#9 絶望と決断のワシントン
#9 絶望と決断のワシントン
メキシコ国境からカナダ国境まで、アメリカ西海岸の山々や砂漠を越え4,265kmに渡って伸びるパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)。「トリプルクラウン」と呼ばれるアメリカ3大トレイルのひとつであり、さらにウルトラライト・ハイキングそのものも、そこを歩くハイカーの中から生まれてきた正にULの故郷とも言えるトレイルです。
そんな「ロングトレイルの中のロングトレイル」PCTを、山と道京都スタッフ、伊東大輔が2022年にスルーハイクした模様を綴る全10回の連載の#9。PCT最後のセクションであるワシントン州を目前に、年に1度のビックイベント「PCTデイズ」で仲間たちとの再会を楽しむ伊東。あとはゴールを目指すだけと歩き出すが、PCTは何度目かの試練を彼に与えます。はたして伊東は、無事にPCTを歩き終えることができるのでしょうか?
同窓会
旅のゴールであるカナダ国境を探すように、夕焼けに照らされる深々とした山の向こうを見つめていた。もちろん視界で捉えられるわけはないのだが、それを想像してしまうほどの距離まで近づいてきている。目下に見えるコロンビアリバーを挟んだ向こう側は、PCT最後のセクションであるワシントン州だ。
カナダ国境までは800km程の距離に迫り、日数にすると3週間といったところか。ここまで約3,500kmもの距離を歩いてきた自分を褒め称えたいような、旅の終わりへと歩んでいくのが寂しいような。他のみんなはここから見下ろすワシントン州をどう見たのだろうか。
オレゴン州最後の夕焼け。
標高3,426mのフッド山はどこか独特の雰囲気だ。
翌朝、ぼくは同窓会に向かうような楽しみと不安が混じりあう、そんな心持ちでオレゴン州のゴールテープへと山を駆け降りていた。これから向かうカスケードロックスの街で、「PCTデイズ」と呼ばれるハイカーのお祭りが明日から開催されるのだ。年に1回開催されるこのイベントは、アウトドアメーカーやトレイル管理団体がブースを出店し、PCTハイカーはもちろん地元の方々も集うビッグイベント。山火事で各地へ散っていたハイカーや後ろを歩くハイカーたちも大勢、祭りのためにこの街へやって来るそうだ。
北カリフォルニア以降、ひとりで旅をしていたぼくは、これまで出会った仲間たちとの再会を心待ちにしていた。その反面、彼らも旅のなかでお互いの絆を固めたり、新しい仲間との出会いを繰り返してきたわけで、「上手く彼らの輪に入れるだろうか? 疎外感を感じてしまうのでは?」と、そんな不安を拭えずにいた。これだけ旅をしていても、相変わらずの心配性と自信の無さは変わらないようだ。
この橋を渡った先がPCTの最終セクションであるワシントン州だ。
カスケードロックスへ降り立つと、街の至るところにハイカーの姿があった。数日前から祭りに備えるハイカーたちでモーテルは満室が続いており、食料品店の棚はほとんど空になっていた。
なんとか今夜の寝床を確保しようと、早速、街の外れにあるPCTハイカー用に特設されたテントサイトに向かってみると、前日にもかかわらず50張りを超えるテントがところ狭しと並んでいた。まだ何も始まっていないというのに、そのテントサイトは祭りを待ちきれないハイカーたちの熱気を帯びているように見えた。どうやら今夜は騒がしくなりそうだ。ぼくは眠れぬ夜を早々に覚悟した。
「お〜い、こっちこっち〜!」
テントサイトの受付へ向かっていると、密集する色とりどりのテントの奥から懐かしい声に呼び止められた。
「ヘイ! バディ! 久しぶりー‼︎」
そこにはウォーターボーイの姿があった。50マイルチャレンジやシエラのスノーストームを共に乗り越えた彼と再会するのは1ヶ月半ぶり。彼の笑顔を見ると懐かしさのあまり、言葉を交わす間もなく飛びつくようにハグをした。
その他にも、旅を始めた頃に行動を共にしていたチェイスやカル、シエラのバディであるストレッチとパピー、バースデーを祝ってくれたケリーとグルートと、まさに「同窓会」という言葉が相応しい顔がそこには揃っていた。心の隅に置いてあった不安のことなんてすっかりと忘れ、苦手な英語がなんの躊躇もなく出るほどに、夢中になって彼らとの時間にのめり込んだ。
ところ狭しと張られたPCTハイカーのテント。
久々の再会にみんなの会話も弾む。弾み過ぎてそのスピードについていけないほど。
その夜は街のブリュワリーでPCTデイズの前夜祭が行われるそうで、仲間たちとそこに向かうことにした。街に下りてきたばかりで、テント設営にシャワーとバタバタしていたので少しゆっくりしたい気持ちもあったのだが、おそらくハイカーが集まるこの街に静粛な場所なんて存在しないだろう。
会場へ到着すると、すでに野外ステージではバンドの演奏が始まっており、集まったハイカーはビール片手にダンスを踊り大騒ぎしていた。一緒にいた仲間たちもひとり、またひとりとその輪に飲まれていき、初めは躊躇していたがぼくも思い切ってそこへと飛び込んだ。ダンスの経験なんて体育祭のフォークダンスくらいだが、彼らとの一瞬一瞬を共に楽しみたい、そんな気持ちがぼくを海外ドラマのワンシーンのような場へと飛び込ませた。
慣れないダンスについていこうと、必死に見よう見まねで踊っていたぼくだったが、ふと周りを見渡すと、旅を共にしてきた仲間たちのとびきりの笑顔が目に飛び込んできた。そんな彼らを見ていると、突然、胸をグッと掴まれるような感覚に陥り、なんとも切ない気持ちがぼくを冷静にさせた。彼らの隣でこうして笑っていられるのも、もう僅かかもしれない。
「またね」
長い旅なのだからまたどこかで会えるだろうと、当たり前のようにそんな言葉を添えて別れをしてきたが、このイベントが終わってしまえば、もう二度と会えないハイカーもいるだろう。旅がクライマックスへと向かっていることを、現実として認識した瞬間だった。
その日の夜は案の定、ハイカーたちの騒ぐ声が夜中遅くまでテントサイトに響き渡っていたが、大切な仲間とのひとときを噛みしめる彼らを「うるさい」だなんて、ぼくには到底思えなかった。
こんなの海外ドラマでしか見たことがない。
ガソリンスタンド前で撮った何気ない写真だが、お気に入りの一枚。
2日間にわたる祭りは、ハイカーたちにとってはおまけのようなものなのかもしれない。アウトドアメーカーのブースに並べられた大量の目新しいギアも、趣向の凝らされた催し物も、さほど重要ではないのだろう。これまで3,500km、3ヶ月以上を旅してきた中で出会い、そして別れてきたかけがえのない仲間たちと、再会する機会が何より大切なのだと思う。実際にぼくたちもそうだった。待ちに待っていたはずのトレイルデイズが始まり、みんなでチラッとブースを見に行った後は、ずっとテントの前でだらだらとお喋りをしていただけだ。
ぼくはカスケードロックスにいるハイカーの塊がイベント後、一気にトレイルに戻り混雑してしまうことを予想して、2日目の午前中で切り上げてトレイルに戻ろうと考えていた。荷造りを終えて、その旨を仲間たちに伝えると、グルートが食い気味でぼくに問いかけてきた。
「なんで今じゃなきゃダメなんだ? トレイルへ戻るのは明日で良いだろ! オレたちもそうするつもりだよ。」
「でもトレイルのテント場が混雑しそうじゃない?」
「いけるいける。この先はいくつかテント場があるし。」
「ん〜そうしたい気持ちは山々だけど、もうテントも片付けてしまってるし。」
「そうか……意思は固そうだな。わかった。じゃぁ今日は15kmだけ歩いて良いぞ。」
そんな謎の条件付きで街から離れることが許可され、それに続けて、「ここまできたら一緒にゴールしようぜ。9月10日にカナダ国境な!」と、グルートはぼくに伝えた。
……こんなことを言われて嬉しくないはずがないだろう。仲間とのあり方に何度も悩んで、そしていつしか彼らの元から離れて、それでも彼らの心の側にぼくはいられたようだ。一緒に歩いていなくても、同じトレイルのどこかを旅しているだけで「仲間」として認識してくれていたんだな。
最高の仲間たちと最高のゴールを迎える華やかな未来を描いたぼくは、嬉しさのあまり口角をあげたまま熱気を帯びた会場を後にした。
PCTデイズのためにカスケードロックスに戻ってきたケリーとは間違いなくこれが最後だろう。
旅を始めて2日目で出会ったチェイス。歩くペースが違ったので久しぶりの再会だった。
さて、9月10日のゴールね。
……ん? 待てよ?
よくよく考えてみるとぼくが想定していた日よりも5日も早いじゃないか…!
ぼくはコロンビア川にかかるブリッジ・オブ・ゴッドを急ぎ足で駆け抜け、最後の州であるワシントン州へ足を踏み入れた。
オレゴンとワシントンの州境にかけられたブリッジ・オブ・ゴッド。この地に伝わるネイティブアメリカンの伝説に由来した有名な橋である。
打ち砕かれたぼくの夢
ワシントン州に入ると、ぼくの目に映る景色は驚くほどガラリと変わっていた。
これまで3ヶ月以上、絶景に囲まれたトレイルを歩いてきたので、景色に心を奪われることはないと思っていたが、それはぼくの思い違いだった。ゴートロックスをはじめとする、岩稜帯と緑に残雪のアクセントがついた山岳地帯は、PCT随一の景勝地であるシエラにも匹敵するほどの絶景だった。容赦なく訪れるアップダウンにも、次の景色を求めるぼくの足は、驚くほど軽快に前へと進んでいった。そして、日に日に短くなっていく日照時間と色づき始めた山肌は秋の訪れを感じさせ、それと同時に旅の終焉を匂わせていた。
ワシントン州を歩き始めて10日ほどが経ち、カナダの国境まで300kmを切った。レブンワースという、ドイツの村を模倣して作られた風変わりな街で、ぼくは6人のハイカーとモーテルをシェアしていたのだが、彼らはなんとスタートのメキシコ国境から行動を共にする5人のトレイルファミリーで、そのうちのひとりであるフロッピーとトレイルで何度か顔を合わせ、「次の街でモーテルをシェアする予定だからおいでよ」とお誘いを受けたのだ。
ワシントン州に入ってからは、「今さら知らないハイカーと仲良くしても、もうすぐ旅も終わりだしな」という、どこか投げやりな気持ちになっており、トレイルでの出会いに目を向けていない自分がいた。旅も終盤に差し掛かったこの頃は、ハイカーのグループの絆も強く、そこに割って入るのに、いらぬ気遣いやためらいもあったのだと思う。それに、「ぼくには今まで仲良くなったみんながいるからいいもん!」みたいな強がる気持ちもあったのだと思う。
そんなふうに孤立した旅をしていると、波風の立たない毎日が続き、自然がぼくにちょっかいを出してこなければ、ただただ歩いているだけの日が静かに流れていく。1日の楽しみは事前にダウンロードしていたポッドキャストくらいしかない。それってここまできてやることなのか?
旅の輪郭を描くのは自分自身であるのだが、それを色づけてくれるのは間違いなく他のハイカーたちであろう。そんな彼らとの出会いを疎かにし、予定調和で旅をするのはもったいないと、退屈になったぼくはハッと気づかされ、積極的にコミュニケーションを取るようになっていた。
すると、すぐにこんな出会いを与えてくれるのもロングトレイルの旅の面白いところだろう。
ワシントンセクションの絶景、ゴート・ロックス。
レブンワースの街並み。これまで見てきたアメリカンな街並みとは全く異なる雰囲気。
翌朝、彼らのグループはもう1日ゼロデイを取るそうなので、ぼくはバックパックに荷物を詰め込んで彼らと別れた。長くはない時間だったけど、こうして友達のハイカーが増えていけば、トレイルで再会する楽しみもその数だけ増えていくことになる。
「またトレイルでね! よい休日を。」
今日の夕方にトレイルに戻る予定だったので、彼らと別れた後、街にあるマクドナルドでバニラシェイクを片手に、理由もなくボケーっとSNSを眺めていた。
そんな時、身構える隙もなく突然絶望が訪れた。
スマホの画面に流れてきたあるPCTの管理団体の投稿が、ぼくが思い描いていた未来を一気に奪い去っていった。
“The Northernmost PCT is CLOSED”
ぼくは時間が止まったかのように、その画面から目を離すことができなかった。思考が停止してしまい、まったく理解が追いつかない。英語の解釈が間違っていると信じて翻訳アプリにかけてみたが、それはぼくが思った通りのものだった。
「PCTの北端は閉鎖された」
え……?
冗談だよな……?
なにかの間違いであってくれ。
カナダ国境付近で落雷が原因の山火事が発生したそうで、国境から約30kmの区間がトレイル閉鎖してしまったようだ。つまりこれはゴールのカナダ国境に辿り着けないことを意味する。ロングトレイルはなにもゴールだけが全てではないだろうが、多くのハイカーにとってそれが特別な場所であることは言うまでもないだろう。もちろんぼくも例外ではない。
しかし、自然の前ではどう抗おうと、ぼくたち人間になす術はないことは過去の経験からも理解している。ぼくはカナダの国境にある、ゴールの証とも言えるノーザンターミナスの記念碑で写真を撮りたかった訳ではないし、そこに辿り着けなかったとしても旅の価値はなんら変わらないだろう。
「ノーザンターミナスなんてただの記念碑さ。山火事なんてPCTにはつきものだし、それがたまたま国境付近だっただけ。他のスキップと一緒だよ。」
その悲報を受け取った瞬間は少し取り乱してしまったが、ぼくはすぐに前を向いた。
……はずだった。
画像はサウザンターミナス。ここから旅がスタートした。なんの変哲もない記念碑ではあるのだが…
その日の夕方、冷静を装って予定通りにトレイルに戻ったのだが、無理矢理ふたをしたぼくの心は、時間が経つにつれて暴れ出してしまった。
メキシコ国境から来る日も来る日も健気に歩みを進め、歩いた総距離は4,000kmに近づいている。カナダ国境のノーザンターミナスに辿り着く日を何年間も思い描き、毎日の体の痛みになんとか目をつむり、立ち止まりたい気持ちを押し殺して、どんな日も一歩ずつ北を目指して歩いてきた。
ぼくの全てをぶつけて旅をしてきた末に用意されていたのは、これまでの一歩一歩を否定するかのような未来。ちょっと残酷すぎやしないか。
体も心もなんの問題もなく、まだまだ1,000kmでも2,000kmでも歩き続ける自信はあるのに……。
なぜこのタイミング?
なんでこんなピンポイントで?
「ロングトレイルなんてクソや。」
自分の気持ちに正直になったぼくは、ぶつけどころのない感情に、地団駄を踏むことしかできなかった。
もうこのトレイルはゴールへと続いていないのだ。グルートたちとのゴールの約束も夢物語となってしまった。
気持ちの整理が全くつけられないままトレイルに戻ったぼくは、これまでにない無力感を味わっていた。ゴールを取り上げられたぼくは、もはやどこへ向かっているのかさえも分からない。朝からまるでモチベーションが上がらず、岩に座ってただただ遠くを見つめていた。
「こんなところでずっと座り込んで、何をしてるんだい?」
通りすがりのデイハイカーらしきおじ様がぼくを心配してかそう尋ねてきた。
「そうだね。ぼくは何をしてるんだろう。ははっ、自分でも分からないや。」
ぼくのすぐ側を通っているトレイルは、もう思い描いたゴールへは繋がっていない。
「旅を終わらせる」
そんな選択が頭に浮かんでくるほど、下を向いたぼくの目は、前を向き続けたあの頃の輝きを失っていたに違いない。
後日、トレイルで出会ったデイハイカーが、「残念だったわね」と食べ物をくれて励ましてくれた。泣きたくなっちゃうよね。
「終わりよければすべてよし」
誰もが聞いたことのある言葉だろう。普段はあまり共感できる言葉ではないのだが、この瞬間ばかりはゴールや目標の尊さを身をもって実感した。
言うまでもなくいちばん大切なのは旅の過程であろう。それには疑いの余地もない。目指してきたノーザンターミナスに辿り着けないからと言って、これまでの仲間との旅の思い出や自分の進んできた道が霞むことはないだろう。
でもゴールすることもぼくにとってはすごく重要なんだ。
いちばん大切なのは何かって?
そんなの決めなくても良いでしょ?
ぼくにとっては全部大切なんだよ。
頼むからぼくに最高の終わりを自分で描かせてくれよ。
邪魔すんなよ。
このトレイルの先の行く末は。
ワシントンはシエラにも劣らぬ絶景が続く。
決断
あれから3日が経った。ぼくの心なんて気にもとめず、歩けば旅はどんどん進んでいく。
これまで歩いてきた距離は4,000kmを越え、あと1週間もしないうちに山火事で閉鎖されたエリアに辿り着いてしまう。歩いているうちに山火事が収まってくれないかと淡い期待をしていたが、どうやらそんなサプライズも起こりそうにない。
このまま現実から目を背けていても、ぼくの進む道は誰も決めてはくれない。どこかで腹をくくって自分で旅に区切りをつけなければならないことは、頭ではとうの昔に分かっていた。子供のようにいつまでも拗ねているわけにはいかない。
現実を受け入れるしかないぼくに残された選択肢はふたつ。
最後までPCTにこだわり、トレイル閉鎖エリアの手前まで歩く。
そしてもうひとつが適当なところでPCTを離れて、道路やダートロードを繋いでカナダ国境を目指す。
これまでの3ヶ月半、4,000kmという長い距離を一歩ずつ積み重ねてきたので、最後までPCTにこだわりたい気持ちはもちろんある。しかし、PCTの特になんでもない場所の“TRAIL CLOSE”という文字で旅を終わらせるなんて、なんとも後味が悪すぎやしないか。
そこでぼくはこのPCTの旅を始める決断をした時のことを思い出した。
PCTを歩くきっかけのひとつになったのが『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画だった。お金持ちの家に生まれた青年が、カリフォルニアの自宅から全てを投げ打ってアラスカまで歩いて旅をする、実話を基に作られた映画なのだが、ぼくはこの映画に強烈なインスピレーションを受けた。
「自分もこんなロマンある旅がしてみたい!」
その憧れがぼくにPCTの門を開かせた。
当時は「PCTを歩き切る」ではなく、「アメリカを歩いて縦断する」ということにロマンを感じていたはずだ。アメリカを歩いて縦断する方法がPCTだっただけだ。
それならばぼくの選択肢はひとつしかないだろう。人が決めた道であるPCTに拘らず、通れる道を繋ぎ合わせ、ぼくが地図に描いた道でカナダの国境へ歩いていこう。
この選択が正しいなんて保証はどこにもないし、旅を終えたぼくが満足してくれるかさえも分からない。しかし、ぼくは決断し、そして歩み出さなければならない。例え、どんな未来がぼくを待っていたとしても、自分が選んだその道を正解にするしかなさそうだ。
ガイドブックに載っていない、ぼくだけの旅に飛び込めるなんて最高じゃないか。
果たしてぼくは自分で描き直した旅の終わりに何を見るのだろうか。
残された旅の時間はもうわずかだ。
ここでPCTとはお別れだ。さようなら。そしてありがとう。
これは夕焼け…ではなくなんと朝だ。山火事のスモークが蔓延していた。
YouTube
伊東とスタッフJKが旅の模様をYouTubeでも振り返りました。