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人・山・道 ULを感じる生き方

#5 豊嶋秀樹 (山と道HLCプロジェクトディレクター)

アート、ハイキング、スキー、そしてライフとコミュニティをつなぐもの
取材/文:渡邊卓郎
写真:三田正明
2025.03.25
人・山・道 ULを感じる生き方

#5 豊嶋秀樹 (山と道HLCプロジェクトディレクター)

アート、ハイキング、スキー、そしてライフとコミュニティをつなぐもの
取材/文:渡邊卓郎
写真:三田正明
2025.03.25

山と道というこの奇妙な山道具メーカーの特徴のひとつは、アウトドアの文脈だけには収まりきらない、実に様々なバックグラウンドを持つ人々との関わりがあることかもしれない。

この『人・山・道 -ULを感じる生き方-』では、そんな山と道の様々な活動を通じて繋がっている大切な友人たちを訪ね、彼らのライフや思考をきいていく。一見、多種多様な彼らに共通点があるとするならば、自ら背負うものを決め、自分の道を歩くその生き方に、ULハイキングのエッセンスやフィーリングを感じること。

#5の今回のゲストは、山と道HLCのプロジェクトディレクターを務めつつ、アートキュレーターや様々な展覧会やプロジェクトのプロデュース、企画や執筆など多岐にわたる活動を行う豊嶋秀樹。

また冬はテレマークスキーに情熱を傾ける彼は、長年、北海道と福岡での2拠点生活を送りつつ、1年半前からは北海道の真狩村にスキー仲間とセルフビルドでオフグリッドな小さな家を建て、より「ライフ」にフォーカスした暮らしを送っている。

正に「UL的ライフスタイル」の体現者とも言える豊嶋の、現在地点を聞くために北に向かった。

山とアートが交わった瞬間

山と道HLCのプロジェクトディレクターとして活躍する豊嶋秀樹さん。大阪のクリエイティブユニットgrafの創立メンバーであり、作品制作、キュレーションなどのアートの世界での活動を重ねたのちに、山と道代表・夏目と旧知の中だったこともあってULハイキングに傾倒し、山と道に関わるようになった。山とアート、そしてコミュニティをつなぐ取り組みで、他にはない独自の世界をつくり出している。

豊嶋さんの現在の活動をかたちづくる山とアート。このふたつが交わる瞬間があった。

「八ヶ岳に登って山頂に立ったとき、パッと稜線の向こう側の景色が開けて、すごい感動があって、まるで『世界ってこうなってたんや』みたいな感覚になった。それって、新しいアートに出会った時に受ける感覚とほとんど同じ。アートに自分が求めていたのは、絵が美しいとか彫刻がすごいということじゃなくって、世界の視点、見方を広げてくれるということ。それが、山の上で目の前に現れたっていうわけ。そんな経験をしてから、一気に山登りにハマって毎週のように山に行くようになって。しかも、山登りは身体行為で、身体全体に響いてくる感覚がすごく面白かったね」

それは単に「美しい景色を見た」という感動ではなかった。それまで見えていなかったものが、一気に目の前に現れたような衝撃。この感覚は、豊嶋さんがアートに求めていたものとまったく同じだった。豊嶋さんにとってアートとは、世界の見方を変えてくれるもの。そして山も、まさにそうだった。

「これはアートと同じじゃないか」――この気づきの瞬間から、アートと山の世界がひとつにつながったのだ。山と道のプロジェクトに携わる以前、2006年のことだった。

北海道真狩村の村外れに佇む豊嶋邸。正に「大雪原の小さな家」といった趣き。

出来事がアートになる

大阪で生まれ育ち、学生時代をサンフランシスコのアートスクールで過ごした豊嶋さん。しかし、当時から「作品を作って残す」ということには興味がなかった。アートに触れ、学んでいくほどに「出来事がアートになる」ということに強く惹かれるようになったのだ。

「パフォーマンスアートみたいなことをずっとやっていた時期があってね。作品を作って、何か形として残るっていうことにだんだん興味がなくなっていったんだよね。物質的な作品を作ることよりも、出来事自体が作品であるっていう考え方に惹かれるようになって。それって、60年代に『アクシデント』や『ハプニング』って呼ばれていたパフォーマンスアートの流れにも通じるし、通っていた学校にビデオ&パフォーマンスっていうコースがあったこともあって、どっぷりその世界にハマっていった」

豊嶋さんが学生時代に手がけた作品のひとつが、真っ白な展示室の中央に彫刻の台を置いて、その上に牛乳パックとコップだけを準備するというものだった。鑑賞者に向かって「じゃあ始めます」と合図をし、コップに牛乳を注いで一杯飲む。そしてシャツを脱ぎ、真っ白な牛乳を体に塗りつけた後、カウントしながら腕立て伏せを始めるのだーーそんなパフォーマンスアートだった。

「もう限界まで、プルプル震えるぐらいに腕立て伏せをするんだよ。そうすると身体が赤くほてって、パンプアップして筋肉が盛り上がってくる。」
この作品は当時の豊嶋さんにとってアートに対するひとつの問いかけだったという。

「作品のタイトルは 『Milk it Does a Body Good』。当時のアメリカのCMで『牛乳を飲んで健康になろう』みたいなフレーズがあってさ。でも、牛乳って本当に健康にいいの? っていう疑問と同時に、牛乳が白いペンキと似てる気がしてね。ホワイトキューブの中で行う腕立て伏せという身体行為が、『彫刻家が自分の肉体を彫刻する』というという作品だって。当時20歳くらいの時に、そんなことをやってたな」

この作品が問いかけたのは、「アートとは何か?」ということだった。現代アートにおいて、「白」は特別な意味を持つ。白い絵の具で壁を塗ればホワイトキューブとなり、その空間に置かれたものはアートとして認識される。そのことを毎日の生活で行われることと重ね合わせた。例えば牛乳を飲むということのように。――牛乳を飲み、体に塗り、腕立て伏せを繰り返す。この行為自体が、ホワイトキューブに置かれる「アート」と、生活の中で行われる日々の「出来事」を同じ土俵に並べてみるという試みだった。この頃から「アート=出来事」 という考えが、豊嶋さんの中で強くなっていった。

豊嶋邸からはどこを見ても一面の雪原。

ものではなく出来事に価値を見出す

「で、こういうアートをずっとやってきた自分の中で、その後に出会う山に登るという行為は自然につながっていったんだよね。自分がやっていたアートは、めっちゃ理屈っぽいというか、コンセプチュアルアートの要素が強かったんやけど、ある時、そういう考え方が山にも通じるなと思った」

山は、「登ったこと」がすごいのではなく、「行って帰ってきたこと」に意味がある。ある山を登る前と登った後では、いつもの風景が少し違った色彩をおびる。ちょうど子供の時に遠足に行って帰ってきた時のように。この感覚が、豊嶋さんの中でしっくりきた。

そんな豊嶋さんだが、山に本格的に目覚めたのは20年ほど前のことだった。先に述べた八ヶ岳での気づきもその頃のことだ。当時は毎週のように八ヶ岳に通い、赤岳を定点観測するように繰り返し歩いた。

「日常を積み重ねていく中で、副産物的に作品ができたりするっていうことが自分の中では面白かったんやね。家事や生活の作法には、その人の価値観やクリエイティビティがいちばん現れると思う。それを突き詰めると、生き方そのものにつながっていくよね。物質的なものや肉体的なことよりも、その人がどう生きてきたのかが、その人らしさを決めるんやと思う」

この、物ではなく出来事に価値を見出すという感覚は、ULハイキングの思想とも共通している。ULハイキングは「何を持つか」よりも「どう動くか」、つまり「装備」ではなく「経験」を重視する考え方だ。アートにおいても、豊嶋さんは「形に残る作品」よりも、「その瞬間の出来事」に価値を感じていた。

小屋は公道から150mほど奥まったところに建っているので、雪が降ったら除雪は必須。おかげで冬場は家を開けられなくなったとか。

生き方そのものが表現になる

「昔から『所有する』っていう感覚が薄かったんよね。小学生のとき、友達と釣りに行って、僕の竿と友達の竿がぶつかって、友だちの釣竿が折れちゃったことがあった。そこで、自分が貯めていたお金で友だちに新しい釣竿を買ってあげたんだけど、親に『あんただけが悪いんじゃないんやから、あんたが買ってあげなくてもよかったんちゃう?』って言われてね。でも、自分の中では、親切心からというより、単純に『ここにお金があるなら、誰のものとか関係なく、必要なところに使えばいいんちゃう?』って、そんな感覚やった」

この考え方の原点と言える、もっと幼い頃にあった『自己と他者』に関するエピソードがある。ある日の家族での夕食時でのこと。親指がお父さん指で、人差し指はお母さん指。お兄さん指が中指で薬指はお姉さん指という手遊びを両親に教えてもらっているときのこと。ふと「あれ? お父さんとお母さんとか指は別々やけど手のひらの部分で一緒になってるやん。もしかしたら今テーブルの上に見えてるお父さんやお母さん、僕もテーブルの下で皆、繋がってるんちゃうん? 右手を左手は腕と体で繋がってるから、もしかしたら友達の家の家族も地面の下で繋がってるんちゃうん? 実はすべての人がつながっているんじゃないか? 全員でひとつの生き物みたいに」と想像したことがあった。それが、豊嶋さんの自他の感覚における原体験で、このことが物質的な作品に対する執着のなさにもつながっていく。

「アート作品に価値があるとか価格が上がることにもしっくりこなかったんだよね。作品の美しさは何も変わってへんのに、値段だけがどんどん上がるって、本質とズレてる気がしてね」

豊嶋さんがアートを通じて学んだのは、作品を残すということではなく、「生き方そのものが表現になる」ということだった。

流れに乗るようにして、ライフを積み重ねていく豊嶋さん。そのスタイルは暮らす土地との関係にも通じている。

ギアリストのように暮らしのエネルギーを数値化

豊嶋さんが現在、多くの時間を過ごすのが北海道の真狩村。ニセコのテレマークスキーの仲間の大工さんと一緒に、地元の材料を使って家を建て、オフグリッドの暮らしをスタートさせた。

でも、「真狩村でこれがやりたい」と思って探した土地というわけではなく、偶然の流れで真狩村になったという。

「最初に来たのは15年前。grafのメンバーとスキーに行こうって話があって、真狩村に来たんよ。その時、友人の紹介でテレマークスキーをしている人と知り合った、俺もスキーを始めたばっかりで『なかなか上達しないんだよね』って話をしたら『しばらくここにいたらいいんじゃないですか?』って言ってくれてね。最初は通いで来てたんやけど、翌年は1ヶ月、次の年は2ヶ月、3ヶ月……ってどんどん滞在期間が長くなって真狩村にどんどん長くいるようになったんよね」

本格的に北海道に暮らしの場を持つことも考えなくもなかったが、当時は福岡で暮らし、大阪に住む両親のことが気になっていて、いつかは大阪に戻るつもりだったという。だが、コロナ禍の前に父親が、半年後に母親も亡くなり、大阪に帰る理由がなくなってしまった。

「そんなとき、たまたまニセコのガソリンスタンドでテレマーク仲間と話していて、北海道に住むのもアリかもなみたいなことを話したら、翌日その人から電話がかかってきて、『土地があるよ』って紹介されたのがここだったというわけ」

話が進み、300坪の土地を購入することになった。だが、蓋を開けてみると、そこは生活インフラが一切整っていない土地だった。水道も電気もガスもない。試しに井戸を掘ってみたものの、水質が悪く使うことができなかった。

当然、一度はここでの暮らしを諦めかけたが、ふと思い直したという。

「ジムニーで寝泊まりして年間3分の1くらい旅をしながら暮らしていたし、『それと比べたら全然いけるんちゃう?』って思って。水は近くの湧水に汲みに行けばええし、電気はソーラーパネルでなんとかなるかもなって考え直したんだよね」

そんな発想が生まれ、電気もガスも水道も公共インフラに依存しない、オフグリッドの家づくりに取りかかった。この家は豊嶋さんにとってUL的な暮らしを実践する場でもあった。まず最初にULハイクのギアリストの要領で、暮らしにかかるエネルギーをリスト化してみたという。

「数値化してみたら、『あ、意外と暮らしていけるかも』って気になってきたんだよね」

その結果、ソーラー発電、汲み水を活用した生活がスタートし、今は2度目の冬を越そうとしている。

ULハイキングの考え方を応用したら必要最低限がぎゅぎゅっと詰まったULハウスになった。

CADで作成した設計図は存在しない。ノートに書いたスケッチを元に大工さんが柱の位置を決めて直接施工が始まる。

ソーラーパネルは普通は屋根に取り付けるが、ここでは雪をかぶってしまうので屋根に取り付けられない。南向きの壁面に設置すると雪の反射する太陽光を得ることができるので冬の方が発電量が多いとか。

水は200リッターのタンクに毎日行く近所の温泉の湧き水を汲んで使っている。タンクの下には3000ワットの畜電機が。トイレはコンポストトイレ。

1階のリビング。広くはないが天井が高く窓も大きいので開放感がある。南側に多くつけられた窓は日射で部屋を温めるという機能もある。

2階は主にベッドルームとして使用。夜はコットと寝袋で寝ている。

キッチン。モザイクっぽくはられたタイルは建築会社に勤めているスキー仲間からもらったハンパ物を利用。

ちゃんと冷蔵庫として機能している床下収納スペース。温度管理は、庫内に取り付けられたファンで調節できる。

テレマークスキーをやってたら家が建った

「俺がこの家を建てることになったのも、結局テレマークスキーのおかげ。北海道に住むことを考え始めたのも、ニセコでテレマークの仲間ができたからやし、この土地を紹介してくれたのもテレマーカーの友人やった。そして、家作りを教えてくれた大工さんもテレマーク仲間。だから、自分の中では『テレマークスキーをやってたらこの家が建った』っていうのは、誇張じゃなくてほんまにそうやね」

今の豊嶋さんをつくりあげている重要な要素のひとつでもあるテレマークスキーは19世紀後半のノルウェーで生まれたスキー。アルペンスキーの台頭によって一度はスキーの歴史から姿を消してしまったのだが、1970年代のアメリカでのリバイバルブームを経て、80年代になって日本にも入ってきたのだ。豊嶋さんにとって、テレマークスキーとの出合いは衝撃的なものだったそうだ。

「残雪の残る槍ヶ岳にゴールデンウィーク明けくらいに行ったら、スキー持った人がいて『ここを滑るんですか?』って聞くと『テレマークなんだけどね』って言って、その人が滑るのを見て、うわっ! すご! テレマークってなんや! って驚いた。スキーなんてスキー場でやるもんやと思ってたけど、こんなとこを滑るスキーがあるんやと感激して、下山して帰りに中央線で新宿まで行って、すぐにテレマークスキーを買いに行った」

テレマークスキーは、アルペンスキーとは異なり、踵がロックされないので山を歩き回るのに向いている。「テレマークポジション」という独特の滑り方は自由で柔らかいターンを可能にするスキースタイルだ。ULハイキングとも共通点の多いこのスタイルに、豊嶋さんが惹かれていったのは必然的だったのだろう。そんなテレマークスキーからつながったコミュニティと一緒に取り組んだ家づくりには大きな発見があったという。

(写真:尾尻和司)

「家を作った次の年にほぼひとりで納屋を作ったんやけど、その時に気づいたのが、とにかくめっちゃ時間がかかるんよ。『タイパ(タイム・パフォーマンス)』はめちゃくちゃ悪いし、作業にかかっている期間は自分の仕事もあんまりせずにやってるから『コスパ(コスト・パフォーマンス)』も良くない。でも、その代わりに『エクパ』がめちゃくちゃ高いんよね。『エクパ』っていうのは『エクスペリエンス・パフォーマンス』のことね。俺の造語。タイパやコスパを優先するとお金をかけずに手軽に苦労なくできるかもしれないけど、その分、経験がどんどん削られていく。でも、エクパを重視すると、大変だし、逆にお金もかかるかもしれないけど、めっちゃ経験値が上がる。この家はまさにエクパの塊やね。テレマークスキーも一緒で、最初は道具を揃えるのにお金かかるし、上手くなるのに時間もかかる。でも、その過程で得られるものが大きい。今の暮らしも同じで、めちゃくちゃ大変なことも多いけど、そこをどうやって乗り越えるかっていう経験が、めっちゃ面白いし学ぶことが多い。だから、エクパを重視した生き方って、結局、人生を豊かにするんちゃうかなって思ってる」

2024年の夏は納屋を基礎からセルフビルド。砕石を一輪車で運ぶのがいちばんの重労働だった。(写真提供:豊嶋秀樹)

作り方は前年に経験した家と同じ工法にした。家を作っていた時は、教えてもらった作業をやるだけだったが、実際に自分で考えながらやっていくことで初めて理解できたことがたくさんあった。(写真提供:豊嶋秀樹)

雪が降る前になんとか完成した。2台の除雪機(どちらも頂き物)の他、都会暮らしでは持つことのなかった様々なものが収納される。

「ULハイキングでは自分で道具をつくるMYOG(Make Your Own Gear)という精神があるけど、MYOGもエクパが高いよね。俺もデイハイク用のバックパックやタープをタイベックで作って山に行ってみようということを仲間とやった経験があるけど、この納屋作りはその延長線上にある。だから、この納屋はおっきいMYOGやね」

ULハイキングの経験を仕事や生活にフィードバックすることを目的に徳島の神山町で仲間と活動している「神山ハイキングクラブ」のワークショップで自作したタイベックのタープ。(写真:豊嶋秀樹)

タープを実際に山で使用すると強風に煽られて裂けてしまったので、裂けたタープをワンデイハイキング用のナップサックにリメイクした。MYOGの面白さに目覚めた瞬間。(写真:豊嶋秀樹)

この思考は現在の豊嶋さんの活動にも大きな影響を与えている。一般的に、仕事と生活のバランスが取れた状態を指す言葉として「ワーク・ライフ・バランス」があるが、豊嶋さんは「ワーク・ライフ・コミュニティ」であるべきだと唱える。「ワーク」と「ライフ」をわけての「バランス」ということではく、「ワーク」は「ライフ」の一部で、「ライフ」は「コミュニティ」に支えられているという。

「山と道が会社として育っていくなかで、ものは売れるようになったけれど、ULハイキングという文化自体はまだ広まってないよね、っていう話を以前、夏目君と残雪の仙丈ヶ岳でテントの中でしていたんよね。ULハイキングの文化を伝えることが大事なんじゃないかって。それには、コミュニティをつくることが必要やなって」

そこから生まれたのが豊嶋さんの活動のひとつである山と道HLCだ。ハイキングを軸に、暮らしを見つめ直し、コミュニティを育む場として機能している。

好きなこと、ライフ、そしてコミュニティ

「HLCの“ハイク”の部分は、それぞれの人の好きなものに置き換えられると思う。サーフィン・ライフ・コミュニティ、フード・ライフ・コミュニティでもなんでもいい。大切なのはその行為はライフの一部であってほしいということやし、そのライフは、コミュニティによって支えられている。その循環する感じが大事なんよね」

テレマークスキーに魅了され、「もっとうまく滑れるようになりたい」と思いながら山に通っているうちに、それがライフになり、テレマークスキーを通じて出会った仲間たちとのコミュニティが自然と生まれていった。

流れに身を任せるように生きてきた結果、北海道に家を建て、暮らしが形づくられていった豊嶋さんの現在。

何かを目指していたわけではないが、自然とアートも山も暮らしも、すべてがつながっていったのだ。目的地は定めずに一歩一歩歩いて、辿り着いたところが目的地となる。「生きることがアートになる」――それを体現しながら、豊嶋さんはライフを積み重ねている。

豊嶋秀樹
豊嶋秀樹

ハイカー、テレマークスキーヤー、サーファー、アートキュレーター、ベジタリアン、オフグリッダー、etc。アートとアウトドアアクティビティーを行きつ戻りつ、企画や執筆・編集、映像製作、ディレクションなどのクリエイティブを広く行う。九州と北海道に拠点をおいて「ライフ」を満喫中。

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