アメリカの3大トレイルを踏破したトリプルクラウン・ハイカーにして、この山と道JOURNALSでも、みちのく潮風トレイルのスルーハイク記や、あまとみトレイル〜信越トレイルのスルーハイク記でもお馴染みの清田勝さんが、新たな旅のレポートを寄稿してくれました。
これまでの彼の旅は、所謂ロングトレイルのスルーハイクと呼ばれるような、ルートが策定されたトレイルを最初から最後まで通して歩くスタイルが中心でしたが、今回はいくつものトレイルや道路を繋ぎ、太平洋から伊豆半島、富士山、南アルプス、八ヶ岳、北アルプスなど本州を横断して日本海まで歩く、23日間の旅を行いました。
「日本にはアメリカのように数百km〜数千kmに及ぶようなロングトレイルがない」と嘆くハイカーもいます。ですが、今回の彼のように1本のトレイルにはこだわらず、時には道路や街に下りながらトレイルとトレイルを繋いで歩くなら、道はどこまでも続いています。長く歩くための選択肢は、実はこの国にも無数にあります。
天候に合わせて計画を柔軟に変えつつ、自分自身でルートを選びながらの旅は、言わば「地図の外側の旅」だったと清田さん。だからこそ「出会いと偶然に身を委ね、それが必然だったことを後から知ることができた」と。
もっとたくさんの彼みたいなハイカーが日本中を、いや世界中をぐるぐると歩き回る未来を、山と道JOURNALSは夢想します!
旅の動機と始まり
「このクルマ、エアコンついてなくてごめんね」
「全然大丈夫っすよ!」
「いや〜この暑さの中、日本海まで歩くのめっちゃ暑そうやな〜」
「確かにロード歩きやばそうですね」
エアコンが壊れた車内には外から吹き込んでくる風がオージさんのキャップを飛ばそうとし、後部座席では友人のヒデちゃんがパソコンをカタカタ叩いている。
僕はふだん関西在住なので、神奈川県に住む『山と道材木座』店長のヒデちゃんの家に前日泊めさせてもらい、同じく『材木座』スタッフのオージさんのクルマで旅のスタート地点となる伊豆半島まで送ってもらっている最中だった。
相模湾沿いに通る西湘バイパスから見える景色は、左手には太平洋がどこまでも広がり、右手にはオージさんがキャップを押さえながらひたすらアクセルを踏み続けてくれている。真夏の太陽は容赦なく僕の左半身に差し込み、ジリジリと焼けるように暑い。
「自分で歩くと言ったものの、この暑さのなか本当に大丈夫なのか?」
そんな不安が心の片隅から消えずにいた。
今までに国内外幾つかのロングトレイルを歩いてきたわけだが、今回の旅はこれまでより距離は短いものの、少し毛色が違ったルートを歩こうとしていた。
そのルートとは、山や道路をつないで太平洋から日本海まで歩くというもの。伊豆半島から伊豆稜線歩道を歩き、ロードを繋いで富士山、南アルプス、八ヶ岳、北アルプスを通って新潟県の日本海までの約600kmのハイキングだ。
地図になんとなく引いたルート
それぞれの山域をどう歩くかは決め過ぎず、毎晩テントの中で地図を広げて決めればいいか、と気楽に考えていた。
この歩き方をしようと思った動機はいくつかあったが、「引かれた線を辿る旅ではなく、自分で線を引く旅をしてみたい」という思いがいちばん大きかったと思う。
ここ数年は、どれも「◯◯トレイル」と名前が付けられ、決められたルートを歩いてばかりだった。それが面白くなかったというわけではない。整備されたトレイルでハイカーたちと出会い、共に旅をする歩き方は僕も結構好きだ。
だが、僕が思う旅とは、本来もっと自由でもっと面倒くさいものなのだ。どこに行くにも何をするにも全て自分の自由で、計画を立てその通り歩いてもいいし、立てた計画を全て無視したっていい。そんな無限にある選択肢からひとつを選ぶ面倒くささが、決められたトレイルを歩いているだけでは感じにくく、「それなら勝手に計画して歩いてみよう!」というのが、今回の旅の動機というわけだ。
ルートに関しては、日本アルプスは何度か歩いたことはあるが2・3泊程度の旅しかしたことがなく、南アルプスと北アルプスは1度しか訪れたことがない。せっかくならとそのあたりを通るルートをざっくりと決め、富士山も10年ぶりに登ってみようか、とおおよそのルートが決まった。
今回の旅に持っていくバックパックは山と道MINI2。地図を広げなんとなく決めたルートを眺めていると、食糧補給の間隔は最長でも北アルプスの4泊。山小屋で食糧を買い足せばMINI2でも可能な気がしてきたのだ。ULハイキングというものがよくわかっていないながらも、僕のハイキングスタイルは独自の進化を見せながら今日までやってきた。今回もひとつ進化のチャンスになりそうだ。
今回の変更点といえば、ガスを使わない前提でスクリュー式のタッパーに、ラーメンやグラノーラを火を使わずに水戻しで調理する「コールドソーク」を食事のメインにし、行動食はナッツ類とプロテインバー。マットをエアマットから山と道UL Pad 15の100cmに切り替え…それぐらいか。
いつもよりほんの少しだけ軽くなったところに、紙地図を4枚詰め込んだ。結局、いつもとそんなに変わってない気がする。ベースウェイトは5kg。まぁこんなもんだろう。食糧・水を入れて8kgには収まった。
いつもとあまり変わらないパッキング
伊豆半島の南東に位置する今井浜海岸に着いたのは2022年8月8日16時25分。海水浴に来ている人々が家路へ着こうとする頃だった。ライフセーバーたちも1日の仕事を終える間際、仕事人の顔から若者の顔に変わり和気藹々としている。
スタート地の今井浜海岸(写真提供:苑田大士)
どこまでも続く太平洋の水平線はオレンジ色に染まり始めていた。
太平洋から日本列島を横断し日本海まで歩く。そんなスタートの景色を見ても、これといった特別な感情は出てこなかった。
それはオージさんとヒデちゃんと一緒にいたことも理由のひとつかもしれないが、それだけではない何かが僕をそうさせていた。自分で道を決めるという旅の仕方がそうさせていたのかもしれないが、日本海にたどり着いた時にはその理由がわかるのかもしれない。
「運転ありがとうございました!」
「じゃあ楽しんでね!」
「また会いましょ〜〜!」
オージさんとヒデちゃんとそんな会話をしハグでお別れ。そしてロードを歩き始める。
さっきまで友達とドライブを楽しんでいた状況から、知らない土地をひとり歩き始める。ここに住む人にとっては日常のありふれた風景。僕にとっては日本海までのスタート地点。同じ風景が広がっていても、見る人によってその風景は捉え方を変える。
「プップーー‼︎」
クラクションを鳴らすと、オージさんとヒデちゃんを乗せたクルマが僕を追い越し走り去って行った。それに応えるように僕は右手を高々と上げピースサインを返した。
その瞬間、僕は旅の中に潜り込んだことを認識した。こうして3週間にわたる日本横断の旅が始まった。
稜線とガスとコガネムシ
伊豆山稜線歩道。この旅をしていなかったら歩くことがなかったかもしれないこのトレイルは、計画時に知人が教えてくれた。
「伊豆半島西部の分水嶺を歩くので、富士山も綺麗に見えて気持ちいいトレイルですよ!」
そう聞いて、富士山を眺めながら歩き、富士山に近づき、富士山を登り、富士山から遠ざかっていく。そんな歩き方ができそうでなんだか旅っぽくていいなと思い、この道に足を踏み入れた。
伊豆山稜線歩道は天城峠から修善寺虹の郷までの42.8km。伊豆半島の南東から北西に向かって時計回りに弧を描くようにトレイルが伸びている。
伊豆山稜線歩道の道標
スタートした今井浜海岸が伊豆半島の東の海とするなら、西側の海も見れそうな場所にトレイルが通っている。
そんな、素晴らしいトレイルが旅のスタートになったことで、起点となる天城峠を歩き始めた頃は足取りも軽く「富士山まだ見えないかな〜?」なんてことを考えながら歩いていたのだが…ちょっと待て! 気づけばもう伊豆稜線トレイルも終盤に差し掛かっているではないか‼︎
伊豆の稜線はどこを歩いてもガッスガス。雨は降っていないとはいえ歩き始めて3日間、太陽の光さえ見ていない。
稜線の上は整備された綺麗なトレイルが続いていた
トレイルの西部分はクルマでもアクセスできることもあって整備が行き届いている。ガスが取れれば富士山の裾野から駿河湾までが一望できる…らしい。
「ロングトレイルで見る景色はおまけみたいなもんだ!」
そんなことを言っていたいつかの僕にひと言いってやりたい! それほどに景色を望んでいる自分がいた。天候ばかりはどうにもできないことは重々承知ではあるが、この時ばかりは悶々とした気分で歩かざるを得なかった。
こんな天候では誰ひとりとして歩いていない。体にまとわりつく湿気が足取りとバックパックを重くした。荷物を下ろし、ラーメンの水戻しを食べている自分が、なんだか惨めに感じてしまう。
コールドソーク(ラーメンの水戻し)
「こんなとこで僕は一体何をしているんだ?」
この感情が早くも出てきやがった。本来、この感情は体ができ上がり頭の中が空っぽになる旅の後半に出てくる。だが、これまでの経験があってか、歩くことにはなんの疲労も感じなくなってしまっていた。
このまま歩き続けていると、2~3時間もすれば稜線歩道が終わってしまいそうだ。思い通りにいかないのが旅なんだよな。と、自分を納得させながらガスの稜線を黙々と歩き続けた。
標高800m付近にはガスがべったりと覆いかぶさる
この向こうに富士山が見えているはずなのに、一向にその気配は感じない。
稜線歩道の近くには西伊豆スカイラインがトレイルと並ぶように通っている。この天気だとドライブに来る人もほとんどいない。湿気で身体中がべたつく中、笹をかき分け歩きながら、時々通るクルマを見て「あの中は濡れなくて快適なんだろうな」と心の中でつぶやいた。
景色が見れないハイキング中には、目線が足元に落ちることがよくある。ふっと目線をおろすとガサゴソと動く虫がいた。オオセンチコガネ。ここ2日ほどは、しゃがみこんでこの虫たちを眺めることが多かった。
2cmほどの色鮮やかなオオセンチコガネ
本当にきれいだなと思う。自然界で生まれてきた色とは思えないメタリックなボディは、湿気のお陰か、心なしかいつもより光沢を増している。
なぜこの色に生まれてきたのだろう? オオセンチコガネを眺めながらいつもそんなことを思っていた。緑の草むらの中でこの配色だとあまりにも狙われやすい。恐らく天敵は鳥たちだろう。
オオセンチコガネは「森の掃除屋」とも言われるほど、ニホンジカやカモシカの糞や、他にも動物の死骸や腐ったキノコを食べて生きている。要するにオオセンチコガネがいるお陰で、その森が「糞だらけにならない」わけだ。
逆を言うと、ニホンジカやカモシカに糞をしてもらわないと、オオセンチコガネは生きていけない。そして、ニホンジカやカモシカが生きるためには、木の実や草が豊富でなければならない。やっぱり自然は常に絶妙なバランスで保たれているんだなと思わせてくれる。
そんな森の掃除屋さんのユニフォームは、色鮮やかでかっこいい方がいい。地面に這いつくばり、オオセンチコガネと同じ目線で僕はそんなことを思った。
そうこうしているうちに、金冠山の麓まで来てしまっていた。駿河湾を一望できる金冠山は伊豆半島北西部にある816mの小高い山で、伊豆稜線トレイルから300mほど外れたところにある。伊豆半島から富士山が見えるとするならここが最後のスポットだろう。
「まぁ、この天気だと、富士山どころか海すらも見えないだろうな」
どうせ何も見えないならと、普段の僕ならわざわざ山頂まで歩かないだろう。でも、富士山が綺麗に見えると言われた伊豆稜線トレイルで一度も富士山を見ていないので、山頂まで300mなら行ってもいいかと思えてきた。
稜線トレイルから少しルートを外れて金冠山のピークに向かった。なだらかな斜面を登ると、ものの数分で山頂らしき場所が見えてきた。
山頂に立ち顔を上げると…
駿河湾と富士山
「おぉ‼︎」
ついつい声に出してしまった。
富士山攻略戦 1戦目
「兄ちゃんいつ出発するん?」
「そやなぁ。明日か明後日かな〜?」
「そうなんや。ほんなら仕事行ってくるわな」
「あ〜い。いってらっしゃ〜い」
8月13日。静岡県三島駅まで歩みを進めていた僕は、一旦トレイルを離れ小田原の弟宅のソファで漫画を読みまくっていた。弟が働きに行く姿を見送ると、再びソファに飛び込み、漫画の続きのページを開く。こうして仕事に行く弟を見送り漫画を読む日々も、今日で3日目を迎えていた。
「天気が悪いから仕方ない。仕方ない。」
そう言い聞かせながらも、本当にこんなことでいいのかと自問自答する自分を見て見ぬふりをするように、次へ次へとページをめくっていた。
本来なら、今日は富士山を歩き終え本栖湖あたりにいたのだろうか。トレイルを離れた理由は台風8号の接近によるものだった。伊豆半島を歩き終え、修善寺から国道136号線を歩いて三島駅まで向かっている最中に、台風の発生を知った。
台風の進路は富士山の上空をがっつり通過するルートを通っていた。雨予報ぐらいなら富士登山を諦めて他のルートを歩く選択肢もあったのだが、さすがに台風となると停滞せざるをえなかった。
迎えた8月14日。台風は太平洋に抜け、ようやく2次元の漫画世界から、3次元のリアルな世界へ戻ることができた。
三島駅前
戻ってきたからといって不安要素が無くなったわけではない。というよりもそもそも富士山をどう歩くかが、今回の太平洋から日本海まで歩くルートの中で最難関だと考えていた。
どこの登り口から入ってどこへ抜けるのか? それがとても悩ましい。富士登山の登り口は4つ。富士宮口・御殿場口・須走口・吉田口だ。
北に位置する山梨側の吉田口へ下山することは確定していた。そして、もうひとつの富士宮口も三島駅からはかなり西に位置することもあって、選択肢に入っていなかった。
残すは、御殿場口か須走口。位置的には御殿場口がいちばん近い。「そこに行けばいいか!」という簡単な話ではない。
御殿場口から登ったとして、もし山頂が悪天候により撤退せざるを得ない状況になってしまうと、来た道を戻らなければならない。そして、御殿場口に戻ったとしてもルートを再設定して歩いていかなければならない。
一方、須走口から登ると、登山口まで距離があるとはいえ、山頂まで行けなかったとしても吉田口ルートと途中で合流しているので、最悪ピークを踏まずに吉田口に降りてしまうことができる。
どうする、まさる‼︎
天気に悩まされっぱなしの旅の序盤。頭で考えても天気がよくなるわけではない。そして、立ち止まっていても何も始まらない。
御殿場口か須走口、どちらとも決め手がないまま三島駅から歩き出すしかなかった。
国道246号線をひたすら北上
空には雲がかかり、海から吹く風が内陸まで届いている。とはいえ8月ど真ん中の気温は、歩くことが嫌になるほど、湿気がまとわりつき蒸し暑い。
三島駅から御殿場登山口までは35km、須走口までは42kmとグーグルマップは表示している。恐らくこの距離は正確なものだ。三島駅を出たのは午前10時。時速4kmで進めると仮定して、御殿場口には午後6時着。須走口には8時30分着…休憩も挟むとするともう少し時間がかかってしまうだろう。
……ちょっと待てよ。富士山といえば…富士の樹海……どちらの道を通っても樹海は避けられないんじゃないか? そんな場所を暗闇の中ひとりで歩くことを考えると結構気が引ける。いや、絶対に歩きたくない。
あれだけ悩んでいたルート選択が、まさかの理由で決まってしまった。僕は距離の短い御殿場口に進路を定め、太陽が沈む前に樹海を抜けることにした。
休憩もろくに取らずに、御殿場口を目指した8時間。クルマなら45分で着いてしまうらしい。僕はその距離を10倍近くの時間かけて歩いたわけだ。自分でやると決めたにもかかわらず、わざわざこんな歩き方をする必要が本当にあるのか? その時の僕は自分に問いかけていた。
三島駅を出発してちょうど8時間後の18時。太陽はまだ地平線よりも少し高い位置にある。なんとか樹海を明るいうちに歩き終え御殿場口までやって来れた。
本来の富士登山はここから始まる。クルマやバスがどれだけ便利なものかということを、この日に登山口に訪れる他の誰よりも知っているのは僕だったに違いない。
御殿場登山口五合目
樹海をクリアした次の問題は、睡眠問題だ。登山口で仮眠しようと考えていたが、24時間検温がされていて、照明がこれでもかというほど照らされている。どう考えても寝れる雰囲気ではない。
このまま登り始めると、コースタイム通り行けば8時間。山頂到着は午前3時頃だろうか。そうなると数時間すれば朝日が上がってきてしまう。となると下山することになるのか。山頂から吉田口まではコースタイムで4時間。そこから寝床に考えている本栖湖まで4時間半……いつ寝ればいいんだ?
今まで長いトレイルを歩いた経験があったとはいえ、寝ずに歩き続けた経験はない。ロングトレイルを歩く上で大切なことは、無理のないペースで歩き続けることだ。歩いて疲労が溜まった体に栄養を与え、しっかりと眠る。超人的な歩き方をしなくとも、普通のことを普通に繰り返していくことが長く歩き続ける秘訣だと思う。
だが、今回の富士山登山はそういうわけにはいかなかった。猛暑の中すでに35km歩いてきた体をベンチに座らせ、目の前の自販機で買ったコーラに口をつけた。
富士山攻略戦 2戦目
もういいや! 登っちゃえ!
色々考えても何も始まらない。それなら早く歩き始めて眠くなってから考えればいい。幸い山頂の天候もそこまで悪くはならなさそうだ。ロードを歩いてきた足もまだまだいけそうな雰囲気。それなら元気なうちに歩き始めよう。
午後7時に御殿場口五合目を出発。
太陽は沈み東の空から夜が広がってくる。暗闇の中ヘッドライトをつけて歩くのは、なんだかいけないことをしているようでワクワクする。
下山してくる登山者のヘッドライトが、遠くの斜面にちらほら見え、振り向くと登り始めた人たちのライトが幾つか見える。登っていくにつれて街の明かりも遠くに見え始め、森林限界も越え見晴らしがいいということもあって、夜歩く怖さといったものは何ひとつ感じない。
それに加え、雲の切れ間から月が顔を覗かせると、ヘッドライトなしでも歩けてしまいそうなぐらい山の斜面は明るい。登っていても少し汗ばむ程度の気温で、時おり優しい風が体を撫でていく、なんとも気持ちいい夜だ。
関東平野の灯と月と後続の登山者のライトが見える
気がつけば、先に登り始めていた登山者を全員追い越して、富士登山ナイトハイクの先頭に立っていた。自分の足は本当によく頑張ってくれている。行き当たりばったりの主人に付き添ってしまったが故、こんなに無茶な使われ方をしている。いつもごめんよ。そう言い聞かすように一歩ずつ斜面を登っていく。
午後10時を回った頃ぐらいから、歩くペースが一気に落ちてきた。疲労感とは違う初めての感覚だ。今朝起きたのは午前7時頃。普通に考えたらそろそろ就寝時間。この感覚は眠気によるものなのだろう。スイッチバックのコーナーをひとつ曲がっては岩に腰をかけ目をつむり、眠りに落ちる前に歩き始める。
そんなことを繰り返していくにつれて、いっそここで寝てしまってもいいんじゃないかと思うほど、ゆらゆらと歩いていた。その足取りは川に浮かぶ流木のように目的地を失っていた。
「一回ぐらい横になってもいいか」
荷物を背負ったままトレイルのど真ん中で仰向けになり、夜空を見上げるようにして全身の力を抜いた。とにかく気持ちいい夜だ。歩き続けていい具合に火照った体に優しい風が撫でていく。もうこのまま立たなくてもいいんじゃないかと思えるほど、睡魔が襲って来る。
いったいどれだけの時間をそうしていたのだろうか。10秒だったのか1分だったのか、はたまた数十分だったのか、その時間を認識することすら面倒臭い。「そのままじゃだめだよ」となんとか自分に言い聞かせ、もう一度全身に力を入れ直した。
山頂らしき場所が見えてきたのは、午前1時を過ぎた頃だった。山頂に着いたとしても、そこで仮眠できるかどうかもわからない。もしかしたらビバーク禁止と書かれた張り紙があったり、腕を組んで睨みを利かしている警備員がいたりするかもしれない。そうなると、どこかの岩陰に座り込んで朝日を待つか、吉田口へ向けて歩き始めるか……そんなことを考えながら、眠気と戦いながらひとつずつスイッチバックを登る。
御殿場登山口の山頂にある鳥居
午前1時30分、山頂の鳥居が見えてきた。三島駅から15時間半。ようやく、富士山の御殿場口の山頂に到着することができた。山頂のご来光スポットでは、数名の登山者が寝袋にくるまり太陽が上がるのを待っていた。
ビバーク禁止の張り紙や警備員は見当たらなかった*。ようやく眠りにつくことができる。バックパックから寝袋を引っ張り出し、風が当たらない岩陰にマットを引き、簡単な食事を済ませ2時過ぎには目を閉じた。
*編注:富士山では指定地以外でのキャンプは禁止です。
目を閉じて眠りについたと思った次の瞬間、ざわざわと人の気配を感じた。それもかなりの人数だ。恐る恐る寝袋から顔を出し目を開けると、東の空はすでに夜が終わろうとしている。小高い岩の上では数え切れないほどの登山者が、ご来光のポジション争いをしているではないか! 百人を有に超えている。
目の前に広がる世界が数時間前とあまりにも違うことと、ご来光スポットのポジション争いをしている登山者がこぞってカメラを向けている姿を見て、写真を撮りに行く気になれなかった。
とりあえず一枚だけ撮った富士山頂のご来光
約2時間の仮眠を終え、午前5時過ぎには寝ていられないほど、登山者が山頂に上がってきていた。まだまだ寝足りない体を起き上がらせ、ささっとパッキングをして吉田口へ向かう。
御殿場口から吉田口までは素晴らしい景色が広がっていた。雲ひとつかかっていない山頂は穏やかで、ここが標高3700mとは思えないほど心地いい。眼下には山中湖が見え、御殿場の街並みは雲海で覆われている。
吉田口に到着したのは午前6時過ぎ。富士山の4つの登山口の中でいちばん登りやすいという吉田口のピークは、もはやテーマパークかと勘違いするほどの登山者で溢れかえっていた。
吉田口は登山者で溢れかえっていた
ひと息つける場所もありそうもなく、そのまま下山を始めた。三島駅から本栖湖まで向かう行程のようやく3分の2が終わる頃だ。まだもう少し歩かないといけない。富士の樹海を日が沈む前に通り抜けるには、休み過ぎるわけにいかない。
大勢の登山者に紛れてひたすらスイッチバックを下っていくこと3時間。吉田口の5合目についたのは午前9時。駐車場でクルマやバスに乗り込む登山客を眺めながら、「山梨CRAFT」と書かれたビールを乾いた口に流し込んだ。
「みんなここで歩き終わるのか」
ここにいる誰ひとりとして僕の歩き方を知らない。そんなことを考えるだけで、なんだか満足な気分になってきた。それはまるで誰も知らない秘密の裏道を歩いているような気がしてひとりニヤニヤしてしまった。
ここから本栖湖までは、精進口登山道という道を通っていく。吉田口5合目から精進湖まで続くこの道は1600mほど標高を下げ18kmひたすらまっすぐに伸びている。何百人と登山者がいる吉田口だったが、この道を下っていく登山者は僕以外誰もいなかった。
ひたすらまっすぐ緩やかにくだる精進口登山道
精進口登山道の風景は、富士山の噴火による溶岩の上に草木が生えているため、木が土の中に根をはれずむき出しの状態で森が形成されている。
特に代わり映えしないこの道を約4時間ひたすらに歩き続ける。誰ともすれ違わない単調な道は、アメリカのロングトレイルを歩いていた時に遭遇するものと似ていた。
かれこれ20時間以上活動している足もさすがにこたえてきたようだ。右膝の裏が痛み始めた。
誰にも会わない精進口登山道
精進湖に着いたのは午後2時30分。目的地の本栖湖まで5kmのところまでやってきた。三島駅から御殿場口五合目まで35km、五合目から山頂まで11km、山頂から吉田口まで7.5km、吉田口から精進湖まで18km。ここまでで70km以上は歩いてきたことになる。
こんな歩き方は今回が初めてだった。本来の僕の歩き方からすると異常な歩き方だ。富士山という大きなコブに登らなければ、こんな歩き方はしなかっただろう。自分が歩きたいルートを地図に描き、その地図を地球に合わせ、自分の足で歩くと決めた結果こんな行程になってしまった。それでも、本栖湖まであと5kmの所まで来た安心感からか、なんだかいい時間だったな。と思えてくるのは不思議でならない。
ここまでは歩き始めてたった1週間の出来事だ。この旅は山域と山域をつなぐ間のルート選択とその道を歩く中に、何か今までになかった歩き旅の醍醐味が隠されているような気がしてきた。
たどり着いた本栖湖キャンプ場は、夏休みの賑わいを見せ、家族連れや若者のキャンパーで賑わっている。どう考えてもその空気に馴染めない僕は、キャンプ場の隅っこに隠れるようにテントを張り、ひとり作戦会議を始めた。
南アルプス全山縦走するには、本栖湖からかなり南に周り込まなければならない。台風で停滞していたことと、暴力的な猛暑のロード歩きはやめたほうがいいということを言い訳に南アルプスの全山縦走は諦め、南アルプス市を通って夜叉神から鳳凰三山を歩き、甲斐駒ケ岳から黒戸尾根で下山するのが妥当かな、となんとなくルートが見えた。
富士登山の疲労が溜まっている中、僕の頭はほとんど回っていなかった気がする。狭いテント内に広げた地図を片付けもせずに夢の中に落ちていった。