2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。
北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。
いよいよラストまであと3回となった#22のゲストは、名古屋でオルタナティブな植物雑貨店『TUMBLEWEED』を営みつつ、グラフィックデザイナーとしても活動する井本幸太郎さんです。
「若い子たちにとって刺激的な居場所になりたい」と語る井本さんが体現する、名古屋のスモールコミュニティーのあり方とは?
ギャンブルで月100万
写真:豊嶋秀樹
思えば、僕は、名古屋駅の西側のエリアに足を踏み入れたことがなかった。
僕にとっての名古屋といえば『あいちトリエンナーレ』が大きな存在なのだが、それも、タワー型の大きな駅ビルから県立美術館の間の駅東エリアが中心となっていたし、なんだかんだとこれまで名古屋に来るたびに向かった先はすべて東側だったように思う。駅前再開発の動きもほぼ東側に集中しているように見え、そういった意味で時代に取り残された印象の西側には、懐かしい雰囲気の手つかずの街並みが残っていた。
そんな名古屋の西側で、『TUMBLEWEED』という店をやっている井本幸太郎さんが今回のゲストだ。
「僕は名古屋生まれ、名古屋育ちで、まったく名古屋から出ないまま、ここまで来ちゃいました。きっかけがなかったし、それが必要って自分の中で思うこともなかった。」
長屋のような古い日本家屋を改装した店は、一瞬、ここでいいの?と、「良い店」にはよくある雰囲気で僕を迎え入れてくれた。井本さんは、僕の知っている「お花屋さん」の雰囲気とは違って、むしろラッパーやスケーターという感じの風貌で、少し驚いた。どちらも僕の偏った見方ではあるんだけど。
「名古屋のデザイン系の専門学校へ行ったんですが、早々にドロップアウトして。よくある話ですけど、ギャンブルをやってて学校行かなくなるみたいな。どハマリしてましたね。食えるほどじゃないけど、そこそこそれで生活してましたから。」
「何のギャンブル? パチンコ? どのくらい稼いでたの?」と、思わず僕は、飄々と語る井本さんに、早口でまくし立ててしまった。
「主にパチンコですね。多い月だと100万円くらいになっちゃうこともありましたね。取り憑かれたようになっちゃってた時期があって。」
井本さんは、表情を変えることもなく、そう答えた。
ギャンブルにどハマりして学校に行かなくなるのがよくある話なのかどうか僕にはわからなかったが、少なくとも、それで100万円稼げるようになるというのはよくある話ではないはずだった。
「高校生の頃にクラブ遊びをする中で、学校でもフライヤーを描くのがうまいやつがいて、体育会系じゃないところでヒーローになっていくような、そんなのがちらほらいたんです。だから、デザインをやりたいというよりも、そういうヤツらの影響でデザインの道に進んだんですけど、結局学校は辞めちゃった。それでさっき話したギャンブル漬けの生活に入っていくんですが、しばらくたって、なんとなく自分の中で区切りつけることができた。そこからデザイン事務所に就職して、スーパーのチラシみたいものを作るようになって、デザイナーになっていったというのが、今のスタートですね。」
スーパーのチラシとしては、井本さんのデザインは、少々とんがり過ぎていただろう。僕は、余計な心配をしながら、店の中に貼られているポスターやグッズなどに目をやった。
「パンクとかハードコアとか、不良あがりの人たちがいるところへ行くことが多くて。自分のバックボーンとして、そういう世界がありますね。それが自分で表現していく中で持っているというか、出そうとしている部分かもしれない。」
「ワル」のデザインが花や植物と出会った交差点はどこにあったのだろう。
「花はうちの奥さんがやっているからですね。花や植物に近づけていくようなデザインしちゃえば、すんなりと収まりは良いんですけど、真逆の感じですよね。それは、デザイン的に何か別の意味を持たせたいわけじゃなくて、むしろ、絵に自信がないので、花とか植物っていうものと僕がすでに自分の中に持っていたものを合わせることで、自分の表現になってくるんじゃないかなっていう考えからですね。」
TUMBLEWEEDの店内にある井本さんのグラフィック。(写真提供:井本幸太郎)
負の蓄積のようなデザイン
話を少しだけ戻すと、この『TUMBLEWEED』という店は、井本さんの奥さんが始めた『アトリエみちくさ』という花屋さんの隣に別館として始めたスペースだ。花のある生活というものを同世代の人にも知ってもらいたという想いから、なかなか日常生活に出番の少ない「花」というものにどうずれば興味を持ってもらえるのかというところから始まった。
「自信のなさかもしれないんですけど。」
井本さんはそう言ってひと呼吸おいた。
「植物にも専門店があって、プロがいて、そこではすごく専門性が重視されて、そういう人が花屋をやるんだと思うんですけど、自分たちはまだそこになりきれないというとこがあって。デザインについても同じです。じゃあ、自分も持っているいろんなものを掛け合わすことで、新しいものにならないかって思ったんです。今まで植物を求める人じゃない人が植物と出会う機会が、ここの場所ではできるかもしれないと。」
井本さんが見せてくれた、『LIVING WITH FLOWER』というグラフィック化されたメッセージが今の話をひと言で表していた。
「もともとデザインの勉強も絵のデッサンも何もやって来なかったので、そんな基礎も何もない中で、こういうデザイナーになりたいって思ってもなれない。だんだん自分の選択肢が少なくなっていく中で、技術をあげようってことじゃなくて、未熟でもやり方を変えてみたらどうかって思った。そんな、負の蓄積のようなデザインが、10年かけてこうなっていったっていう感じです。こういうデザインだったら、まだ自分の生き残れる道があるんじゃないかって。」
井本さんの話は、実は僕にとってもしっくりくる話だった。何かをしようと思って、そのために全てをあつらえてやっていくのではなく、もうすでにそこにあるものを組み合わせて新しい価値を生み出していく、そんなやり方が僕も好きだ。
「とは言いながら、僕はひとつのことを継続するのがすごく苦手なんです。なんでもすぐに投げ出すタイプなんで。」
そう言って、井本さんは笑った。
「でも、植物は、枯らさないようにしなきゃいけない。だから、植物を扱うことは、続けていくことを自分の課題とすることかもしれないですね。育て続けるためには、ちゃんと向き合っていかないといけない。むしろ、興味を持続させて逃げ出さないように植物を選んだというか。うまくいくこともあるし、難しいこともあるけど、初めて植物を買うような人にとっては、僕が植物のプロというよりもみんなに近いところから教えてあげられるくらいなのが、ちょうどいいのかもしれません。」
井本さんが花屋であり山での自転車遊びが好きであり、絵を描くことを理解するシムワークスUSAからの依頼で製作したもの。(写真提供:井本幸太郎)
若い頃にガーンとなる場所
僕は、名古屋のインディペンデントな店やその繋がり、言い換えるならば、井本さんとその周辺のコミュニティーについて思うところを質問した。それは、井本さんの話を聞く中で、僕が経験したかつての大阪での空気感と共通する匂いを感じたからだった。
「それって、誰かが手を挙げて旗振らないと、連携って生まれにくいですよね。ここでは、それが同じ世代の異なるジャンルの中で起こっていますね。他のジャンルの人や店と交流を持つことによって、自分がやっていることを知ってもらえるし、そこに人の行き来も生まれます。東京と比べると、やっぱり人が少ないんで、ひとりの人がいろんな興味を持ってあちこち動いているんだと思います。そういう中で、受け入れる側が『こういうことが好きならあそこに行っておいで』って伝えることが自然な流れになってきましたね。」
まさに、聞いたことのある話だった。僕たちはそれを「コミュニティー」や「ビレッジ」と表現していたことを思い出した。もう、20年くらい前の大阪での話だ。街と人はそれぞれのペースで呼吸している。
「仲間がやっている本屋さんやハンバーガー屋さんも、どこも専門店じゃなくて。本業だけではダメ、それに自分の楽しみというか、世代的に好きなことや興味を持ってもらうことを何かやろうってマルチに活動するショップが複数出てきた感じですね。名古屋の中では小さな輪だけど、互いがそこをうまく作用させようっていう意識はある。うまくいけばトータルでコミュニティーの風通しが良くなるし。一緒にイベントやったりもしますね。」
ジャンルがどんどんと細分化されて行ったことによる揺り戻しがあるのかもしれない。花だけでなくグラフィックも好きだし、自転車にも乗るし、そういう全体性のあるライフスタイルへと再び向かっているのだろうか。しかし、ただ同じところへ戻るのではない。価値観を共有できる中で、専門性の高いものが異分野で結びついてくると、そこには新しい環境が生まれる。
「もちろん、生活の中で必要なものって揃ってはいるんです。でも、その与えられた当たり前では満足できない、自分たちの価値観で必要な日々のものはまた別にあると思うんです。とんがってる感覚はあんまりないんですけれど、そういう生活が日常化されていってる感じがあります。」
井本さんの話は、刺激的だった。大げさに聞こえるかもしれないが、街やコミュニティーの生の鼓動を感じる話だった。井本さんや仲間たちの経営する個人の店は、ひと昔前なら癖のあるマスターのいる喫茶店のような店がはたしていた役割をになっているのではないかと思った。そこで教えてもらうことや初めて経験することがあり、人生相談に対するマスターのひと言が意外に大きく響いたり。井本さんのコミュニティーにも、そういう役割があるだろうし、それで救われる下の世代もいることだろう。
「自分自身がそういうところで救われたことがあるので、やっぱり若い子たちにも伝えたいと思いますね。そういう子たちにとっての刺激的な居場所になりたいですね。今、どんどんマイルドになってきてる気もするんだけど、若い頃にガーンとなるような場所って必要だと思うんです。そこかもしれないですね。そういうところに影響を与えたいってところでやってるかもしれない。そこから出てきたものを見てみたいっていう。若い子たちが何を考えてるか。負けないぞって感覚もあるかもしれないですね。」
冷静で飄々とした井本さんの最後の言葉が思いのほか熱くて、なぜか僕は嬉しくなった。アメリカやヨーロッパのスモールビジネスやコミュニティーばかりが取りざたされがちだけど、そんなところまで行かなくても、ここに等身大の素敵なコミュニティーがあった。それは、名古屋だけでなく、すでに僕たちが住む街すべてにあるものなのに、僕たちはスマートフォン片手にただ見過ごして歩いているのかもしれない。そう思いながら、僕は僕の住む福岡のことを想像し、これから向かう鎌倉のことを考えた。そして、僕たちがこの旅で巡ってきた数多くの街のことを。
さて、旅の終わりが近づいていた。僕は、安堵と寂寥の両方とがないまぜになったような気持ちになった。
取り扱いに困ってしまうようなセンチメンタルな気分とともに、僕たちのハイエースは、薄暮にビルのあかりが灯り始めた名古屋の街を抜け、小雨の高速道路を東へと向かった。
井本さんと名古屋のコミュニティー。(写真提供:ホダプン)
【#23に続く】
「なんでもチャレンジしてみることからはじまること」井本幸太郎
TUMBLEWEED店主。1979年生まれ生粋の名古屋人。バリカンズ所属。2003年、妻が立ち上げた生花店「アトリエみちくさ」を共に運営、2015年オルタナティブ植物雑貨店「TUMBLEWEED」をオープン、独自の視点で若い世代に花や植物の魅力を伝える。デザイナーとしては名古屋パルコのビジュアルやHALF TRACK PRODUCTSへのアートワークの提供、never young beachやシャムキャッツなど若手バンドのグッズデザインを手がける。