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ぼくの台湾歩き旅

#3 台北から台東へ:旅はいつだって巡り合わせ

旅人・佐々琢哉のUL的台湾徒歩旅行
文/イラスト/写真:佐々琢哉
2025.04.11
ぼくの台湾歩き旅

#3 台北から台東へ:旅はいつだって巡り合わせ

旅人・佐々琢哉のUL的台湾徒歩旅行
文/イラスト/写真:佐々琢哉
2025.04.11

世界60ヶ国以上を旅してきた旅人、馬頭琴やカリンバを奏でる音楽家、ローフードやベジタリアン料理の研究家、パステル画家など様々な顔を持ち、現在は高知県の四万十川のほとりで自給自足やセルフビルドの暮らしを送る佐々琢哉さん。そんな彼が、旅歴25年にしてUL化。軽くなった荷物で、2024年に台湾を2ヶ月かけて歩いて旅をしました。

歩き旅だからこそ出会えた台湾の様々な人々や暮らしをめぐる彼のエピソードは大変興味深く、またそんな彼がUL化したら、一体どんなことを感じて、どんなことが起こるんだろう? それが知りたくて、この山と道JOURNALへの寄稿をお願いしました。

連載3回目にして、遂に台湾に降り立った佐々さん。早速、台北でsamplusCOW Recordsを運営する山と道台湾チームに会ったり、そこで紹介されたHLC台灣アンバサダーのリンさんを訪ねて台東に向かったり、さらには地元の中学校で演奏も行うなど、さすがの旅人らしさを発揮します。

台湾の人と出会っていく

1月17日水曜日。出発の日です。8時30分、台湾へ向け、成田空港を出発。荷物は、重さだけでいえば手荷物規制の7kg以内に収まりましたが、馬頭琴が規定のサイズを超えているので追加料金を払って預けることにしました。ついでに、機内持ち込みできないだろうスイスナイフも。

朝いちばんの飛行機だったから、前の晩は空港近くの友人宅に泊めてもらいました。空港まで車で送ってくれた友人は、荷物を担ぎ上げるぼくを見て、「なんでそんなに荷物が小さいの? それで2ヶ月も歩いて旅できるの?」と驚いた様子。「こんな思い切った軽い荷物で旅するのは初めてのことだから、どうなるかね…。だけど、これで、キャンプ道具一式に、馬頭琴とカリンバの楽器ふたつ、スケッチのための道具も入ってるんだよ」と、にっこりと答えました。

11:40、台北の桃園空港に到着。約4時間の空の旅はあっという間で、気づくと着陸のアナウンスが流れていました。窓の向こうに目をやり、初めての台湾の地を見下ろします。国内移動のような時間感覚ではありましたが、降り立つと、やはり異国の空気を感じます。日常では使っていなかったいろいろな感覚が刺激され、開きはじめています。五感で新しい環境をキャッチしながら、そこに順応していこうとする、この感じ。旅のスイッチが入るのがわかります。
税関を通り、荷物をピックアップ。馬頭琴も無事です。楽器を預けてハラハラする気持ちも、久しぶりに味わいました。

台北では、まず山と道の三田くんや藍ちゃんから紹介してもらったコーさんとCOW Records(編注:台北の山と道直営店『samplus』の母体となったセレクトショップ)で待ち合わせをしていました。日本出発前、彼に「台湾へ行きます。ぜひ、会いたいです」とメールを送っていたのです。待ち合わせがあるというのは、なんとも嬉しいものだ。しかも、勝手のわからぬ旅先で。

さて、ここからどうやって街に出よう。iPhoneを空港のWi-Fiに繋ぎ、Google Mapで調べて出てきた台北行きシャトルバスのチケットカウンターへ。バス停の近くに給湯器を見つけ、水筒にお湯を補充。前に中国を旅したとき、給湯器がどこにでもあり、地元の人たちがマイ水筒にお茶を淹れている様子を目にしては「いいなー」と羨ましく思いました。台湾も同じかも? と思い、重さの点で随分と悩みましたが保温水筒を持って来ていたのです。結果、駅にホテルに、公共施設、山小屋でもどこでもお湯の補充ができて、水筒が大活躍。やっぱり、ちょっとしたときに温かいお茶が飲めるのは嬉しい。

そうこうしている間に、バスは出発。
高速道路に入り、郊外の街並みを抜けていきます。

窓の向こうの景色を、注意深く観察している自分がいます。これからどうなるのかわからないけれど、願わくば四国お遍路さながらに街に野山を抜けて歩いて旅するつもりだから、街並みに、行き交う人々、車、動物を目にしながら、また、野宿はできそうか、そこに自分が歩く姿を合わせて想像していきました。このスカウティング・センサーを発動させていく、旅の始まりの感じ。いつもと同じ、わくわく・どきどき。同時に、未知の場所に対する不安な気持ちもありました。何年旅をしても、これも同じでした。

バスはすっかり台北の中心街へ。
バスを降り、初めての台湾の街並みにキョロキョロしながらCOW Recordsを目指します。着くと、スタッフ一同が笑顔でお迎え。どうやらぼくが日本から来ることをみんな知っていてくれていたようで、一気に安心しました。こうして、旅先で、間接的にでも自分のことを知ってくれている人たちに会えるというのは、なんともほっとするものです。

COW Recordsの店先を思い出して。ヘッダー画像用に、間違って縦構図で描いてしまったのでこちらに載せてもらいました。

集まってくれていたコーさん、コーさんの兄であるCOW Recordsオーナーのヘクターと妻ジェニーさん、スタッフの皆さんと「はじめまして」から始まり、近くの手頃でいい感じの宿を教わるなどさっそく今後の旅の段取りを手伝ってもらいました。宿は、教えてもらわないときっと見つけられなかった素敵なところです。やっぱり現地で探してよかった。

COW Records のスタッフの皆さんと。ぼくの隣がヘクター、その横にコーさんと奥さんのマイさんとその娘さん

そして、みなさんのアドバイスを素直に聞くことにして、予定していなかったスマートフォンの契約も手伝ってもらいました。せっかくの旅だから、スマートフォンはなし・オフラインで過ごそうと思っていましたが、彼らに会ってみて「こうして台湾の地元の素敵な人たちと繋がっていけるのなら、やっぱり便利だな」と、気持ちが変わったのです。

後日談ですが、スマートフォンがあったおかげで、その後の旅でもたくさん出会った人たちと仲良くなり、台湾滞在中にLINEでやりとりができました。歩き旅中にはGoogle Mapにもだいぶお世話になったしね。あえて便利をなくそうと思っていたけど、スマートフォンという道具のおかげで、できることが広がることも確かめられたのでした。

なぜ、ここまでスマートフォンに言及しているかというと、日本でも携帯電話やWi-Fiを持たない生活をつい数年前までしていたからです。その当時は不便さがありながらも、目の前のことに常に意識がある、よい時間でした。スマートフォンを持っている今も、常時オンラインである便利さの代わりに、失ってしまう身体感覚もあるデメリットを意識しています。「便利さ」と、「心が真に求めていること」との現実的なバランスをずっと模索している感じです。

さて、コーさんやヘクターに、「これから台湾で何をしたいの?」と尋ねられ、「台湾を歩いて旅したいな。できたら、山にも登ってみたい」と伝えると「そしたら、台東のリンさんに会いに行ったらいいよ。台東は自然がいっぱいあっていい所だし」と、早速リンさんに電話をしてくれました。リンさんは、ヘクターたちと活動する山と道HLC台灣のアンバサダーです。そして早速、2日後に台東で彼に会う約束となりました。

そしたら、明日は1日台北を観光して、明後日に電車に乗って台東へ移動だ。なんだか、いい感じの旅の道筋が見えてきたぞ。

これにて、台湾第1日目終了。
台北へ無事到着し、現地のよい人たちにも出会えた。日本出発前の心配だった気持ちを振り返りながら、ほっとした気持ちで、ホテルのドミトリーのベッドに入りました。つくづく、旅というのは、川に飛び込むのと一緒だな、と振り返ります。飛び込む前は、あれやこれやと不安になってしまうが、飛び込んでしまえば、あとは流れに乗って泳ぐだけ。出発前は、久方ぶりの海外旅行、はじめての台湾ということで、ずいぶん心配したものでした。

台湾に到着した今、流れが見えてきて、これから泳ぐ楽しみで胸がいっぱいになっています。飛び込んでしまえば、見える景色というものは全く違うものなのだなあ。

やさしい気持ちが巡る道筋

1月18日、木曜日。2日目、よく晴れている。沖縄よりも南にある台湾はどれだけ暑いものだろうかと思っていたけど、朝晩は日本の冬の格好そのままで丁度いいぐらい。日本のまだ肌寒い春先といった感じかな。

台北の、朝一番の通りの様子

今日は、台北散策の1日。迪化街という古い街並みの一角にある『地衣荒物』という古道具や作家物のセレクトショップに入り、陳列を眺めていると店主の男性に話しかけられました。彼はバイオさんといい、ぼくも楽器を見せたりしながらあれこれ話をしていたら、何かを感じたようで「ここで、琢哉さんのライブをやりませんか」という話になりました。まさか、台湾でライブをやるとは思っていなかったけど「それは嬉しいよ。ぜひ、やろう、やろう!」といったノリで、2ヶ月後に開催が決定。僕が台湾をぐるりと旅して台北に帰ってきて、日本に帰国直前のタイミングです。

これは、この2ヶ月の旅中に楽器を鳴らすモチベーションにもなるぞ。なんだか、背筋がピンと伸びました。

自分の表現を通して、旅先で人々と繋がっていく感覚。もの作りや音楽で、何年も何年もお金を道で稼ぎながら放浪をしていた20代の頃の旅を思い出しました。

またヘクターに会うため、お店が閉まる21時過ぎにCOW Recordsヘ。「随分と遅くまでお店をやっているんだね」と尋ねると、台北のお店は昼過ぎに始まって夜遅くに閉まるのが通例だということでした(COW Recordsの営業時間は13時〜21時)。

ヘクターの1日の終わりの、夜の散歩道を一緒に歩きました。この時間を大切にしているらしく、毎日数駅分の道のりを歩いているとのこと。きっと、彼にとってこの時間はその日にあったいろいろなことを感じ、消化していくための時間なのかもしれない。彼はお店に立っているときとまた違う、リラックスした姿に見えました。なんだか現地の彼らのいろいろな表情を通して、この土地の旅に深みが与えられていくようでした。

「いつもここに寄って、一杯飲んでから帰るんだよ」と立ち寄ったところは、路地裏にあるヘクターの友人のバー。お酒を飲めないぼくも同席します。外の席に座り、夜風に吹かれ、ビール片手によりリラックスした表情のヘクターといっときのお話をしました。

バーからもう少しだけ歩いて、地下鉄の駅へ到着。
夜もすっかり遅い。ぼくは、明日の朝一番に台東に向けて出発です。「ありがとう、楽しかったよ! また、台北に戻ってきたら連絡するね」とお礼を述べ、「よい旅をしてきてね。困ったら、いつでも電話してよ」というヘクターの最後の言葉に、旅先で頼れる人がいることの安心を感じました。

旅先で親切心を受けると、「自分も誰かに親切にできたら」という気持ちになります。やさしい気持ちが巡る道筋が現れ、よい旅路を予感させてくれました。

そして翌日、1月19日金曜日、台湾3日目。朝一番の台東行きの特急列車に乗るつもりだったのに、駅まで行ったら満席でした。しょうがないので、空席のある正午のチケットを買って、駅近くを数時間ブラブラすることに。

そうそう、こんなアクシデントに出合っても、ULで荷物が軽いと調子が良いのです。旅道具一式を持っていても、日常のデイパックと変わらない感じで、荷物を背負ったまま街歩きに行けます。旅ではいつも重い荷物を背負っていたぼくとしては、まったく新しい感覚でした。かつて旅先での散策の前には、まずは荷物を預けられるロッカーなどを探す必要があったから。それだけのことに、えらい時間をとられた経験も多々ありました。

予定外の空き時間にどうしようかと困ったものの、「あ! そういえば」と、台北在住経験のあるSUNSHINE JUICEのノリくんに教えてもらった素食(スーシー。台湾式菜食)のご飯屋さんが駅近くにあることを思い出しました。そこで早めの昼食にしよう。

自助餐(ブッフェ)形式の店内カウンターには、目新しくて美味しそうな料理がたくさん並んでいて、食いしん坊のぼくは、てんこ盛りのお皿を持って席に着きます。ほっとすると「台北に住んでいる頃は、ここでよくご飯を食べてましたよ!」というノリくんからのメールの一文が思い出されました。彼をここに思い浮かべ、感じてみます。こうして、誰かの思い出の残り香からその場所へと誘われると、体験の彩りが変わるものです。さらには、自分の体験で既にあった物語の続きを綴っていくようでもあります。なんだか、そのことが嬉しい。図らずも電車に乗れなかったおかげで、ここでお昼ご飯を食べれてよかったよ。

台東の別の素食のお店にて。

これぞ、思わぬ展開!?

台北から台東へ。電車の旅はとても快適でしたが、相変わらず車窓の向こうに目をやり、「ここを歩いて、旅できるのだろうか」との思いを巡らせていました。心臓の鼓動が、いつもより速く波打っていました。旅はこんなことの繰り返しです。

台東の遠景

夕刻前に、台東に到着。リンさんとは、事前にLINEで連絡を取り合って宿に迎えにきてもらうことになっていて、車で来たリンさん家族一同は「台東によく来たね!」と笑顔で迎えてくれました。さっそく乗り込み、夕食へ。やはり初めての土地で地元の人に繋がり、迎えてもらえるというのは、ほっとするものです。見知らぬ街、見知らぬ夜の通りの緊張した質感がほぐれていくのを感じました。

台東の夜市

夜市の夕食の席で「これから何をしたいの?」と聞かれ、いつも通りに「台湾を歩いて旅したいです。できたら山も登ってみたいです」と伝えると、リンさんは「台東からも行きやすい、山の上に綺麗な湖がある嘉明湖登山がおすすめだよ」と教えてくれました。また、「登山にはパーミッション*を取らないといけないから、申請にしばらく時間がかかるのと、しばらく天気も悪い予報だし、山に行くのは1週間後ぐらいでどうかな? 私が申請を手伝いますよ」とリンさんが親切な提案もしてくれました。

*原則として、台湾で標高3000m以上の山(台湾では「高山」と呼ぶ)に登るには、山を管轄する公的機関にパーミッションを申請をしなければなりません。詳しくは『TAIWAN Hiker’s Handbook #4 パーミッション取得完全ガイド』へ。山と道では台湾現地のガイド会社『米亞桑(ミアサン)』と協力し、パーミッション取得代行サービスも行っています。

「1週間も宙ぶらりんの時間ができてしまうのか」とっさの反応で戸惑いましたが、ひと呼吸置いて「まあ、急いでもしょうがない。思わぬ余白に、思わぬ出会いがあるだろう」と思い直し、「そしたら、1週間後に山登りできる段取りで、お願いできますか?」とリンさんに伝えました。

すると早速、リンさんの妻セリーンから「時間があるのなら、明後日の日曜日に娘の中学校で吹奏楽部の発表会があるんだけど、よかったら琢哉さんも演奏しませんか? ぜひ、馬頭琴の演奏を子どもや保護者たちに聴かせてもらいたくて」「もしあなたがOKなら、先生たちに大丈夫か聞いてみますよ」との提案が。

「おお、いきなり中学校で演奏するの!? これぞ、思わぬ展開!?」とたじろぐも、「学校で演奏させてもらえるなんて、それは願ってもない機会です。ぜひ、やりましょう!」とお答えして、なんと台湾の初コンサート(?)が2日後に仮決定しました。

つい昨日も、台北のギャラリーでのライブがいきなり決まったけど、学校では今までやったことがないだけに、大丈夫か!? という思いがよぎります。まあ、やったことがないからこそ、やってみたら面白いかも!

台東の屋台で台湾先住民の山菜料理を食す

いっぱい食べた後はまたリンさんたちに車で送ってもらい、セリーンに「連絡を取り合いましょうね、よい週末を!」と言ってもらってお別れ。はるばる台北から台東までやってきた1日でしたが、なんだか台東も面白くなりそうだ!

宿の前で、リンさんと

中学校での演奏

さて、実際に演奏することとなった、日曜日の中学校での発表会はこんな感じでした。

思いもしない、台湾の中学校訪問。キョロキョロしながら、校舎の中を歩いていきます。午後の陽光の中、学生たちのヴァイオリン、チェロ、ピアノなどのクラシック音楽の発表会がスタート。保護者たちの眼差しはあたたかく、生徒たちの緊張した面持ちは初々しい。生徒たちの演奏は素晴らしく、一生懸命さがまっすぐ心に響きました。音の魅力というものは、色々な種類があるんだな。

生徒たちの発表がひと通り終わった最後に「日本からのスペシャルゲストです」と紹介され、リンさんにぼくの英語を中国語に通訳してもらってまずは自己紹介。「ぼくの台湾での記念すべき初コンサートへようこそ」と冗談を言ったら、みんな笑ってくれて、その反応に皆さんとの繋がりが生まれたようで、緊張が和らぎました。

日曜の午後、中学校での演奏会の様子。

別の日の演奏シーン。ロシア連邦国の一部であるトゥヴァ共和国の伝統楽器・イギル(馬頭琴)。この楽器を奏でながら、倍音を利用して高低ふたつの音を同時に表現する「ホーメー」の技法で歌います。

カリンバに馬頭琴。楽しく、気持ちよく演奏できました。ぼくも生徒たちと同じように、保護者や先生たちに見守って励ましてもらいながら演奏させてもらったよう。ああ、緊張した。皆さんには喜んでもらえた様子で、はじめて聞くホーメーの声には、目をまん丸にして、「すごかったです‼︎」とわざわざ握手しにきてくれた生徒たちも。

こうして感動を共有できる機会を創れるのは、とても嬉しい。どこの国に行っても、言葉関係なく繋がれる音楽って、本当にすごい。これだから、いつでもどこでも楽器を担いで旅したくなるのです。それに、音楽を奏でている姿って、ある意味で自分を曝け出している状態でもあるから、「ぼくはこういう人です」って知ってもらえるいい機会なのかもしれない。そこから始まるつながりは、また違うものがあるよね。

そうそう、セリーンの友人で音楽好きのルースも演奏を聞きに来てくれていて、帰りはルース夫妻がこの日の宿まで車で送ってくれました。昨日よりも街に近いところです。夜市にも歩いて行けるし、朝に行きたい生鮮市場も近い場所。台東の街の様子もだいぶ掴んできた感じです。こうして旅先でも少しずつ知り合いができたり、土地勘もついてきたりする感じが、たまらなく好きなのです。

旅中は各地の朝ごはんのお店にもお世話になった。

お別れにルースが「わたしたちは台東の少し北に住んでるから、ぜひ遊びにきてね。一緒に楽器を鳴らしましょう」と言ってくれました。

旅とはいつだって巡り合わせです。躊躇しながらも参加した中学校の演奏会。それをきっかけに出会ったルース。そして数日後に彼女たちの家を訪ねた時に、今回の旅のいちばんの目的である「台湾歩き旅」の地図を、とうとう彼女から託されるのですから。

【#4に続く】

佐々琢哉

佐々琢哉

1979年東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざまなことを学ぶ。2013年より、高知県四万十川のほとりへ移住し、土地に根ざした暮らしを志す。2016年にはローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくや サラダの本』を刊行。2020年夏からパステル画を描き始め、2023年にはそれまでの旅を綴った『TABIのお話会』、四万十の日々の暮らしの風景画の作品集『暮らしの影』を自費出版する。