#3 清田勝
(ロングディスタンスハイカー)

2024.07.16

山と道というこの奇妙な山道具メーカーの特徴のひとつは、「アウトドア」の文脈だけには収まりきらない、実に様々なバックグラウンドを持つ人々との関わりがあることかもしれない。

この『人・山・道 -ULを感じる生き方-』では、そんな山と道の様々な活動を通じて繋がっている大切な友人たちを訪ね、彼らのライフや思考をきいていく。一見、多種多様な彼らに共通点があるとするならば、自ら背負うものを決め、自分の道を歩くその生き方に、ULハイキングのエッセンスやフィーリングを感じること。

#3となる今回のゲストは、アメリカの3大トレイルを制したトリプルクラウンハイカーであり、大阪市福島区で『cafe & bar peg.』の店主も勤めている清田勝さん。「学生時代は面白くないやつだった」と語る彼がどうやって旅人になり、歩き続ける人生を選んだのか。そして旅をし歩き続けた10年を経た、彼の現在地はどこなのか。

取材/文:渡邊卓郎 写真:三田正明

冒険の世界はずっと憧れでした

ロングディスタンスハイカーとして世界に飛び出している清田さんだが、学生時代までの清田さんは冒険の世界に足を踏み入れるタイプではなかったそうだ。

「子どもの頃から周りの目をめちゃめちゃ気にしていたし、周りに合わせていたほうが自分にも親にとってもいいだろうと勝手に思い込んでいました。学生時代までの僕は、どうにかレールから外れないようにして生きるタイプだったんです。」

アメリカの三大トレイル*を制覇した「トリプルクラウンハイカー」として知られる清田勝さん。その傍ら、大阪市福島区で『cafe & bar peg.』の店主を務めたり、ポッドキャストの配信を行ったり、この山と道JOURNALSにも旅のストーリーを何本も寄稿していただいている

*パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、アパラチアン・トレイル(AT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)をスルーハイクしたハイカーを指す言葉。

それぞれ踏破に数ヶ月を要する長大なトレイルを歩く旅を達成してきた人物と聞くと、我が道を切り拓くような少年時代を送ってきたのではないかと想像していたが、清田さんはどうやら違ったようだ。

子どもの頃からサッカーを続け関西大学に入学したが、日本一を目指すようなチームゆえに選手層は厚く、部内にある5チームのうちの最下部チームに所属し、大学生活で公式戦に出ることはなかった。それでも就職には有利だろうという考えもあってしがみつくようにサッカー部に所属し「関西の有名私大の強豪サッカー部に所属」というブランドのレールの上に乗って学生時代を過ごしていたという。

本人の言葉を借りるならば「面白くないやつ」だったそうだ。それでも、心のどこかに旅への憧れは抱いていた。

「学生の時に登山やアドベンチャーレースをテーマにしたドキュメンタリー番組を食い入るように見ていたのは覚えてますね。でも、こんなことは自分にはできないだろうと決めつけていました。テレビに映る冒険の世界はずっと憧れだったけど、憧れているだけで自分がするなんて思ってもいませんでした。」

そんな清田さんだったが、社会の波に乗ることへの不安は就職活動中に芽生えていたのだという。

サッカー選手としては目立った選手ではなかったのだが、関西サッカー学生連盟に所属し幹事長を務めていたこともあって、就職活動には自信があったという。社会は自分を求めるだろうと思って就活に望んだが、エントリーシートの時点で次々に落ちていくという現実が待っていた。

「なんでやねん! という気持ちでしたよ。変な自信を持っていただけにかなりショックでしたね。そんな時に就活が順調な同級生たちに『就活にはハウトゥーがある』と聞いて、彼らの言うとおりにエントリーシートを書き直してみました。そうしたら、全く同じ僕なのに受かるようになったんです。それが嬉しくもあり、違和感でもありました。社会ってそういうもんなのか、という思いはありましたけど、当時の僕は、就職はしなきゃいけないものだと思い込んでいたから就職して働き始めました。」

清田さんが現在、ひょんな縁から店主を務めている『cafe & bar peg.』。大阪市福島区吉野2-11-6-1F 19:00〜深夜まで営業/不定休。

『peg.』は「できることは自分でやってみること」「楽しんでやること」がコンセプト。テントを張る際に重要なペグだが1本では意味をなさない。「何本ものペグ」=「多くの人との関わり」を持つことができる空間づくりを目指しているという。

社会に対しての疑問と気持ちの乖離がある中、就職はしてみたものの、一度感じてしまった社会の波に乗ることへの違和感を断ち切ることができず、入社後9ヶ月の研修期間中に辞職を決意した。

「社会とはそんなもんやと思ってはいたんですけど、働いてみても感情が揺さぶられることがなく、いつまでこの生活が続くんだろう? と怖くなってきたんです。先輩たちに話を聞いても『社会ってそんなもんよ』『給料もこんなもんやろ』みたいなことばかりが口から出てくるんです。僕の10年後も彼らと同じようになってるんじゃないかと怖くなって、ここからどうやって逃げるかを考え始めました。」

その時に浮かんだアイデアが「自転車で日本一周」というテーマだった。

「ただ辞めるだけじゃ周りを納得させられないし、親にも心配かけるけど、ちょっとでも大きいことを言ったら、かっこつけて辞められるんじゃないかと思ったんです。『日本一周する』と言うことで、僕の胸の中にある『逃げ』を包み込めるんじゃないかと。今だから言えますけど、『かっこええやんけ、行ってこいよ!』って言われても、僕の中には後ろめたいものがありました。」

逃げから始まったドロップアウト。清田さんはその日本一周の旅で、本物のドロップアウトの強者たちや、一般社会的なレールを無視して旅を続けるリアルな旅人の姿を目の当たりにする。

「旅の途中で会った僕と同じように自転車で日本一周をしている人たちの中にはママチャリのやつもいるし、釣り竿とかギターを担いで自転車を漕いでいるやつとか、色んな人たちがいました。彼らを見て、自分ってめっちゃ普通の人間やなと思い知らされました。僕のしていることなんて大したことないと気付かされたんです。」

日本一周の旅が終わりに近づいた頃、現実が目の前に現れてくる。旅が終わったら今度こそ就職するのか? と。そこでまた考えた。

「僕の中にまだ存在していた『逃げ』の気持ちを隠すために、また包み込むものが必要でした。そこで、今度は『世界一周をする』って言ったらまた包み込めるんじゃないかと思ったんです。そうして、まずはお金を稼ぐためにワーホリ(ワーキング・ホリデー制度)を利用しました。その当時のワーホリの行き先はカナダかオーストラリアが多かったんですけど、カナダはちゃんと勉強するやつが行きそうで、オーストラリアはハングリーなやつが行きそうだなと思ってオーストラリアに向かいました。」

清田さんは自分の弱さも正直に話す。正直がゆえに、自身の中で起きる変化や進化に対しても柔軟なのだろう。

関西のハイカーを中心に連日様々な人々が集まり、コミュニティを形作っている『Peg.』。日中はオーナー会社が運営する、障がいを持つ人たちの働く場になっている。

トリプルクラウンハイカーも初めからレールを外れて自分だけの道を切り拓いていたわけではなかった。日本一周の旅でもそうだったように、世界一周の途中にも本物の旅人に出会うことで、清田さんの目指すべき道が見えてきたのだろう。そこでは、その後に深く追求していくこととなるロングトレイルの世界につながる出会いがあった。

「南米にいた時に、アメリカ3大トレイルのひとつのPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)を歩き終えて、今は南米のロングトレイルを歩いているという人に会ったんです。彼の話を聞いて、アメリカを歩いて縦断できるんや! と衝撃を受けました。それまでの僕は正直に言って観光地を訪ね歩くような旅をして来たこともあって、彼がロングトレイルの旅の話をしてくれるんですけど、どんな世界なのかがまったく想像できないんですよね。そこで、彼が見た世界を僕も見てみたいなと思ったんです。」

この出会いをきっかけにして「歩く旅をしてみたい」という気持ちが芽生えた清田さん。出会ったハイカーに聞いた情報を元にして、世界一周の最後にはスペインの巡礼の道、カミーノ巡礼を歩いた。だが、カミーノ巡礼は道路歩きが多かったこともあり、清田さんがイメージしていたような冒険の世界とはかけ離れていた。

心の奥で憧れ続けていた本物の冒険の世界に入ってみたいという思いが募り、次の目標としてアメリカのロングトレイルを目指すことを決意する。その頃には包み隠さなくてはいけない「逃げ」は初めに比べて10%程になっていたそうだ。

「PCTを歩きはじめた時は27歳。逃げの気持ちは消えかかっていたけれど、正直言うと親の目は気にはなっていましたね(笑)」

『cafe & bar peg.』の壁にかけられた掲示板にはハイクやキャンプの誘いのメモが貼られ、お客さん同志のコミュニケーションツールとなっている。

ロングトレイルって
こういうことなのかもしれない

世界一周を終えた時の預金残高は500円。そこからアルバイトを3つ掛け持ちしてお金を稼ぎながら、モンベルの冒険・探検活動や自然保護活動をサポートする「チャレンジ支援プログラム」に応募して見事に支援物資を獲得するなどして、アメリカ遠征の費用を貯めることができた。

学生時代にテレビで見て憧れていた冒険の世界に「歩く」という行為でなら入っていけるというイメージがあった。道はあれども自分で切り開いていく世界。PCTを歩くことで冒険の世界に入れたという実感があったのだろうか?

「最初は思っていたものと違った感じはしましたね。言うても歩いてるだけなんでめちゃくちゃ地味なんです。毎日食べて歩いて寝るだけ。1歩1歩歩いて、景色もいきなり変わっていくわけじゃありませんしね。僕にトレイルの世界を教えてくれた友人からは『景色じゃなくなってくるから』と言われましたけど、『どういうことやねん!』という気持ちでしたよ。乾燥地帯カリフォルニアを見て感動して、シエラに入ると残雪が多くてドキドキしながらも美しい風景の中を歩いていました。それがしばらくすると『景色はもうええかな』みたいになってくるんです。彼が見た世界ってこんななんかなって感じたのは1000キロぐらい歩いた時です。ロングトレイルってこういうことなのかもしれないっていう大切なことに気づけたような気がします。」

1000キロほど歩いた先で見えてきたロングトレイルの本質。それはどういうものだったのだろう。

「歩いた人全員がそれぞれの答えを持っているとは思うんですが、僕なりの答えとして言えるのは、トレイルでは長い距離をかけて別れや再会があったり、初めて会うトレイルエンジェル(編注:トレイル上でトイレの貸し出しや水の供給、道案内、宿泊場所の提供など、ハイカーをサポートする人)にたくさん愛をもらったり、歩いて歩いて自分と向き合ったり、辛くてしんどい思いとか、楽しい思いなど本当にさまざまなことがあります。それまでは、旅って経験や価値観みたいなものが増えていくイメージでいたんですけど、ロングトレイルでは精神的にも減らしていく、削ぎ落としていくような感覚がありました。本当に自分が大事なことってなんなんだろう? というビジョンが見えてきたし、自分の中のダイヤモンドを削って綺麗にするようにして、自分という個性が磨かれてくる感覚がありました。」

歩く距離は日々積み重なり、自分の中に入る情報も思い出も増えていくけれど、自分の中での本当に大切なものや思考の本質が研ぎ澄まされていく感覚には心地よいものがあったという。ここがULの思想とロングトレイルの旅の思想がリンクするところなのだろう。

そんな清田さんだが、最初は荷物がものすごく重く、25kgはあったそうだ。水も食料もどれだけ必要かわからない。そこからのスタートだった。

「僕の荷物はかなり大きかったですね。途中で会うハイカーにはめちゃくちゃちっこいザックのやつもいるんですよ。彼らに『何入ってんねん?』とか聞いて自分で学びました。『Tシャツ3枚もいらんよな』とか、『パンツ4枚も持ってきてどうすんねん!』というように荷物を減らしていくと、物理的にも精神的にも身軽になっていくんです。心が軽いことでオープンマインドにもなっていきます。だからこそ、ゴールが近づくにつれてハイカーたちはいい顔になっていくんだと思います。めっちゃ汚いし、変な匂いがするんですけど、ものすごくいい顔をしてるんです。」

長い道のりを歩いた先にしか生まれない感情がもたらす表情。それを経験した清田さんは、PCTを歩き終える頃には次の旅のことをイメージしていた。

旅を続けるごとに当初抱いていた、社会からの「逃げ」の感情は消え、自分が心から歩きたい道が見えていったそうだ。

その後、続けて2本のトレイルに向かうことを決意。その頃にはすっかりロングトレイルの世界に入り込んでいた。そして、その頃には包み隠していた「逃げ」の感情はゼロになっていたという。

「それしかなかったんだと思います。人生においてやりたいことってたくさんあったんですけど、そのリストの中でいちばんしたいことってあるじゃないですか。それが思い返せば日本一周だったし、ワーホリだったし、世界一周だったし、3大トレイルだったんですね。旅を始めて10年ぐらいこんな生活ですけど、自分の中のいちばんのチョイスをしてこれたんだと思っています。」

結果的に、ではあるが全ての選択は正しかったと言えた。これが清田さんらしさなのだろう。

旅をし続けることに憧れを持つ人間は数えきれないほどいるだろう。だが、さまざまな、本当にさまざまな理由で多くの人があきらめていく。そういう旅ができる人との違いはどこにあるのだろうか、と尋ねると、「やりたい気持ちがどれだけあるか」に尽きるという。


「本当にそれだけだと思います。日本一周とか世界一周をしてる時に『お金はどうしてんの?』とか『将来不安じゃないのと?』『なんで歩いてるの?』とか言われますけど、『行きたいからや』って言うしかなかったんです。勝手な持論なんですけど、みんなしたいことをやってると思ってるんですよ。人生において選択って連続的にあると思うんですけど、いろんな理由をつけながらとはいえ、みんなベターな方を選んでるわけじゃないですか。『俺、家族おるから旅に行けへんわ』っていうのは、『俺は家族と一緒にいたい』っていうことなんだと思うんです。その考え方があるかないかの違いなだけで、みんな今最高の状態にあると思うんですよね。」

旅から帰ると次の旅のために仕事をする。それを繰り返して、3大トレイルの残り2本であるアパラチアン・トレイル(AT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)を歩ききった。

この10年旅をして、歩き続けてきた。はじめは逃げるために入った旅の世界だが、今、清田さんが旅をし続ける、歩き続ける動機はなんなのだろうか。

「知らない世界に対して興味があるからというだけです。地球に生まれたわけですしね。」

理由はものすごくシンプルだった。歩き続けてきたことで、自分の生き方に対しても本質が見えてきたことで心も定まり、どんどん身軽にもなっているという。

「ハイキングにおいて、不安の大きさが荷物の重さになって現れるってよく言われるんですけど、自分のことを知っていったら、『これがあれば大丈夫』っていう自信になってくると思います。軽くなるから歩きやすくなるし、体の負担も減っていく。そして、そのちょっと空いた部分に自分のスペシャルなものを入れることもできるんです。荷物も気持ちも軽くするっていう行為は、自分の気持ちいいところがわかってくることだと思うんです。荷物が多くてちょっと我慢してる自分も気持ちよかったんですけどね(笑)」

では、不安の代わりに清田さんには何が入ったのだろうか。


「不安の代わりには、まだ何も入ってない気がします。なんか開いてる感じなんですかね。うん、また何かが入った感じはありませんね。」

「開いたまま」。なるほど、この答えでよく分かったのは、清田さんはまた長い旅に出るのだろうということ。次の旅から帰ったら、また話を聞かせてもらおう。

「知らない世界に対して興味があるから。」清田さんが旅を続ける理由はとてもシンプルであり、多くの人が忘れかけてしまっていることでもあるのだろう。

清田勝の
大切にしているモノとコト

モノ
人とのつながりをとても大切にしていますね。

コト
これは小さな頃から親に言われて染み付いているのですが、「言われたことをちゃんとやる」こと。
それが信頼関係につながっていると思います。

清田勝

ロングディスタンスハイカー。『cafe & bar peg.』店主。日本や世界各地を旅する中、ロングトレイルの旅に出会い、アメリカ三大トレイルを踏破。旅や自然から学んだことをPodcastやSNSで発信している。
経歴:2013年 自転車日本一周/2014年 オーストラリア・ワーキングホリデー/2015ー16年 世界一周/2017年 パシフィッククレストトレイル(PCT) /2018年 アパラチアントレイル(AT /2019年 コンチネンタルディバイドトレイル(CDT)/2020年 みちのく潮風トレイル/2021年 あまとみ信越トレイル/2022年 太平洋ー日本海/2023年 アリゾナトレイル

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