桂池キャンプサイトへと向かった。
道中もやはり雨は降り続けた
1時間ほど歩いた頃だろうか、桂池が見えてきた。この池の脇を歩いて舗装路に出る。その舗装路を登っていく左手に桂池キャンプサイトがあったはずだ。去年の記憶の答え合わせをするように歩みを進める。
「あったあった!」
そこにはあの頃と変わらないこじんまりとしたキャンプサイトと小屋がひとつ。確か小屋の中の右側にベンチがあり、ロゴスの白いクーラボックスが置かれていたはずだ。その脇にオレンジ色の表紙に赤文字で「TRAIL MAGIC Register」と書かれているノートがあった気がする。僕とJKは何を書いたのだろう。
2020年にノートにコメントを書いたJK
小屋の中に入ると僕の想像通りのものが去年と同じ場所に置かれていた。まるでこの小屋だけ時間が止まっているかのような、そんな気分にもさせれた。
雨で濡れたバックパックを下ろしノートを開く。いちばん新しいコメントは数日前だ。
「Thank you for your Trail magic!」 D.D.T Hiker
と書かれている。英語で書かれているコメントを見るとアメリカを歩いていた時のことを思い出す。日本人なのか外国人なのかもわからないこの感じがいい。D.D.Tとはハイカーネームだろうか。
そして驚いたのは信越トレイルが苗場山まで延伸したことで、全行程を歩きに来ているハイカーが以外と多いということ。同じ日に3人もコメントを書いていることもあった。その夜の桂池キャンプサイトはさぞかし賑やかだったろうな、と少し羨ましく思いながら、去年の7月のページを探した。9月…8月…そろそろかな。7月28日…19日…お! あったあった!
2021年7月17日に書かれたコメント(上:JK 下:清田)
JKはこんなことを書いていた。
「久しぶりのロングトレイルをUS3大トレイルを歩いたマサと一緒にハイク。信越トレイルにはアメリカを歩いた時の楽しさがふしぶしに感じました! トレイルマジックにとても心躍りました。ありがとうございます!」 Bonfire
Bonfireとは彼のハイカーネームだ。そういえば去年信越トレイルを歩いた時、アメリカのトレイルの話をよくしていた気がする。パシフィッククレストトレイルを歩いた経験を共有しながらも、彼の会話の中には、いつかはふたたび3大トレイルを歩きたいという思いを感じた。
そして、僕は何を書いていたかというと
「信越トレイル…さすがアメリカハイク好き、AT好きがてがけたトレイルです。森の中から見える空のかけらを探すように、深い深い森の中を、ひたすら歩いていく。だいたい雨やったけど…笑」 Masa
そう綴られていた。相変わらず字が汚い。去年の信越トレイルはかなりの降水量の中を歩いていた。そして、今も雨は降っている。
「雨の中ひとりでハイキング」とだけ聞けばあまり喜ばしい状況ではないが、こうして思い出をたどるように歩く旅も悪くない。そんなことを思いながら、また新しいコメントを書き足しておいた。何を書いたかは覚えていない。またいつかこの場所を歩きに来た時に確認するとしよう。
雨のち晴れ
その夜は雷の音で目がさめるほど荒れ、「この雨はいつまで降り続けるんだろう」と思いながら眠りについた。
翌朝、ゆっくりと目を覚ますといつもと同じテント内の景色が広がり、テントは風に当たってサラサラと音を立てていた。あれだけ雨が降ったのに水滴ひとつ付いていない。信越トレイル3日目。野々海高原テントサイトでの朝は清々しい気持ちだった。夜の嵐が去り、この場所が風の通り道になっていたのか、テントは洗濯から脱水、乾燥機までかけたかのようにサラッサラの状態だ。
簡単な朝食を済ませ、コッヘルで沸かしたお湯でインスタントコーヒーを入れる。テントの中でコーヒーを飲む時間は至福の一時だ。コーヒーは味よりも雰囲気が大事だと思う。パッキングを済ませテントサイトを離れたのは6時40分だった。
貸切状態だった野々海高原テントサイト
トレイルに戻ると、太陽の光がちょうど差し込み始めた頃だった。ここ丸2日雨の中を黙々と歩いていたこともあり、太陽のありがたさと光をまとった世界の美しさに感動しながら、ご機嫌な1日のスタートとなった。
野々海高原のテントサイトを出てすぐのトレイルは本当に美しかった
今日の行程は野々海高原テントサイトから天水山まで歩き、関田山脈から下山してJR森宮野原駅を通過し、信越トレイルの延伸部分へ差し掛かる予定だ。
気がつけば今回の長野駅からの旅も6日目が始まろうとしている。あまとみトレイルを歩いていた日のことが随分前のことのように思えてならない。たった数日前のことなのに、なぜそう思えてしまうのかは不思議な感覚だ。
「ブナの森ともお別れか…」そんなことを考えながら柿の種を頬張り歩いていると、トレイルを横ぎるように生えている木に何か光るモノを見つけた。何かが光っているのはわかるのだが、その実態が遠目ではわからない。歩みを進め近づいていくとその色は緑やオレンジ、黄色や青に変化し始める。
その光る何かの目の前にたどり着いた時にその正体が分かった。木についた雫に太陽の光が反射していたのだ。
七色に光る朝露
太陽の角度、水滴の場所、天候、季節、時間、それらすべてが奇跡的に重なりこの光を届けてくれている。ダイナミックな世界の絶景も嫌いではないが、誰しも見落としがちな小さな世界の絶景にも僕はついつい立ち止まってしまう。
朝からいいものを見せてもらった。
木々の間から降り注ぐ光と影の中を歩き進めていると天水山に到着した。
天水山山頂
延伸前の信越トレイルはここが北の起点となっていた。以前はJR森宮野原駅から天水山まではアプローチルートとされていたのだが、今はそうではない。ここからの下山ルートも堂々と信越トレイルの一部となっている。
延伸ルートに胸を躍らせ天水山を後にした。朝の光に照らされたブナの森は美しく、雨のハイキングとなった信越トレイルの序盤、終盤にこんなに素晴らしい森を見せられてしまうと、抜けてしまうことがとても切なく感じてしまう。
そんな時、森の中から透き通るような鳥の鳴き声が聞こえてきた。
ブナの森に鳥の歌声が響き渡る
僕は鳥のことは詳しくない。それでもこの瑞々しい森に響き渡る鳴き声は僕の足を止めさせるほど、美しく神秘的だった。
誰もいない森の中。町では人々が活動を始めている頃だろうか。天水山から森宮野原駅までは数時間歩けば着くだろう。人里からそれほど遠くない場所で、こうして自然の営みが今日も続けられていること。そんな瞬間に触れることで人は癒されるのかもしれない。いつか僕も鳥の鳴き声を聞くだけで名前がわかるようになりたいものだ。
天水山からの下山が本格的に始まると展望が開け始めた。ここまで歩き続けてきた関田山脈の一部が見え、麓には雲海が広がっていた。昨夜の雨で水蒸気を含む空気がたまり、雲ひとつない快晴の朝に気温が上がり雲海が出たのだろう。
僕は雲海の中に飛び込むように、徐々に標高を下げながら森宮野原駅を目指した。
関田山脈と雲海
New Stage
「プッシュ!!」
威勢よく缶ビールの蓋が開いたのは午前10時5分。『道の駅さかえ』は野菜や果物を買いに来る人で賑わっていた。駐車場にはツーリングに来ているのだろう、大型のバイクが数台止められている。
どうやら今日は日曜日らしい。そんな光景を眺めつつ缶ビールを飲みながら、何気なくスマホ片手に今までの行程を振り返っていた。
あまとみトレイル〜信越トレイルのマップと現在地(★)
もう少しで苗場山に到着するみたいだ。明日の昼過ぎには山頂に立っているんだろうなと思いつつも、この旅がいつまでも続いてほしいと思う自分が心のどこかで囁いている。とはいえ、ここから苗場山山頂までは延伸区間。僕が歩いたことのない世界が広がっている。空き缶をゴミ箱に捨て道の駅を後にした。
『道の駅さかえ』からはあまとみトレイルとは一味違った里歩きが始まった。ここは新潟県中魚沼郡津南町。新潟といえば米だ! ちょうど収穫を終えた田園地帯の脇に、収穫で走り回ったであろうトラクターが休んでいた。
収穫終わりの田園風景
おいしい米を作るためには、米が実る時期に「平均気温25度」「昼夜の気温差が大きい」「日々少しずつ涼しくなる」ことが条件とされているらしい。新潟県はこの条件を全て満たしていることで、米作りが盛んになったという。
米のことを考えていると腹が減ってきた。ごそごそとバックパックのサイドポケットから柿の種を入れたボトルを取り出し、いつも通り口に流し込み空腹を紛らわした。
米の次には、蕎麦の収穫時期がやってくる。10月の信越国境はそこかしこに溢れんばかりの豊かさがたわわに実っている。
蕎麦の花
そういえば、長野駅から今日ここまでの旅の中でも、たくさんの実りを見ることができた。りんごにぶどう、きのこや野菜、戸隠では蕎麦もいただいた。アメリカのトレイルを旅していた時とは正反対と言えるほど、このトレイルには食と人が寄り添っているように感じる。
以前、みちのく潮風トレイルの記事にも書かせてもらったが、トレイルは比べるものではないと思う。アメリカのロングトレイルは人里から離れ自然の中を歩く。一方、日本のロングトレイルは人里や集落を通ることが多い。
その違いは様々だとは思うが、自然豊かな日本では人の生活の中に、山や海が当たり前のように入り込んでいる。そんな背景から日本らしいロングトレイルができていくのだと思う。
つまり、それぞれのトレイルに順位をつけるわけではなく、その国らしいトレイルを楽しく歩けばいいということだ。
牧草地の脇にトレイルが通っている
田園地帯や牧草地が多い延伸区間は、とにかく空が広く気持ちがいい。信越トレイル終盤は本当に天候に恵まれた旅になった。雨が降った信越トレイル前半も今思えばいいタイミングだったように思う。それもこれも「終わり良ければすべて良し」という言葉の通りだろう。都合のいい言葉があるもんだ。
牧草地を抜けようとする頃、そこから振り返るとこれまで歩いてきた関田山脈が見渡せた。
遠くに見える関田山脈
あの尾根を何日も歩いてきたんだと思うと、旅がもうすぐ終わってしまう実感が湧いてきた。逆に苗場山から歩いたハイカーは、これから歩く関田山脈を見てどんなことを思うのだろう。こんな場所で同じトレイルを歩くハイカーとすれ違ってみたいものだが、僕は誰とも会えずにひとりそんなことを考えていた。
そして、あまとみトレイルからこの信越トレイルを接続して歩いて思うことがある。それは、旅の魅力がそこかしこに溢れているということ。
思い返してもらいたい、長野駅から始まり善光寺を通り、りんご園が立ち並ぶ集落を抜ければ戸隠神社にたどり着く。氷沢避難小屋からは夢見平を通り、苗名滝を眺め関川沿いに下る。そこから野尻湖畔を周り斑尾山に着きどこまでも広がるブナの森を歩き、人里に下りてくると田園風景が広がり最後には百名山のひとつでもある苗場山にたどり着く。
街あり、山あり、川あり、湖あり、滝あり。天気が良ければ日本海も見ることができる。北上ルートで歩いた僕の場合、長野駅がスタートで標高2000mを越える苗場山がゴールになるわけだが、200kmの旅の中にここまで詰め込まれた道は他にあるだろうか。
それほど、魅力にあふれた200kmの旅が信越国境に存在することが嬉しく、そしてこれからたくさんのハイカーが足を運ぶトレイルになるのだろうと心を躍らせてしまう。あまとみトレイル、信越トレイルに限らず、これから日本各地にこうしたトレイルが産声を上げていく気がしてならない。
そんなドキドキワクワクするような思いで歩く6日目が終わり、秋山郷の『かたくりの宿』にテントを張った。
最後のテント場
『かたくりの宿』は、旧中津峡小学校を改装して利用された廃校の宿で、全国の廃校宿ランキング第2位にも選ばれている。そこの校庭にテントを張らせてもらい、宿内にある温泉に入ることができる。
旅の最後の夜に温泉に入り、べたついた体を綺麗に洗いサラサラのテントに入り、ふわっふわの寝袋に体を滑り込ませる。旅に終盤にこんなに贅沢をして罰でも当たらないか不安になるほどだ。
明日、いよいよ200kmの旅が終わる。
天国へ続く道
10時14分。1本の滝が見えてきた。滝壺のサイズ感がちょうどよく真夏なら確実に飛び込んでいるだろうな、なんて思いながらひと休みしていた。
大瀬の滝
信越トレイル上にある大瀬(おぜ)の滝。ここが苗場山登山口の1合目に当たる場所のようだ。この場所の標高は950m。苗場山山頂は2145m。1000m以上標高を上げることになる。トレイルのゴールが山頂にあるといえば、アメリカのアパラチアントレイルを思い出す。
アパラチアントレイルも北の起点はカタディン山となっていて、最後の登りは1000m以上の急登を登らなければならない。この信越トレイルもそれに似たものを感じてしまう。登山道を登り始めると紅葉した葉がちらほら見えるようになってきた。
草木に紅葉が始まっていた。
樹林帯の中を登ること数時間、3合目の登山口に到着した。この場所までクルマで来て山頂まで歩くのが一般的なようで、月曜日の登山口にはたくさんのクルマが並んでいた。
「下山してきたの?」と年配の男性が話しかけてくれた。
「今からですよ〜!」
「私も朝起きて天気良かったからついつい登りたくなったからきちゃったのよ。これが地元の人の特権」
そう話すと、男性は満足そうな笑みでゆっくりと登山道に歩いて行った。紅葉シーズンの苗場山は近隣の登山者から大人気なのだろう。3合目から山頂までは5kmもない。2時間もあれば着いてしまうだろう。時刻は11時ちょうど。急ぐ必要もない。ゆっくりと旅の終わりを味わいながら登るとしよう。
歩き出すと、山頂を目指す人や下山してくる人とよく出くわす。だが、長野駅から歩いてきた僕は、恐らく他の登山者の心境とは大きくかけ離れたものを感じていたはずだ。
他の登山者がどんな経緯でここに足を運んでいるのかはわからない。地元の人だろうか、遠方の人だろうか、それとも初めて登山をする人だろうか、どうしてもこの山を登りたかった人だろうか。ただ、「自分は長野駅から歩いてきたんだよ」と心の中でつぶやいた。
もちろん、そんなことは誰にも言う必要はない。すれ違う登山者に紛れて僕もそのひとりとして振る舞いながらも、心の中では自分の世界を堪能していた。
ようやく展望が開けてきた。
展望が開け始める
僕は日本の山のことをほとんど知らない。登山が好きな方に話しかけられ、「僕、山のことよくわからないんですよね〜」と話すと、「そうは言ってもそれだけ歩いてるから知ってるでしょ!」と返ってくる。でも、冗談抜きで山の名前がわからないのだ。
その理由は、ロングトレイルは山のピークを踏むことを目的にしていないからだと思う。長い距離を歩くとひとつひとつの山に対する執着が湧いてこない。次の峠、次の水場、次のテント場というように繰り返し訪れる場所のひとつに山頂があるだけであって、なんら特別なモノではない。それよりも自販機のある場所やあの人と出会ったあの場所、よくしてもらった商店のおばちゃん、そんなことばかり鮮明に覚えている。
ロングトレイルを愛する人はそんなタイプが多いような気がする。
紅葉が始まる山々
という前振りをしたわけは、苗場山もどんな山なのか、どんな景色なのか、あまり関心がなかったからだ。日本百名山に入っていることすら知らなかった。トレイルがどう通っているかさえわかってしまえば、それ以外の情報はとくに欲しいとは思わない。知りすぎることが時に旅をつまらないモノに変えてしまうこともある。
そしてたどり着いた苗場山8合目。ここに来てようやく苗場山がとてつもなく美しい山だということを知った。
8合目からの景色はまさに天国のようだった
8合目まで登りきると、傾斜は緩やかになり木道が続く。この一帯は上信越高原国立公園に属していて、山頂付近は湿地が広がっている。こんなに美しい景色の中を歩くと、どうしても歩くペースが遅くなってしまう。ついつい立ち止まってしまう景色がそこにはあった。
一歩一歩緩やかに移り変わる景色に心を打たれながら、歩みを進めていく。
まるで動物の肉球のような池
もうゴールはすぐそこまで来ているのだろう。遠くに人だかりと小屋が見える。あそこがこの旅の終わりなんだな。
「あまとみトレイルってなんだ?」から始まった今回の200kmの旅。歩き終わってしまえば最高に楽しい旅だった。
今回の旅を例えるなら、1本の映画を見たような旅だったと言えるかもしれない。映画は、見る人の心境や状況によって感じ方や捉え方、解釈の違いがある。ロングトレイルもそれと似ている部分があるように思えてならないのだ。
ただ、ロングトレイルという映画は、巻き戻しも早送りもできない、今この瞬間を見る映画なのだ。
同じ道を歩くハイカーがいたとしても天候や季節、時間帯が違うだけで世界は異なる表情を見せる。レオくんと歩いたあまとみトレイル。いくつかのロングトレイルを歩いてきた僕と、初めてロングトレイルを歩いた彼とでは、同じ時間を共有していたにも関わらず、感じ方が全く違ったはずだ。
けれど皆違う物語を経験したにもかかわらず、同じ道を歩いたというだけで、心が通ってしまうのがロングトレイルの不思議なところだ。
苗場山山頂からの景色
時間はちょうど13時を回ったところ。気がつけば山頂にたどり着いていた。旅の終わりはいつも静かに訪れるものだ。今回もこれまでと同じように何事もなく旅が終わった。
山頂付近にいる他の登山者は、僕が200kmの旅をしてきたことは誰も知らない。でもそれがいい。みんなと同じように眺めの良いベンチまで移動し、みんなと同じように心地良い風に吹かれ、ただただ流れる時間を感じていた。
皆が見ていた景色もとても美しいものだ。だが、僕の見ていた景色はそれよりもほんの少しだけ深みを帯びていたかもしれない。
旅の終わりはビールで乾杯
旅の終わりと忘れ人
「今回の旅はどうだった?」と聞かれることがよくあるのだが、答えに困っていた頃もあった。でも最近はこう答えるようにして言える。
「楽しかったよ‼︎」
大体の感想はそのひと言でいい気がしてきた。どれだけ説明しても経験しないと伝わらない部分がある。それならただただ楽しかったことだけを伝えて、聞いた人が受け取りたいように受け取ればいいと思う。
ここでもうひとつ楽しかったことを伝えなければならない。
旅が終った翌日、僕は信越トレイルの伏野峠までクルマに揺られて向かっていた。隣では信越トレイルクラブのゆきこさんが運転席で忙しそうにハンドルを右に左に回している。ゆきこさんとは2018年にアパラチアントレイルを歩いた仲だ。トレイル上では会うことができなかったが、同じ道を歩いただけで友達になれてしまう。
「あの人たちホントどこ歩いてるんですかね?」
「今日の朝イチに道の駅出てるんだったらさすがに伏野峠を越えてるってことはないと思うんだけどね」
信越トレイルを知り尽くしたゆきこさんがそう言うなら間違いないだろう。
「ゆきこさん今日予定ないんですか?」
「休みだから何時まででも大丈夫だよ!」
僕たちが一体何をしているのかというと、信越トレイルを苗場山からスタートして斑尾山まで歩く4人のハイカーを待ち伏せしに行くのだ。
その4名とはこの人たちだ。
左から:まことさん・剛さん・ゆうさん・宮下さん (made_in_miyashitaさんのインスタグラムより)
長野県でアウトドアを楽しみながら活動されている方々で、豊野町でりんご農家をしている宮下さん、長野市でnaturalanchorsというアウトドアショップをされているゆうさん、その隣のnorth.south.east.westというカフェをされている剛さん、そのお仲間のまことさん。
僕はこの中の誰とも会ったことも喋ったこともない。唯一繋がりがあるとするなら宮下さんだけで、音声配信やSNSで繋がっていた彼とは「いつかお会いできたらいいですね!」と言い合っていた関係だった。僕が苗場山にゴールする日の早朝に苗場山から歩き始めると聞いていて、それなら絶対にどこかで会えるはずだと思っていたのだが、すれ違うことなく苗場山にたどり着いてしまったのだ。
伏野峠にビールとアイスを買い込んで待ち構える
なぜ会えなかったのかはわからない。トレイルは1本しかない。その線をお互いに歩き続ければ必ず交わると信じて疑わなかったが、僕と宮下さんは忘れ物ならぬ「忘れ人」をしてしまっていた。彼がどう感じていたかはわからないが、僕は確実に心残りだった。それに面白がって同行してくれたのがゆきこさんだったということわけだ。
11時半に伏野峠に到着して何をするでもなく、ゆきこさんとのんびり彼らを待っていた。
「何時頃に来ますかね?」
「どうだろね〜まぁ1〜2時間で来るんじゃないかな?」
「ほんなら緩くいきましょ! 他にハイカーも通るかもしれないですしね」
すると山から人の気配がした。高まる鼓動を抑えつつ峠で待っているとひとりのおじさまが下りてきた。あの4人組ではない。
「男性4人で歩いてるグループいませんでしたか?」
「今日は誰にも会ってないよ」
おじさまにビール1本渡そうと思ったが、クルマを止めているということでお渡しできなかった。それにしても、彼らは一体今、どこを歩いているのだろう。
それから2時間、誰ひとりとしてトレイルから姿を見せなかった。時間は13時を過ぎ14時に近づいているではないか。
「まさるくん何時まで待つ? 今日東京に向かうんでしょ?」
「そうですね。まぁ遅くとも15時ぐらいまでですかね」
「じゃあ15時を目処に来なかったら諦めて帰ろっか!」
そういえば、僕たちは朝食も昼食もろくに食べていない。ふたりして山の中に食べれるものを探したが、何も見つからない。
そうこうするうちに15時になろうとする頃に、4人組が来るであろうトレイルの反対方向から声が聞こえてきた。女性の声だ。彼女達にビールとアイスをあげて帰ることにしよう。
「ビールかアイス欲しいですか?」
「え‼︎ いるいる‼︎ 本当にいいんですか‼︎」
相当喜んでもらえた女性ハイカー達とゆきこさんと自分
彼女達と立ち話をしてお別れし、もういよいよ帰ろうかという頃、人の話し声が聞こえてきた。
「ビール飲みたいっすね〜」
「ここでビールとかあればやばいね」
「ビールが飲みてー」
「ビールが飲みてー」
来た!
明らかに4人の男性の声が聞こえる。待つこと4時間半。ようやく「忘れ人」に会うことができる。
トレイルの入り口に戻り、ビールを用意していると声がますます近くなってくる。
「ビールが飲みてー」
「ビールが飲みてー」
「あぁ喉乾いたー」
「そんな都合よくビールなんかないですよ!」
あまりの嬉しさに僕は我慢できず
「宮下さーん! ビールありますよ!」
「ん? え? え? 誰? 誰?」
ひとりが駆け下りてきた。
「え、うそ‼︎ なんで? うわぁ〜〜‼︎ まさるさ〜〜ん‼︎」
「宮下さ〜〜ん‼︎ 会えた〜〜‼︎」
宮下さんは頭の整理がつかなかったのか、駆け下りてきた勢いのままハグで突っ込んできてくれた。
「はい、ビール!」
「まじですか!」
「ってか、なんでいるんですか?」
「まぁまぁ、みんなで先にビール飲みましょ!」
おしまい