アメリカのメキシコ国境からカナダ国境まで4,265kmに渡って伸びるパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を、山と道京都スタッフ、伊東大輔が2022年にスルーハイクした模様を綴る全10回の連載が、いよいよ最終回を迎えます。
ゴール直前で山火事に進路を阻まれた伊東は、自分なりの道を描き直してPCTのゴールだったカナダ国境を目指そうと決意。西海岸の山々や砂漠を越えアメリカを縦断する4,265kmの旅も、ついに終わりが見えてきました。彼が歩んだ道、出会った人々、眺めた景色を、どうぞ最後まで見守ってください。
さよならPCT
メキシコ国境からひたすら北へ向かって歩き続けた4,145km地点。ぼくはついにPCTに別れを告げ、ここからは自分で繋ぎ合わせた道を歩いてカナダ国境を目指すことにした。
この先のトレイルで山火事が起こらず、普通に歩き続ければ、あと2日もしないうちにPCTのノーザンターミナス(カナダ国境)へ辿り着いていたことだろう。PCTを最後まで歩けなかったことが悔しくないと言えば嘘になるが、自分が思っていた以上に清々しい気持ちだった。PCTにピリオドを打って、自分だけの旅へと向かうワクワクがそうさせたのだろうか。それにこれまでよくやってきたという気持ちもあったのかもしれない。
PCTともここでお別れだ。今までありがとう。
レイニーパスからヒッチハイクでウィンスロップの街へ向かうと、早速、その足で街外れにあるレンジャーステーション*へと駆け込んだ。これから歩く予定のルートはいわゆる国道のような分かりやすい道路ではなく、山の中の未舗装路を歩いていくので、その詳しい情報を仕入れるためだ。ここからの道はガイドブックには載っておらず、キャンプ地や水場、山火事の影響はもちろんのこと、通行できるかさえも確認する必要があった。
*国有林や国立公園の管理局
「こんにちは。このルートでカナダ国境まで歩こうと思うんだけど、山火事の煙や水場は問題ないかな?」
「そうね。ちょっと待ってね……うん、いまのところ通れそうね! 水が取れる沢も何ヶ所かあると思うわ。」
「ちなみにだけど……PCTのノーザンターミナスは直近ではオープンしないよね?」
「残念だけどオープンにはまだまだかかりそうだわ。」
清々しかった気持ちはどこへやら。最後にそんな質問をするほどPCTに未練があった自分に驚かされたが、清々しい気持ちも、未練のある気持ちも、どちらも嘘偽りはないのだと思う。
なにはともあれ、ぼくが想定していたルートでカナダ国境を目指せそうだ。長かった旅もついに片手で数えられるほどの日数で終わりを迎える。しかし、ウィンスロップの街も近隣で起きた山火事の煙で覆われており、最後まで油断はさせてくれなさそうだ。
西部開拓時代を思わせるようなウィンスロップの街並み。
翌朝、街のゲストハウスに宿泊していたぼくはずっしりとしたバックパックを担ぎこんだ。あれだけぼくを苦しめた重たいバックパックが、今は少し愛おしく思える。カナダ国境までは残り100km程、3日も歩けば到着してしまうので、これが街での最後の食料補給になる。このゲストハウスはハイカーが多く宿泊しており、ここで旅を終わらせて帰路につく者も少なくなかった。それが旅のエンドロールへと向かう実感を加速させた。
メキシコ国境から歩いて約4ヶ月。ずっと思い描き続けてきたゴールは突如として奪われ、正直、自分の選択が正しいのか確信は持てていなかった。しかし、それと同時に“PCT”という枠組みから外れ、なんの保証もない旅路を進むことに胸を昂ぶらせている自分もいた。
自信を持って自分の道を進んでいこうじゃないか。
徐々に街にもスモークの影響が出てきた。
描き直した歩き旅
ウィンスロップを出発して5kmほど歩いた頃だろうか。
ぼくは自分のナビゲーションに疑いの目を向けていた。予定通りの道を進むと、高級車が並ぶ駐車場を横切り、目の前にこじんまりとしたゴルフコースが現れた。さすがにここは通れないだろうと地図を開き、迂回路がないか念入りに確認をするが、どこを探してもそれが見当たらない。どうにも信じられないが、ぼくが進みたい方向へいくには、このゴルフコースを横切っていくしかなさそうだ。
目の前には綺麗に整えられた芝生のゴルフコース。ぼくの左手に見えるおじ様が、右手に見えるピンフラッグに向けて、自慢のショットをバシバシと打ち込んでいる。そのコースの向こう側に、山の方へと向かう道が見えるのだが、本当にここを突っ切るのか? 保証のない旅だと言っても、いくらなんでも保証がなさすぎるよ。
おかしな状況に戸惑ってはいたが、注意されたら別の方法を考えようと、変に飲み込みの早い自分もいた。意を決したぼくは、“GOOD SHOOT”という掛け声が飛び交うコースへ、おじ様たちの鋭い打球の合間を縫って、全力疾走でそこを横切った。
最後までこれが正しかったのかは分からなかったが、おじ様たちも突然コースの真ん中に野生の鹿ではなく、バックパックを背負ったハイカーが現れるなんて夢にも思わなかっただろう。驚かせてしまってごめんね。
ゴルフ場を抜けた先にあった謎の場所。アメリカの田舎ではたびたびこういった不思議な場所を目にする。
辺りに鳴り響いていたクルマのエンジン音が徐々に小さくなり、人の気配がする場所から背を向けるように荒れたダートロードへと入り込んだ。しばらく歩くと人工的な音は全く聞こえなくなり、目の前には荒野をつらぬく一本道だけが山を縫って先へと続いていた。
水と緑が豊富だったPCTのワシントンセクションとは異なり、イメージしていたよりもずっと乾燥した緑の少ない景色が広がっていた。地図を見ると何度か川に沿って歩くことになるのだが、その川に降りて水が取れるのかも、そもそも水が流れているかも分からない状況だったので、乾燥した景色に少し心配をさせられた。
「暑っ……」
9月に入り、山岳地帯で標高が高かったPCTのワシントンセクションはかなり冷え込んでいたが、そうでないこの場所はまだまだ暑い。進んでも進んでも変わらぬ景色と、容赦なく照りつける太陽の光にたまらなくなったぼくは、ダートロードの側のわずかな日陰に寝そべった。もう少し涼しくなったら歩き出そう。
1日目の今日は、あまり長い距離を歩くことは想定しておらず、ここから10kmほど先の無料キャンプ場に泊まる計画を立てていた。ゆっくりしていてもなんの問題もない距離なので、誰もいない道端で少し仮眠を取ることにした。
1時間ほど、うとうとしていただろうか。ぼくは遠くの方から聞こえてくる少し軽めのエンジン音で目を覚ました。たぶんこれはオフロードバイクの音だろう。どかなくても危険はなさそうだ。
案の定、オフロードバイクらしき姿を視界に捉え、エンジン音と共にその姿がだんだんと大きくなり、やがてそのバイクはぼくのすぐ側に停車した。
「やあ! 調子はどうだい?」
ぼくが何気なくそう話しかけると、ヘルメットを外した彼はこう言った。
「どうしたんだい!? 大丈夫なのか? 困っていることがあったらなんでも言ってくれよな。」
……なるほど。トレイルでも何でもない荒野の真ん中で、人が倒れこんでいたら何か緊急事態に思えてもおかしくないな。トレイル沿いで昼寝をしているハイカーなんて、PCT上ではよく見る日常の光景であった。しかし、ぼくが大好きだったそんな日常が、外の世界では異常なことだと気づかされ、PCTの旅を終えてしまった現実に少し寂しさを覚えた。
1日目はこんなダートロードがどこまでも続いていた。
こんな朽ちたクルマでさえ絵になってしまう。
翌日、この日はスノーモービル用のダートロードを通り、コンコナリーという小さな集落を通過する予定だ。時間があったらハンバーガーでも食べようじゃないか。歩いて旅をしていると頭の中はいつも食べ物のことでいっぱいだ。
昨日は山を越えるダートロードだったのでアップダウンもあったのだが、この日は木々に囲まれた平坦な道が続き、みるみる足が前へと進んでいった。朝から5時間ほど歩き、そろそろランチにしようかなと考えていると、行く先に倒木と見紛うような、黒い巨大な何かが目に入ってきた。
徐々にその何かに近づいていき、視力の悪いぼくは目を細めてそれをじっと見つめていると、突然それがのそっと立ち上がったではないか。ぼくの危険センサーがとっさに反応し、ピタッと足が止まり身構えた。
……巨大な牛だ。
ピアスのように耳に黄色いタグをつけているその牛は、おそらく山に放牧されているのだろう。狭い道の真ん中にそびえ立つその巨大な牛は、ぼくが近づこうとしても、トレッキングポールを打ちつけて大きな音を立てても、微動だにせずじっとこちらを見つめている。
これまでもトレイルで何度か牛には会っており、今回もおそらく何もしてこないだろうと、こっそりと横を通り抜けるため牛の方へと足を踏み出した。するとその牛はこちらを真っ直ぐ見つめたまま、ぼくの方へと一歩詰め寄り、そのとてつもない威圧感にぼくは体をのけぞってしまった。
この道を突っ切るのは良策でないと本能で感じ、左手の山側に見える森の中をかきわけて、牛の向こう側へ抜けようと、木々をつかんで斜面をよじ登った。斜面の先にはなんとか通り抜けられそうな開けた場所があり、「ナイス判断」と心の中でつぶやいた。
しかし、よじ登った森の中の光景にぼくはゾッとさせられ、身を震わせた。なんとそこには何十頭もの牛が群がっており、ぼくが顔を出した瞬間、彼らが一斉にこちらに目をやった。道を塞いでいた牛はまさに氷山の一角、ぼくは逃げるようにして元の場所へと駆け降りた。
ここで来た道を引き返すわけにもいかず、「ぼくは無害です」と心から敵意を消し去り、目を合わさずに横目のそのまた隅っこに牛を置きやり、透明人間になったつもりで牛の側を通り抜けた。振り返ることはせず、スロー再生が解かれたかのように、ぼくは牛の元から一目散に逃げ出した。
近くで見るとかなりの迫力だ。ちなみにこの後も何十頭もの牛に遭遇した。
コンコナリーの街では無事にハンバーガーにありつけた。
ぼくだけの物語
いよいよ明日にはこの旅も終わりを迎える。
早くカナダ国境へ辿り着きゴールテープを切りたいような、そうでないような。旅の終わりをこの目で見てみたい気持ちと、旅が終わってしまう寂しさが、心の中で交差していた。4,000kmを越える歩き旅の末にぼくは何を思うのだろうか?
カナダ国境まで残り40kmまで近づき、荒れたダートロードから舗装路へと変わり、やがてこじんまりとした人里を通るようになった。目の前には荒野と年季の入ったクラシックな建物が混じり合う景色が広がっていた。
街でもない山でもないこういう世界観、たまらなく好きだ。
里を通過し、しばらく歩くと大きな湖が目の前に現れ、その側にかなり快適そうな無料キャンプ場を見つけた。事前に調べていたわけではないのだが、このあたりのエリアには湖が多く、付近に無料のキャンプ場が点在していた。
そこなら水の心配もいらないし、かなり快適そうに見えた。でも明日のことを考えると先に進むのがベターだ。現在の時刻はまだ午後5時。日の長いアメリカはまだまだ明るく、歩き終えるには少し早すぎる。それにできれば明日国境へ到着した後、ヒッチハイクで街へ戻りたいので、少しでも先に進んでおきたい。あまり遅い時間に国境近くの辺境な場所に辿り着いても、ぼくを拾ってくれるクルマがいるとは到底考えられなかったからだ。
休息もかねて20分ほどベンチに腰かけ、今日の寝床をめぐり心が葛藤を繰り返していた。こんな快適なキャンプ場をパスするのは嫌だけど、明日のことを考えると仕方ないし、そろそろ行くか……。
嫌々ながら決断したぼくは歩き始めたのだが、この悩みも決断も、全て無意味であったことを、すぐに知ることとなる。
集落にあったユーモアのあるバス停。使われてるのか?
「お〜い! 君はハイカーかい?」
イヤホン越しにそんな声が聞こえてきたのは、意を決して湖を後にした直後のことだった。声をかけてきてくれたのは70歳くらいのダンディーな男性だった。
「冷たいドリンクがあるからよかったら飲んでいかないかい?」
「お世話になります!」
彼の提案に条件反射のように返事をしたのだったが、そもそもなぜPCTから離れたこんなところにトレイルエンジェルがいるのだろう。ただ単に親切な街の人なのかと思ったが、「ハイカーかい?」と声をかけてきてくれたので、そういうわけではなさそうだ。案内された自宅のバルコニーへ行くと、そこには彼の友人夫婦が座っており、4人で乾杯をすることになった。
話を聞いていくうちにぼくの疑問は解消された。ぼくがたまたま通りかかったこの場所は、パシフィック・ノース・ウエスト・トレイル(PNT)という、モンタナ州からワシントン州へ東西に伸びるロングトレイルの近所だそうで、そこを歩くハイカーがたまにここを訪れるそうだ。
「君はPCTハイカーだったのか。PCTハイカーがここに来たのは初めてだよ。」
「そりゃそうですよね。PCTのルートではこの道は通りませんもんね。」
「君はラッキーだな。今日は友人夫婦がカリフォルニアから遊びに来ていてね。もしよかったらディナーを一緒に食べないか?」
「よ、よろこんで‼︎」
さっきまで散々悩んでいた「どこでキャンプをするか」なんて考える必要もなかったようだ。ここで夕食を食べるということは、その後、再び歩くという選択肢は時間的にもなく、湖畔のキャンプ場一択になる。明日のことなんてとうの昔に頭の隅に追いやられ、まるで台本が用意されていたかのような彼らとの出会いに夢中だった。
湖畔に建てられた彼の自宅。大工だったそうで増築中だそうだ。
今晩のディナーはハンバーガーとバイソンのステーキ。はじめて食べるバイソンの肉は、今まで食べた肉の中でもとびっきりワイルドな味で、疲れ果てたぼくの体に染み渡った。ここで彼らと出会わなければ、旅の最後の夜、テントの中でひとり寂しくインスタントラーメンをすすっていたことだろう。なにも豪華な食事が嬉しいわけではない。いや、嬉しいんだけど、やっぱりそこが重要ではないんだ。4ヶ月にも及ぶ長い旅の最終日、そんな特別な夜に、思いがけず旅の終わりを祝ってもらえることが何より嬉しかった。
偶然PCTで山火事が発生し、偶然選んだ道がPNTの近くで、偶然彼がぼくを発見してくれて、偶然友人が遊びに来ていて。ひとつでもその偶然が欠けていれば叶わなかったこの出会いと時間を、運命という言葉なしに言い表すことができなかった。
やっぱりぼくの旅はついてる。
自分の選んだ自分の道には、ぼくだけの物語が用意されていた。心が満たされたぼくは湖の側に張られたテントの中で静かに眠りについた。
アメリカの家庭には一家に一台こんなグリルがある。ような気がする。
ぼくの旅を祝ってくれた3人。この夜は忘れられないな。
ありったけの「ありがとう」
翌朝、彼らにお礼と別れの言葉を伝えたぼくは、終わりが近づく旅の時間をじっくり噛み締めるように、ゆっくりとカナダ国境へ向かって歩き出した。その1分1秒が、何かとてつもなく愛おしく感じた。
これまでの旅を思い返すと、本当に色んな人や出来事、そして感情に出会うことができた。
南カリフォルニアでは旅の始まりに浮き足立つ中、多くの仲間に支えられて旅をし、そして自分はどう旅がしたいのかと葛藤した。
シエラでは自然体でいられる信頼できるバディと出会い、共に自然から突きつけられた脅威を乗り越えた。
北カリフォルニアでは自分の心に素直に耳を傾けひとり静かに歩き、オレゴンでは山火事というイレギュラーがレールを踏み外した旅へと背中を押してくれた。
そしてワシントンでは最大の挫折を最高の物語へと自ら描き変え、そして今、自分だけのゴールを迎えようとしている。
旅の途中は「こんな旅で良いのか?」と、いらぬ心配をすることも幾度となくあったが、ぼくの来た道はひとつも間違っていなかったと、今なら胸を張って言える。
カナダ国境へと続く一本道。一歩、また一歩と旅の終わりに近づいていく。
心に刻まれた旅の思い出を1ページずつ振り返っていると、いつの間にか仰々しい鉄線の向こう側に、ぼくが立っている場所となんの様子も変わらない荒野と、こう書かれた大きな看板が目に飛び込んできた。
“Canada-United States Boundary”
ぼくの120日間の歩き旅が、そっと幕を下ろした。
やり切ったという達成感や歓喜の涙とは程遠いような心情で、「あぁ、終わったのか」と、ぼくの心は驚くほど落ち着いていた。何か特別な感情に包まれるのかと思っていたが、ぼくから湧き出てきたそれは、旅なんてしていなくても巡り会えるたったひとつのものだった。
「ありがとう」
シンプルでありきたりな言葉だけど、本当にこれに尽きる。これだけの長い距離を「ひとりで歩き切ったぞ!」だなんて口が裂けても言えない。
一緒に旅の時間を共有し、時には彼らとの時間が大切なことを教えてくれ、そして数えきれないほどの思い出を一緒に作ってくれた仲間たち。
どこの誰かも分からないぼくたちハイカーのことを、無償の愛ととびきりの笑顔で支えてくれたトレイルエンジェルや街の方々。
ハイカーが歩き続けられるように、4,265kmものとてつもない距離のトレイルを整備してくれているボランティアの方々。
そしてぼくをこの旅へと送り出してくれた、日本で帰りを待ってくれている家族や友人たち。
ひとつでも欠けていれば、ぼくの心はどこかで音を立てて崩れ落ちていたことだろう。いつもどこかでぼくを支えてくれていたみんなに心からの感謝を伝えたい。
4,000km以上を歩いた末に辿り着いたカナダ国境。
アメリカを縦断する4,265kmのロングトレイル。
初めてその存在を知った時は頭の中で歩くイメージさえつかなかった。4,265kmの山歩きだなんて、日常の中では到底考えることのない距離感であるし、しかも異国の地。果てしなく感じる長い旅路ではあるが、どんなに長い道のりも一歩ずつ前へ進めば必ずゴールが見えてくる。それが最初に思い描いたゴールでなかったとしても。
ぼくはなにも特別な人間ではない。長年登山をしていたわけでも、PCTに向けて特別トレーニングをしてきたわけでもない。思い返すと小学生の時のマラソン大会なんていつもビリだった。
ただ小さな一歩を毎日少しずつ積み重ねてきただけに過ぎない。辛くても、苦しくても、迷っても。一歩を踏み出せば必ず前へ進んでいくし、一歩を踏み出さなければ絶対に前へは進んでいかない。これはロングトレイルに限った話ではなく、日々の生活や自分の人生にも当てはまることだろう。どんなこともやってみなくちゃ分からないし、やってみれば必ず何かが動き出す。自分の未来は自分の一歩の積み重ねでしかないのかもしれないな。
ひたすら前へ進んできたが、そろそろ立ち止まる時だ。
ぼくと出会ってくれたすべての人、ぼくに訪れたすべての出来事、そしてここまでぼくを運んでくれた心と体へ、ありったけの「ありがとう」を添えて。
旅の相棒とカナダのモニュメント。
【完】
YouTube
伊東とスタッフJKが旅の模様をYouTubeでも振り返りました。