#7 ミッドポイントのサプライズ
#7 ミッドポイントのサプライズ
メキシコ国境からカナダ国境まで、アメリカ西海岸の山々や砂漠を越え4,265kmに渡って伸びるパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)。「トリプルクラウン」と呼ばれるアメリカ3大トレイルのひとつであり、さらにウルトラライト・ハイキングそのものも、そこを歩くハイカーの中から生まれてきた正にULの故郷とも言えるトレイルです。
そんな「ロングトレイルの中のロングトレイル」PCTを、山と道京都スタッフ、伊東大輔が2022年にスルーハイクした模様を綴る全10回の連載の#7。旅の舞台は第3セクションの北カルフォルニアへ。いよいよPCTの中間地点である2,000kmが見えてきたところで、伊東はふと立ち止まります。自分はどんな旅をしたいのか? 改めて自分の旅を見つめ直した彼に、PCTは素敵なサプライズを用意してくれました。
ぼくの未来は思うがまま
自然の美しさと厳しさ、その両方を教えてくれたシエラを歩き終え、PCTの旅は中盤へと差し掛かかった。
あと10日も歩けば、4,265kmにもおよぶPCTのミッドポイント(中間地点)に辿り着く。メキシコ国境からこんなところまで歩いたことに達成感を覚える反面、カナダ国境までまだ2,000km以上トレイルが続いていることに、PCTの長さを改めて思い知らされた。「歩かないといけない距離」だと考えてしまうと、心が折れてしまいそうだ。
そんな旅の舞台は第3のセクション、北カリフォルニアへ。その南部のトレイルタウン、スキーリゾートとしても名高いトラッキーのバス停で、ゼロデイを終えたぼくはある葛藤の中にいた。
このところ一緒に旅をしているバディのストレッチは、この街で地元の友人と会うため、昨日からぼくと別行動をとっていた。今日の夕方には彼とトレイルで落ち合う予定なので、登山口の近くまで出ている巡回バスを待っているのだが、なんだか腰が重い。久しぶりの街の誘惑に心が虜になってしまっていた。
「これから結婚式でサンフランシスコへ行くんだ。」
バス停で隣に座っていたハイカーのショーがそう言った。
「そんな遠くまでどうやって行くんだい? まさかヒッチハイクかい?」
「まさか。このバス停は長距離バスも停まるんだよ。ほら、見てみな。」
彼が開いたマップを覗いてみると、この辺りは確かに長距離バスが走っている。
「サンフランシスコまでは……4時間か。なかなか遠いな。ん? 逆方向のリノって街はどんな場所なんだい?」
「ネバダ州のリノか。簡単にいうと、カジノの街だな。行ったことはないがここよりは賑わってるんじゃないか?」
バスを調べてみると所要時間は約1時間、料金は1,500円ほど。物価高にみまわれるアメリカではなかなか良心的な値段だ。
突如として目の前に現れた甘い勧誘に、巡回バスが通り過ぎていくのを見送っているぼくがいた。
グレイハウンドはアメリカ最大規模のバス会社。なんと3,000路線以上が存在するそうだ。
ぼくの予定表にはなかったリノ行きのバスに1時間ほど揺られると、あっという間にそこに到着した。ネバダ州の西部、砂漠に囲まれたリノは、ラスベガスと共にカジノシティとして名高い街で、かつては金の集散地として栄えていたそうだ。街をぶらりとうろついていると、そこらじゅうにカジノのネオンや煌びやかな建物が並んでいる。それを写真におさめたり、興味半分でカジノを覗いてみたりと、しばらくは別世界の楽園に目を輝かせていた。
しかし、お金のない、うす汚れたハイカーのぼくは、ものの1時間で自分の行き場を失ってしまった。
「暇だ。なんにもすることないや。」
ついには道端に座り込んだぼくだったのだが、その顔はきっと穏やかな表情をしていたに違いない。ぼくはカジノがしたかったわけでも、都会でショッピングがしたかったわけでもない。
普段、食料補給で立ち寄るトレイル近くの街は規模が小さく、どこへ行ってもPCTハイカーと出会い、街の人たちもぼくたちをPCTハイカーだと認識している。そんな環境に身をおいていると、なんだか常に誰かに見られているような感覚で、そこから一度抜け出して息抜きがしたいと考えていた。
PCTから離れたリノでは、まるで透明人間にでもなったかのように、誰からも目を向けられないし、もちろん声もかけられない。それにここ1ヶ月ほどはずっと誰かと一緒に旅をしており、お互い何をするのも勝手な関係性と言えども、やはり他人の意思決定に沿うことも少なくなかった。だけどこの場所ではどこで何をしていようが、すべてはぼくだけが決められる。誰も自分を知らない場所での、数分先の未来さえ白紙の自由は、ぼくの疲れた心を真っさらに洗ってくれた。
やっぱりぼくは何にも縛られず、自分の思うがままに旅がしたい。とびっきりわがままなのかもしれないが、それでいいじゃないか。思いつきの何気ない逃避旅行ではあったのだが、思い返せばここがひとつの旅の分岐点だったのかもしれない。
街のシンボルのリノ・アーチ。リノは世界最大の小都市という愛称で親しまれているそう。
かつて栄えた街には必ずと言っていいほど、こんなクラシックなモーテルが存在する。
サプライズパーティ
北カリフォルニアは本当に暑い。
5月にメキシコ国境を出発して、はや2ヶ月半。7月も中旬に差し掛かろうとしているのだから、暑いのは当たり前の話。街の天気予報を見ると41℃の表示がでており、少し湿気が混じったこの暑さは、南カリフォルニアの灼熱地帯が快適だったと思わせるほどだ。
勢いよくペットボトルの水を口の中に流し込むと、溢れてしまった水が地面へとゆっくり落ちていった。
「じゅわっ……」
落ちていった水滴を地面はまったく受けつけず、すぐに蒸発させてしまった。どうやらこの暑さは気温の問題だけではなさそうだ。
このエリアは数年前に山火事があったエリアだそうで、黒く焦がされた大木たちが寂しげに並んでいる。時折、焼けた枝が「ドスン!」と落下する音が聞こえる度に、体がビクッと反応する。焼かれた木が倒れる危険性もあるので、PCTの管理団体はこのエリアに「スキップ推奨」のアラートを出しており、それに従うハイカーも多くいるようだった。
静まりかえったそんなエリアを、ぼくはひとりで淡々と歩いている。
結局ストレッチとは別々に行動するようになってから1週間ほど経つが、まるでぼくだけが別の世界に迷い込んだかのように、このエリアではほんとうに人に会わなくなった。
山火事によって焼かれてしまった木々。
痛々しい痕跡が所々に残っている。
その日もリピート再生のように、いつもと変わらず、ひたすら足を前へ運んでいたぼくは、あることに気づいた。
「このペースだと、誕生日にミッドポイントに着くんじゃない?」
今日は7月23日、ぼくの誕生日は2日後の25日。そしてミッドポイントまでは残り50kmほどだ。誕生日をトレイルで過ごすことは分かっていたので、テントの中でひとり寂しく「誕生日おめでとう、オレ」なんて言っている寂しい未来を想像していたが、なんだかいいことありそうじゃないか。ここまでのひとつひとつの選択が、素敵な巡り合わせをプレゼントしてくれそうだ。
ハイカーも少ないこのエリアは少し寂しげな表情をしている。
人の少ないこのエリアで唯一頻繁に顔を合わせていたハイカー。
誕生日を翌日に控えた7月24日、この日も特に変わり映えせず、そこにあるのは黒々とした木々と、最後の32歳を過ごす小汚いぼくだけだ。ハイカーともすれ違わず、動物の気配もない、そんな寂しげなトレイルにも近頃は慣れてきた。騒がしくて色んなことが起きたシエラが遠い昔のように感じる。
このエリアはトレイル上に水場があることが少なく、サイドトレイルを少し歩いて水場へ向かう必要があるので、ところどころに”◯◯ Springs 100ft”のような道標が設置されていた。そして次の水場への道標を見つけた時、同時になにかが殴り書かれた、ダンボールで作られた看板のようなものが目に入ってきた。
「あれはもしかして……いや、そんなうまい話ないよな?」
都合のいいように解釈しようとする自分の頭を抑えてそれに近づくと、まさに予想通りの文字が書かれていた。
“ Trail Magic ”
嘘だろ? 神様が巡り合わせてくれた誕生日会かよ!
足早に矢印の方へ向かうと、2人のトレイルエンジェルがぼくを待ち構えていた。
こんな段ボールの看板にはハイカーの夢が詰まっている。
「やぁ! オレはカウボーイハットだ。今日は君で3人目のハイカーだ。存分に楽しんでいってくれ。」
「ぼくはゴート。まさかこんなところでトレイルエンジェルに会うなんて驚いたよ。」
話を聞くと彼も今年PCTを旅していたらしく、メキシコ国境から1,000マイルを歩いたそうだ。旅を終えて地元に帰ってきた彼は、この週末の2日間だけトレイルマジックをしているそうで、まさにぼくの誕生日を狙ったかのようだ。
「いまからベーコンとスクランブルエッグを焼いてやるからちょっと待ってな。ビールは飲むだろ? そこのクーラーボックスにたっぷり入ってるぜ。」
シエラでのお酒の失敗が頭によぎったが……暑いし飲んじゃえ。彼の言葉に甘えてビールを飲んでいると、トレイルの方からゾロゾロとハイカーたちがやってきた。数日前まで誰にも会わなかったのに、まるでかくれんぼが終わったかのように人が集まってきた。
自己紹介を簡単に終わらせると、焼いてくれたベーコンとスクランブルエッグをトルティーヤに挟み、みんなで口いっぱいに頬張った。しばらく彼らと雑談をしていると、話題はミッドポイントの話に。
「明日はとうとうミッドポイントだな。いまの気持ちはどうだい?」
「そうだね、長かったような短かったような。でも明日はぼくの誕生日なんだ。誕生日にミッドポイントに着くってクールじゃない?」
そうぼくが発するとその場の温度が一気に上がった。
「マジかよ! もっと早く言えよ!」
「おめでとうゴート!」
「誕生日ケーキを用意しておくべきだったわ!」
数日前の静粛からは想像もできなかった出会いと祝福の声に、ぼくの旅には作られた筋書きがあるかのように思えた。
誕生日を祝ってくれたトレイルエンジェルとハイカーたち。
前回の失敗があるのでお酒は1本だけ。
覚めない夢
翌日、例によって静まりかえった孤独なトレイルを歩いていると、小さな石碑と興奮気味にビールをかけ合う人だかりが目に入ってきた。
7月25日、ぼくはPCTのミッドポイント(1,325マイル地点)に辿り着いた。
歩き始めて2ヶ月半、ようやく訪れた折り返し地点。2ヶ月以上歩いてはいるのだが、どちらかというと「もう半分か」という気持ちが強かった。それだけこの旅が苦しくも心地よく、そんな時間がこれから終わりへと向かっていく現実に、名残惜しさをも感じていたのだろう。
それでもぼくにはまだ2,000km以上の真っ白なパレットが残されている。あれこれ考えずにその時その時を全力で楽しもうじゃないか。
旅はついに折り返し地点を迎えた。
汗と汚れがたっぷり染み込んだフーディーが汚い。
「おはようゴート。そして改めて誕生日おめでとう。」
「ありがとう、昨日はほんとうに嬉しかったよ。」
「今日は誕生日の当日だし、もちろんチェスターには行くんだろ? 酒でもおごるぜ!」
ミッドポイントから20kmほど先に、道路と交差する場所があり、多くのハイカーはそこでヒッチハイクをしてチェスターの街へ向かうようだ。もちろん街へ行きたい気持ちもあったのだが、シエラの反動でのんびりと歩いたり、リノへ逃避旅行へ行ったりと、この頃はペースが落ち気味だったので、チェスターはパスして先へ進むつもりだった。
確かに縁を感じずにはいられない。ただ、街で宿泊するという考えはなかったので、数時間過ごすためにわざわざヒッチハイクで移動するのも少し面倒だ。揺らぐ心と相談しながら歩いていると、次の一手を決める前に、あっという間にその道路に辿り着いてしまった。
すると目を疑うような光景がぼくを待ち構えていた。大きなバンのそばで、カウボーイハットをかぶった大男が、巨大なスイカを豪快に切り分けている。
「あれは間違いない……トレイルマジックだ。」
2日連続でこんなことがあっていいのだろうか。ここまで2ヶ月半ほどトレイルを歩いてきたが、トレイルマジックに遭遇するのはせいぜい月に2〜3回ほど。2日連続だなんて聞いたことがない。トレイルエンジェルがぼくの誕生日を知っていたとしか説明のしようがない。
「もうスイカの予備がなくていまから買い出しに行くから遠慮せずに食べ切れよな。」
「ありがとう。ではいただきます!」
……ん? なんておっしゃいました? いまから街へ行く?
ぼくが甘えるような目をして彼を見つめると、「街へ行きたいのかい? 乗せてくぜ。」と、嫌な顔ひとつせずに、ぼくの湧き出てきたばっかりの望みをくみとってくれた。
結局、8人のハイカーがこのバンに詰め込まれ、チェスターの街へと向かった。
暑い日のスイカがこれまたうまいんだ。
「公園でテントを張っていいみたいだぜ。」
バンに同乗していたハイカーがそう教えてくれた。アメリカ人ハイカーはこういった情報を取るのがほんとうに早い。おそらく地図アプリに寄せられたコメント欄を見ているのだろうが、英語が堪能でないぼくにとっては、そんな情報を見つけてくるのも一苦労だ。
山に囲まれた道路を10分ほど走ると、すぐにチェスターの街が見えてきた。皆が公園に泊まると話をしていたので、その近くにクルマを停めてくれ、トレイルエンジェルの彼と別れの挨拶をした。
他のハイカーたちは公園にテントを張りに行ったが、ぼくはお腹が空いていたので、すぐさま向かいのスーパーマーケットへと向かった。車道を横切り、自動ドアを足早にくぐると、イートインコーナーから聞き馴染みのある声に驚かされた。
「ん⁉︎ ゴートじゃないか‼︎ 久しぶり!」
ぼくにそう声をかけてきたのは、50マイルチャレンジを共にしたバースデーボーイ、アイディルワイルドで一緒だったトレイルファミリーのケリーとグルートの3人だった。旅の最初の頃からの友人で、思い出深い面々だ。彼らはぼくのだいぶ後ろを歩いていたはずなのに何故ここにいるんだ?
まだ目の前の現実を受け入れられていなかったが、久しぶりに再会した彼らとがっちりハグを交わした。詳しく話を聞くと、どうやらスキップが推奨されていた山火事のエリアを飛ばし、バスとヒッチハイクを乗り継いで、つい先ほどチェスターにやってきたそうだ。そして、ミッドポイントで記念撮影をした後、ふたたびこの先に続く60kmのエリアもスキップする予定だそうだ。
つまり彼らがここにいるのはほんの数時間のようで、ぼくたちの行動や選択が少しでもずれていたら、ここでの再会はなかっただろう。
「久しぶりなんだし、トレイルに戻るのは後回しだな‼︎」
そう言ったぼくたちは近くのレストランに駆け込み、これまでの思い出話に花を咲かせた。まだ旅は半分しか終わっていないのに、仲間と思い出話ができるなんて、改めてこの旅の壮大さ、そして同じ道を歩いている仲間が大勢いるスペシャルさを感じる。
歩き始めて2ヶ月半。これまでのひとつひとつの出会いや縁が線となって連鎖し始めているようだ。少々無理をしてでも、人見知りで英語の苦手な自分の背中を押し続け、いろんな人との出会いを大切にしてきてよかった。どんな小さな出会いも、その先の未来にどう繋がっているかなんて、その時は分からないものだ。
まさか異国の地、しかも人里離れたトレイルでこんなたくさんの人たちに囲まれ、温かい誕生日を過ごすとは思ってもいなかった。
その後、ヒッチハイクで街からトレイルに戻ったぼくは、再びひとりで歩き始めた。昨日までの2日間がまるで夢だったかのように、トレイルはいつもと変わらぬ静けさを取り戻した。
彼らとの付き合いももう2ヶ月以上になる。
YouTube
伊東とスタッフJKが旅の模様をYouTubeでも振り返りました。