社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課される山と道。「願ったり叶ったり!」と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんなスタッフの日々のハイキングの記録です。今回は、山と道HLCスタッフ兼セールス担当の木村が、社内の「ULハイキング研修制度」を利用して、秩父から二宮町の自宅まで歩いた174kmの記録をお届けします。
OMM JAPANで培った地図読みスキルを普段のハイキングでも発揮するべく、地図アプリに頼らないハイキングを思いついた木村。紙地図とコンパスだけを頼りに、目指すは「我が家」です。土地勘があまりない埼玉・秩父から出発し、道中トラブルにも見舞われますが、持ち前の無尽蔵の体力とコミュニケーション能力を遺憾なく発揮。はたして木村は、自宅まで無事にたどりつけるのでしょうか。
はじめに
小・中学校の頃、いちばんワクワクした教科書が社会の授業で使う地図帳だった。知らない土地の名前を見つけたり、その場所の産業を調べたりするのが楽しくて、いつもページをめくっていた。
大学生の頃、バックパッカーとして旅に出た時も、地図帳は欠かせなかった。現地の人に教えてもらったおすすめスポットを地図帳に書き込み、旅のルートをペンでなぞって、自分だけのガイドブックを作っていた。トレランに出合い、レースに出始めたのもこの頃。
社会人になり、第1回目のOMM JAPANに参加。地図読みの方法は、大会直前にYouTubeで調べるくらいのいい加減なものだったけど、競技中にだんだん地形が分かるようになる感覚は、なんとも豊かな体験で面白かった。それ以来、毎年のように参加し、地図読みには自信がついたけど(2023年にはスコアロング4位という好成績も記録した!)、ハイキングでは地図アプリ頼みで、地図読みのスキルを活かせていない自分がいた。
そこで、「地図読みスキルをハイキングで活かしてみよう」と思ったのが、今回のULハイキング研修のテーマを思い付いたきっかけになった。
また、「○○トレイル」と名前がつくようなルートをこれまでにたくさん歩いてきたが、決められたルートにどこか物足りなさも感じていた。
「もっと自由に歩きたい」
そう思った時に浮かんだのが、「ゴールを自分の家にする」というアイデアだった。家から遠く離れた場所から地図とコンパスだけを頼りに、自分だけの面白いルートを探して歩く旅。きっと、これまでにはない達成感や冒険が待っているに違いない。
こうして決まったULハイキング研修のテーマは「家を目指して、地図とコンパスで歩く旅」。25,000分の1の地形図とコンパスだけを使い、地図読みスキルをフル活用して家まで帰るハイキングをおこなった。
紙の地図にルートを描く
計画を立てる上で最初に考えたのはスタート地点。研修期間は6日間と決めて、神奈川県二宮町の自宅に帰るプランを立てる。家から150〜200km離れていて、間に山が多い場所はどこだろう。候補に挙がったのは、山梨県の清里、伊豆の下田、埼玉県の秩父の3つのエリアだった。テーマ的にも未知の部分が多いほうが面白いと思い、いちばん土地勘のない秩父をスタートに選んだ。
次に考えたのは、1/25,000の地形図をどうやって用意するか。そのあたりに詳しそうな山と道HLC北関東アンバサダーの廻谷さんに相談したところ、Map25000という地形図活用アプリを教えてもらった。国内の地形図を、磁北線入りで印刷できるという優れもの。秩父から自宅までの地形図をA3サイズで印刷してみたら、なんと13枚にもなった(OMMで使う地図の約6.5倍!)。

13枚の地図を繋げてみると、すごい長さになった。
1枚の重さを量ると9g。13枚合わせると117gで、OMMで使っていた地図を入れられるサイズのジッパー付きポリ袋を2枚足すと170gに。これ、僕のiPhone12 mini(ケース付き)より重い。「iPhoneがいちばん使える山道具」という話をよく聞くけれど、この軽さで地図アプリに限らず、山で役立ついろんな機能が詰まったスマホに改めて感動した。
印刷した地図を眺めていると、「ここを通ったら面白そうだな」とか、「この稜線は緩やかで気持ちよさそう」とか、「こんなところに温泉がある!」と、無数のルートが頭に浮かんでくる。地図アプリだと、どうしても引かれているルートに思考が引っ張られがちだ。その点、紙の地図ならではの発見がたくさんあって、新鮮だった。

地図をじっくり眺める。
地形図に黄色のマーカーでざっくりとルートを引っ張って、12月3日、スタートの秩父本線秩父駅に向かった。

おおまかなルートを事前に黄色でなぞった。OMMのレースで配られる地図を入れるための厚手のジッパー付きポリ袋に地図を入れた。
旅のルート

秩父から出発して、奥多摩〜上野原〜丹沢を通りながら二宮町の我が家を目指す。
秩父の祭りと花火と
ギリギリまで秩父駅で仕事を片付け、装備を整え終えたのは夕方。いよいよ歩き出そうと思ったものの、なかなか街から出られなかった。というのも、その日はなんと「秩父夜祭」当日。日本三大曳山祭のひとつに数えられるこの祭りは、秩父が1年で最も賑わう日だった。

スタート地点の秩父神社。
囃子のリズムが街中に響き渡り、出店が軒を連ね、豪華な屋台がきらびやかに街を彩る。スタート地点の秩父神社から歩き始めたものの、「せっかくだし祭りを楽しまなきゃ!」と足を止め、少しばかり祭りを満喫することにした。

豪華な屋台と祭ムード一色の街。
出店で買ったもつ煮を店先で頬張っていると、屋台を引き終えた夫婦が休憩に立ち寄った。話しかけてみると、おふたりとも生粋の秩父っ子。街や祭りについていろいろ教えてくれて秩父愛を感じた。
僕のバックパックと地図に興味を持ってくれて、研修について話すと、「秩父から歩いて家まで帰るなんて!」と驚きながらも応援してくれた。そして、「景気づけだよ!」と1杯ごちそうに。温かいローカルの人たちとの出会いに、心がほくほくした。
「今から山に入るなんて怖くない?」と心配されつつも、「武甲山からなら祭りの花火が見えるかもしれないよ」と教えてもらった。ちょうど初日の目的地を武甲山にしようと思っていたので、ご夫婦にお礼を伝え、名残惜しさを感じつつ、18時頃、本格的に歩き始めた。

秩父っ子のご夫婦。
祭りの余韻を感じながら、静まり返った街を歩く。街中は分岐が多く、地図から目を離せない。街を抜けて郊外に出ると、ヘッドライトを頼りに地図を照らしながら進んだ。武甲山は良質な石灰岩を採掘できることで有名。周囲にはセメント工場が点在していて、暗い道路を進むと左右に並ぶ巨大な工場が不気味で、山道でのナイトハイクよりも怖さを感じる瞬間だった。

セメント工場の横をナイトハイク。
やがて武甲山の登山口に到着。駐車しているクルマが多いことに気づく。「花火を見に来た人がいるのかな?」と想像し、人がいる安心感にほっとした。トレイルは標識もあり、道も整っているので、夜でも歩きやすい。遠くから聞こえる花火の音に背中を押されるように、足取りも軽くなった。

武甲山へ。
21時半、武甲山の山頂に到着。そこは花火を鑑賞するハイカーや、撮影に熱中するカメラマンたちで賑わっていた。山頂からは、山に囲まれた秩父の街がキラキラと輝き、その街の上空で打ち上がる花火が見える。山から見下ろす花火は新鮮で、1尺玉のスターマイン(連射連発の打ち上げ)の迫力には息を飲んだ。
初日から素敵な出会いと景色に恵まれ、明日以降の旅がますます楽しみになった。山頂付近のあずま屋に寝袋を広げ、満たされた気持ちで眠りについた。

山の上から見下ろした花火。
いきなりルート変更
7時起床。まずは朝食にクスクスを食べる。簡単に作れてエネルギーになるクスクスは、ハイキング中の定番メニューだ。朝日を浴びながら、祭り後の静けさが漂う秩父の街を見下ろし、気持ちを新たにする。そして、8時頃に出発。いよいよ本格的なハイキングのスタートだ。

クスクス。この日はバジルソース、ミックスビーンズ、カマンベールチーズをミックス。
今日のルートは、武甲山から南に伸びる尾根を進み、途中で西に向かう尾根に乗り換えて白岩小屋方面を目指す計画。ゴールは避難小屋で、ざっくり20kmほどの距離になる。
しばらく歩くと、行動した時間、距離、標高から、これからのおおよその所要時間が予測できるようになってきた。地形図には、地図アプリには表示される目的地までの所要時間が、当然ながらない。だからこそ、自分のペースに合わせて予測を立てることが重要だ。
人には会わず静かな山歩きが続く。途中、「ウノタワ」という山の中にぽっかりとした空間があいたような、苔が一面に広がる地形に出くわした。地形図を見ていて気になっていた地形だったので、思わずニンマリ。

祭り後の静けさ漂う秩父の街。
しかし、順調だった歩きも、次第にいくつかの課題が浮き彫りになった。まず、等高線だけでは分からない細かなアップダウンが続き、想定以上に時間がかかる。さらに、不注意で1Lのペットボトルを落としてしまい、付けていた浄水器が破損。ダクトテープで補修してみたものの、浄水時に隙間から水が漏れてしまう。水のトラブルはハイキング中の大きなリスクだ。
行程の遅れと水不足を考慮してルートを再検討することに。最終的に白岩小屋方面には行かず、滝や沢が点在し、水を補給しやすそうな奥多摩方面に南下することにした。

苦しめられた細かなアップダウン。

地面に地図を並べて、ルートを変えるか熟考した。
奥多摩方面の地形図は途中までしか用意していなかったため、トレイルに設置された案内地図をスマホで撮影して、それを頼りに進むことにした。

トレイルに設置された案内地図も頼りにした。
最終的にJR青梅線の奥多摩駅に17時に下山。いくつかのキャンプ場に電話したが、どこも受付終了。途方に暮れそうになったが、ここで「奥多摩ローカルと仲良くなる作戦」を決行。駅付近の赤ちょうちんに飛び込むと、そこには奥多摩のディープな世界が待っていた。
地元の人たちと話すうちに、濃い会話が弾み、秩父とはまた少し違う方言に耳を傾けるのも面白かった。研修や山と道の話をすると、皆が興味津々で聞いてくれて、次第に温かな空気に包まれていった。最終的に、奥多摩でアウトドアのコミュニティ作りを計画しているという方が、自分の店の軒先を提供してくれることに。
予想外のトラブル、新しい発見、地元の人々との触れ合い、それらすべてが旅の彩りとなった。

寝床探しで飛び込んだ赤ちょうちん。
奥多摩の歴史を歩く
7時起床。朝食はトマト系の味付けをしたクスクス。お世話になった奥多摩ローカルの方にお礼を伝え、8時に出発した。

トマト味のクスクス。
今日の目的地は、大菩薩方面。奥多摩駅からどう行こうか迷いながら歩いていると、「奥多摩むかしみち」の案内図が目に入った。トレイル以外を進むのも面白そうだと思い、その案内図をスマホで撮影して参考にしながら進むことにした。
「奥多摩むかしみち」は、かつて東京と山梨を結ぶ交易路だった旧青梅街道の一部。奥多摩駅から奥多摩湖までの約10kmの道には、昔ながらの情緒が残っていて、神社や地蔵尊が点在している。栄えていた当時を思い浮かべながら歩くと、どこかノスタルジックな気分になった。

「奥多摩むかしみち」の案内図。意外とこういう地図が頼りになった。

白髭神社。大岩の側面に社殿がある。

歯医者がいなかった昔は、歯痛には煎った大豆を供えて、平癒を祈ったというお地蔵様もあった。
奥多摩湖に到着。ここからようやく持参した地形図のあるエリアに入った。さらにロードを15kmほど歩いて山梨県の小菅村を目指す。いくつかの橋やトンネルを通り抜けたが、改めて「トンネルや橋って本当にありがたい」と感じた。これらのおかげで、遠回りや山越えをせずに進むことができる。当たり前になっている存在だけど、感謝の気持ちが湧いてきた。

奥多摩湖。
小菅村に到着。道の駅に立ち寄り、奥多摩に醸造所があるVERTEREのクラフトビールと、めずらしいヒマラヤヒラタケ、カレーを購入。里を繋ぐハイキングは途中で補給できる自由度も高いところが好き。その土地ならではの食が手に入るとテンションも上がる!

小菅村の道の駅で補給。
19時に小菅村から山道に入る。気づけば3日連続のナイトハイキング。地形図を見ながらビバークできそうな場所を探す。開けた場所をゴールに設定して夜の山に入っていった。夜道を進むと、どうしても不安な気持ちが湧いてくるが、お気に入りのポッドキャストをiPhoneで流して気持ちを落ち着けた。人の声を聞くだけで、安心感が全然違う。
21時頃、目的地に到着。この旅の間は寒さが予想されたので寝袋の準備をしっかりしていたが、この日の夜の気温はマイナス2度。さらに冷たい風がテント内に入り込み、体勢を変えたり寝袋の口を狭めたりしてもなかなか寝付けなかった。4時頃に保険として持ってきていたカイロを思い出してエマージェンシーから取り出し、ようやく眠ることができた。

ビバーク地点。
山梨の里山を繋いで友人宅へ
暖かい太陽への感謝と共に7時起床。テントから外を覗くと目の前にどーんと富士山! なんて良い場所で寝ていたんだ。道の駅で調達したカレーをクスクスにかけて食べて、8時半に出発した。

テントから出ると富士山が目の前に。

カレー×クスクス。
今日は山梨の里山を繋ぎ、上野原の街へ。そこからまた里山を繋いで、秋山という集落に住む友人宅まで行く計画。この友人宅を中継することは、出発前から予定していた。
秋晴れのもと、ふかふかした落ち葉が広がるトレイルを歩く。昨日はロード歩きが多かったこともあり、山を歩く気持ち良さを格別に感じた。方角と現在地を確認しながら進む。順調だ。途中ちょっとトレイルを外れてみる。踏み跡がないありのままの山を歩くのは楽しく、自然にグッと入った感覚になれて好きだ。
トレイルに戻って、また外れてを繰り返しているうちに、細尾根に出た。尾根が伸びる方角と現在地を確認して進む。細尾根はなかなかの斜度になり、岩場とトラロープの連続になる。地図をしまって、ひとつひとつ真剣に登った。
登り切ったら山頂へ。達成感と同時に「あれ?」と首をかしげた。自分の想定していた山頂と様子が違う。よくよく思い返すと登った急勾配も地図上には見当たらない。夢中で登っているうちに道の誤りに気づけなかったようだ。痛恨の地図読みミス。戻ることも考えたが、なかなかの斜度を下るのは気が進まない。少し遠回りになるが、里に下りる別ルートを地図上に見つけて進んだ。

地図読みミスしていると知らずに登った急登。
里に下りると蕎麦屋があり、気持ちのリセットも兼ねて入る。お店のおばちゃんが気さくに話しかけてくれて、物珍しくザックを見ていたので研修のことを話すと、とても楽しそうに聞いてくれた。
蕎麦が運ばれ食べていると、おばちゃんがニコニコしながら現れた。手にはふたつの小鉢。
「これはサービス! 残りも頑張んなよ」
おばちゃん、本当にありがとう。おかげさまで身も心も完全復活。そこから上野原まで約20km、遅れを挽回するために走り続けた。

蕎麦屋のおばちゃんからもらった小鉢。
上野原は甲州街道沿いの宿場街で、今もその面影を残す歴史ある商店が点在する。途中寄った酒まんじゅうの店主が、こう教えてくれた。「昔ここは絹で栄えた街。ガチャマンという言葉があって、絹をガチャっと織れば、万の金が入ったそうだ。横浜や八王子から商人がたくさん来てたんだよ。今は後継者不足でな…」と。地方の先行きを色々考えながら、先に急ぐ。

甲州街道沿いの歴史ある酒饅頭。
友人宅を目指して17時に本日2度目の里山に入る。例のごとく今夜もナイトハイク。意外と斜度のある岩場が続き、ヘッドライトで先を照らしながら3点支持で慎重に登っていく。今日は里山の洗礼を受けるなあ。
時おり後ろを振り返り、上野原の夜景を眺める。明かりは安心する。また気を引き締めて登る。しばらくすると御前山の山頂に出た。最高の夜景が広がっていた。地元から愛されている山なのだろう。

上野原の夜景。
さらにトレイルを進み、高柄山を目指す。アップダウンを繰り返しながら徐々に標高を上げていく。気づけば街の明かりはなくなり、月明かりのみ。暗闇のなか、身体の感覚がどんどん研ぎ澄まされていった。
ふと、本当によく動く身体だなと思った。急登を越え、ロードを走り、また急登…。それでも動き続ける身体への感謝の気持ちが溢れてた。そこからは「左のふくらはぎ、いつもありがとう!」「右の太もも、よく頑張っている!」みたいに、ひとつひとつのパーツに大声で(熊対策も兼ねて)感謝しながら歩いた。感謝するとまた不思議と力が湧いてくる。気づけば高柄山の山頂に到達していた。

渾身の力を振り絞ってたどり着いた高柄山。
高柄山からの下りがまたすごかった。落ちたてのフワフワの落ち葉がトレイル上にどっさり積もり、地面の様子が全くわからない。しかもまたなかなかの斜度。どう歩いても滑った。試行錯誤した結果、お尻で滑っていく落ち葉シリセードの技でなんとか下った。

落ち葉シリセード。
丹沢で嬉しい出会い
5日目の午前中は友人宅でしっかり休息。13時から歩き始めた。今日の目的地は、馴染み深いホームマウンテン、丹沢にある黍殻(きびがら)避難小屋だ。
秋山からは、小さな集落を繋ぐように歩く。軒下で薪を乾している家が多く見られ、どこか懐かしい風景が広がる。しばらく進むと東海自然歩道に合流。この道を繋げば大阪の箕面まで行けるという、ロマンあふれるロングトレイルだ。東海自然歩道を進んでいくと道志に到着。北側から丹沢を仰ぎ見る。大きな山塊だ。

軒下で薪を乾かしている家。暮らしと山が密接なのだろう。

東海自然歩道の案内図。
林道を歩いて丹沢に入っていく途中で日が暮れてきた。数日間続いたナイトハイキングにもすっかり慣れ、今では暗くなることが楽しみになっている自分がいる。少しずつ満ちてきた月を見上げると、なんだか親しい間柄になった気分になる。
昨日の里山と比べると丹沢は登りやすい。足取りも軽く、ぐんぐん進む。気持ちの高揚を感じながら、17時半には黍殻避難小屋に到着。何やら賑やかな声が外まで聞こえていた。
扉を開けると、そこには大勢のハイカーたちが集まっていて、大宴会の真っ最中だった。
「あれ? キムさんじゃない? 久しぶりです!」
声をかけてくれたのは、以前あまとみトレイルで会ったゆうやさんだった。山で出会い、山で再会する。それだけで心が躍る。話を聞くと、どうやらふたつのグループが小屋で出会い、意気投合して宴会をしているとのこと。
ひとつは、ゆうやさんたちの1泊2日でTTT(丹沢to高尾)をやりにきたファストパッキンググループ。もうひとつは、「Only Hood会」という山と道のOnly Hoodが好きなメンバーで構成されたグループ。ひとつの道具をきっかけにコミュニティが生まれ、それが山と道製品だという事実に、胸が熱くなった。
それぞれが持ち寄ったお酒や食べ物をシェアしながら、宴は続く。僕も毎日作ってきた自慢のクスクスを振る舞うと、これが大好評! ハイキングや道具を愛する人々と語らい、笑い合う時間は、最高のラストナイトを彩ってくれた。

黍殻避難小屋での大宴会。
ついに二宮町の我が家へ!
4時半に起床。昨夜「Only Hood会」のメンバーと「ご来光を蛭ヶ岳で見よう!」と盛り上がり、有限実行とばかりにみんなで早起きした。5時半に小屋を出発して神奈川県最高峰の蛭ヶ岳に到着。曇り空でご来光は見えなかったけれど、仲間たちと歩く早朝のハイキングは心地良い時間だった。

Only Hood会のメンバーと丹沢を歩く。
山頂から見える富士山は、山梨の里山でビバークした時よりもずっと近く、堂々としている。湘南の街、相模湾、遠くには伊豆大島も視界に入る。馴染みのある風景が広がり、帰ってきたという安心感を覚えた。馴染み深い丹沢主脈縦走路を進み、ついに地形図がなくても自力で帰れるところまで来た。

相模湾を見てひと安心。
途中、雪がぱらつき始めた。振り返ると、これまで歩いてきた山々も雪雲に覆われている。一方、湘南方面は晴天でぽかぽかしている様子。丹沢の山塊が寒気や雨を防ぎ、湘南エリアの穏やかな気候を支えているのだと感じた。
塔ノ岳から湘南エリアを見下ろす。地形図と実際の地形を見比べ、自分の家の周辺の丘陵地帯や里山が目視できると、気持ちも上がった。家までのなんとなくのルートを考え、一気に大倉尾根を下った。

地形図と実際の地形を見比べて、家までのルートを考える。
丹沢の南側、麓の街・秦野に到着。気温がぐっと上がり、みかん畑がちらほら現れる。家々の雰囲気も変わり、北側でよく見かけた軒下で薪を乾かしている風景はほとんどなくなった。温暖な湘南の気候を改めて実感。ここまで歩いてきたからこその気づきが面白い。

丹沢の南側はみかん畑が増えた。
ゴールの自宅は湘南エリアのいちばん西端の二宮町にある。家で待つ奥さんに連絡を入れて、僕らの散歩コースである吾妻山の頂上で待ち合わせしよう!と約束した。
まっすぐ帰るのも味気ないので、地形図を見ながら旧道や小さなトレイルを繋ぎ、寄り道しながら歩いた。名残惜しい気持ちと、早く帰りたい気持ちが交錯して、なんとも言えないセンチメンタルな時間だった。
やはり寄り道しすぎて、例によって日が暮れ始める。ナイトハイキングも、いつの間にか研修テーマのひとつになったようだ。奥さんから「まだ?」と連絡が入り、急ぎ足で吾妻山を目指す。
17時過ぎ、ついに吾妻山に到着。暗くなりかけた山頂で、奥さんと再会のハグ。ふたりで家に向かう道を歩いた。

家の近くのいつもの里山にて。
ついに我が家に到着。この旅でいちばんの達成感! 研修の機会を与えてくれた山と道のみんな、そして目の前で笑顔で迎えてくれる奥さんに、感謝の気持ちが溢れた。旅の中で育った豊かな心がそのまま日常に繋がる──そんな不思議な感覚に包まれながら、心地良い余韻とともに旅を締めくくった。
スタートの秩父から関東の山と里を繋いで自分の家まで、1本の道を紡ぎ出した。いろんな出会いや出来事が詰まったこの道は、僕の中だけで色濃く残り続けるだろう。地図とコンパスを持って今度はどんな道を歩こうかな。

無事に我が家に到着!
GEAR LIST
BASE WEIGHT* : 3.67kg
*水・食料・燃料以外の装備を詰めたバックパックの総重量






YouTube
木村とスタッフJKが旅の模様をYouTubeでも振り返りました。