ニュージーランド南島 一週間のソロハイキング
日本とほぼ同じ面積ながら豊かな自然が残り、全土を縦断する超ロングトレイル『テアラロア』をはじめとする多くの魅力的な自然歩道を持つニュージーランドは、ハイカー憧れの国のひとつです。
南半球に位置するおかげで、日本では山が雪に閉ざされがちな冬から春にかけても無雪期のハイキングが楽しめることも大きな魅力で、そんなかの地で、学生生活最後の春休みを利用して初めての海外ハイキングを行なった若者からの投稿が届きました。
何もかもが新鮮なはじめての海外ハイキングは、一生心に刻まれるような体験になりえます。なにせ「生まれてはじめての海外ハイキング」は、二度と味わえないのですから! そんな「一生に一度」が刻まれた等身大のレポートに、海外ハイキングをしたことのない人も、ある人も、ぜひお付き合いください。
『山と道JOURNALS』では今回のような読者からのハイキングレポートを随時募集しています。国内の山でも海外の山でも、デイハイクでもロングディスタンスハイキングでも、あなた自身の視点があれば旅の大小は構いません。ぜひお気軽にお問い合わせください。
はじめに
北村豪史と申します。長野県飯山に生まれて20数年、山と道に出会ったことをきっかけに、それまであまり興味のなかった山歩きに目覚め、今では普段の生活から身軽にすることを常々考えている23歳です。
今回は、僕が大学生活の長期休みを利用したハイキングのレポートを投稿させて頂くことになりました。文章を書きながら思い起こすと、やはり素晴らしい旅だったこと再確認しています。
少々長文にはなりますが、海外ハイキングに興味のある方や、行き先を考えている方のヒントになればと思います。
学生生活最後の旅
2019年冬、学生生活最後の春休みが来た。
その1年半ほど前に山歩きにはまってしまった僕は、この休みをハイキングに利用しない手は考えられなかった。日本の冬山を登る知識や装備を準備する時間はないけど、社会人になる前に、思いきり自由で気楽な旅をしたい。そこで季節が正反対のニュージーランド(以下NZ)へ行くことにした。
今回の旅では、できる限り長く歩くことを重視した。とはいえ、いきなりNZを縦断するロングトレイルである『テアラロア』を歩くのは敷居が高い。また、NZは3000m級の山も数多くあり、コースの選び方によっては、かなりハードになることも想像できた。色々調べていると、NZにはスタートとゴールが同じ地点にあるループのコースが多いことを知った。もし何か問題が起きても比較的簡単に街に戻れそうだし、3泊くらいでひとつのコースを歩くことができる。
計画を立てるために利用したのはNZ自然保護局(通称DOC=Department of Conservation) のサイトで、行き先やキャンプサイト、小屋(ハット)の予約、トレイルや水場の情報などを調べることができる。サイト内の”Places to go”というページで、アクティビティ別、地域別に行き先を見つけることができ、”Walking & Tramping”を選択すると、NZの地図上にマーカーが表示され、トレイルの概要や難易度を見ることができる。難易度(Walking track categories)はDOCのサイトより適宜解釈すると以下のようになる。
Easiest: 手軽に自然の中を歩く感じで、車椅子なども可。
Easy: 道も明瞭で老若問わず歩ける。
Intermediate: 複数日を要し、トレイルはほとんど整備されているが、一部で急な所やラフなところもあり、一応山歩き用の靴が適当とされている。今回歩いたコースもこのカテゴリーで、NZのハイキングコースの中でメジャーな『グレートウォーク』(後述)もこのカテゴリーに属する。
Advanced: トレイルは整備されておらず、そこそこの技術と経験が必要。
Expert: 高い技術と経験、堅牢な登山靴が必要で、ルートはほぼ自然のままで整備されていない。
厳密には不明だが、”Tramping”と”Hiking”はほぼ同義で、日をまたぐ山歩きという感じで、それに満たないものは”Walking”と呼ぶようだ。
グレートウォークと呼ばれるメジャーなコースは歩いてみたいし、人が少なく自由にテントを張れるコースにも行きたい。最終的には、ニュージーランド南島のクイーンズタウンそばの「テアナウ」という町を基点にして歩くことにした。町から歩いてアクセスできるケプラートラックをまず3日間で歩き、その後テアナウからバスでディバイドへ行き、そこからグリーンストーン&ケイプルズトラックを4日間で歩く。
ケプラートラックは「グレートウォーク(NZを代表するような景観と希少な植生や生きものたちが生息する自然環境が見られるコースとDOCが定義した10本のトレイル)」のひとつで、シーズン中はハットやキャンプサイトの事前予約が必要で、NZ外から来た人はテントで1泊40NZD(およそ2900円)だ。
一方のグリーンストーン&ケイプルズトラックは予約が必要なく、トレイルから一定距離離れた場所の私有地以外であればテントを張ることができ、有人小屋も適度な間隔にある。これらを合わせて山の中で計6泊、総距離は約140kmという行程になった。海外でのオーバーナイトハイキングは初めてで、自己最長のハイキングになる。
ニュージーランドへ
2月中旬の夜、いよいよNZへ旅立つ。関西国際空港行きのバスに乗るために、まず西宮の駅へ向かう。こうやって旅に出るときは、いつも通る道や乗り慣れた電車も特別なものに思える。
日本とNZとの時差は+3時間で、北島のオークランドまで約10時間のフライトだ。NZ航空の機内ガイドの映像はユーモアたっぷりで、キャビンアテンダントの制服にはNZのものと思しき植物のシルエットが描かれ、南の島という感じがする。映画、音楽、睡眠を繰り返していると、オークランドに到着した。
オークランド空港では、キャンプ道具や登山靴などに付着した土と一緒に外来の動植物が持ち込まれないよう、厳しい検疫があると事前に読んだブログに書いてあった。入国審査のおじいさんに、「テントは新品かそうでないか、食料はどのようなものか」を聞かれたので、テントはユーズド、食料はドライなものと答えると、他の客とは違うレーンを指差した。
一旦空港の外に出ると蒸し暑い。冬の日本から南半球に来たことをここで実感した。再び荷物を預け、クイーンズタウン行きの国内線の搭乗ゲートに着いた頃にはちょうど搭乗案内が始まっていた。
2時間足らずのフライトでクイーンズタウン空港に到着した。空港の外に出るとオークランドよりも若干肌寒く、早くも目の前に荒々しい山の稜線が目に入った。バスの運転手に行き先を伝えると、バスは中心街へ向かって出発した。
クイーンズタウンのワカティブ湖。
クイーンズタウンのアウトドアショップ。
クイーンズタウンはワカティプ湖を望む非常に風情のある町で、観光客が多くとても活気があった。
飛行機に持ち込めなかった燃料やライター、食料、その他必要な物を買いにいく。アウトドアショップで日本では見かけない固形燃料と浄水器を手に入れた際、店内で酒を飲んでいた現地の若者が「かっこいいバックパックだね」と言ってくれた。会計で店員にサンキューと言うと、「ドーイタスマッシュ!」と言ってきて困惑したが、「どういたしまして」と言いたかったのだと、店を出る頃に気付いた。
NZの自然が多いところではサンドフライというハエがおり、刺されるととても痒いらしいので薬局で『ブッシュマン』という虫よけスプレーを買った。防虫成分が日本では販売できないほど高濃度らしい。
夕飯は湖がのぞめるホットドッグスタンドで済ませて、ユースホステルへ向かった。
本当はピザが食べたかった。
虫除けスプレー『ブッシュマン』と自作のテントポール。
ケプラートラック
今回歩いたルート
ハイキング1日目
次の日、まだ夜も明けきらない中、ユースホステルを出てテアナウ行きのバスに乗る。道中は途方もない丘陵地帯が広がっており、圧倒された。
テアナウのバスターミナルに到着し、隣接する広いカフェで朝食をとり、ビジターセンターに向かう。カウンターで名前を伝えると予約票にケプラートラックのスタンプが押印され、途中から日本人の職員の方が説明してくれた。ケプラートラックではパンフレットの地図があれば十分で、水は黄色味がかっているがタンニンの色なので飲んでも問題ないことを教えてくれた。加えてグリーンストーン&ケイプルズトラックで使うキャンプサイトチケットを1枚5NZD(およそ350円)で3枚買い、ケプラートラックのゲートに向かった。初日はモツラウ(Moturau)ハットを目指し、約5時間歩く予定だった。
虹の向こうのトレイルに向かう。
トレイル脇から。
始まったぞ、という実感があるような、もう始めていいのか、よくわからないフワフワした気分でハイキングがスタートした。日差しがとても気持ちがよく、山というよりも森の散歩道という感じだった。絵本の中の世界のように穏やかで、ラグビー選手のような動きをする鳥や、人なつこい鳥に出会いながら、揚々と歩いた。
宿泊地のシャローベイはトレイルから離れているので予約は必要ない。15時くらいに到着し、すぐにテントにこもるのはもったいないと思い、ウロウロ散歩したり、湖畔で石を投げて水切りをした。しかし高緯度のためか、19時ごろになってもなかなか日が暮れず、湖を眺めながらコーヒーを飲んだり、流木でスコップを作ったりして過ごした。
たびたび小雨が降った。
現地で買った固形燃料。
夕飯を作ろうと、湖の水を汲んでみると黒い粒が浮いていたので、さっそく浄水器を使った。夕飯は現地で買ったクスクスを、スープの粉末と乾燥野菜で味を変えながら毎日食べた。
寝床について少したつと、「バサッ」という音がしてテントが倒れた。砂地に設営していたのと、風が少しあったのでペグが抜けてしまったようだ。顔の上に手拭いを乗せて寝ていたので、慌てて取ると、目の前には星空が広がり、湖に目をやると月明かりが湖面に映っている。普通なら、面倒くさいな、と思うことだが、ハプニングに出会う楽しさの方が、なぜか心の中では大きかった。
ハイキング2日目
日本から持ってきたグラノーラとコーヒーを朝食にし、アイリスバーン・ハットを目指して歩き出す。まだ稜線に登ることはないので平坦な道を気楽に歩く。
とても歩きやすい道でその日のキャンプサイトに13時くらいに着いてしまったので、近くの滝まで足を延ばした。靴下などを天日干しして、足を冷やそうとするが、水が冷たすぎて数分もつけてられない。羽虫もたかってくるので、キャンプサイトに戻った。
瑞々しい森の小道。
ナイキのスニーカーに見間違えた。
キャンプサイトは平坦な林の中でとてもいい感じだったが、テントがフロアレスのため、中に大量のサンドフライが入ってくる。テントにいると刺されまくるので外に出てみると、川でたくさんの人が水浴びしていた。
なんとなく人混みを避けたい思いがあり、人が多い方には行かず、近くの小川で歯を磨き、やっぱりテントに戻る。フライは汗に寄ってくるとどこかで読んだので、なるべく肌を出さないように長袖長ズボンを着て、『ブッシュマン』を体に吹きかける。手にかけて顔にも擦り込むが、それでもなんとなく痒い感じがする。寝苦しい夜だった。
ハイキング3日目
今日はいよいよ稜線に出る。南島は緯度が高いため、標高1400mあたりで森林限界に到達するらしい。
平坦な道から徐々に高度を上げながら登っていくと、自分が歩いてきた森を見下ろすことができる。もっさりした深緑の森が遠くの方へと連なり、何かが住んでいそうな雰囲気があった。
稜線に近づくにつれて空が近くなり、独特の黄色味がかった山肌もよく見えてくる。稜線上は風が強くて寒いので、フードをかぶって歩いた。1500mにも満たない山域ではあるが、天候によっては低体温症にもなりそうだと感じた。ともあれ『グレートウォーク』なだけあって人は多く、年配の方も目立った。
山肌からも異国感が漂う。
険しそうな稜線だがトレイルは歩きやすかった。
少し寄り道して、ルクスモア山に登る。標高は1472mだが岩場で風も一段と強い。この辺りはしっかりと防寒対策をする必要を感じた。
頂上から下っていくと、昨日キャンプサイトで会った男性に追いつき、道を譲ってもらう。次のハットまで行き、ルクスモア・ケーブにも寄り道する。この洞窟はルクスモア・ハットから歩いて15分くらいのところにあり、中は狭くひんやりとしていて、スニーカーを履いたカップルがiPhoneのライトを頼りに探索していた。
ルクスモア・ハット。
ルクスモア・ケイブ。
洞窟を出て、ケプラートラックで最後のキャンプ地であるブロッドベイに下っていく。この湾からはテアナウへの船も出ていたり、街へほど近く、軽装で散策している人が増えてきた。
天気が良くなってきて、穏やかな湖畔に到着する。今日のうちに街に戻ることもできるが、テントで連泊したかったので宿には泊まらなかった。テント内には、やはりサンドフライが大量にいた。
試しにテントの内側にたむろしているフライたちに『ブッシュマン』を直がけしてみると、彼らはパラパラと虚しく落ちていく。『ブッシュマン』は虫除けというより殺虫剤に近いのかもしれない。通気口などにもかけていると、圧倒的に彼らの姿が減ったことに気づく。そうか、テントに直がけすればいいのかと地面との隙間などにも満遍なくかけると、サンドフライのいない空間を作ることができた(狭い空間で使うと吸い込んだり目に入ったりして体に悪そうなので必ずしもオススメはできません)。
今日も湖畔での時間を持て余す。砂浜の流木の上に座って余りのエナジーバーを食べ、久しぶりに携帯が繋がったので湖の写真を家族に送った。
ブロッドベイの夕暮れ。
グリーンストーン & ケイプルズトラック
今回歩いたトレイル
ハイキング4日目
今日は一度テアナウの町に戻り、準備を整えてから、グリーンストーン&ケイプルズトラックへ向かう。バスが出るまで時間があるのでテアナウ湖畔をブラブラして、バスが出るビジターセンターへ向かう。
DOCの名物の黄色いパックライナーを土産に買い、バスがどの辺に来るか店員に聞くと、すぐ外のベンチにいればOKと教えてくれた。外に出ると10人くらいの人がバスを待っており、日本の人もいた。外国にいると周りの目をあまり気にしなくなるが、同じ国の人に汚い姿を見られるのは恥ずかしいものだ。
少しすると、乗客リストを持ったおじさんに名前を呼ばれ、バスというよりバンという感じの乗り物に乗り込む。見知らぬ外国人たちとローカルなバスに乗るのは緊張する反面、少しワクワクもした。町から離れて農場の風景に変わってきた頃、運転手のケータイが鳴る。何回か議論を繰り返したあと、車はUターンしビジターセンターに舞い戻ってきた。今度はマイクロバスに乗せられ、再出発した。どうやら乗客が増えたらしく、少し走ってから若い男性2人を拾い、バスは猛スピードで農場風景の中を駆け抜ける。
噂には聞いていたが、羊は多い。
広大な草原と起伏の激しい稜線を前に胸が高鳴る。
途中のテアナウダウンズでは大半の乗客が降りる。ここからはミルフォードトラックというメジャーなグレートウォークに行けるので、皆そちらに向かうのだろう。乗客は僕とカップルだけになり、相変わらずバスは爆走している。
ディバイドに着くと雨が降っていた。ここからはルートバーントラックというグレートウォークにも行けるので、大型バスでたくさんの人が集まる。団体ハイカーのおばさんがトレッキングポールの調整を頼んできたが、僕は使わないのでやり方がよくわからなかった。
まさに鬱蒼とした森。
レインウェアを着て歩き出す。
雨の中では一段と苔むす森という感じが増す。途中からルートバーントラックを外れ、ケイプルズトラック方面に向かうと、いよいよ人と出会わなくなる。
この日が最も妙なテンションで歩いていた気がする。人は全くいないどころか、動物の気配もあまり感じない。しとしと降る雨に打たれながら、薄暗く広大な牧草地を歩いていくと、だんだん現実離れして夢の中を歩いているような気がしてくる。風景の中で唯一の人工物である木道が、かろうじて僕を現実に引き戻す。
日本の山で黙々と森の中を歩いている時にふと立ちどまると、今まで聞こえていた自分の足音や息の音が消えて、自分の存在が森の一本の木と同じになったように感じることがある。一方で今回は、ふと足を止めて周りを眺めていると、人間が登場する前の地球にタイムスリップしたような感覚がした。海外の土地を歩いているという意識と、人の気配のない薄暗いトレイルとが相まって、時間的な遠さに錯覚したのかもしれない。
何かが棲んでいそうな森。
孤独な木道歩き。
誰にも出会わないままハットが見えてきた時は急に現代に帰ってきた感じがして、ハットの中から聞こえる陽気な声に、少し気後れがした。この日はスタートが遅かったので、だいぶ暗くなってからワーデン(ハットに常駐する管理人)の女性にキャンプサイトのチケットを渡す。そのワーデンは英語の訛りがきつくて、あまりコミュニケーションは取れなかったが、3泊分のチケットをまとめて受付した。ここのキャンプサイトは足の長い草地で、軽量な風防や五徳を置くのはとても難しく、なんとか靴で支えながら湯を沸かした。
恐竜が走ってきそう。
ハイキング5日目
昨日濡らした靴に今日も足を入れて、小雨の中を歩いていく。森を抜けると開けた草原に出て、写真に写すと草地が絵筆のタッチのように見えた。
小雨に濡れる草原。
昨日と違い、今日は放牧された牛たちに出会う。いたって普通の牛たちだが、大自然の中にいるとよりたくましく、野生感がある。ともあれ耳には番号札が付いているので管理された牛なのだろう。
今日は14時くらいにグリーンストーン・ハットに着いてしまった。この先歩いても、明日時間が余ってしまうのでここで泊まることにした。
テントをどこに張ろうかとキャンプサイトをうろうろしていると、ワーデンがハットの方から「ハイ!」と声を掛けてきた。こちらも「ハイ!」と返すと、「あれ? こんにちはですか?」と日本語で聞かれたので、「はい、こんにちはです」と答えた。
ここのワーデンは日本人の方で、親切にもテントを張るのに適した場所をアドバイスしてもらい、今夜は強い雨が降ると教えてくれた。そのあと、「3時になったらデーツマフィンを焼くので、よかったらどうですか?」と誘ってもらったので、デーツマフィンがどのようなマフィンか知らなかったが、喜んでお礼を言う。テント泊の人もハットで休憩できるので、中に入ってくつろぎ、久しぶりに建物の安心感を味わう。
ハットの中は静かな時間が流れる。
だんだん晴れ間が見えてきたので、外で瞑想しながら濡れたものを乾かしていると、デーツマフィンの時間になる。
僕は、てっきり宿泊者みんなに振る舞うものと思い込んで、デーツマフィンを抱えたワーデンがやってくる光景を想像していた。しかし、なかなか現れず、気付けば17時になってしまい、ぽつぽつと雨が降り出した。テントに戻り、あぁ、デーツマフィン食べたかったな。と思いながら、夕飯の準備をしていると、だんだんあのワーデンは幻覚ではないかと思うようになった。数日間ほとんど人に会わないし、森の中を長時間歩いたせいで頭がおかしくなっているかもしれない。そもそも外国のこんな山奥に日本人がいることも疑わしくなってくる。
手作りの五徳兼風防。
ハイキング6日目
次の日になり雨は降り去った。テントを片付けていると、あのワーデンがやってきて「昨日はお見えにならなかったですね。雨は大丈夫でしたか。」と言う。彼は幻覚ではなかった。もし昨日、デーツマフィンをもらいにワーデン小屋のドアを叩いていれば、美味しいマフィンと、異国の山奥でワーデンを務める日本人の貴重な話が聞けたに違いない。このことは本当に心残りである。
そんな心境とは裏腹に、その日はとてもいい天気だった。NZに来て以来、曇りや雨の日ばかりだったので、爽やかな朝に気分も上がる。
グリーンストーン・ハットからの眺め。
山に囲まれた牧草地にも朝がやってくる。日差しがあると山や草木が一層輝いて見える。何より、これまで雲に隠されていた稜線が険しく美しい。
草木が目を覚ましたようだ。
堂々とした山容を前に歩みを止める。
ここまで風呂なしで歩いてきて、頭が痒くて非常に不快だった。今日はよく晴れているので、髪を濡らしてもすぐ乾くだろうと思いながら、洗髪しやすそうなところを探しながら歩く。昨夜の雨で、川の水量はとても多い。途中、小さな滝のように流れ出ているところがあり、そこで髪を洗った。さっぱりすると、もっと歩けるような気がした。
至る所で川の水が溢れてトレイルを流れている。靴下とインソールをとって靴を履き、じゃぶじゃぶと歩く。流れは強くないが、ひざ下くらいまで水に浸かるところもあり、小学生の頃の恒例行事であった田植えを思い出す。所々で道が水没してわからなくなっていた箇所は地図アプリで確認する。
ここは周りを山に囲まれているので、川がたくさん流れてくる。試しに、浄水器を通さずそのまま飲んでみると、とてもうまい。それまで行動中は、エナジーバーで腹を満たし、綺麗な水で喉を潤していたが、川から汲んだ水をそのまま飲むと、お腹も同時に満たされ、この水だけでも歩き続けられそうな気がした。
その時ふと、「きれいは汚い、汚いはきれい」という言葉が頭に浮かんだ。もちろんペットボトルに入った水は清潔だし、そういうものしか受け入れたくないという人もたくさんいる。けれど浄水器を通したきれいな水は、人間の傲慢さの味がするように僕は感じた。
最高のコンディションの中を歩き、トレイルで最後の宿泊地ホーデンキャンプサイトに着いた。ここは無人のキャンプサイトで、予約やテントのチケットは必要ないがトイレは設置されていて、すぐ脇の小さな川には20cmくらいの魚が見えた。
トレイルが水没して道がよくわからない。
濡れた持ち物を太陽光に当てて乾かす。明日は少し歩けばバス停に着くし、ここまで無事に歩いて来られたことにホッとしながらゆっくりする。いっぱいだった食料の入った袋もかなり余裕が出来て、長いこと歩いたと実感する。
この日も夜は長い。思い返してみるとグリーンストーン&ケイプルズトラックでは今まで経験したことのない旅が出来たと感じる。もうハイキングが終わってしまう寂さの反面、日本も恋しくなってくる。
暗くなって少し外を覗く。夜空には日本ではあまり見られない南十字星が輝いていた。
中央右寄りに南十字星。
ハイキング最終日
今日でハイキングを終えて街へ戻る。昨日はよく晴れていたのに再び雨となってしまい、せっかく乾いたテントもまた濡れてしまった。
この日は時間がたっぷりあったので、標高約900mのキーサミットという山に登ってみることにしたが、森の中と異なり強風が吹き荒れ眺望もなく、昨日のうちに登っておくべきだったと後悔した。
トイレも強風に耐える。
起点となるディバイド。
ディバイドに戻るとバンが一台やって来て、運転手が席に空きがあるので1本早い便に乗ってもいいと言う。するとカップルで食事をしていた女性が日本語で声をかけてくれ、運転手が言っていることを確認してくれた。彼女は長いこと日本に住んでいたことがあるらしい。
バンに乗り込みディバイドを後にする。今まで自分の足で歩いてきたので、車窓からの風景の移り変わりについていけない。テアナウに戻ってくるとよく晴れており、湖畔の芝生にテントを広げて乾かした。
テアナウのバス乗り場にハイカーが集まる。
クイーンズタウンに戻り、今日くらいはどこかで外食したいと思いながらも、明日のフライトは早朝なので、空港付近のホテルに行かねばならない。土産と酒だけ買ってバスに乗る。ホテルの近くにはあまりレストランがなく、ホテルに着いてから外に出るのも億劫になってしまい、結局この日もクスクスを食べた。
1週間分の汚れをシャワーで洗い流し、日本に帰る準備を整えた。次の日の早朝、酔いも覚めないうちに空港へ向かい、帰国の途についた。
クイーンズタウンの夕暮れ
最後に
旅を終えて思うことは、自分の中では今まででいちばんハイキングらしい旅ができたということだ。
もちろん1週間はそこまで長い期間ではないが、それなりに手応えというか、しっくりくるものがあった。普段の生活からすると不便な毎日だったかもしれない。でも、自分の力だけで歩くことは、誰にも気を使わなくていいし自由だった。歩くことは苦痛ではなく、むしろ自然の恵みを受け、元気になって日本に戻って来られたと思う。
日本での生活は毎日が便利だけど、本当に必要なものはそこまで多くないと、この旅を経験して気づくことができた。これからも歩き続けようと、心から思っている。バックパックに染み込んだ『ブッシュマン』の匂いが消えることはないだろう。
TIPS
・検疫では食料、キャンプ道具についてしっかり申告する。テントなどはすぐ出せるところに入れ、乗り換え時間を多めにとる。
・通信手段に関しては現地でSIMカードを買った。ポケットWi-Fiは周辺機器も含めて重たく、充電も必要になると考えたからだ。
・13000mAhのモバイルバッテリーひとつで全ての電子機器(ヘッドライト、iPhone、GoPro)の充電をまかなった。iPhoneはほとんど機内モードにし、充電する時は50%までにとどめ、1週間もたせた。日が長かったので、ヘッドライトはそれほど使わなかった。
・地図アプリに加え、バスの時刻表やチケットの写しなどもスマホに入れておくと役に立つ。
『山と道JOURNALS』では今回のような読者からのハイキングレポートを随時募集しています。国内の山でも海外の山でも、デイハイクでもロングディスタンスハイキングでも、あなた自身の視点があれば旅の大小は構いません。ぜひお気軽にお問い合わせください。
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