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エドベアードの北アルプス・ハイキング with JK

トリプルクラウンハイカーがスタッフJKと歩いた5日間
文/写真:エディ・オリアリー
写真:エリナ・オズボーン
訳:スティーブン・モス 三田正明
2025.04.18

エドベアードの北アルプス・ハイキング with JK

トリプルクラウンハイカーがスタッフJKと歩いた5日間
文/写真:エディ・オリアリー
写真:エリナ・オズボーン
訳:スティーブン・モス 三田正明
2025.04.18

2024年の夏、アメリカの三大ロングトレイルを制覇した経験を持つトリプルクラウンハイカーのエディー “エドベアード” オリアリーさんが来日。彼の友人でもある山と道スタッフの「JK」こと中村純貴と北アルプスをハイキングしました。その体験を率直なエッセイに綴ってくれたのですが、きっと日本のハイカーにも、海外のハイカーにも新鮮な内容になるだろうということで、ここに共有させてもらうことにしました。

「俺たちの北アルプス」に、トリプルクラウンハイカーは何を感じたのか? そりゃ最高に感動したに決まってます! 

編集部的にも、ずっと北アルプスは海外の名だたる山域にも勝るとも劣らないポテンシャルを持っていると思っていただけに、読んでいて「そうだよね! 最高だよね!」と思うことしきりの素敵なトレイルログになりました。

世界の皆さん、ぜひ日本の山を歩きに来てください。北アルプスに限らず、魅力的な山が北から南までぎっしり詰まっていますよ。

CDTでのJKとの出会い

2023年、僕はCDT(コンチネンタル・ディバイド・トレイル:カナダ国境からメキシコ国境までロッキー山脈に沿って北米大陸の分水嶺を横断する約5,000kmのロングトレイル)のグレートベイスン(ワイオミング州)をハイキングしていた時にジュンキ、通称JKと親しくなり、そこから約1,700マイル、ゴール地点のメキシコまで一緒に歩いた。CDTが終わって間もなく、JKは僕を日本に招待してくれた。トレイルを一緒に歩いている間、日本の山、家族、奥さんのペイペイ、文化の話、そして和食のことをJKが愛情深く語るので、僕は日本に行きたくてたまらなかった。

それから多くのメールや電話を重ね、9ヶ月と26時間のフライトを経て、やっと日本に着いた。空港でJKが迎えにきてくれ、再び笑顔を見ることができた。彼とまた山を歩けることに興奮が止まらなかった。

CDTでJKと。(写真提供:中村純貴)

僕とJKに加え、実はもうひとり僕たちの友人である「ティップタップ」ことエリナもハイキングに参加する予定だ。ティップタップはCDTではなく、2024年8月のPCTデイズで出会ったことがきっかけで友達になった。僕が日本に行く予定だと話すと、偶然ティップタップも同じ時期に日本に滞在予定なことがわかって、彼女は「あー! あなたがジュンキに会いに行く友達なんだ!」と言った。もし都合が合えば一緒にハイキングしようと約束して、僕が日本に出発する数日前、彼女は僕たちと北アルプスのハイキングに参加することを決めた。

しかし、ハイキング直前の天気予報は最悪。5日間連続の雨、霧、そして強風。運が良ければ、ほんの数分だけ雲の切れ間から景色が見えるかもしれない予報。何か月もこのハイキングを心待ちにしていた僕にとって、その予報は大きな落胆だった。1〜2日程度の悪天候なら耐えられるが、連日の雨の予報にはさすがに気が滅入った。

それでも、山の天気は変わる。予報が外れて状況が好転するかもしれないという希望を胸に、僕たちは出発することにした。

僕たちのハイキングは北アルプスの玄関口である上高地から始まった。朝、冷たい雨がしとしとと大地を濡らしていた。山に近づくにつれて、ところどころ青空が顔をのぞかせ、雨も少しずつ和らいでいく。「このまま天気が回復するかもしれない」。そんな期待が胸を膨らませた。しかし、駐車場に到着し車を降りた瞬間、また雨が降り出した。ただ、今度の雨は優しい小雨に変わっていた。

天気のことはあまり気にしていなかった。それよりも、いよいよハイキングが始まるという高揚感で胸がいっぱいだった。何より、ハイキングを始められることが楽しみで仕方なかった。

上高地ではショッピングをしすぎた! 日本はどこでもおいしい!

ハイキングを始めた瞬間、興奮が一気にこみ上げてきた。「日本でのハイキングはこれが初めてなんだ!」と、何気なくティップタップに話しかける。その言葉を口にした途端、期待と興奮が現実として押し寄せてきた。何か月も思い描いていた夢が、いま、まさに目の前で叶っている。もう「これから起こること」を想像している段階ではなく、「この瞬間を生きている」という感覚に包まれていた。

ついに日本アルプスでの冒険が始まった。そして、またJKと肩を並べて歩ける喜びを全身で味わっていた。

これはただの5日間のハイキング以上のものだ

上高地に立つティップタップ。なんか晴れそうだ!

この日は遅めのスタートだったため、行動時間は短めだった。さらに、JKは「毎日午後4時までにキャンプ地に到着すべきだ」と話していた。この考え方は、ティップタップと自分にとっては新鮮だった。普段はスルーハイキングスタイルに慣れていて、距離目標を達成するためなら夜10時まで歩き続けるのも普通のこと。50kmの計画なら、時間に関係なくやり切るのが当たり前だった。

しかし、日本アルプスの山小屋ルールでは、特に9月後半は日没が午後5時半頃になるため、午後4時までに行程を終えるのが一般的だという。ただ、これは厳格なルールではなく、あくまで目安にすぎないことをすぐに理解することになる。この日は無理をせず、予定通り約10kmの行程を終わらせることにした。

初日はずっと樹林帯の中を歩き続けていたが、それでも周囲の美しさに心を奪われた。景色は豊かで生き生きとしており、森はまるで古の叡智を秘めた静かな聖域のようだった。湿地帯には長い木道が敷かれ、道中では野生の猿にも出会った。

特に印象的だったのは、道沿いに設置された熊よけの鐘。通るたびに鳴らして熊を驚かせる仕組みだが、「これ、むしろディナーベル(家族や客に食事の用意のできたことを知らせる鐘)みたいだね」と冗談を言って笑い合った。時折見えるそびえ立つ山頂は、まとわりつく雲を従えた王のようで、これから先に待ち受ける光景を予感させた。だが、道のりは心地よく、あっという間に進んでいった。

レンジャーに計画を説明するJK。

午後4時過ぎに横尾山荘に到着。JKは僕たちの計画をレンジャー(長野県警)に説明し、無事に出発できるよう説得する必要があった。どうやら、5〜10kmしか歩かないのが一般的らしく、僕たちのように1日20km以上歩く予定を立てているのは珍しいよう。JKが「大丈夫、僕たちはその距離を歩ける体力があります」と説明し、納得してもらった後、キャンプ地に登録し、テントを張った。

夕食を作り終えた後、山小屋の共有スペースで午後7時半まで過ごした。山小屋にはWi-Fiがあり、少し緊張しながら最新の天気予報を確認した。初日は時折の小雨で済んだことは幸運だったし、樹林帯に守られていたおかげで雨もさほど気にならなかった。しかし、これからはそうはいかない。槍ヶ岳を越えてからは、ほぼ4日間ずっと森林限界を超えた場所を歩くため、悪天候への備えが必要だった。長時間の雨は、最悪の場合ハイキングを危険なものに変えてしまう。

天気アプリが更新された。信じられないことに、予報は良い方向に変わっていた。次の2日間は、午後に少し雨が降る可能性がある程度とのことだった。

川のせせらぎを聞きながら、眠りについた。胸の中には生命の鼓動が響いているような感覚があった。心が満たされ、静かな平穏と世界とのつながりを感じていた。そして、人や世界をもっと知りたいという好奇心が湧き上がってきた。まだ10kmしか進んでいなかったが、これはただの5日間のハイキング旅行以上のものだと感じていた。それが何を意味するのか、これからどんな体験が待っているのかはわからない。しかし、この瞬間がかけがえのない宝物であることは確かで、その価値を心から味わっていた。

キャンプ初日の夜、JKは「トリプルクラウン達成の王者のローブだ」と言って、僕にキルトを王のマントのように巻いてくれた。 写真:エリナ・オズボーン

槍ヶ岳のチャイティー

僕たちは早朝に目を覚まし、午前5時半にはハイキングを始める予定だった。この日は険しい地形を20kmも歩くという野心的な計画があり、午後4時のハイキング終了目安に間に合わせるため、できるだけ早く出発する必要があった。でも結局、出発したのは午前6時半頃になった。ビデオクリエーターや写真家が3人もいると、時間がかかるのは仕方がなかった。

キャンプサイトで動画を撮影するJKとティップタップ。

重い結露でしっとり濡れたテントを片付け、ハイキングを開始する。この日の最初の目標は、槍ヶ岳だ。標高3,180mを誇る槍ヶ岳は、日本で5番目に高い山であり、日本百名山のひとつ。その鋭く尖った山頂は、一目見ればすぐに分かる特徴的な形をしている。ただし、そこに至る道のりは長く、急勾配の連続だ。

キャンプ地から槍ヶ岳山頂までは、休憩を挟みながらおよそ4時間かかった。その道中、JKが「おはようございます、お隣さん」*と声をかけてくれるたび、僕は新鮮な気持ちで朝のあいさつを日本語で学んだ。「おはようございます、お隣さん」。これを忘れないように、自分で覚えやすい歌を作って口ずさみながら歩いた。

おはよう お隣さん (Ohayo Otonarisan)
朝日 お隣さん (Asahi Otonarisan)
起きれ お隣さん (Okire Otonarisan)
起きろ お隣さん (Okiro Otonarisan)

この歌を何度も繰り返し歌いながら、言葉やフレーズを脳裏にしっかりと刻み込んだ。歩くリズムに合わせて自然と口をついて出るそのメロディーが、疲労を忘れさせ、足が前へ進む。

*「おはようございます、お隣さん」はJKとエディがCDTのテント場で起床時に「Good morning neighbors」とテント場にも関わらず「自分の家の隣に住む友人」という冗談で笑い合っていたことからふたりの朝の定番の挨拶だった。

改めて、ここにいることが本当に嬉しくてたまらなかった。日本アルプスをハイキングし、槍ヶ岳を目指しているという事実が、まだ完全には現実として実感できていなかった。初めの数kmは夢中で進み、あっという間に過ぎていった。しかし、その先に待ち構えていたのは、険しい最後の急登だった。岩場が続き、スイッチバック(※つづら折り)が何度も現れる。(そう、日本にもスイッチバックがあるんだよ!)見上げるたびに次のカーブが現れ、終わりが見えない道に息が切れる。

確かにスイッチバックは助けにはなっていたが、それでも最後の数kmの登りがこれほど厳しいとは予想していなかった。しかし、驚きながらも心のどこかで「当然だよな」とも思った。山は山であるがゆえに、そう簡単にはその頂を許してはくれない。そんな自然の厳しさと荘厳さに対する敬意が、足を進めるたびに心の中で深まっていった。

槍ヶ岳の登りはマジで急登!

槍ヶ岳山荘に到着すると、早朝に見た雲が天井となっていた。遠くの景色は低い雲に覆われ、山頂はまだ雲の中に隠れていたが、登ってきた谷間を見下ろすことはできた。僕たちは山荘の外で昼食を取りながら、雲が絶え間なく視界を奪ったり与えたりする様子をじっと眺めていた。

標高の高さと風の影響で少し肌寒さを感じたが、寒いと口にしそうになった瞬間、数日前の京都で滝のように汗をかいていた自分を思い出した。少し肌寒いくらいなら、蒸し暑さよりずっといい。しかも、すぐそばには暖を取れる山荘がある。そう思うと心に余裕が生まれた。僕たちは山荘の中へ入り、それぞれチャイティーを注文した。

寒さのせいもあるだろうし、標高3,000mという非日常の場所にいるせいもあるだろう。それに、ここまでの険しい道のりを歩き切った達成感もあったはずだ。きっとそのすべてが重なり合った結果だと思う。とにかく、そのチャイは格別に美味しかった。僕たちは一滴残さず、まるで温かな恵みそのもののようなその味わいを心から堪能した。

山小屋でアフタヌーンティー。

三俣蓮華のブロッケン

最後の一滴のチャイを惜しむように飲み干し、時計を確認する。気軽な30分休憩のつもりが、いつの間にか1時間以上経過していた。まだ7kmしか歩いておらず、残りは13km以上。そして時刻はすでに午前11時半を回っていた。日が暮れる前に目標地点に到達するのは難しそうだったが、全力で挑むつもりだった。とはいえ、あのチャイを楽しんだことに後悔は一切なかった。

僕たちは槍ヶ岳の裏側へと下り始めた。尾根の上では、雲が行ったり来たりしながら風景を隠したり見せたりしていた。この山の裏側は特に雲が厚く、想像以上に急な下り坂が続いていて、少しずつペースが落ちていった。しかし、次の山小屋までの数kmは、時折吹き抜ける風が雲を払い、近くの山頂や深い谷が一瞬だけ姿を現す。オレンジ色の岩肌が陽の光を浴びて輝き、標高の低い場所に広がる緑と見事なコントラストを描いていた。

雲の中、槍ヶ岳を下る。

その日の2つ目の双六小屋に到着したのは午後3時だった。この時点で、予定していたキャンプ地(黒部五郎小屋)に日が暮れる前に到達するのは不可能だと判断した。そこでJKは新しいルートを考案した。今夜は三俣山荘小屋を目指すルートで、午後6時の日没までに到着できる距離だ。この変更によって、ループ状のルートではなく往復ルートを歩くことになったが、僕たちはそれで構わなかった。

それに、このルート変更には思わぬ利点もあった。翌日は短い6kmの移動で済み、雲ノ平でゆったりと過ごせる時間を確保できるようになった。結果的に、無理をせずに柔軟に計画を変更することで、新たな楽しみが生まれたのだ。

雲がドラマを演出する。

新しい計画を立て、僕たちは三俣蓮華山荘を目指して歩き始めた。急な登りがもう一度あり、その後は緩やかなトラバースや下りが続くルートだった。三俣蓮華岳の頂上にたどり着いた時、これまで見たことのない不思議な現象を目にした。

太陽は雲の層と水平線近くの低い位置にあり、背後から僕たちを照らしていた。目の前には厚い霧と雲が立ち込め、空の上は青く澄んでいた。谷間にたまった雲の壁を見下ろすと、小さな円形の光のトンネルのようなものが見えた。その中に、自分の影が映り込んでいる。数10mも先にあるはずの光のトンネルの中に、はっきりと自分の姿が浮かび上がっていたのだ。

腕を振りながら確かめてみると、トンネルの中の影も同じように腕を振り返した。自分の影が、まるで雲の中の光の窓からこちらを見返しているようだった。

ティップタップもJKも同じ現象を目撃し、それぞれに自分の影が映る別のトンネルが見えていた。そして驚くことに、そのトンネルは僕たちが動くたびに一緒に動いていた。僕たちは興奮し、「僕が中心だ!」「いや、僕が中心だ!」と叫び合い、笑い声が山の上に響いた。

「この現象は“ブロッケン現象”と呼ばれているんだ」とJKが教えてくれた。ブロッケン現象は、山岳地帯や霧の中など特定の条件が揃ったときに現れる希少な自然現象だ。自分の影が雲に巨大に映り、その周囲に虹色の光の輪が現れることもあるという。

太陽光のトンネル効果。

まだ信じられない気持ちのまま、僕たちは最後の下りを進み、午後6時の締め切り直前に三俣山荘に到着してキャンプサイトのチェックインを済ませた。暗くなる前に急いでテントを設営し、簡単な夕食を取った後、デザートとコーヒーを楽しむために再び山荘へと向かった。

テントへ戻ると、空は少し晴れ始めていて、無数の星々が夜空に瞬いていた。まるで他の宇宙を覗き込んでいるかのような星々の輝きに見とれ、疲れた体は満たされた心地よさに包まれながら眠りについた。

見て、感じて、経験すること。つながること。これこそが人生だ。

翌朝、素晴らしい朝を迎えた。黄金色の朝日が大地を優しく照らし、冷たい空気を温かく包み込むように心も温めてくれた。これまで山頂にまとわりついていた頑固な雲はすべて消え去り、空は一片の曇りもなく晴れ渡っていた。

三俣蓮華岳と鷲羽岳に囲まれたキャンプ地から見える景色は、言葉では表しきれないほど壮大で、美しかった。広がる稜線が朝の光に照らされて金色に輝き、山々がその荘厳な姿を惜しみなく見せていた。

3日目の朝のキャンプサイト。太陽!

コーヒーを淹れ、朝食を楽しみながら目の前にそびえる鷲羽岳を見上げていた。名前の通り、まさに空を舞う鷲のような存在感を放っていた。この日最初の目標は、その鷲羽岳の山頂だ。テントは結露でびっしょりと濡れていたが、太陽の光で乾かすためにできるだけゆっくりと準備を進めた。しかし、不注意でテントの中に水をこぼしてしまい、キャップをしっかり締め忘れていたのが原因で約500mlもの水が溢れ出た。とはいえ、この日は距離が短めの行程だったため、時間には余裕があった。それでも、ずっと見上げていた山の頂に向かって歩き出すことが楽しみで、ギアを乾かすのは後回しにした。

鷲羽岳への登りは急で、CDTの険しい登りを思い出させる道だった。前夜ぐっすり眠れたことと完璧な天気に恵まれたことで気力がみなぎり、予想以上に早く山頂にたどり着いた。

この日は雲ひとつない快晴で、山頂からは360度のパノラマビューが広がっていた。細く切り立った稜線が険しく連なり、まるで新たな冒険へと誘う道のように見えた。眼下には深い谷が広がり、山々の合間を縫うように命の流れを抱えた川が見えた。その川は山々で生まれた生命の恵みを抱えながら海へとたどり着き、やがて再び命の源である山へと回帰していく。

僕たちは山頂でしばし佇み、その圧倒的な美しさが心の奥深くに染み渡るのを感じていた。

雲ノ平までの道のりは、まるで天上を歩いているようだった。捉えきれない景色を留めようと、何度も立ち止まり写真を撮った。

その日の最後の登りの手前で、僕たちは早めのランチ休憩を取り、「乾燥パーティー」を開いた。太陽の下、濡れたギアを広げながら食事を楽しみ、笑顔と笑い声が絶え間なく響いていた。よく言われるように、誰と一緒にいるかはその体験の質を大きく左右する。この瞬間、僕は心から思った。こんなにも前向きで喜びに満ちた仲間たちに囲まれていることは、本当に幸運なことだと。

雲が空を覆い始めた頃、山頂に広げていた荷物を片付け、出発の準備を整えた。そして山頂を越えると、目の前に壮大な景色が広がった。雲ノ平は緑豊かな景色の中、小高い丘の上に堂々と佇んでいた。その周りには小さな池塘やせせらぎが点在し、風景に優雅な彩りを添えていた。柔らかな苔や繊細な花々に覆われた大地を保護するように、木道が巧妙に設置され、ジグザグに続いていた。それはまるで、僕たちを静かな聖域へと導く道のようだった。

木道が雲ノ平山荘へと続く。

雲ノ平山荘に到着し、一歩足を踏み入れた瞬間、まるで自宅に帰ってきたような安心感に包まれた。満室だったのにもかかわらず、JKは山荘のオーナー夫妻と親しかったため、チェックインを済ませると、JKは僕たちを「秘密の庭園」と呼ぶ場所に案内してくれた。

その頃には濃い霧が辺りを覆い、闇が再び世界を支配しようとしていた。木道を進み、小さな展望スポットにたどり着くと、少し離れた場所に山荘の温かな明かりが見えた。その光は霧と闇の中に浮かび、まるでおもてなしを象徴する灯台のようだった。

帰り道、少し遅れて他の2人の後ろを歩いた。霧の中では視界が狭まり、周囲に意識を集中せざるを得なかった。普段なら見落としがちな細部が、霧の静けさの中で浮かび上がり、その穏やかな静寂には、確かな美しさがあった。心は満たされ、平穏そのものだった。

荷物を置いてから山荘に戻り、スタッフたちと一緒に夕食を楽しんだ。皆親切で、料理はどれも絶品。まるで大きな家族と食卓を囲んでいるかのような、温かな時間だった。山荘の歴史や、毎年戻ってくるスタッフたちの話を聞きながら、笑い声が響くひとときを過ごした。

その夜、ブランケットにくるまりながら心地よい満足感に包まれた。見て、感じて、経験すること。つながること。「これこそが人生だ」と感じた。そのすべてがここにあった。

雲ノ平の風景。

最高の稜線歩き

僕たちは早めの朝食を済ませ、早朝出発に向けて準備を整えた。この日は、これまで2日かけて歩いた道を1日で戻る行程で、長いハイキングになる予定だった。しかし、この場所の美しさに心を引き留められ、予定の出発時間はあっという間に過ぎてしまった。名残惜しさを感じつつ、親しくなったスタッフたちに別れを告げ、青空とひんやりとした朝の空気の中、歩き出した。いつでも変わらず、冷たい朝の空気と優しく肌を包む朝日のぬくもりが心地よい。

この旅、最終日はまさにスルーハイキングそのもの。険しい地形を長距離移動する必要があり、休憩は最小限に抑え、テンポの良いペースを維持しながら進み続けた。この日は少しだけナイトハイキングも含まれていた。

普段は景色の変化を楽しめる周回ルートの方が好きだが、今回は往復ルートでも全く飽きることはなかった。行きに見たドラマチックな雲の景色とは対照的に、晴れ渡った空の下を歩く帰り道は、同じルートでありながらまるで新しい冒険のようだった。広がる景色は新鮮で、山々はまた違う表情を見せていた。

再び三俣山荘に到着し、2泊前にキャンプした場所で短い水休憩を取り、三俣蓮華岳を越えず、迂回ルートを選択した。その後、槍ヶ岳へ真っ直ぐ進んだ。その鋭い山頂は空にそびえ立ち、まるで重力に逆らうかのように尖っていた。その山影は遠くに見えながらも、僕たちはその日のうちに再びその斜面を登り、反対側へと下る予定だった。

槍ヶ岳へ向かう途中、双六小屋に到着し、軽い昼食を取ることにした。ここから先は険しい尾根道が続き、しっかりエネルギーを補給する必要があった。食事とコーヒーで元気を取り戻し、再び槍ヶ岳を目指して尾根道を歩き出した。広がる景色と冷たく澄んだ風が、疲れた体に新たな活力を与えてくれた。

槍ヶ岳へと続く稜線。

稜線歩きは僕にとって最も好きなハイキングスタイルであり、北アルプスはまさに最高の体験を提供してくれた。広々とした山の肩を歩き、細いナイフリッジを慎重に進む。断崖絶壁の縁に立ち、谷底へと続く急斜面を見下ろし、周囲にそびえる山々を見上げて思わず感嘆の声が漏れた。

静かな空気の中を進んでいると、槍ヶ岳に近づくにつれ風が次第に強さを増し、怒涛のような風が雲を伴って押し寄せてきた。勢いよく流れ込む雲は、山全体を飲み込んでしまうかのようだった。嵐のような風が吹きつける中でも、目の前に広がる冒険の舞台と圧倒的な景色の美しさに心を奪われた。稜線を歩く緊張感と高揚感が入り混じり、全身で「この瞬間を生きている」という実感が湧き上がった。

岩稜帯の稜線を行くティップタップ。

勾配は次第に急になり、僕たちのペースは徐々に落ちていった。標高が上がるにつれ、肺は酸素不足との戦いを余儀なくされた。ランチ休憩時のコーヒーが本当に正解だったと感じた。そして、最後のひと押しをかけて山頂を目指した。

多くの登りがそうであるように、気づいたときには頂に立っていた。悲鳴を上げていた脚は感謝を示すように力を抜き、荒れていた呼吸も少しずつ落ち着きを取り戻した。僕たちは山頂のさらに上にある「真の山頂」への最終ルートを登るかどうか少し迷ったが、時間と、そのルート上にいた大勢の人たちを考慮して行かないことにした。その代わり、山小屋で最後の1杯のチャイを楽しむことにした。

槍ヶ岳を下り、横尾山荘へ向かう道中で、僕たちは日没後の到着になることに気づいた。JKは「誰かひとりは7時までにキャンプ地で受付をしなければならない」と言い、自ら先に走り、キャンプ地を確保することにした。ティップタップと僕は、できるだけ暗くなる前に進もうと早足で歩き続けた。

薄暗い森の中、僕は「どれだけヘッドランプを使わずに進めるか」を試していたが、岩や木の根につまずいてからようやく負けを認め、ヘッドランプを取り出した。隣を流れる川の轟音に負けないように声を張り上げながら、僕たちは笑い、語り合いながら暗闇の中を進んだ。

横尾山荘に到着したのは午後7時過ぎだった。JKが笑顔で出迎えてくれ、夕食を囲みながら、僕たちは数日間の思い出を語り合った。お気に入りの瞬間を共有しながら、心がじんわりと満たされていくのを感じた。この旅、そして道中で築いた絆は、今の僕にとって必要不可欠なものだった。

皆は、自分が「今、この瞬間、人生で必要な場所にいる」と感じたことがあるだろうか。僕は日本アルプスの中で、その感覚を心の底から味わった。僕は確かに生きていると感じた。そして、この場所こそが今の自分にとって「いるべき場所」だと確信していた。

The hiking group. EdBeard, Tip Tap, JK.

エディー・ “エドべアード” ・オリアリー

エディー・ “エドべアード” ・オリアリー

ロングディスタンスハイカー

メイン州在住のロングディスタンスハイカーであり、2023年にCDT(コンチネンタル・ディバイド・トレイル)を踏破し、「トリプルクラウン(AT、PCT、CDTの三大トレイル完歩)」を達成した冒険家。近年はアメリカ・ロッキー山脈のウィンドリバー・ハイ・ルートを制覇し、日本では北アルプスの絶景ハイキングを満喫。愛用する「山と道」の「5-Pocket Shorts」4着、「5-Pocket Pants」1着は、もはや彼のトレードマーク。その熱烈ぶりは、アメリカ人の中でも屈指の「山と道」ファンといえるかもしれない。