彼に会ったのは昨年9月に岩手山の麓で開かれた『山道祭 – HLC Hiking Festival』でのこと。お祭が始まる前にとりあえず温泉に入っておこうと、会場となった網張温泉の野湯「仙女の湯」に向かったのです。
何を隠そう、混浴露天風呂である『仙女の湯』。「どうせおっさんしかいないだろう」と足を踏み入れると、男性数人の他、妙齢の女性グループもこともなげに入浴している様に東北の底知れぬパワーを感じたのですが、さらにインパクトがあったのが、僕の顔を見るなり「三田君ですか?」と話かけてきたどこからどう見ても風来坊……というか裸の野人にしか見えない彼、やまち君との出会いでした(もちろん僕も裸でしたが)。
なんでも過去の僕の仕事をいろいろと見てくれていたとのことで、裸身の女性もそっちのけでしばらく旅の話や山の話に花を咲かせました。聞くところによると彼は『山道祭』に絡めて裏岩手エリアを1週間かけて旅をしている最中だといい、さらいうには、
「これは僕の独身最後の山で、旅が終わったら結婚するんです!」
失礼ながら、目の前の野人と「結婚」のふた文字はあまりにも不釣り合いで、頭が「?」で溢れましたが、とりあえず「おめでとう! じゃあいまは独身最後の『バチュラーパーティ』ならぬ『バチュラーハイク』中だね」と答えました。そして、「せっかくなら、その旅のレポートを『山と道JOURNALS』に書いてよ」とも。
けれど、その後『山道祭』は祝福と混沌の坩堝と化し、彼にも連絡先を聞けぬまま終了。どこかでまた会えないかと思っていたのですが、忘れた頃に突然、彼からこのレポートが届きました。そしてまた驚くべきことに、これがすごぶる面白かったのです!
このレポートには山を歩くことや旅をすることの本質的な意義や素晴らしさが溢れていると僕は感じます。そう、そうなんだ。僕も山を歩いているとき、いつもこんなことを考えているんだ。そして『山道祭』をひとつのきっかけとしてこんな最高の旅をしてくれた人がいたことに、スタッフのひとりとしても感無量です。
では、季節外れの『山道祭』アフターレポートになりますが、山や旅に行けないこんな時期こそ、過去の誰かの旅に思いを馳せ、未来の旅を夢想するのも一興ではないでしょうか。
旅から旅へと自由気ままに生きてきた男が人生のコーナーに差し掛かったとき、その旅の果てで、彼はどんな「ヴィジョン」をえるのか? やまち君の「精神的行脚」に、しばしお付き合いください!(山と道JOURNALS編集長 三田正明)
プロローグ
やまち近影
北米イースタンハイシエラでのハイクと、 ネイティブアメリカンの儀式「サンダンス」を無事に終え帰国したある日、 彼女と結婚することに決めた。
会社員を辞めて11年の旅の空、各地で季節労働をしながら風の吹くままに暮らしていた根なし草の僕にとっては、まったく不安がなかったと言ったら嘘になるが、家族ができるというワクワクが断然僕の心を占めていた。
「よし、それなら独身最後の山旅をしよう!」という始末である。
ずっと歩きたかった信越トレイルか、聖地・大峯奥駈道か、小屋番経験のある南アルプスを縦走か、はたまたメキシコ・コッパーキャニオン行っちゃうか!? 考えあぐねていたその矢先に、「山と道さんがお祭りをやるよ」との情報が! 場所は東北・岩手 。
「これだ!」
東北というエキゾチックな響きに僕はすぐさま飛びついた。 山と道のお祭り、『山道祭 – HLC Hiking Festival』の詳細に目を通してみると、出演に「イマジン盆踊り部」とあるではないか。「イマジン盆踊り部」、通称「盆部」のIちゃんとは、かつて静岡県の太平洋から長野県の諏訪神社までの「塩の道」秋葉街道を、静岡で作っている塩を担ぎ歩いて諏訪大社に奉納する「結旅」というwalkを一緒に歩いたり、 ネイティブ・アメリカンの教えのもと祈り歩く「7 Generations Walk」でも共に歩いたことがあった。 行かない手はなかった。
そうと決まりゃ話しは早い。
すぐに地図を買い、歩くルートや日にちを選定。 なんせ東北の山は初めてでワクワクする。考えた末に玉川温泉から山に入り、 八幡平~裏岩手縦走路~岩手山~山道祭~八瀬森~小白森~乳頭山~秋田駒ヶ岳と巡り、最後は乳頭温泉へ下る1週間の山旅を計画した!
なお タイトルにもなっている「バチェラーハイク」とは、独身最後の宴「バチェラーパーティ」のハイク版で、『山道祭』の会場の温泉で山と道JOURNAL編集長三田氏と出会った際、僕が独身最後の山旅中だと伝えると「それってバチェラーハイクじゃん!」と命名してくれたものである。
つたない文章ですが、どうぞお時間許す限りお付き合いください。
裏岩手 BACHELOR HIKE 2019 の行程
1日目 玉川温泉~大深温泉
地球の息吹とともにこの旅は幕をあける。
硫黄の匂いが鼻を刺した。
高ぶる気持ちで 夜行バスと電車、ローカルバスを乗り継いでやってきた玉川温泉。 バスの中でオバちゃんが、「温泉で癌が治ったのよ、わたし!」 と言っていたように、癌など重度の病の治療のため訪れる人が多い名高い湯治場だ。
そのため、硫黄の匂いと湯気が上がるそこかしこに、地熱で身体を温めているのだろう、日傘をビーチパラソルさながらに地面におっ立てて寝転がる人、人、人である。
ちょうど玉川温泉の食堂で働いていた季節労働仲間のI君に聞くところによると、玉川温泉は濃度がとても濃い湯船から薄い湯船までいくつかに分かれ、濃い湯船は長くは入っていられないらしい。 訪れる人の中には、手の施しようのない末期の患者さんも少なくないという。
時間の関係で今回は玉川温泉には入られなかったが湯煙と硫黄の匂いを存分に浴び、「ひとりひとりが癒されますように」と祈り、後ろ髪を引かれながらトレイルに脚を踏み入れたのは、気持ちよく晴れた昼下がりだった。
樹木の葉緑体が、落ち葉を踏みしめる音が、五感に気持ちいい。
青空と紅葉が顔を覗かせる。
歩きはじめはうっそうと茂っていた笹ヤブも高度を増すにつれ、ひらけた歩きやすいトレイルに変わっていった。 街の喧騒から離れ、深く山に入るときの感覚はいつも最高だ! 脚の調子もすこぶる良い。それに、高地の木々たちの紅葉もまさにドンピシャ! トレイルを鮮やかに彩り、夢の世界へいざなってくれているかのようだ。
玉川温泉から焼岳を通り、後生掛温泉で真っ黒い温泉卵をほおばり、また歩き出す。1泊目予定の秘湯、大深温泉に到着したころ、まだ日は高かった。
大深温泉は時が止まってしまったような趣きのある湯治場で、宿泊棟には寝具類や調理器具は一切なく、すべて持ち込み。 冷たい湧き水に野菜や飲み物を浸けて冷蔵庫代わりにしているなどなど、宿泊棟は地熱を利用したオンドル小屋だ。
湯治客はリアカーで布団やフライパンなど物資を運び入れ、1週間から長い人だと1ヶ月くらい療養するのだとか。 設備が何もないぶん宿泊費が安いので、ここを拠点に温泉巡りをする人も多いらしい。なるほどね。
渋い木造づくりの大深温泉受付棟。
蒸気ムンムンなオンドル小屋の外。
早速チェックインを済ませ、 初日の汗を流して存分に温泉を味わったあと、冷たい湧き水で喉を潤した。あー、生きているって素晴らしい!
夜は大深フリークスのおじちゃんおばちゃんから「ここいらは、熊の住みかがあるから気をつけてな」と話をきく。 すぐに、知床の羅臼岳をハイクしたときにヒグマの親子に遭遇したことが頭をよぎる… 。
あのときは山を下りてきて駐車場のすぐそばでヒグマの親子に遭遇したのだった。木に登って遊んでいた子熊が僕にビックリして上へ上へと登ってしまってい、母熊が木の下であたふたしていた。
「まずい!!」
ゆっくり後ずさりし、姿を木々に隠して様子を伺っていると落ち着きを取り戻した子熊が木から下りきて、母熊と一緒に森に消えていったのだった。
熊の気配を感じると、いつもカムチャツカ半島で熊に襲われ亡くなった写真家の星野道夫さんの言葉が想い返される。
「まだ人間が殺される自然が残っていることを思うとホッとするんですよね。」
僕はこの言葉が大好きだ。
星野さんもクリンギット族やハイダ族など「ファーストネイション」と呼ばれる北米の先住民族と深い交流があり、「カーツ」という神聖な名前を生前もらっていたことを龍村仁さんの映画『ガイアシンフォニー』で知った。その神聖な言葉が意味するのは、「熊」である。
そんなことを思い出しながら、初日の夜は更けていった。
2日目 大深温泉~八幡平~三ツ石山
早朝、汗だくで目を覚ました。オンドル小屋内はなかなかな温度で、ただでさえ薄い山と道のミニマリストパッドが熱で紙のようにさらにペランペランになってしまっていた! 旅にはアクシデントはつきものだと、早朝風呂に入り気を取り直してパッキングし、冷たい空気の中を歩きはじめた。次は1週間ほどここで湯治暮らしをしてみたい。 見たところ全国から愛好者が来ていたので話す相手には事欠かなそうだ。
八幡平までの道のりは、昨夜の熊の話が頭にこびりついていたので、歌をうたって気を紛らせた。 熊にも会うことなく無事に八幡平到着。 ちょいとガスっていたが、太陽が高くなってきたら晴れるだろう。
立派な八幡平頂上。
目の前にはたくさんのハイカーが太鼓判を押す裏岩手縦走路が大きく開けて出迎えてくれた。なによりもこのネーミングがとても良い。裏岩手! 岩手の裏側だ。怪しいアングラな雰囲気満点だ! 何を隠そう、僕は奥之院だとか奥出雲、元伊勢という奥とか裏とか元やらの言葉にめっぽう弱い。
八幡平から岩手山方面を望む。
向こうから歩いてきたハイカーたちと挨拶をかわすと、誰もが紅葉に魅せられて顔がほころんでいる。裏岩手の期待が大いに高まったのは言うまでもない。
実際に歩きはじめたら、裏岩手縦走路は期待通り、いや、それ以上の顔を見せてくれた!
「YES!!」
僕はガッツポーズで最高な感情を表現した! 艶やかなハイマツの緑に目を見張るような黄色やオレンジ、赤の紅葉のコントラストが美しく、自然が創り出した景色に、自然の一部である人間がそれを見て感動し、この風景が完成している気がした。 地球は自らのこの完全で素晴らしい生と死の織りなす美しさを味わいたいがために僕たち人間を創り、人間の五感を通して自らの完璧な美しさを堪能しているのかもしれない。 けれど、そんな言葉もこの完璧なまでの美しさを前にしては、どこか虚空へと消えてしまう。
そう、僕はこの時すでにこの山域を愛していた。
旅の魅力のひとつは、時として魂を揺さぶるような風景に出会えることだろう。
岩手山を遠くに見ながら畚岳、嶮岨森、小畚岳と2泊目予定の三ツ石山荘まで距離を詰めていく。
途中、大深山荘近くの水場で水を補給する。 気持ちの良いひらけた水場で、水がほとばしって大地を潤している。 人や地図に聞いたところによると、この時期、この辺りの山域では枯れている水場が少なくないなか、 この水場は枯れないらしい。
かわいい苔たちを横目に愛でながら、軽快に脚を進める。 とりわけ、 小畚岳から三ツ石山までのトレイルは最高潮にご機嫌だった! こういうトレイルを求めていた! 僕は何も山の頂きへ行きたいというわけではない。 生活物資一式を担いで自由に山を旅したいのだ。
ご縁あって、これまで日本国内はもとより、スリランカやネパール、台湾やアメリカなどを、祈り歩く活動で行脚してきた。とくに「7世代先の子供たちのために祈る」というアメリカ先住民の教えをコンセプトにした、サポートカーなしで生活物資をザックに詰めて歩く『7 Generations Walk』には深く関わらせていただいていて、そのお陰で必要な道具は厳選吟味され、さらにULの要素がそこに加わって僕の今日の歩くスタイルが確立されている。
話を戻そう。
標高約1500mの広い稜線に見渡す限り平坦なトレイルが続いている。肩にかかるザックの重みが心地よく、一歩一歩脚大地を踏みしめるたびに心が満たされる。
ハイキング心を大いに満たしてくれた小畚岳から三ツ石山までのトレイル。
見よ! 岩手山と紅葉の織りなす大調和を! 左下の人影が筆者。
三ツ石山に辿り着いたとき驚愕とした。360度視界はひらけ、紅葉が燃えさかるというより爆発していた!
「芸術は爆発だ!」
岡本太郎氏の言葉が風の中に静かに響く。その奥に今日1日歩きながら眺めていた岩手山が、堂々の貫禄でそそり立っているのであった。
2019年はいつもより、紅葉の時期が早いのもあってか人影はまばら。 僕は、いつまでもいつまでも飽きることなく地球のえもいわれぬ美しさに心を奪われているにまかせた。 今日も良い日だありがとう。
小畚岳で出会ったローカルの男女と、三ツ石山頂で再会。 少しの間この素晴らしい瞬間にここにいることを存分に共有して、一緒に三ツ石山荘まで下りていった。 やはり聞いていたとおり、三ツ石山荘近くの水場はほぼ枯れていたが、 背負ってきた水で袋飯とあったかいスープを飲み、身体をほぐした。
いやー、今日も最高だった。ありがとうと感謝に眠る。
3日目 三ツ石山~鬼ヶ城~岩手山
翌朝起きるとその日も晴天で、脚も体調も絶好調ー! 昨日炸裂していた三ツ石山を振り返り、今日も静かに、しかし強烈にあの場所が存在していることが、僕に安心感をくれた。
昨日の三ツ石山を振り返り、想いを馳せる。
朝日を浴びながら、見晴らしのよい尾根づたいに歩いていく。影になっている森の中などは、葉についた朝露が冷たく火照った身体に気持ちいい。
山道祭の会場の網張温泉へ下りるルート分岐を通過し、犬倉山、黒倉山と脚を進めていく。なかなかな勾配の急登もあれば、そのあと平坦なひらけたトレイルに出るなど飴とムチを使い分けていて歩いていて飽きない。
黒倉山では硫黄の香りが立ち込め、蒸気がプスプスと吹き出していて地球の息吹を感じながら、岩手山へ近づいていく。そこからどんどん登り詰めたら、剣先みたいな鋭い岩壁がそそり立つ鬼ヶ城だ!
鬼ヶ城に足を踏み入れると景色が一変、ゴツゴツしたむき出しの岩場の陰影がかっこいい。
だんだんトレイルは細くなり、危なっかしい岩壁上を進んでいく。鬼ヶ城から岩手山麓の拡がりを目にしたとき驚いた。 数ヶ月前に歩いてきたイースタンハイシエラの山域の雰囲気に似ていたからである。 おおー! こんな風景が日本にもあるのかと、嬉しくって踊りだしたい気分だった。
しばらくの間、ナッツを頬張りながら鬼ヶ城からの風景を味わっていると、あきらかに山道祭にやって来たであろうULフリークスをこの旅で初めて目にした。
「こんちわー」
「こんちわーっす」
彼らも調子の良い様子で軽快に歩いていく。どんどんハイカーが集まってきているのだろう。いよいよ明日なのだ! と言っても、すっかりこの山域にヤられていたその時の僕には、そのことがあまりリアルに感じられていなかった。鬼ヶ城にはゴツゴツして危なっかしい箇所がいくつかある。
「鬼が住むには、もってこいだな…」
ポツリとひとりつぶやく。
鬼ヶ城の狭き門をくぐり抜けていく。
鬼ヶ城を下ると、遠くからたえず眺めていた岩手山はもう目の前だ。登りづらい砂利道を登り返すが、脚を取られなかなか前に進めない。ふくらはぎが悲鳴をあげはじめたころ、岩手山のお鉢にでた。最高なお天気で、盛岡の街並みやこれまで歩いてきた山容も丸見えだ。
岩手山に幾度となく登っていると話すローカルのおいちゃんは、「こんな良い天気で風も穏やかな日は、初めてだよ! にいちゃんよかったな」と言っていた。
岩手山頂上から盛岡の街を望む。
最高についてる。導かれているとしか思えない。 今まで大いなるものの存在が導いてくれている感覚を感じることが度々あったのだが、 この時もそう感じずにはいられなかった。 感謝を込めてありがたく、一体一体仏像に手を合わせてお鉢巡りをする。歩いているとまるで空中浮遊しているかのような錯覚に陥る。
鉢の中程には御社が建ち宝剣が刺さっている。
おおおー!
岩手山は信仰の厚い山であって、まぎれもない聖地だ。 般若心経と妙法蓮華経如来寿量品を唱えさせていただく。 ネパールとスリランカでは日本山妙法寺というお寺で暮らしていたため、読経は自然と身についていた。 お経は悟りの境地を文字で表しているためとても興味深い。今回の旅の感謝と、すべての命が幸せであるようにと祈った。
厳かな空気が漂う宝剣。山域や街を守護しているかのようだ。
今夜の寝床である平笠不動避難小屋の方へゆっくり下っていく。 小屋はお鉢から確認できるくらい近くだった。 小屋に着くなりザックをおろし靴を脱いで、今日歩いてきたルートを地図を見ながら反芻する。
適度な疲労感が心地よく、寝転がってふと窓をみると岩手山が絵画のように縁取られていた。最高に気持ちがいい。
平笠不動避難小屋にて、岩手山の絵画をバックにご満悦の筆者。
そして、どうやら今宵は貸切らしい。
湯を沸かし、 袋飯をかきこみ熱いスープで身体が温まるとすぐに寝袋にくるまり、深い眠りに落ちていった。
4日目 岩手山~網張温泉(山道祭)
本日も晴天なり。
この日は一旦山を下りて、温泉につかれるのが温泉好きの僕にとっては最高に待ち遠しかった。意気揚々と昨日歩いた鬼ヶ城の麓にあるお花畑まで下がっていく。時期的にお花は咲いていなかったが、そこから仰ぎ見る鬼ヶ城は、素晴らしい景観だった。
昨日歩いたノコギリ状の鬼ヶ城がよく分かる。
途中ひっそりと佇む御釜湖に立ち寄る。ここの静寂も素晴らしい。
網張温泉に近づくにつれハイカーが多くなり、週末って雰囲気だ。しまいにゃ、大名行列並の団体さんハイカーと人ひとり通れるトレイルでハチ合わせ! ガイドさんが道を譲ってくれ、ならって全員が脇に寄ってくれる。
恐縮な面持ちで、「どうもすいません。ありがとうございます」と通ろうとするすれ違い様どこから来たのかを尋ねられ、玉川温泉から歩いてきて秋田駒までいくと答えると、一同から感嘆の声が上がっり、いささか面食らいながらそそくさとその場を後にする。山の中でこれだけの人数のハイカーに会うのはちょいと苦手である。
網張温泉スキーリフトの脇道を下って、網張温泉に無事到着した。まだ時間が早いので湯を沸かし、グラノーラでお腹を満たすと芝生に寝転がり、しばしお昼寝と洒落込んだ。
お昼寝の後、 「イマジン盆踊り部」のメンバーが到着したところに遭遇し、Iちゃんと久々の再会。「あれ! やまち! なんでここにいんの!?」と、驚いていた。ここに来るまでの経緯をかくかくしかじかと話す。
実は、僕が結婚する彼女はシンガーソングライターで歌を唄っているので、 鎌倉の「盆部」のみんなも知った仲だった。 Iちゃんをはじめ初めて会ったメンバーもみんな驚いてくれて、良きサプライズになったようで嬉しかった。
さてそのあと、網張温泉ビジターセンターで情報収集していると山の中に「仙女の湯」という露天風呂があるとのこと! 無料ではないが、ここに入りに行こうと決めた。
北海道にいたときには、よく無料の温泉場にはお世話になったものだった。たいてい無料の温泉場は、海のそばや山の中にひっそりと佇んでヒグマ注意とかアブ大量発生に注意とかワイルドなやつが多くて、車中泊で1週間やそこらゆっくりキャンプしたり、イクラの工場バイト(通称シャケバイ)の仕事のあとにみんなで入りにいったりと楽しんできた。
さっそく、ホテルの受付で入浴料を支払い、仙女の湯へ向かう。ちょこっと山の中を歩いたら掘立小屋の脱衣所が見えてきた。 いい雰囲気だ。お客さんも数人で心地よい。 湯船の正面には滝が流れ落ち、樹々がせりだし自然と溶け合うような景観だ。乳白色の湯が身体に優しく滝の音も瞑想的で心がほぐれ、周りの景観に溶けて混ざっていくようなエフェクトがあった。
仙女の湯ではまるで『徹子の部屋』のようにゲストがとっかえひっかえ入ってきておもしろかった。結局2時間くらい入っていたろうか。
と、そんなところへ団体さんがやってくる声が聞こえた。ドカドカドカと10人くらいがなだれ込む! 「盆部」のメンバーだ。久々に会うなつかしい顔もいて、束の間の再会を楽しむ。
と、時間が決められているらしく早々に盆部のみんなは引き上げていくと、嵐が去ったあとの静けさだけが残った。また再びローカルのおいちゃんと温泉を楽しんでいると、お次は、この『山と道JOURNALS』編集長の三田氏がやってきた。
ライター/カメラマンでもある彼のことは、雑誌『スペクテイター』で記事をよく愛読していたので会えたのが嬉しかった。僕は、60年代アメリカのビートニク、フラワームーヴメントや日本の部族などのカウンターカルチャーに触発されて旅にでた。 皆既日食パーティーやレインボーギャザリング、ヒッピー系のお祭りを渡り歩いたことは大変興味深い体験で、当時の『スペクテイター』にはずいぶんと旅心をくすぐられたものだった。
そんな三田氏から 「山と道は、いろんなご縁が繋がって今がある」と聞いた。その言葉に親近感が湧いたのは、今まで僕もたくさんのご縁に支えられて生きてきたからで、気づいたらここにいた。そんな感じだ。
思えば、山と道を知ったのはいつごろだろうか? 『スペクテイター』でMYOG(Make Your Own Gear)の記事を読んだのがきっかけじゃなかろうか。 記憶が正しければ、あの記事も確か三田氏だったと記憶する(編注:スペクテイター第26号『OUTSIDE JOURNAL 2012』掲載)。 自分の手で自分の欲しいギアを作る、あの記事にはおおいに刺激された。
ULザックをはじめて見たときは、「なんだこのペラペラのザックは!? すぐに破れるんじゃないか』と当時クラシックなケルティーのフレームザックを愛用していた僕は不安に思ったものだった。
僕がULに惹かれたのは、荷物の軽量化はただ荷物を軽くするのにあらず。己を知ること、足るを知ることだと思うからだ。自分の背負う荷の重さ、それは自分のカルマだ。荷の重さは、脚に直結する。自分の本当に必要なモノを知り、楽しく歩いていく。こういうところに惹かれたのだと思う。それは日々の暮らしにも、精神的な成長にも大いに役立つと僕は確信している。
そんなこんなで楽しく温泉を堪能した後、寝床をセッティングしにテン場へ向かうと、これまた色とりどりのシェルターやタープ、テントが立ち並んで楽しい雰囲気だ。そして『山道祭』会場はというと、美味しそうな出店がありーの、テントサウナで整いーの、ワークショップそこかしこでやりーの、火焚きーので盛り沢山な様子。
普段はあまりアルコールを嗜まない僕だが、今日は1本だけビールを味わうことにした。うーーん苦い喉ごし!
何人かのハイカーとハイキング談義に花を咲かせているとそこへ、太鼓が響きわたり、独特のリズムが刻まれた会場は幽玄な雰囲気に包まれた。岩手の「帯島盆踊り保存会」のみなさんによる東北に古来から伝承される盆踊り「ナニャドヤラ」だ!
世界的に見ても、ここ日本列島には奇妙奇天烈な祭りや舞、踊りがわんさとある不思議な国。ハイカーのハイカーによるハイカーのための祭りで盆踊り、日本でしかありえないまさに奇祭がまたひとつ誕生か!?
そのあとは、これまた奇才「盆部」の登場だ!
歌い踊れやで、みんな輪になって盆踊り。
発酵発酵ぐーるぐる♪ 踊りとビールも手伝って僕の頭もぐーるぐる♬
奇才「盆部」のギターに三味線、祭囃子が、より一層場を盛り上げていく。
山道祭に集まった老若男女は興奮のるつぼと化した。
『山道祭』は熱狂のうちに、深い夜に突入していき、僕は「盆部」で会場の一体感を楽しんだあと、テン場にきりあげてゆっくりと眠った。
夜のうちから、ポツポツと雨が降り出す。予定通り明日は雨の中のハイクになりそうだが、明日のルートは一旦車道を歩いて三ツ石山荘に登り返して、三ツ石から八瀬森分岐までは一度歩いたルートなので、雨でも気にならない。
雨の中を歩くのも、楽しい。そのぶん、晴れたときが嬉しくなるから。
5日目 網張温泉~三ツ石山~八瀬森
ツェルトをたたく雨の音の中、目覚めた。 暖かいミルクとグラノーラで身体を温めてから、パッキングしてテン場をあとにした。
濡れたアスファルトの道を歩いていく。
道の脇で鮮やかな植物たちが応援してくれていた
網張温泉からはしばらく車道を歩いていく。雨だから登山口へ向かう車もないだろうと思いながらヒッチは諦めていたところに、クルマが通り過ぎていった。
「しまった!」
完全に油断していた。瞬く間に車は見えなくなっていた。
次もクルマが来ることを祈りながら歩く。雨の音の中、エンジン音が聞こえた気がするたび後ろを振り返るが、そこにはただ雨に濡れたアスファルトが続いているだけであった。
しかし、決して天は見放さなかった。クルマが来た!
僕は最高の笑顔で親指を突き立てと、紅葉の写真を撮りにきたローカルのおじちゃんが心良く乗せてくれ、クルマで行けるゲート前まで運んでくれた。 ありがとう助かりました。
登山口から再び三ツ石山荘へ。ちょいと休憩してから、八瀬森分岐まで一気に歩く。
さぁここからが、正念場である。今日の寝床の八瀬森山荘までと、そこから乳頭温泉までのトレイルはあまり人が歩かないから、ほぼ藪漕ぎだと聞いていた。網張温泉から乳頭山や秋田駒に行くには、整備がされていそうな滝ノ上温泉を通るルートがあったのだが、僕は八瀬森ルートを選んだ。決めてになったのは、ローカルハイカーからの情報だった。
「私はそのルートを歩いたことはないが、歩いた人に出会ったことがあって、その人曰く、高層湿原がまるで桃源郷のようだった、と。」
桃源郷だと!? 僕の旅心をくすぐるのには十分な情報だった。行ったことはないが、中国の桃源郷と呼ばれるシャングリラが連想された。とりあえず、楽しそうだから行ってみようという次第であった。
けれどそんなくすぐられた旅心も、どこへいったやら…。はじめは草刈りもされていたトレイルだが、太い笹の茎がどんどん目立ってきた。 幾分進んでいくと背丈を超えるヤブヤブヤブ漕ぎの応酬で、少しでも油断するとルートをロスしてしまいそうだ。
手に持ったストック代わりの木の枝で、ヤブを漕ぎ分けていく。途中、何本もの大径木が行手を阻むように横たわり、よじ登ってはルートを確認し越えていく。 ぬかるみに足をとられ、鼻に笹の茎が入ってきたこともあった。
八瀬森山荘に着いた時には、まだ早かったが、生も根も尽きかけていた。明日の歩く距離を考えたら、もうひとつ先の小白森避難小屋まで行っておきたいが、地図で確認したら途方もない距離に思えた。
今日はもう、乾いた衣服に着替えてゆっくり休むことにする。山荘には、数日前にここに来たハイカーがトレイルエンジェルよろしくカプチーノを置いていってくれていた。八瀬森避難小屋には、 ありがたいことに毛布やふとんが常備されていたので、毛布にくるまり 冷えた身体に、熱いカプチーノが優しい。「フジナオ」さんありがとう。
人の与え合いの心が何よりもあたたかい。
その夜は、もうひと組年配のハイカーが2人やってきて一緒に泊まった。誰も来る人はいないだろうと思っていたので、ビックリした。
そういえば、ここへ来る途中でも沢登りを楽しんでいた夫婦に出会った。どこかの沢からヤブ漕ぎしてトレイルに出てきたのだろう、ヘルメットを被り、顔にバグネットをして、ガッツリ道具を詰めたザックは相当使い込まれていた。向こうもまさか人に出会うとはという感じで、お互いに驚いたのだった。
その夜は、相当疲れたのかあっという間に眠りについた。
この日は極上の寝床にありついた。ありがたや。
6日目 八瀬森~乳頭山~秋田駒ケ岳
翌早朝起きると雨は上がっていた。
よし!
今日は秋田駒ヶ岳の阿弥陀が池避難小屋までいく。パッキングして年配ハイカーとお互いの無事を祈り、早々に八瀬森避難小屋をあとにした。まだ、昨日の雨と朝露もあってかヤブはビショビショだったが、雨が降ってないぶん気分は良好だ。
ヤコブの梯子のごとく吉兆の光が射す。
昨日と同じような背丈ほどのヤブを漕いで歩いていく。雲が多めだが、ときおり太陽が顔を覗かせるので気持ちがいい。と、調子良く歩いていると道標の看板がえぐられているではないか! そのあとの道標は無残にもへし折られて投げ捨てられていた!
こんな芸当ができるのはヤツしかいない… ここまでヤブを漕いできて、頭の隅でヤツと遭遇するのを想定してたびたび足を止め、聴覚嗅覚を鋭く研ぎ澄まし周囲を探ってきたのだ。
北海道を歩いた時の緊張感が蘇る。ここにも人間なんか一撃で殺される自然がある。
ものすごい力でえぐられた道標。
恍惚感と緊張が交錯する筆者。
五感をフルに研ぎ澄まし、引き続きヤブの中を歩いていく。緩やかな登りが続いたかと思うと道は平坦になり、木道になったと思ったらバーーンと一気に視界がひらけた!
「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。失われた大地との絆をむすばん」
あの有名な言葉が現実になったような景色がそこには拡がっていた。
♪ ラン ランララ ランランラン~ ラン ランララ ラ~♪
『王蟲の唄』も今にも聞こえてきそうだ。
太陽は降り注ぎ、そよ風に草原が海のように波打っている。ここは天国か。 濡れているすべてを乾かしながら、しばしこの風景に溶け込み味わう。いつかここを歩いたハイカーも桃源郷とはよく言ったものだ。黄金の国ジパングをしかと見た。
素晴らしい!
雨の中のヤブ漕ぎがなければ、これほどまでの気持ちよさは味わえなかったろう。 そう、一見つらく悲しく絶望する出来事であっても、それはいつかたどり着く大きな至福へのプロセス。
至福と絶望は、ひとつ。すべては良きことのために起こっているのだ!
湿った身体をそよ風が吹き抜ける。雨の中での道中が報われた瞬間。
底抜けに気持ちいい空間が拡がっていた。
ザックも衣服もすっかり乾いて軽くなり、身も心も完全にリフレッシュ! ご機嫌で歩き出す。
小白森山と大白森山を経て、 乳頭山へ近づくにつれだんだんとヤブがなくなり、歩きやすいトレイルへと変化していった。長いヤブ漕ぎはかなり集中するため歩き瞑想に近い。静かにハイになっていた。 ただ普通に歩けるだけでめちゃくちゃ嬉しい。気持ちいい! 最高だ‼︎
感覚器官すべてでトレイルを捉えながらも僕と山との境界線が溶けこみ、 次第に僕が僕じゃなくなる。山も山ではなくなる。 それは言葉を超えた向こうにある存在そのものになっていた。
ここで谷川俊太郎さんの詩 『木と呼ぶ』を引用させていただきたい。
『 木と呼ぶ 』
木を木と呼ばないと
私は木すら書けない
木を木と呼んでしまうと
私は木しか書けない
でも木はいつも言葉以上のものだ
人々はいくつものちがった名を木に与え
それなのに
木はひとつも言葉を持っていない
けれど木がそよ風にさやぐとき
国々で人々はただひとつの音に耳を澄ます
ただひとつの音に耳を澄ます
祈り歩くPeace walkでは、「最初の一歩と最後の一歩が同じであるように」それを意識して歩いてきた。力むことなく緩むことなく、常に同じ一歩を。 人の一歩には、原初の記憶と、未来のすべてに到達する力を持っている。
乳頭山から秋田駒までのトレイルも歩きやすく、景色もとても雄大で、たびたび脚を止めておおいに味わった。
秋田駒に近づくにつれ、いよいよこの山旅もクライマックスであることを感じた。
これから結婚して新しい家族をつくっていく人生のターニングポイントともいえるこの旅で、僕はネイティブ・アメリカン的に言えば「グレイトスピリット」、すべてを創りたもうた創造主に「ヴィジョン」を求めていた。 僕がこれから歩もうとしている人生の選択が良きものかどうかという問いへの応えを。 そのためにも、この旅のフィナーレは秋田駒の頂から日の出を拝もうと心に決めていた。
乳頭山から秋田駒方面を望む。
焼森山頂1551m興ケルンにて。
まだ陽も高いうちに秋田駒直下にある阿弥陀が池避難小屋に着けた。ふー、心地よい疲労感で今日も最高だった。ドイツ人の夫婦と関西弁のおいちゃん、男子大学生というメンツで最後の一夜をともにする。
夜空を見上げると、満面の星々がまたたいていた。
7日目 秋田駒ケ岳~乳頭温泉
早朝まだ暗いうちからみんな動き出す。
秋田駒の頂まではあっという間で、頂に着くと視界の限り雲海が拡がっていた。だんだんと空の一点が緋く染まり、見る間にグラデーションになり空全体に拡がっていく。
壺にたまった水が最後の一滴で溢れるように、ポッと鋭い光が差し込み、輪郭のハッキリした鮮明な太陽が顔を出す。
独身最後の祝福の夜明け。
地球の動きの速さを再確認する。この日この場所この瞬間と同じ太陽は二度と昇らないだろう。 僕は「今」をおおいに噛み締めた。
結果、 今回の「バチェラーハイク」は言うまでもなく最高だった! いや、最高という言葉以上のかけがえのない財産になった。
「その道をどんどん行きなさい。」
この旅で、僕は「ヴィジョン」を確かに受けとった。
日の出を拝んだ後、関西のおいちゃんオススメのムーミン谷へ。ものの10分で歩けてしまう小さな谷だが、強烈な印象を僕に残した。今度訪れる時は、朝の静謐な時間にコーヒーでも淹れてドーナツでも頬張りたい。
さてそろそろ乳頭温泉の方へ山を下りていく。 脚を進めながら1週間の間に起きた出来事を思い返す。
この旅は、ひとりの男が 「家族をもつ男」になるイニシエーション(通過儀礼)のようなものだった。
清々しい樹林帯を下っていく。
乳頭温泉に着く直前に、ひとりのハイカーが上がってきた。挨拶して話しかけるとなんと! 同じ日に玉川温泉を出発して山道祭に参加し、滝の上温泉ルートから乳頭温泉に入り、これから秋田駒へ行くという、ほぼ僕と同じルートであった。お互いに驚いてハイクの安全を交わし別れた。 『山道祭』にはほんとうにいろんなドラマが生まれたのであろうことが想像された。
山と道のみなさんや関係者、集まったハイカーたち、集まれなかったハイカーたちももちろん、 岩手山を筆頭に周辺の山域とトレイルの整備に携わった方たち、 山の神様、そしてそこに生きるすべてのいのちと働きに最大の感謝を捧げる。 嬉しい楽しいありがとうしあわせ。
旅の最後は、山の中にある一本松温泉跡という野湯で旅の疲れを取ることにした。身も心も温泉でほぐし、街に下りていくためのチューニングは完璧だ。
その後は、麓の田沢湖に季節労働仲間のS君家族の家に玉川温泉で仕事を終えたI君も合流し、夜遅くまで再会を楽しんだのだった。
一本松温泉跡の野湯に浸かり、最高な締めくくり!
エピローグ
この旅路から帰ると程なくして、素晴らしい恩恵を授かった。そう、彼女のお腹に赤ちゃんがやって来てくれたのだ。
何から何まですべて書かれていたシナリオのようにも思えるからおもしろい。人生は不思議に満ちている。分かっているようでホントのところ何にも分からない。「分からない」ってことだけが分かってる。少しでも理解したくて僕は歩くのかもしれない。 これからも祈り、歩いていくことだろう…。
もちろん、これまでのようにはいかないのは十分承知だ。 次はパートナーと子供とともに互いに育みあいながら、祈り、歩いていくだろう。
このひとりの男の独身最後の物語を、大自然とハイキングを愛するすべての人々に贈る。