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愛と冒険のロングトレイル 夫婦で歩いたストーリー 新井篤史 美帆のPNTトーク

はじめてづくしの海外ロングトレイル記。
構成/写真:新井篤史、新井美帆
2023.02.09

愛と冒険のロングトレイル 夫婦で歩いたストーリー 新井篤史 美帆のPNTトーク

はじめてづくしの海外ロングトレイル記。
構成/写真:新井篤史、新井美帆
2023.02.09

現在、日本各地に台湾を加えた7つの拠点で活動を行なっている山と道HLC。ハイキングの実践や座学の他、時にはゲストを招いてのトークやワークショップなど、ハイキングが繋ぐコミュニティ作りを目指して日々、様々なプログラムを行なっています。このHLC Reportでは、そんな活動の内容をシェアしていきます。

今回は、去る2022年の12月にHLC鎌倉主催で『山と道材木座』で行った日本人夫婦で初めてパシフィックノースウエストトレイル(PNT)をスルーハイクした新井篤史さん・美帆さんによるゲストセミナー『愛と冒険のロングトレイル 夫婦で歩いたストーリー』のトークの模様を、おふたり自身によってテキストの形に再構成してもらいました。

「モンタナ州のロッキー山脈からアメリカ本土最西端のケープアラバまで約2000kmのトレイルを踏破した」 というと大偉業にも思えますが、実は彼らはふたりともハイキング初心者。初めての海外トレイル、初めての長旅、初めてのロングトレイルと、初めてづくしのふたりが、UL装備だけを背負って飛び込んだ先で何と出会い、何を見て、感じたのか⁉︎ その表と裏を採れたてのフレッシュな感動と共に余す所なく語ってくれました。

ともあれ、これぞ「旅」というもの本来の持つ魔力か、話はロングトレイルの枠を超え、誰の心にも繋がるような、普遍的な何かに到達していきます。海外トレイルやロングディスタンストレイルに興味のある人も、ない人も、ぜひふたりの「愛と冒険のストーリー」にお付き合いください!

当会は2022年12月10日に山と道材木座で行われた。 写真提供:苑田大士

僕たちウォーカー

美帆 いろいろ話す前に最初に念を押して伝えたいことがあります。私たちのロングトレイルは非日常の旅ではなく、日常の延長線上のような旅だったということです。「ザックに衣食住の全てを背負って山の中で生活することのどこが日常なんだ!」と思われるかも。けど起きて、ご飯を食べて、動いて、休んで、寝ることは、基本的に日常生活も一緒なんです。

篤史 違うことは生活する場所が自然っていうことと、沢山歩くことくらい。

美帆 「ロングトレイルを歩く」という夢を叶えてふわふわしていたのは最初だけ。歩いていくうちに私たちが生活の中で行う必要な行為がより鮮明に感じられるようになっていきました。

どこまでも続く大自然

篤史 トレイルでは毎晩ラーメンやったけど、歩きながら「今日は何味食べちゃう?」とかふたりでニヤニヤして言ってて。食事の内容ではなくてご飯を食べること自体がご馳走になってました。

美帆 毎日同じメニューだけど全然飽きなかった。ロングトレイルは人生の縮図って言われるぐらい、自分たちの人生とリンクする部分がとても多いです。だからより日常に近い感覚になっていきました。

篤史 日常の延長線上を過ごしてきたので僕たちは残念ながら無敵のスーパーハイカーになって帰ってきたわけではありません。ただのウォーカーだと思ってる。

帰国後友達と歩いたがすぐに置いてけぼりにされた

美帆 「ロングトレイルを歩いてすごいね!」と言われることもあるんですが、何かスキルが甚だしく向上したわけでもなく、エベレストのような立派な山を登ってきたわけでもないんで、すごいことはひとつもないんです。

篤史 歩いただけやから。ただ、日常がより楽しめるようになって帰ってきたという感覚はあります。僕なんて帰国してから無職やけど毎日楽しいもん。そんなちょっとハッピーなふたりの話を聞くっていうくらいの気持ちで、僕たちの話を聞いてくれたら嬉しいです。あ、美帆さんは働いてます。

美帆 私は働いてるよ~。

篤史 はい。毎日お世話になっています。そんな僕たちは2022年の7月15日から76日間かけて、アメリカのパシフィック・ノースウエスト・トレイル(以下PNT)を歩いてきました。そしてこれからPNTの特徴やロングトレイルの旅のギア選び、冒険、脳科学、愛の話をしていきます。でも、我ながら「冒険・脳科学・愛」の並びに違和感を感じるわ!

美帆 けどPNTだからこそ話せる内容かも。沢山の人にPNTとロングトレイルの楽しさを知ってほしいね。PNTは日本人で歩いた人も少なく、私たちが知る限りでは我々を含めて4人。数年前に河西祐史さんが歩いていて、2022年に私と篤史さんともうひとり、カズマさんという方が全セクションを日本人で初めて歩き切りました。今回はロングトレイルの魅力はもちろん、PNTの魅力も発信できれば嬉しいです。

これがPacific Northwest Trailだ!

これがPNTのロゴマーク。伝説の鳥サンダーバードが描かれている

美帆 まず、私たちが歩いたPNTについて話をしていきたいと思います。アメリカ北西部のカナダの国境付近を横断する約2000kmのトレイルで、モンタナ州のロッキー山脈をスタートして3つの国立公園を経て、アメリカ本土48州の最西端ワシントン州のケープアラバを目指します。ちなみにゴールには他のトレイルのようなモニュメントはなく、ただただ太平洋が広がっているんです。

篤史 そこもまた渋いやんね。PNTの正式名称は「Pacific Northwest National Scenic Trail」です。「National Scenic」が入るので、パシフィッククレストトレイル(以下PCT)とかアパラチアントレイル(以下AT)とかコンチネンタルディバイドトレイル(以下CDT)とかと一緒の、国が認めてるロングトレイルのひとつですね。そしてロゴマークが他のトレイルと比べて僕たちはいちばんかっこいいと思ってるんですよ。

美帆 いちばんかっこいい。実は私たちのテントにはPNTのロゴマークが描かれているんですけど、イラストレーターをされているトレイルエンジェル(注:アメリカでハイカーを物心両面でサポートをしてくれる人を指す言葉)の方が、さっと1時間ぐらいで描いてくれて。その前日の夜は飲んで踊っての大騒ぎだったんで大丈夫かなぁと思ったら、めちゃくちゃ完成度高いんだよね。

僕たちのテントには手書きのPNTロゴと出会ったハイカーから寄せられたメッセージが書かれている

篤史 我が家の家宝やね。このロゴの鳥はサンダーバードというネイティブアメリカンの神話や言い伝えに登場する伝説の生き物。PNTのトレイルはカナダとの国境付近を歩くので、街を通るといたるところで先住民の歴史に触れることができます。ちなみにサンダーバードはPNTで歩くオリンピック山脈のどこかの洞窟に住んでいると言われています。他のハイカーは先住民が岩に彫ったイラストを見つけていました。

美帆 サンダーバードは見れなかったけど、PNTではグリズリー、ブラックベア、オオカミ、ラッコなどたくさんの野性動物と出会えます。アメリカのロングトレイルで唯一ビーチを歩くセクションやブッシュワック(注:道のないトレイルを歩くこと)があったり、フェリーで移動したりもします。あとネイティブアメリカンの漁師の方に協力していただいて、川を渡らせてもらったりもしました。そんな風にバリエーション豊かで大冒険のトレイルです。

人力のロープウェイで移動することも。気分は探検家

篤史 そしてPNTは実はPCTとCDTのトレイルにも繋がっているんですよ。他のトレイルはアメリカを縦断するんですが、PNTは横断するのでふたつのトレイルと交差するんです。そしてCDTはスタート地点が一緒。

美帆 PCTと同じトレイルを歩いている時はすごくトレイルがきれいでびっくりしました。でも、PCTとコースが分かれた途端に倒木や整備されていないトレイルが始まって、「やっぱりPNTはこれだなぁ」と思っちゃいました。

PCTと分かれた直後の写真。朽ち果てた木道の先にはPNTらしい多くの倒木が待ち受けていた

篤史 PNTってまだ歴史が浅いし、人が全然歩いていないんです。PCTは歴史も長くて、人がたくさん歩いてるからトレイルが整備されていて…。「これはもうみんな歩きたくなるな」って思いました。PNTは整備されていないというよりかは、整備が追いついていないような状況なんです。毎年のように山火事は起きますし、ほとんど山間部なので倒木が多い。そのぶん、野性的な自然そのもののトレイルを楽しめるのがPNTの醍醐味のひとつなんです。

美帆 「アメリカでいちばんワイルドなトレイル」とも言われているよね。あそこまでワイルドとは思わなかったけど。

篤史 まさしくウィルダネス! そして「孤独なトレイル」とも言われています。歩いている間は人に全く会いませんでした。動物と遭遇した回数の方が多いですね。PCTは2021年に7200人が歩いたみたいですが、2022年のPNTは約70人。スルーハイク(注:ロングディスタンストレイルを一気踏破すること)した人はもっと少ないと思います。

美帆 さっきもお話ししたとおり、PCTと同じトレイルになる箇所があったんですが、そのときは1日に30人ものPCTハイカーに会ったんです。私たちは76日間PNTを歩いたんですけど、PNTハイカーには15人しか会いませんでした。一緒にご飯を食べたのは8人、一緒に歩いたのは5人。少ない人数の分、ひとつひとつの出会いが濃くてみんなとの思い出があります。1週間ハイカーに会わないときもあって。けど、その孤独が楽しいんですよ。

絶景の尾根も常に貸切状態

美帆 手付かずの大自然の中に私たちと動物しかいないあの感覚。最初は少し怖かったけど、歩いているうちに私たちも自然の一部なんだと強く感じるようになってからは、いちばん安心できる場所になりました。

山あり海あり道がない

美帆 PNTはほとんど山の中を歩きます。おかげで足はぼろぼろになりました。累積標高は合計62,484メートル。エベレストを8回以上登頂した標高だったようです。スタート地点のグレイシャー国立公園から最後まで景色はとてもきれいでした。

篤史 雪が残ってる時期に歩き始めたので、最初のうちはチェーンスパイクをつけて歩きました。雪解けの時期に重なって虫が大量発生していたので、休憩中も常に歩き回っていましたね。

スタート直後のグレイシャー国立公園。この直後にグリズリーと遭遇して震えあがった

美帆 手付かずの自然が残った山が多いので、整備された登山道がある山とはまた違った魅力があります。歩いた山の中では、PNTを歩く前にここでトレイル整備のボランティアをしたパセイトン・ウィルダネスがいちばん好きかな。このエリアはトレイルヘッドから3日間かかるようなところで、まさしく秘境の地でした。

篤史 思い出の場所やね。またこのパセイトン・ウィルダネスでは電動または車輪付きの機器の進入が許可されていないので、ありのままの自然が残っていて、トレイル整備でもチェーンソーが使えず、人力で行うんです。ヘリでの物資補給も禁止されているので馬を使ってベースキャンプまで運びます。山火事が起きても人工的な消火は行わず、雨が降って自然に消えるのを待つんです。でも、そのおかげできれいな自然が残っていて、僕たちは夜に遠吠えしか聞こえませんでしたが、運が良ければオオカミにも会えます。

トレイル整備の様子。クロスソーという大型のノコギリを使って倒木を切断する。この木を切るのに2時間かかった

パセイトン・ウィルダネス ふたりにとって特別な場所になった

美帆 PNTの次の特徴は海です。アメリカのロングトレイルで唯一のビーチセクションがあるんですよ。潮見表を見ながら計画を立てることはとても苦労しました。私たちは海のない栃木県に住んでいるので潮見表なんて見るのは初めてだったし。潮が高くて歩けなくて街に4日滞在することもありました。

篤史 干潮時を狙って歩くので、夜中の3時くらいに歩いたこともありました。ナイトハイクは初めてだったし、ブラックベアーが沢山生息しているエリアだったのでかなりドキドキでした。けど時間帯がよければ、きれいな景色に出会えるんですよ。

オリンピック国立公園の早朝のビーチ。少し怖かったナイトハイクのご褒美となった

美帆 この写真、ウユニ塩湖みたいだよね。ここはきれいだったんですが、崖を登ったり滑りやすい岩場もあったりして、ゴールのケープアラバまで気を抜けなくて。

篤史 暗いなか滑りやすい岩場を歩くのはリスクだったので思い切って海の中を歩いたこともあったね。波の音しか聞こえない真夜中に海を歩いて、上を見上げたら満天の星空が広がっていて。地球上に僕らしかいないんじゃないかって思いました。

美帆 篤史さんはロマンチストです。

篤史 その通り。ナイトハイクが終わった後はビーチで昼寝も気持ちよかったですね。

一緒に歩いていたショウコ。波の音を聴きながら眠りに落ちた

美帆 野生のアシカを初めて見ました。水面から顔を出していて可愛かったです。ラッコに会えなかったのは残念でしたけど。

篤史 僕はラッコ見たんですが美帆さんが信じてくれないんですよ。

美帆 あれは木だと思うな~。そしてPNTは街もきれいでした。北米の田舎の街並みはどこも可愛くて風情がありました。

篤史 200年前ぐらいの歴史的な建物が残っている港街の路上でバイオリンを演奏している人がいて、その先に見える海にはヨットが沢山並んでいたんです。映画みたいなシチュエーションでした。

ポート・タウンセントの街並み。PNTのトレイルタウンは観光地が多い

美帆 基本的に田舎町なのでごはん屋さんも、目新しい料理じゃなくてトラディショナルな料理が多かったです。アメリカのイメージ通りの大きいパンケーキ、目玉焼き、カリカリなベーコンが出てきますね。朝ごはんはふたりでどれくらい使ってたっけ?

篤史 大体40ドル以上は使ってたやんね。日本円でいうと5000円くらい…円安の影響もすごかったですが、お金のことを考えるのは途中で止めました。

PNTハイカーのステディ。大好きなブルーベリーパンケーキと山もりのベーコンにご満悦

美帆 ちなみに他のハイカーとはあまりご飯を一緒に食べられなかったよね。街で一緒に食べたのは8人くらいでした。そもそも出会ったハイカーが15人しかいないので。

篤史 おすすめのアメリカ料理とかビールを教えてくれたよね。街には必ずと言っていいほどブルワリーがあってそこで飲むクラフトビールはおいしかったです。

美帆 ブルワリーでおじいちゃんおばあちゃんのご夫婦達が生演奏に身を任せて突然踊りだしたのはびっくりしたね。

篤史 曲調がムーディーなものに変わった瞬間にすっと立ち上がって踊りだしたんです。お互い抱き合ってゆっくりと揺れていましたね。

美帆 北米らしいゆったりとした雰囲気がなんだか落ち着いたなぁ。

オーロビルのブルワリーでの写真。僕たちは恥ずかしくて踊れなかった

篤史 トレイルタウンの人々もPNTのこと知っている人は少なかったです。他のトレイルでよくあるトレイルマジックや、ハイカーはビール無料なんてことはありません。けどハイカーとしてではなくひとりの人間として僕たちを多くの人が助けてくれました。

美帆 通りすがりのクルマに乗ったおじいちゃんとおばあちゃんがキンキンに冷えた水をくれたり、ネイティブアメリカンのハンターに自家製のスモークサーモンなどの食料をもらったこともありました。

歩き始めて50日目に起きたサプライズ。久しぶりの炭酸に喉が飛びそうになった

篤史 そしてPNTの名物といえばはなんと言ってもトレイルがないこと。アメリカのロングトレイルでブッシュワックがあるのはPNTだけなんです。今後整備が進んでいけば将来的にブッシュワックも無くなるようなので、いま歩けてよかったなぁと思いました。

美帆 まさしく大冒険だったよね。周りに誰もいないけど、動物の気配だけは確かに感じるんです。なのでずっと声を出していました。8時間ブッシュワックして、やっと道に出た時の感動はすごかったです。遭難から助かったみたいな。

約800mを下る8kmの道のりで8時間もかかった。足元が見えず何度も転んだ

篤史 道が全然ないんですよ。歩いている人が少ないから踏み跡もほとんど無くて。しかも薮の植物も枝が硬くて、あたるとすごく痛いんですよ。僕は脛が血だらけになって靴はぼろぼろになりました。

美帆 他のハイカーに「ブッシュワックするときはアニマル(動物)じゃなくてビースト(野獣)になるんだ!」と言われましたね。まさしくその通りだなと思いました。大自然で遊ぶ貴重な経験だったけど、トレイルのありがたさが身に沁みました。

篤史 そして、PNTの象徴である倒木。

この光景を見たときは、ふたりして思わず笑ってしまった

美帆 (写真を見せながら)これもトレイルです。10kg以上のザックを背負って倒木を越えるのってかなり大変なんです。膝への負担は大きいし、越える時に枝がないか確認しないと切り傷を負ってしまいます。歩ける場所を探していたら、本来のルートからどんどん外れていっちゃうんで、それもすごい大変でした。

篤史 けど倒木があるってことは山にとっては当たり前のことで、僕たちは本来のありのままの姿の山を歩けたことを嬉しく思っています。当時はヒーヒー言ってたけど。

美帆 はい、もう無我夢中で歩きました。けどこれこそがPNTっていう感じがしますね。

この写真を見てワクワクした人は是非PNTを歩いてほしい

ウルトラ快適ハイキング

篤史 次にギア選びについてお話ししていきたいんですが、僕たちは快適性を最優先でギアを選んでいきました。快適は正義!

美帆 私たちにとっての「快適」とは、心と体が心地よいことです。軽ければ良いってわけでもないし、機能が沢山あれば良いってわけでもありませんでした。

篤史 心の心地よさとは安心感、ストレスフリー、自然との一体感、あとは気分が上がることですね。気分が上がるって大事。

鹿の角で作られたホイッスル。重いけどお守り的な存在だったし、デザインのおかげで気分も上がった

美帆 体の心地よさは使いやすい、用途がシンプル、安全、寒くない。私たちは寒がりなのでスリーピングマットとシュラフは雪山行くの? ってくらい暖かいものをチョイスしました。

篤史 どの状態が自分にとって心地良いか、快適に歩けるかっていうのを理解しておかないと、なかなかギア選びって難しいかなと思います。

美帆 ハイキングそのものも楽しめなくなっちゃいます。自分がどこまでだったら挑戦できるか、どこまでだったら心地いいなっていうラインをしっかり理解した上で、ギアの選択をしていく。軽いものを選択するのも大事ですが、どうしたら自分が快適に歩けるかを意識して選択したほうが、より自然を楽しめると思うんです。

自己理解は自分の命を守ることにも繋がる

篤史 あと重量と快適性と自然との一体感の関係って人それぞれで、重くても自然との一体感を感じられる人もいるし、物が少なくても快適な人もいます。別にベースウェイト4.5kg以下を目指す競技ではないし、軽ければかっこいい世界でもありません。ギアを選ぶことと自分を知ることは同じくらい大事です。自分にとってのちょうどよいバランスを見つけて歩けたらハッピーだと思うんです。

美帆 私たちは必要最低限の装備を持っているぐらいが本当に快適でした。経験値が低いので物が無さすぎると不安になっちゃうし。けど物が多すぎると複雑で選択肢も無駄に増えて時間もかかるんです。

山と道のMinimalist Padをタオルとして使用。テント内の結露を拭くのに活躍した

衣類は全て乾燥機対応。メンテナンスも楽な方がよい

篤史 こんなこと偉そうに言ってますが、すいません。PNTを歩いた時はベースウェイト4.5kgを切れませんでした。

美帆 けど、実際に歩いて自分がいちばん心地よいと思えるバランスを楽しめたからそれでいいよね。

「あると便利な道具」と「必須な道具」

篤史 僕たちが共有したギアはテントだけでした。クッカーとバーナーとガス缶、エマージェンシーセットもそれぞれ持ちました。もちろん共有することでひとり分削る事も可能で、大体300gぐらい軽量化できます。けど300g削るよりパートナーの命の方が大事だと僕たちは判断しました。
 
美帆 というのもPNTでは、エスケープルートがほとんどないエリアもあったりするんです。もし篤史さんに怪我などのアクシデントが起きたら、篤史さんを置いて自分だけ町に下りて助けを呼ばなくちゃいけないときもあります。それは当日行けるとは限らないし、2日以上かかるかもしれません。はぐれて遭難する可能性もあります。そうなったときはふたりともクッカーやエマージェンシーキットが必要になってきます。

膝のテーピング中。日本でテーピングの方法を何度か練習してから出発した

篤史 実際にエマージェンシーキットはそれぞれが持っていて良かった場面があったんです。トレイルを歩いてたら、後ろで美帆さんが「ポイズン、ポイズン!」って叫んで、ハチに刺されていたんです。

美帆 生まれて初めて蜂に刺されちゃって。必死にポイズンリムーバーを要求しました。

篤史 そのとき自分でエマージェンシーキットの場所を把握していたからすぐ出せたんですけど、それがもし美帆さんのザックに入っていたら場所はわからないし、本人も動揺していたので即座に対応できなかったと思います。これは本当に準備していてよかったなと思いました。あとポイズンリムーバーは1回練習したほうがいいと思いますね。

美帆 案外難しかった?

篤史 難しかった。不器用なだけかもしれんけど…1回目は全然違うところにしちゃったし。2回目でようやく吸い出せて、透明なのが出てきたよね。

美帆 結構入ってるだけで、使ったことないっていうのはあるよね。ソーイングセットとか。

篤史 持っていくなら、使えるものを持っていかないと意味がないと痛感しましたね。

アメリカではデンタルフロスで服を修理するハイカーが多かった

篤史 歩いていく中でギアを変えたり、手放したりしました。出発前は完璧なギアリストだと思っていたのが恥ずかしいわ…。現地の環境を把握できていなかったので、歩いて気付くことは多かった。

美帆 私はベースウェイト5.3kgから、歩いているうちに4.9キロで、篤史さんは7.3キロから6.6kg。カメラを抜いたら5kgくらいです。

トレイルをスタートした時の写真。他のハイカーよりザックが大きかった

篤史 歩くたびにシンプルになっていきました。まず最初に手放したのは傘。写真でザックにさしてる銀色の傘、あるじゃないですか。

美帆 いかにもロングトレイルっぽいなと思って持っていったんですけど全然使わなくて。持ちながら登ると、結構遅くなっちゃうんです。雨もよく降る環境なのでレインジャケットとレインパンツに着替えちゃったほうが動きやすいし濡れないんです。

雨が降ったらレインウェアを着ればいいのだ

篤史 砂漠を越えるセクションのあるPCTだったら日傘として使うと思うんですけど、PNTでは要らなかった。トレイルによって使い分けが必要だなと感じました。

美帆 そうだよね。あとは2Lのウォーターコンテナも歩きながらだと飲みにくいから全てペットボトルにしました。破れた場合も、2Lのウォーターコンテナだとどうしようもないけど、ペットボトルの2本のうち1本だけ壊れてももう1本あるんでなんとかなるんです。リスクヘッジにもなりました。

篤史 どっちかっていうとこの道具たちは僕たちとPNTのシチュエーションでは、あると便利な道具であって、必須な道具じゃなかったんです。なのであると便利な道具はどんどん捨てて、必須な道具だけを持ち歩くようになっていきました。

完全防水のションピングバッグは、水を汲めたり、薪を集めたり、買い物袋やスタッフサックとしても使用していた。便利から必須に変わったギア

美帆 あとは、替えたギアもありました。折り畳みのスポークです。底の深いアメリカのトレイルフードを食べるには長さが足りなかったし、ご飯を食べるときも折り畳み部分で結構ぱきぱき折れちゃうんで、かなりストレスだったんですよ。それが1カ月続いて限界が来ました。ふたりして「もう無理ー!」って。

数種類のお菓子を混ぜた新井家特製のピーナッツバター。折り畳みスポークでピーナッツバターは食べられない

篤史 それでロングハンドルスポークに変えたんです。複雑なパーツもないので汚れも落ちやすいし、壊れる心配もほとんどない。そして食べやすくなることって精神衛生上かなり大事です。

美帆 1日歩いた貴重なご褒美の時間だからリラックスしたいんです。

貴重なサーモンベリー。食べ物は身体も心も休まる

篤史 折り畳みを選択した理由はコンパクトでスタッキングしやすかったから。いま考えるとしょうもない理由だなって…。そもそもなんでスタッキングにあんなにこだわってたんだろう。スタッキングするためのギア選びになっていましたね。

美帆 1泊2日で持っていくぐらいならいいけど、ロングトレイルでは快適性が大切だね。

篤史 けど日本に帰ってきたら、スタッキングで遊んでます。あの小さいスペースには無限の宇宙が広がっているんですよ…。

瞑想的ウォーカーは考える

篤史 ロングトレイルでの毎日はとてもシンプルで、いかにそれまでの生活が複雑だったかを思い知らされました。

美帆 日本に帰ってきてから普通のことも大変なんだなって痛感しました。ロングトレイルでは日が昇ったら起きて、歩いて、休憩して、日が暮れそうになったらテントを張って、日が暮れたら寝るっていうシンプルな行為の繰り返しだったので。

篤史 行動もシンプルでしたし、身の回りの物もシンプルでした。便利なものがある生活じゃなくて、必須なものしかない生活っていうのがすごく心地よかったですね。

ロングトレイルで心も軽くできた

美帆 頭の中はクリアな状態だったし、歩いている時はかなり没入感がありました。「歩行瞑想」っていえばいいのかな。

篤史 ロングトレイルを歩いていて、そういった感覚になるのって個人的な感想だけじゃなくて、科学的な根拠もあるんです。2冊の本を参考にして僕たちなりに考えてみました。

美帆 グレッグ・マキューン氏の著書『エッセンシャル思考』とアウトプット大全でも有名な樺沢紫苑氏の著書『精神科医が見つけた 3つの幸福』にロングトレイルの楽しさを説明できるヒントがありました。

篤史 人間って、1日に決断できる回数が決まっているんです。服を決めたり、ご飯の献立を考えることも、決断のひとつ。そういった小さい決断が積み重なっていくと、大事な決断をするときに判断力が鈍ってしまう。実はそういった決断だけじゃなくて、視界に入るものの多さや情報の多さだけでも脳と心は疲れちゃうんです。

美帆 ロングトレイルはやることが少ないですよね。そしてULは物が少ないんです。両方ともシンプル。そうすると迷いと情報が減って、今に集中できる環境になります。そしたら良い決断ができて、ベストな優先順位をつけられるようになるんです。トレイル中はあんまり悩むことはなかったよね。

篤史 決断が早いことはもちろん、問題を抱えても解決するのが早かったですね。あとこれは人生においても大事なことで、優先順位をつけやすくなると、何が自分たちにとって大事なのか、何が大事じゃないのかも分かりやすくなる。

美帆 そうすると雑念とか身の回りのものが少なくなるんで大切なことに向き合う時間が増えて、今ある幸せに気付きやすくなるし、大切にすることができるんです。

レストランでの決断はいつまでたっても時間がかかった

美帆 けど必ずしもロングトレイルを歩いてULを実践しなくちゃ、大事なことに気付けないっていうことではないんです。あくまでこのふたつは気付きやすくなるきっかけや手段のうちのひとつで、日常生活はちょっと複雑で気付きづらいだけだと思います。

篤史 僕のような無職がこんなこと言ってますが、この事は本にも書いてあるから安心してほしいですし、気になる方は本を読んでみて下さい。ロングトレイルとULハイキングの楽しさを心と身体で感じることも楽しいですが、頭で理解するのも案外楽しいです。

ここは気を抜いて読んでください

篤史 ド文系の僕が脳科学の話をしてもよろしいでしょうか?

美帆 日本文学を専攻してたよね。ちょっと不安ですがどうぞ。

篤史 トレイルを歩いているときにみなさん「なんだか気持ちいいなぁ」と思うことがあると思うんです。あの感覚ってパワースポットとかスピリチュアルなことが起きてるんじゃなくて、科学的なことが起きているんです。それは脳内物質の放出です。自然の中にいてハイキングをしている時に、心身共に健康であるためにいちばん重要なセロトニンという幸せホルモンが出ているんです。

美帆 セロトニンは人が感じる幸せの土台とも言われていて、心と身体の健康に結びついているよね。他にも他者との繋がりや愛と結びつくオキシトシン、お金や成功などと結びつくドーパミンがあります。どれも必要な脳内物質ですがバランスが大事です。心と身体の健康に結びつくセロトニン的幸福が十分でなければ、他の幸福がいくらあっても足りなくなってしまうんです。

篤史 図の通りこのバランスが大事です。そしてこのバランス通りに幸せを感じることができるのがロングトレイルなんです。自然のなかにいることと歩く事はセロトニン的幸福を与えてくれます。人との出会いやパートナーの存在はオキシトシン的幸福を。その日の目標地点まで行けたことや、ゴールまで踏破できたことはドーパミン。しっかりバランス良く得られるんですよ。

美帆 気温差で体調が悪くなることはあったけど、身体がだるいとかそういったことはなかったよね。篤史さんは身体が弱くて1ヶ月の内、半分は微熱が出てるけどほとんど元気だったし。元気過ぎるくらいだったけど。

おかげさまで美帆さんに鬱陶しがられるくらい元気だった

篤史 ロングトレイルに行こうって決めた理由のひとつは、日本でハイキングしていた時にとても体調が良かったからなんです。そしてロングトレイル中は今までにないくらい体調は絶好調でした。もちろん歩くのは大変なんですが。休憩中のアーシング(注:裸足になって大地に触れること)とか他にも要因はあると思うんですけど、セロトニンの影響がいちばん大きいと感じています。健康を感じられる幸せは人生においてもとても重要だと思います。

美帆 健康あってなんぼだね。トレイルで出会ったハイカーもみんな明るかったね。けど別にロングトレイルじゃなくても良いと思います。日帰りの登山やお散歩、自然の中にいられれば十分効果は感じられます。

篤史 僕たち人間も地球の豊かな自然に生息してるただの生物だから自然とは切っても切れない関係だなと実感できました。

MUCH LOVE‼︎

美帆 そろそろ愛の話をしなきゃ。けどその前に私たちに愛をくれたみんなのことを紹介したい!

篤史 これが僕たちのロングトレイルの肝と言っても過言ではないね。PNTは孤独なトレイルと言われていてトレイルを歩いているときはほとんど人に会わないけど、出会ったみんなからは愛をたくさんもらって、たくさん支えてもらったね。(お世話になった方々の写真を見せながら)こうして紹介してても泣いちゃいそう。

ふたりが出会った人々

PNTA(PNTを管理する団体)理事長のジェフ。彼のネット記事を読んでPNTを歩くことを決めた

トレイルエンジェル宅にて美帆さんのサプライズ誕生日パーティー。ありがとうママウォーカー

ボランティアを一緒に行った2021年のPNTハイカーのジョンとサラ。結婚記念日も同じで兄弟のような存在。3日間かけてスタート地点まで送ってくれた。歩き始める時「PNTのバトンを渡すよ。また次のハイカーに繋げてほしい!」と言われ、泣きながらはじめの一歩を踏み出した

七福神に新加入できそうな優しい笑顔! 僕らと同じ2022年のPNTハイカー、カズマさんとは一生の付き合いになると思う

「これがハイカーウォッシュだ!!」と池に飛び込むステディ

パートナーからのメッセージが書かれたメイルドロップを手に嬉しそうなPNTハイカーのショウコ

SNSを通じて僕たちをサポートしてくれたヤンさん。今は日本人向けのPNTのwikiを一緒に作っている

今回の鎌倉でのトークイベントの翌日にトランジットで1日だけ来日したPNTハイカーのスイートショップと再会

PNTのトレイルクルーとボランティアのみんな。5日間一緒にトレイル整備をした1ヶ月後、彼らの努力と優しさが詰まったトレイルを僕たちは歩いた。

美帆 私たちに出会ってくれた人たちはみんな無償の愛をくれたんです。無償って「無料」って意味ではなくて、見返りを全く求めないんです。3つの州を歩いたんですが、それぞれの州でそこに住む人たちの雰囲気も若干変わってきます。けどみんな同じ考えを持っていました。

篤史 一般的には泊まらせてくれたりお世話をしてくれたトレイルエンジェルには、お礼を渡すのが普通だって聞いたんです。あとはトレイルエンジェルの家にそういったお金を入れるボックスがあるとも聞きました。僕たちもトレイルエンジェルに限らずヒッチハイクや街で助けてくれた人にお礼を渡そうとしました。けどほとんどの人がそれを断ったんです。

美帆 気づかれないようにお世話になったトレイルエンジェルの家に手紙と一緒にお礼を置いていったこともありました。そしたらそのトレイルエンジェルから私たちがこれから行く街に、そのお金を使って食料を送ってくれたこともありました。

1泊させてくれたトレイルエンジェルのロジャー。お礼を受け取ってくれなかったが…

篤史 (写真を見せながら)このロジャーさんは、僕たちがお礼を渡そうとしたらこう言ったんです。「いらないよ。私たちはこのお金をもらうためにやってるんじゃない」「そのお金をどうしても使いたいんだったら、あなたたちが出会うこれから困ってる人にこのお金を使ってくれ」その優しさに胸がいっぱいになりました。

高潮で歩けなくなった僕たちを4日間滞在させてくれたダンとリズ。長期間の滞在も”wellcome!”と笑顔で僕らを迎えてくれた。

美帆 日本ってお返しの文化みたいなのがあるじゃないですか。結婚、出産、快気祝いのお返しとか。それが悪いことじゃないとは思っています。けど彼らは「私にやるんだったら他の人に与えてあげて」っていう気持ちがあって、少し日本とは違う考え方でした。その考え方はとてもあたたかいと思います。

篤史 みんな同じことを言っていたやんね。そして僕たちを助けてくれたみんなに「なぜあなたは助けてくれるの?」と同じ質問をしました。そうするとみんなは「今までたくさんの人たちが私たちのことを助けてくれた。今は私たちが誰かを助けられるようになった。だから今あなたたちを助けている。」「あなたたちも助けられるようになったら、誰かを助けてあげて。それが続けばきっと世界は優しくなれる。」と言いました。自分に見返りを求める行為や身を削った自己犠牲ではなくて、他の人に繋げていこうとする愛を感じました。そして優しさで世界が変わると彼らは信じていて、そのピュアな気持ちが僕も好きです。

2021年からトレイルエンジェルを始めたキャシーとスコット。「今は私たちが誰かを助ける番」と言っていた。

美帆 本当にみんな同じことを言っていてびっくりしたね。あともうひとつはこれね。「I Love human!」人間が全部いいところだけじゃないってわかっていながらも人を愛しているっていう考えをもてるのがすごい。きっと今まで沢山の人と良い出会いがあったんだなぁと思います。

篤史 自分が誰かに優しくすることで、優しさが繋がっていって、世界が優しくなれるっていうふうに信じている人たちに出会えて僕たちは本当に幸せでした。

ふたり遊歩物語

美帆 もちろん穏やかじゃないこともあったよね。

篤史 お互い自分を解放しすぎた。

美帆 カップルでロングトレイルを歩くとどうなるかというと、ありのままの自分がお互い爆発します。具体的なエピソードは後ほど…。

篤史 自然の中で過ごすんで解放されるんですよ。素が。

美帆 ありのままの自分が解放されたのはPNT独特の整備されすぎていない自然、人に会わない毎日、研ぎ澄まされる野性本能といった環境的な理由がありました。あともうひとつは心身共に健康で歩くことに没頭できた、自分たちの健康状態のおかげです。

篤史 人がいないと気を使わなくていいし…もちろん美帆さんには最低限の気を使っていましたよ。僕は普段からそんなに自分を抑え込むタイプではないんですが、我慢しなくていい環境だったので、己を全解放でしたね。あとは毎日極限状態だったんで、自分を隠す余裕がなかった。

1本のエナジーバーをめぐって喧嘩することも

美帆 自然体でいられるんです、とっても。今ももちろん自然体でいられるし、ロングトレイルを歩く前も自然体でいられたと思うんですけど、まだもっと自由になれるんだみたいなことが結構ありました。篤史さんのこともだけど、自分のこともよく知れたのもよかったかな。

篤史 考えられる時間もたくさんあって、話し合える時間もたくさんあったからお互いのことが良く知れました。そうすると自分の嫌いなところとか、相手と合わないところが露骨に見えてくるんです。

美帆 そもそも性格は真逆だしね。篤史さんは信じられないくらい楽観的だし。私はしっかり足元を見る慎重派。足元見すぎて何回か目の前の木にぶつかりそうになったこともあったけど。

性格は真逆だけどそのでこぼこが良いのだ

篤史 けど自分の嫌なところや美帆さんと合わない部分が全く苦にならなかった。僕の個性やし、美帆さんも個性があるし。「ふたりでいれば何とかいい感じになるでしょ」ってくらいに考えられました。自然に対しても最初は恐怖心みたいのがあったけど、だんだん自分も地球にいる自然の一部だと思えてきて、受け入れられるようになってきました。

美帆 受け入れられることが多いと心がとても穏やかな状態でいられるんです。ゆとりがあるというか。毎日へとへとだったけどすごく楽しかった。そんな時間をパートナーと過ごせてよかったです。

篤史 ちなみに美帆さんが爆発したエピソードやけど。

美帆さんが爆発した翌日。何だか距離を感じる…

美帆 私がいちばんしんどいときがあって、メンタルと体力が本当に駄目だったね。

篤史 1カ月ぐらい歩いたとき。僕は坂が続くようなきつい場面では結構アドレナリンが出ちゃって、絶叫したり笑いながら歩いちゃうタイプなんです。

美帆 怖いね(笑)。

篤史 美帆さんがしんどいんやろうなってわかってたから「行くぞー!」みたいなことを言ってたんですけど、全然美帆さんが返事してくれなくて。それで「しんどいのはわかるけど、もうちょっと元気だしていこうよ」って言ったんです。そしたら美帆さんが「あー! もう! ちょっと待って! そうじゃない!」って大激怒。

美帆 私は極限にしんどい時はどうやら自分の殻に閉じこもって、自分以外をシャットアウトして、自分で何とか持ちこたえようとするみたいなんです。けどそこに篤史さんがずかずかと入ってきて(笑)

篤史 「美帆さんってめちゃくちゃしんどい時こうなるんや! 初めてめちゃくちゃ怒った顔見た!」って、今まで知らない美帆さんの一面が見れたことに嬉しくなって、意識はしてなかったんですけど、そこで僕がにやにやしてたみたいなんです。

美帆 それを見てさらに怒りました。「あのさ、何笑ってるの!」って言っちゃいました。

これくらいニヤついていたかもしれない

篤史 素直に「ごめん」って言いました。けど歩き終わったら、ハグは必ずするし、ふたりでいられる時間は嫌でもあったから話し合いもできたんで、何だかんだ解決できました。朝、歩き始めるときにふたりでこぶしを作って、コツって合わせるんです。そうすると前日喧嘩してても、またふたりで今日も歩くぞ!って切り替えられる。必ずやるって決めたことではないんですけど、いつの間にかルーティンみたいになってましたね。

美帆 あの時は篤史さんに出会ってからいちばん怒ったかも。けど今となってはいい思い出だよ。ふたりで歩くのは幸せなことも多いけど結構大変。

篤史 大変でした。体力の差があるんで、歩くペースと休憩のタイミングを合わせることが大変でしたね。あとは、僕たちも歩いてみて気付いちゃったことがあるんですけど、ロングトレイルへのモチベーション、目標が違ってました。

美帆 私は行けるとこまで行ければいいと思ってました。それが挑戦だったし、それが楽しいんじゃないって思ってたんです。けど篤史さんは最後まで歩き切りたいっていう思いが強かった。

篤史 スルーハイキングは憧れでもありましたし、ちょっと使命感もありました。日本人は初めてだから、最後まで歩いて来年以降PNTを歩く人に少しでも情報を持って帰りたいみたいな思いがあって。

美帆 雪が降り始めて歩けなくなる9月末までに歩ききらなくちゃいけなくて焦りもあったんだよね。

篤史 うん。それで足が痛い美帆さんを無理させたことがあったんです。「僕が食料を担ぐからもうちょっと先に行こう!」とか「ペースを落としていいからここまで行こう!」とか。何度か美帆さんが今日はここで歩くのをやめたい、もう歩けないってサインを出していたのはわかっていたんですが、気付かないふりをしたときもありました。

美帆さんが本当は泊まりたかった場所。死ぬまでにここで一度はキャンプしたいと決めている

美帆 けど私に限界が来ちゃって一歩も歩けないときが来たんです。そのときにふたりで初めて、お互いのロングトレイルへの気持ちとか、これからどうしていきたいかを考えたんです。

篤史 今思えば本当に情けない話で、楽しむために来たのにゴールに気を取られすぎて本末転倒みたいな。「なんで歩きに来たんだっけ?」って、お互いの気持ちを改めて確認できてよかったです。

美帆 その時に出発前にハイカーズデポの土屋智哉さんがかけてくれた言葉を思い出したんです。「楽しいと思う方を選んで歩きなさい」。すごいシンプルな考えで、ふたりでその気持ちを忘れていたことに気付きました。

土屋さんと。あの言葉がなかったら僕たちはリタイアしていたかもしれない

篤史 その気持ちを大事にしてこの旅のテーマを決めようってなったんです。いろいろ考えたんですけど、結局ずっと答えは出なくて。

美帆 けど歩ききったときに、ぱっと出たのが、「よく遊んだね」っていう言葉が出てきたんです。「そうだった、私たちは遊びに来てたんだ」って気付いたんです。

篤史 その純粋な気持ちに最後の最後で気付けて本当に良かったと思います。じゃあ、このロングトレイルの題名は何って言われたら結局分からなかったんですけど、その「よく遊んだね」っていうのが、本当に自然体で僕たちにはぴったりだった。

ゴールのケープアラバ。感傷に浸りながら海を眺めていたら、修学旅行の学生たちが来て賑やかな感じになった。僕たちらしい旅の終わりとなった

美帆 心の赴くままに前に進んできたから思えたことであって、しがらみとか変なプライドとかがあったら、もしかしたら私たちはそういった思いを、最後に抱かなかったかもしれない。

篤史 PNTの野性的なトレイルのおかげもあるけど、PNTを歩くと決めてから出会ったみんなのおかげで、ピュアな気持ちでトレイルを楽しめたんだと思います。僕たちは本当に自然体で「よく遊んだね」という言葉が最後に出ました。これはさっき言ったとおり日常生活も一緒で、自分の心の赴くままに進んでいけば、きっとハッピーな結果が得られるんじゃないかと思っています。

美帆 なるべく自然体でいられるような環境をつくっていきたいし、優しい気持ちで周りの人も受け入れられるふたりでありたいです。

篤史 僕はそんなことを考えてから、帰国した2ヶ月ぐらいたっても無職を続けてるっていう…心の赴くままにこれからも自由に人生を遊んでいければハッピーやなぁと思います。

GUEST SEMINAR後は近隣の材木座海岸に移動し、参加者の皆さんと共に焚き火を囲んで交流会を行った。 写真提供:角田裕子

新井篤史 新井美帆

新井篤史 新井美帆

2019年に本格的に2人で登山を始める。ULカルチャーに触れる中で得た気づきがきっかけで仕事を辞めてロングトレイルを歩くことを決意。2022年に『Pacific Northwest Trail(PNT)』のトレイルボランティアに参加後、同トレイルを日本人夫婦で初めてスルーハイキングをした。PNTとロングトレイルの魅力を伝えるため、PNTのwikiサイト作成、イベントやSNSでの情報発信を行う。美帆はフリーの看護師、篤史は無職。現在は宇都宮市に住んでいるが、より自然が多い場所に移住することを検討中。