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HLC TOUR 2017 REMINISCENCE

#18 近藤英和

文/写真:豊嶋秀樹
2019.04.22
HLC TOUR 2017 REMINISCENCE

#18 近藤英和

文/写真:豊嶋秀樹
2019.04.22

INTRODUCTION

2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。

北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。

#18のゲストは、岡山で『自然食品コタン』を営む近藤英和さん。豊嶋曰く、「食材たちが発する波動が共鳴している店」というコタンですが、近藤さんが自然食品の世界に足を踏み入れたきっかけは、ある一斤のパンにあったのだといいます。

そんな近藤さんが語る、何かをやり続けること、仲間と時間を共有すること、アウェーであり続けるということ。

瀬戸内海を渡り、再び本州へ

近藤英和さん(撮影:豊嶋秀樹)

松山をあとにした僕たちは、行きはフェリーで渡った瀬戸内海を、今度は「しまなみ海道」にかけられたいくつもの橋で数珠繋ぎに繋がった島々を巡るようにバンを走らせた。

秋晴れの柔らかい日差しのなか、潮の香りに誘われていくつかの島では高速道路を降り、島をぐるりと一周ドライブしながら本州へと戻った。

尾道の風情のある坂道の上にある光明寺会館でイベントを行った。尾道は街全体がフォトジェニックだ。ここで数多くの映画が作られたことにも納得がいく。

尾道会場ではトークのゲストを呼ばなかったので、ゲストの話をつなぐこの連載がないのが残念だ。尾道は、すでに存在していた環境資源や歴史資源と新たに盛り上がる自転車やゲストハウスなどのカルチャーが絶妙にブレンドされて層を成す、とても魅力的な街だ。加えて、場の力に引き寄せられる移住者たちの存在がこの街のあり方をさらに独自なものにしているようだった。

尾道でのイベントを終え、僕たちは次のトークゲストである近藤英和さんのいる岡山へと向かった。東へと続く高速道路を降りて岡山の中心地へ着いたのは、街のビルが夕日に照らされてオレンジ色に染まりはじめるころだった。

ひとまず、近藤さんのお店『自然食コタン』へ向かうことにした。『自然食コタン』の黒ずんで味わい深くなった板張りの外観が、時間の流れを感じさせた。僕は、山小屋へ到着したような気分で『自然食コタン』の扉を開けた。

きっかけはここのパン

「岡山に来てすぐコタンを始めたので、今年で13年目ですね。」

僕の「コタンを初めて何年になるのか」という質問に、近藤さんはそう答えた。取材当時13年目ということは、今では15年目になるはずだ。

スキンヘッドにぴったりとしたニットキャップをかぶった髭面の近藤さんは、映画俳優のような雰囲気のある人だった。僕が勝手に持っていた自然食品店の人に対する偏見的なイメージとはずいぶん違っていた。高知出身の近藤さんは、なんとも形容できない独特の柔らかいアクセントで、彼が岡山にやってきて、この『自然食コタン』をやるようになった経緯を話してくれた。

「実は、岡山に来ようと思って来たわけじゃなくて。きっかけは、ここのパンなんです。」

「ここの」というのは、『自然食コタン』の向かいに店を構える『ザ・マーケット』のことだった。近藤さんは、以前、瞑想が生活の中心になっていた時期があったという。その頃に、たまたま知人が持ってきたこの『ザ・マーケット』のパンを食べて衝撃を受けた。ちょうど、それからの生き方を模索する中で、生活のためにパンを作るというのは、瞑想者としてのライフスタイルと親和性があるのではないかと考えていた時期でもあった。

「毎日同じように同じパンを作るけど、ひとときとして同じものはない。そういう意味で、パンは、無常の世界を感じている人にぴったりのルーティンワークだと思った。元々パン好きだったので、それまでにもいろんなパンを食べてきたけど、このパンを食べたときに、これはちょっと次元が違うというふうに感じたんです。そのときに『ザ・マーケット』って手帳にメモしました。」

近藤さんは、その後も瞑想中心の生活を送りながら、瀬戸内海の直島で働くことになり、ある休みの日に岡山のこの店を訪ねる機会を得た。

画像提供/近藤英和

ワン・ブレッド・チェンジ・マイライフ

「パンの職人さんは女性だったんですよ。驚きました。お店もすごく良い雰囲気でした。念がないというか。というのは、天然酵母のパンを焼いている人って『こだわってやってます!』みたいな念が入る人が多い気がして。僕の中で、ここのパンは、すごくハードだけど、軽さがあった。もっと何か公共的というか、開かれたようなものを感じた。そしたら本人も、自分が焼いている感じじゃないって言うんですよ。『焼いてる気がせんのよ。勝手にパンになってるから』って。でも、抜群にうまい。偉そうに聞こえるかもしれないけど、その捉え方が素敵だな、この人信用できるなって思ったんです。無理につくり出してるんじゃなくて、パンがパンになるのを支えているっていうか、ちょっと手助けしているみたいな感じなんです。そんなことを話をしていたら、『ちょうど男手が必要だから働かん?』ってなったんです。」

「パンがパンになるのを支える」という表現が素敵で、すごく共感できた。自分の主張や表現を貫くのもいいが、すでにそこにあるものに少し手を添えて寄り添うというのは、ものごとの育み方として自然でありながら、そのモノや場に対してもっとも整合性の取れたものとなることが多いと思う。

『自然食コタン』の古民家のような店内には、そうやって引き寄せられるように集まった様々な食材がところ狭しと身を寄せ合って並んでいた。僕は、近藤さんの話を聞きながらも、棚に並ぶ醤油やみりんの瓶、トマトソースやインドの漬物のパッケージに興味津々だった。店の中はそんな食材たちが発する波動が共鳴しているようにも感じられた。

「そして、その場で当時のパン屋のオーナーに紹介されて、パン屋でバイトすることになったんです。働き始めてすぐに、彼とオーガニックって何だろうって話をしていたら、『じゃあ、まず醤油探しに行く?』『行こうや!』ってなって、ふたりで醤油探しに出かけたんです。僕はパンのつもりでここに来たけど、数ヶ月後には向かいの建物の土壁とか塗って、自然食品店がオープンしていた。」

そう言って、近藤さんは楽しそうに笑った。

「ほんの少しの野菜と醤油と塩があるだけで、店はとりあえずオープンしました。金土日だけ店をあけて、月から木は生産者をまわって、ひとつずつ商品を増やしていきました。そのやり方が、その後の商品の選び方や判断のベースになっていますね。素人がいきなり本番から始めちゃったから、取引先から教えてもらうことばっかりでした。」

やはり、すべてのできごとには始まりがあった。

僕はあらためて店内を見回した。美しい空間だった。近藤さんの様々な問いに対してのひとつの答えである商品がびっしりと並んでいた。この空間は、「売れるだろう」という経済優先の尺度とは全く別の価値基準でできた社会を体現しているように思えた。

「『ワン・ブレッド・チェンジ・マイライフ』って言えるくらい、ひとつのパンがきっかけでパタンって車輪がまわりだした感じがしました。そういうことでいま岡山にいます。」

画像提供/近藤英和

同じものを食べて同じものを見る

『ザ・マーケット』は、20年前、全てオーガニックの原料を使った天然酵母のパンを出した岡山で最初の店だった。そして、そこから何も変わってない。レシピもそのままだし、新しいパンすら作ってない。ただ、毎日、繰り返し同じパンを焼き続けているだけだという。

それは、僕には、商売というよりも活動に近いように聞こえた。そうやって、毎日同じようにただひとつのことを続けることによって、『ザ・マーケット』や『自然食コタン』を取り巻く環境は変わってきたのだろうか。

「初めは、『自然食品店をはじめたんです』って生産者の方々を訪ねまわっていました。先方にすれば、20代半ばの生意気な若造がやって来たという感じだったと思います。5年くらいたって、少しは『自然食コタン』を知っている人が増えてきたと感じたし、生産者の方々とも数年間付き合ってきて少しずつ変わってきたように思います。なかには『がんばっとるな』って言ってくれる人も出てきました。10年たってからは、有機系のことを意識している人の間では、岡山で『自然食コタン』のことを知らない人はほとんどいなくなりました。逆に『コタンさんですよね』って声をかけてもらえることも多くなりましたね。」

現在、『自然食コタン』は、自然栽培 農業生産法人『WACCA FARM』や、ジュースバー『マルゴデリ』、古道具と雑貨『akizu』、カフェ『mai mai』、インド家庭料理『milenga』、手打ちうどん『松下うどん』をなどを含む、『MARKET GROUP』というグループに属している。これらそれぞれは自立した会社で、それぞれが自立経営する中でお互いの企業が緩やかに精神的なつながりを持っている稀有な形でもある。

近藤さんは、現在では12名ほどのスタッフを抱える企業となった『自然食コタン』を切り盛りする、ビジネスマンとしての側面もある。その模索と経験の中で『自然食コタン』という切り口やあり方から紐解いた「生き方」に関わっていくような講演やワークショップなどを各地で精力的に開催している姿は、小商いの提案者とでもいうべきだろうか。

それは、いわゆる実業家による『勝ち組』となるための方法論ということではなく、毎日食べるものの選び方から始まる、自分のいる地域や社会との関わり合いの中での『今日のつくり方』とでもいうような提案だ。

「同時に、知られていることでの楽な部分と、知られているがゆえのズレのようなものも感じます。でも、圧倒的に生産者の方々とは話がしやすくなりました。儲かっている、儲かってないは別として、自分なりの商売感で15年続けてきた。まわりの目も変わってきたし、持続しているという事実は、説得力というか、人に与える影響力があるんだなと感じています。続けていることでうまれる存在感というか、信用というか。それがいちばん大きな変化ですかね。」

画像提供/近藤英和

根底的なアウェイ感

パンに導かれてここにたどり着き、お店を続けることで、店が場になった。近藤さんは、もうしばらく岡山にいようと考えているのだろうか。

僕がそう言うと、近藤さんは笑った。

「そんなことを考えたこともなかった。東京にも10年ほど住んだけど、先をイメージできなかったかせいか、東京にいようとは思えなかった。岡山に来てからは、先とかそういうことじゃなくて、『今日』の連続でやってきた。だから、これからも岡山にいようと思っているかって聞かれたこと自体が新鮮でした。ここを出るってことのほうがイメージ沸かないから。」

近藤さんは、そう言ってまた楽しそうに笑った。

「高知に帰ろうとも思ってない?」僕は、聞いた。

「帰りたいっていう気持ちも数パーセントはありますよ。高知には親もいるし。岡山には親戚はいないし、同級生ももちろんいないけど、仲間がたくさんいる。高知や東京にはいない、同じ空間を共にしている家族のような仲間です。ひとつ屋根の下じゃなくても、地域やイベントという同じ空間でいろんなものを共有している。むしろ、血がつながっているから家族だということより、同じ空間で同じものを食べて同じものを見てきたっていうことが、自分にとっては大きいことですね。相手と自分の境界線がぼやけてくるんです。それが完全に岡山のほうが強いんです。」

近藤さんは僕の方をしっかりと見ながらそう言った。僕は、近藤さんの眼差しにある種の覚悟のようなものを感じた。

「だけど、同時に根底的なアウェイ感があるから、続いている部分があるのかもしれないですね。高知だったら、客観的な態度を維持して続けることはできなかったかもしれない。」

なるほど、と僕は思った。生まれ育った場所ではないからこそ成立するコミュニティーのかたちがある。「ハイク」と「ライフ」と「コミュニティー」を手掛かりにした僕たちのこの旅にとって近藤さんの言葉は大きく響いた。

翌日、岡山を出発し東へと向かうクルマのなかで、夏目くんから、昨晩、近藤さんとふたりで飲んだという話を聞いた。

近藤さんにとっての「オーガニック」という言葉は、夏目くんにとっての「ハイキング」にあたるもので、お互い、外国からやってきたそれらの言葉を、「日本にいる僕たち自身のものとなるようにアップデートしていきたいね」と語り合ったという。僕は、その夜は先に寝てしまったことを後悔しつつも、おそらく朝まで続いたであろう飲みの現場にいなかったことにほっとしながらその話を聞いた。

さて、瀬戸内海の島々を縫うように本州と四国を行き来する僕たちの旅は、これから瀬戸大橋を渡って香川へ向かう。

画像提供:近藤英和

【#19に続く】

「自然食コタンの話」
スピーカー:近藤英和

「自然食コタン」を始めるまでの経緯。量り売りを始めた理由、「自然食コタン」と「山と道」に感じるシンパシー、コタンのあり方とコンセプトなどについての話です。

近藤英和
近藤英和

1977年 高知県生まれ。大学進学とともに東京で10年。その間にイギリス、インドなど国外の滞在を経験する中で、日本の当たり前にも疑問を持つようになり、脱東京。とあるパンに惹かれて寄った岡山で縁が繋がり、2004年自然食コタン 設立。問屋を介さずダイレクトに生産者や製造者と繋がる形を基礎に、添加物や農薬を使わない食材をできるだけ量り売りしている。
素材だけでなく、つながりのオーガニック感を頼りに新しい出会いとあたりまえに気づく日々を過ごす。

豊嶋秀樹

豊嶋秀樹

作品制作、空間構成、キュレーション、イベント企画などジャンル横断的な表現活動を行いつつ、現在はgm projectsのメンバーとして活動中。 山と道とは共同プロジェクトである『ハイクローグ』を制作し、九州の仲間と活動する『ハッピーハイカーズ』の発起人でもある。 ハイクのほか、テレマークスキーやクライミングにも夢中になっている。 ベジタリアンゆえ南インド料理にハマり、ミールス皿になるバナナの葉の栽培を趣味にしている。 妻と二人で福岡在住(あまりいませんが)。 『HIKE / LIFE / COMMUNITY』プロジェクトリーダー。