2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。
北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。
半年ぶりの更新となってしまった#21のゲストは、名古屋を拠点に独自の文化を発信し続ける自転車店『サークルズ』代表の田中慎也さんです。
「人力による回転運動がチェーンやベルトで伝わると、そこにパワーが捻出され、また別のモノを生み出していく。それが僕の自転車の概念」と語る田中さんにとってのカルチャーとコミュニティ、そしてそこに根ざした会社を運営していくこととは?
「クマタギ」できると、いっちょ前
写真:ジェームス・ギブソン
山と道のもうひとつのローカルである京都・山食音でのイベントを終えて、僕たちは金沢へと向かった。金沢は僕にとって、古くからの友人がいたり、美術館でもいくつかプロジェクトに関わらせてもらったよく知った街だった。
金沢ではゲストスピーカーを立てなかったので、このインタビューには誰も出てこないが、僕たちは金沢でのイベントも街での滞在も楽しんだ。夏目ファミリーが町で観光している間に、まだ行ったことのなかった白山へデイハイクへ出かけると、秋のウロコ雲がびっしりと青空に張り付いていた。火山性の荒々しい山頂からは、どこまでも続くようなまわりの山並みが見渡せた。
金沢を出発し、名古屋へと向かう。名古屋にはもちろん何度も行ったことはあったが、友達もいなかったせいか、僕にとって馴染みが薄い街だった。
名古屋の中心地区からほど近い、マンションが並ぶ一角に、隣り合ういくつかの物件をつなぎ合わせて使っているような独特の雰囲気を放っているのが「サークルズ」だ。
「12坪の物件で始めた店が、2年半で手狭になったんで、他の物件を探してて。メッセンジャーの子たちとも仕事してたから、一緒に街を走って物件を見てたら『これ、めちゃくちゃいい物件だね』って。ちょうど空いてて、家賃も安くて。」
田中慎也さんは、名古屋をベースに独自の自転車カルチャーの発信拠点である自転車店『サークルズ』の代表である。同時に、地域に育ちつつあるローカルコミュニティーのキーパーソンだとも言えるだろう。
田中さんは、僕に店内をざっと案内してくれた後、2階の事務所の片隅にある椅子に座って話し始めた。事務所内は自転車の部品や海外の自転車雑誌やカタログなどが所狭しと積みあげられていた。
田中さんに会うのは初めてだったけど、田中さんの口から出る「西海岸」や「シアトル」という言葉に熱を感じて、すっかりシンパシーを持った。僕も、20歳の頃、サンフランシスコで数年間生活した経験があったので、今でも、その頃の話なるとつい鼻息荒く当時の自分が主張し始めることがあったからだ。
「チャリに乗ってると、街のことがよくわかるんですよね。ここも、おもしろい空気感がある街だなって思ったんです。ローカルががんばっている感じがした。僕は、都心のちょい外れがおもしろいと思っていて、『ここ、ちょうどいいな』と思ったんです。」
自転車に乗る人らしい目線だった。物件の探し方としては、ネットや口コミよりも早く、自分のニーズにリーチできる合理的で的確な方法かもしれない。
「自転車を意識してやるようになったのは、中学くらいからですね。」
自転車との出会いについてから聞かせて欲しいと僕は田中さんに頼んだ。
「『クマタギ』できると、いっちょ前になった気になりませんでした?」
クマタギ? 僕は、その意味がわからず聞き直した。
「昭和区から瑞穂区、中区から千代田区とか、区をまたぐこと。『区またぎ』ができると自分が大人になった気になる。僕は昭和区だったんで、中区とか瑞穂区へ自転車で行くことがすごく好きだったんですよね。」
その『区またぎ』なら僕にも覚えがあった。ただし、大阪の郊外育ちの僕の場合は『市またぎ』となり、距離的にもう少し気合いを入れる必要があったかもしれない。
「近所の自転車屋さんでパンク修理のやり方を教えてもらって、モノを直せるって感覚がそこで身についた。それまで、借り物の自転車だったんで、自分の自転車が欲しいって思いましたね。」
田中さんは、「自分の自転車が欲しい」という部分を感情を込めてゆっくりと言った。
子供の頃の僕たちにとって、自転車は自由の象徴だった。お金もかからず、ペダルを漕げばどこにでも行ける。小学生の高学年になった頃、子ども用の小さな自転車を卒業し、もう少し大きなスポーツタイプの自転車を親に買ってもらったときのことをはっきりと覚えている。
ピカピカの黒いフレームに高いサドル、タイヤの左右に飛び出した四角いライト、大きめのグリップの付いた変速レバー。それは、まるで高速で移動する宇宙船のように僕の冒険を予言しているようだった。僕は田中さんの声に耳を傾けつつ、同時に幼い自分の甘美な思い出に耽った。
「とにかく、お店がやりたかったんです。サラリーマンにはなりたいと思ったことは1回もない。競技選手になりたいと思ったこともないですね。単純にお店を持ちたかった。」
田中さんは、力強くそう言って僕を現実世界に引き戻した。僕は、慌てて、なぜそれが「お店」だったのかと質問した。
「『めぞん一刻』って僕は言ってるんですけどね。『音無響子』というよりは、『五代くん』に出会ったことが大きい。人と違うことをやれば、そのまわりに色々と面白い価値がついてくるんだなっていうのを、『めぞん一刻』で小6の時に学んだんです。」
僕は、高橋留美子さんによるその漫画の名前も知っていたし、TVアニメを見たこともある。しかし、内容についてはほとんど思い出せなかった。僕がそう伝えると、田中さんは、少しがっかりしたようだった。
「サラリーマンの家庭に育ったこともあって、面白いことがやりたければ、何か違うことをやらなきゃいけないなって思ったんでしょうね。マセた子供だったので、中学生になる頃には、ジーパンショップに文化の匂いを感じてました。そこには自分の知らないものがあって、いろんなことを教えてくれるお兄さんがいて、みんなかっこよくて。こういう商売があるんだなと思った。」
田中さんは、その初期衝動に従った。働くようになると、服飾関係の業界に身を置き、服の輸出入に携わったりしながら、最終的にはアメリカでファッション・マーケティングを学んだ。
「でも、なぜか、ファッションが急につまらなくなったんですよね。『もう終わったな、この文化』って思った。意気がっていたところもあったかもしれない。でも、もっと未成熟な世界に入り込んでいった方が、自分たちの価値観や生き方を表現できるんじゃないかって気がしたんですよね。」
名古屋市中区にあるサークルズ 写真提供:田中慎也
ローカルヒーロー
「やっぱり、人力が良いですよ。シムワークスってメーカーもやってるんですけど、そこの最初のロゴがミシンだったんですよ。ミシンってマシンのことです。」
シムワークスは、自転車パーツのメーカーであり、輸出入を行う部署であり、田中さんはそのマネージャーを兼務している。「ミシン」は「マシン」が訛った和製英語で、英語では’Sewing Machine’というので、ずいぶんヒネリの効いた翻訳のされ方だ。
「自転車って、効率的に移動するために考えられた機械です。人間の移動効率って、歩いたり、走ったりするだけだと、地上動物の中でワースト2位くらいに悪いらしい。スピードに対してエネルギーを使いすぎている。それが、自転車に乗ると移動効率が飛躍的にアップして地上ナンバー1になる。移動はしないけど、ミシンも自転車と同じ仕組みで布を縫うことができる機械です。人力による回転運動がチェーンやベルトで伝わると、そこにパワーが捻出され、また別のモノを生み出していく。それが僕の自転車の概念なんです。」
田中さんの説明を聞いて、僕は納得し、感心した。それが、風力や水力の自然エネルギーを始め、あらゆる内燃機関や原子力などの巨大なエネルギーと比較して、あくまでも「人力」という我々以上でも以下でもない、人類としての分相応のエネルギーなのだという気づきに僕は興奮を覚えた。僕は、大切なことを受け入れるのに時間がかかるタイプなのだ。
話題を田中さんの「お店」に戻そう。
自転車屋だろうがカフェだろうが、業態は何であれ、そこに「場所」を構えて、地域に根付いてやっていくということは、そこにある種の覚悟を伴うものだと僕は思う。生活の糧としての「お金」を得るためだけではない、地域の中で何らかの役割を引き受けるのだというコミットメントが。
「正直に言うと、それはあんまりなかったんですよね。でも、自信はあったんです。良いもの見てきたと思っているし、海外生活の経験も役に立った。良い店がどういうものかっていうイメージを持っていました。だから、自分の家族と自分自身を守るぐらいであれば、やっていけるだろうって。」
田中さんは、奢ったところのない、素直な笑顔でそう言った。
良いものを売っている店が儲かっている店だとは限らないし、儲かっている店が良い店とは言い切れない。良い店に求めるものが違えば、そこに至る方法も様々だろう。サークルズの居心地の良さんは、田中さんの思う「良い店」を高いレベルで表現してるのだと僕は感じた。
数多くの街を訪れるこの旅の中で、僕は、コミュニティーにおける「店」の役割の大きさを感じていた。本当に美味しいパン屋さんだったり、面白いセレクトをしている本屋さんがたった一軒あるだけで、街の印象が大きく変わることがしばしばあった。「店」は、家や職場とは違う、誰にでも開かれている場として人々の拠りどころとなる。定義は様々だろうが、「良い店」に行けば「良いコミュニティー」があると言っても良いと僕は思う。
サークルズは、そういう意味で「良い店」だと僭越ながら言いたくなってしまう。
「今は、SNSで人気者になるのが立派なことのような風潮がある。でも、こうしてここでお店をやっていると、自分たちの役割や立ち位置が見えてくるし、ローカルの中でどういうことができるんだろうって考え出すんですよ。そういう意識は、僕だけじゃなく、いろんな所で生まれはじめてるのを感じてる。だから、自分たちがやりたいことに対して人が来てくれる状況を作ることで、町が持っている力をもう一度掘り起こしたいなって。それが本当の意味でのまちづくりとか、コミュニティーづくりに繋がるんだと思う。もし、自分のいるところに自分のコミュニティーがあれば、ほどんとの人がそこで満足するだろうなって思うんです。それには、SNSでの人気者よりも、地元の祭りでみんなからリスペクトされるようなローカルヒーローの存在が大切だと思うんです。」
田中さんは、僕の方をまっすぐに見たまま話した。
祭りの例え話は僕にはわかりやすかった。僕は、青森県弘前市の「ねぷた祭り」の団体に入れてもらっていて、もう10年以上、毎年8月になると、ねぷたを担ぎに青森へ通っている。祭りのコミュニティーというのは、ある意味特殊だと思う。仕事関係や友達関係とは異なり、一気に距離が縮まるということはなく、毎年一緒にねぷたを運行することでジリジリとお互いを認め、受け入れられていく。そして、もちろん、僕の団体でもSNSでは無名の立派なローカルヒーローがみんなにリスペクトされている。
写真提供:田中慎也
パンクじゃなくてポップス
サークルズはコミュニティーとは言っても、会社でもあり、田中さんはその会社の代表である。僕は、今後、どうなっていこうと思っているのか尋ねた。
「会社や店、コミュニティーの変化とか、あんまり考えてなかったんだけど、結局はスタッフの変化なんですよ。結婚して子どもができたり、成長したり、老いを感じ始めたり。そういうことにどうリアクションしていくのかが、会社というコミュニティーをどうしていこうかってことだと思ってて。だから、僕がこうしたいって思うことはいっぱいあるけど、みんながどうしたいかを、まず聞きたい。『こういうことがしたい』って言ってくれる人が何人いるかが、コミュニティーを変えていく力だと思うんです。」
田中さんは、そう言うとコーヒーをすすって微笑んだ。何か良いエネルギーをもらったような気がして、僕もつられて微笑んだ。
話はいろんな事柄について飛び回りながらも尽きなかった。そのうちに、メッセンジャー業界のカリスマ的存在である共通の友人の話になり盛り上がった。
「僕は、彼ほど原理主義じゃない。パンクロックが好きっていうよりもポップスを作らなきゃいけないって思ってる。自転車カルチャーの補完的な役割として、もう少しだけ広い層に伝えていく役割だと思ってる。ここに続いてくれる人がいると、サンフランシスコとかポートランドのような町になると僕は思ってるんですよね。サンフランシスコで始まり、今では世界で開催されている『クリティカル・マス』って自転車のライドイベントに行くと、あらゆる種類、あらゆる職業の人がいるんですよ。警察官や政治家から僕たちのような人まで、自転車が好きな人たち、自転車を必要としてる人たちが、分け隔てなく集まっていて感動しますよ。そういうことをやるには、トップダウンじゃなくてボトムアップでいかないと。それが、『コミュニティー』っていわれるものがどう正しくあるべきかっていう答えになるかもしれない。それは恐らく、グラスルーツ、草の根って言われるものを尊重する意識。そして、それを保護し守ること。後は当事者がプライドをバランス良く持っていけば、多分、コミュニティーってものの正しい成形につながるんだろうなって思いますよね。」
田中さんの話には「リベラル」という言葉も時折登場した。それは、最近日本でも使われるようになった若干歪曲された「リベラル」ではなく、アメリカの西海岸で生まれたままの「リベラル」だと僕は解釈した。権力から自由でいること、政治権力や大きな経済に干渉されない、個人の自由と多様性を尊重する姿勢だ。そして、それは同時に個人がしっかりとした責任を持つことをともなう。
「『趣味』って言葉が嫌いなんですよ。好きなことをやる人たちを『趣味人』って呼んだり。好きなことであればあるほど、ケアしなきゃいけないことがいっぱいあると思うんですよ。嫁さんと同じですよ。」
田中さんは、そう言って楽しそうに笑った。
僕は、サークルズやサークルズを取り巻くコミュニティーとローカルの未来が楽しみだった。ここは、僕の心が今でもときおりトリップしてしまう、20歳の頃の自由なストリートにつながっていた。
僕にとって、名古屋という町は少しつかみどころがないと感じていたが、やはりここにも、サークルズのような場があって、そこには健やかなコミュニティーがあるんだなと納得した。
田中さんに別れを告げてサークルズを後にすると、10月末のよく晴れた名古屋の空は、キンと冷えていて、サンフランシスコの空のように青かった。
今回、この原稿を確認してもらうために、久しぶりに田中さんに連絡を取ると、下記のように返事が来た。
「2018年にシムワークスUSAというプロモーション、流通ベースの会社を本格的に始動させはじめました。まだ順調とまでは行きませんが、アメリカの自転車エンスージアストに少しずつ認知、支持され始めており、日本製プロダクトの本質的な強さを実感している次第です。また今年はオリンピックイヤーということもあり伊豆、修善寺のMTBコースにほど近いキャンプ場でビックなキャンプインイベントを開催予定です。」
田中さんは、走り続けている。
田中さんとサークルズのスタッフたち 写真提供:田中慎也
【#22に続く】
「サークルズができるまで」田中慎也
サークルズ代表。空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。