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山と道トレイルログ

大ちゃんのULハイキング研修

Zero To Teppen〜日本海から富士山のてっぺん目指す歩き旅〜(後編)
文/写真:伊東大輔
2025.02.22
山と道トレイルログ

大ちゃんのULハイキング研修

Zero To Teppen〜日本海から富士山のてっぺん目指す歩き旅〜(後編)
文/写真:伊東大輔
2025.02.22

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課される山と道。「願ったり叶ったり!」と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんなスタッフの日々のハイキングの記録です。今回は、山と道京都スタッフの「大ちゃん」こと伊東大輔が、社内の「ULハイキング研修制度」を利用して、海抜0mから日本のてっぺんである富士山までを歩いた15日間の記録の後編をお届けします。

北アルプスの終わりに大雨に降られた伊東ですが、仲間に助けられて難を逃れることに成功。しかし、いつ直撃するか予測できない台風により、これからの進路選択を迫られます。仕事として「するべきこと」を優先するか? ハイカーとして「したいこと」を優先するか? 導き出した答えの先にも、素敵な出会いが待っていました。

逸れ始めた旅の線

「何から何までありがとう!」

「台風も近づいてきてるし気をつけて歩いてね〜。」

前日、北アルプスを歩き終えたぼくをサプライズで迎えにきてくれたウッシーに手を振り、別れの挨拶とハグを交わした。「職場までの通り道だから!」と、次の舞台である美ヶ原の登山口へも送迎してくれ、本当にお世話になりっぱなしだ。こうやって自分の旅に多くの友人が関わってくれることに、生まれ育った母国で旅をする魅力を感じた。

日本海から北アルプスを抜け、ここからは美ヶ原〜八ヶ岳〜奥秩父の山々を通過し、ゴールの富士山へ向かう予定。台風の影響で、かなり強めの雨が降り続いているが、とりあえず歩き出さなければ先へは進まない。しかし、温かい歓迎を受けてほっこりしたぼくの心は、この大雨を受け入れられないほどぬるま湯に浸かっており、ため息をつきながらせっかく乾かした靴を濡らしトレイルへと戻った。

湿原が多く点在し、フラットな高原が続く美ヶ原は、海外の景色みたいだと聞いており、楽しいものだと決め込んでいた。しかし、待ち受けていたのは沢と見間違えるほど増水したトレイルで、正直、不快で仕方がない。

体や衣類が濡れるのも歓迎はしないが、シューズの中や靴下が濡れてしまうのが、いちばん精神的なダメージが大きい。どこまでも広がるような高原の景色はきれいだけど、足元が不快でそれどころではない。雨が止んでくれたらなと思う気持ちとは裏腹に、無情にも雨は降り続き、初めのうちは水を避けるように歩いていたぼくは、諦めてジャバジャバと水の中を歩いた。

トレイルは水で埋め尽くされている。

改めて写真を見るときれいなのだが…。晴れた日のハイキングがやっぱりいちばん楽しい。

旅が始まってはや1週間。その日の昼過ぎだっただろうか。落ち込む気持ちをなんとか引っ張り上げながら美ヶ原の湿地帯を抜けると、白樺湖のリゾート地にたどり着き、人で賑わうその場所に少し面食らった。ここから少しロードを歩いたあと、八ヶ岳を南北に縦走するため、今日は北八ヶ岳の双子池キャンプ場での宿泊を予定していた。

しかし、不穏な空気をまといながら背後に近づいてくる台風は、何ともスピードが遅く、日に日に変化する予報に次の一手に不安を覚えていた。明日には八ヶ岳付近に台風が上陸する予報なので、山に入るのを躊躇するのも無理はない状況だ。

どうするか決め手に欠けるまま分岐に立たされたぼくは、とりあえず入山を避けロードで南下し、八ヶ岳の麓にあるキャンプ場に宿泊することを決めた。もしかしたら明日の昼頃には台風が抜けてくれるかもしれないし、予定していた登山口以外からも入山は出来るので、今日はとりあえず様子を見ることにした。

白樺湖から2時間ほど歩くと少し寂れたキャンプ場に到着したが、受付もお客さんも誰もおらず、営業しているか分からない。「御用の方は下記まで電話ください」と書かれた看板を頼りに電話をするが、目の前の無機質な小屋の中で寂しく電話機がベル音を鳴らせている。

17時を過ぎており、ここに宿泊する以外の選択肢がないので、メモ書きと利用料金を受付に置いてテントを立て始めた。ささっとテントを設置し、夕食の準備をしようとバックパックをあさっていると、1台の軽トラックがキャンプ場に入ってきた。別に悪いことをしているわけではないが、一刻も早く安心できる寝床が欲しいぼくは、軽トラックから降りてきた夫婦にすぐさま声をかけた。

「こんばんは。さっきキャンプ場に着いたんですけど、誰もいなかったので先にテント張らせてもらいました! あの場所で大丈夫でしたか?」

「こんな雨の中よく来たね〜。どこでも空いてるとこにテント張っていいよ。なんなら駐輪場の屋根の下に張ってもかまわんよ。」

駐輪場の下はアスファルトだったので、こんな時には自立式テントが羨ましく思ってしまう。お世辞にも流行りのきれいで小洒落たキャンプ場とは言えないが、バンガローや小屋は手作りで造られており、どこかぬくもりと愛情に溢れていた。

「他に誰もお客さんいないからここに泊まるか?」

そう提案されたのはキャンプ場にはめずらしい食事小屋で、雨が降った時にタープを持っていない人に向けて開放しているそう。そんな管理人さんの温かい提案を、ありがたく、そして食い気味に受けることにした。

「明日の朝はコーヒー淹れてあげるから、受付横の小屋においで。」

雨で冷え切った心を温めてくれるお誘いをいただき、計画から逸れ始めた旅の新たな1日目を無事に終えた。

泊まらせてもらった食事用の小屋はめずらしいフロアレス仕様だ。

「するべきこと」と「したいこと」

「おはようございます〜!」

「昨日はよく眠れたか?」

予定では朝早くに出発するはずだったが、お母さんのお言葉に甘えて朝の時間をゆっくり過ごすことにした。急いでいるわけではないし、なるべく楽しそうな方へ向かうのが、ぼくの旅の唯一の決まり事だ。

案内された小屋には薪ストーブが設置され、クルマのシートがソファのように使われているその光景は、アメリカのトレイルエンジェルを思い出させた。キャンプ場を管理しているおふたりは普段は大阪に住んでいるらしく、夏のシーズンだけここを開放するために住み込んでいるそう。

お世話になったし「何か力仕事でもあれば手伝います!」と声をかけたが、常連の若いキャンパーたちが手伝ってくれているから人手には困ってないそう。管理人さんはもちろん、お客さんも一体となって運営しているアットホームな様子が垣間見えた。

きれいに片付けられているキャンパー同士の交流スペース。

結局、お味噌汁もご馳走になり、出発する頃には10時を過ぎていた。

ふたりに別れとお礼を告げたぼくはふと我に返った。

「あ、これからどうしよう。」

数日前からぼくの旅にちょっかいを出している台風10号は、いわゆるノロノロ台風で、当初の予報ではすでに通り過ぎていてもおかしくなかったが、今だに西の方をウロウロとしている。昨日の段階では今日の昼過ぎくらいに山に入れば何とか台風をかわせそうだなと考えていたが、まったく思い通りにいかず、結局、大荒れの予報が先へ先へとずれ込んでいっている。

「どうしよう……」

順調だった前半とは打って変わり、ぼくはあるふたつの道に葛藤させられることになる。

「研修」と「旅」、すなわち「するべきこと」と「したいこと」。

今回の旅は研修という特別な事情もあるので、できる限り山に入り、悪天候も含めた日本の山岳環境を肌で感じるのがベターだと言えるだろう。もちろん台風が近づくなか、山へ入ることは危険を伴うので、最低限の危機管理は必要であるが、悪天候だからこそ学べることもあるはずだ。

一方、旅として考えた場合はどうだろう。台風が直撃しようとしている雨の中、わざわざぼくは山を歩きたいか。答えはNOだ。ガス一面の光景が目に浮かぶし、雨に全身濡らされて、ただただ不快な気分が続くのは想像に難くない。

研修の学びを大切にするなら山へ。

旅として自分の気持ちを尊重するなら街道へ。

まさか「仕事としてのハイキング」がこんなにもしんどいなんて思いもしなかった。それだけこれまでの旅は自分が気持ちの良い方向に突っ走ってきていたのだろうし、ぼくが旅を好きな理由も、その自由さなんだと思う。勢力の強い台風がまさに直撃しているならば潔く山を避け、ロードを歩いて先に進むべきだが、予測不能な台風が決断の邪魔をした。

しかし、台風が迫るなか山を歩くのは、結局はリスクが高いこと。そして「楽しくないことはしたくない!」という何ともわがままな気持ちに打ち勝つことができず、真面目なぼくに後ろ髪を引かれながらも、ロードで最終目的地の富士山まで歩くことを決めた。大きな国道を歩けば最短で進むことができるが、まったく面白みを感じないので、八ヶ岳麓の田舎道を歩き進めることにした。

ふと周辺の地図をマップアプリで確認すると、何のゆかりもないはずのこのエリアに星マークをひとつ見つけた。そこは「チームシェルパ」と名付けられた場所で、旅行作家でありバックパッカーのシェルパ斉藤さんの奥様である京子さんが営むカフェだった。何気なくホームページをのぞくと、施設内には「旅人小屋」と呼ばれる、カンパ制で旅人を受け入れている簡易的な宿泊施設が併設されているそう。今日の予定が真っ白なぼくは早速メールを送ってみることにした。

「いま日本海から富士山に向けて歩き旅をしている最中です。ご迷惑でなければ宿泊させてもらえませんか?」という、何とも迷惑なメールを送りつけて、歩きながらその返事を待つことにした。もし返信がなければ仕方ないくらいで考えていたが、1時間も経たないうちに、「宿泊は今日ですか? たまたま開けられるので来てもらっても大丈夫ですよ。」と返信を受け取ったぼくの足取りは軽くなっていたに違いない。

八ヶ岳の麓にあった信濃自然歩道の看板。他にも信玄棒道など歴史街道も広がっていた。

雨は一旦あがったが、分厚い雲が周囲を包み込んでいる。

その日の夕方、「チームシェルパ」と書かれた看板に誘われ、男心がくすぐられるセルフビルドの建物にたどり着いた。到着した旨をメールすると、間もなく奥の自宅から京子さんが出迎えてくれ、簡単に施設内を案内してくれた。

旅人小屋は8畳ほどの広さで、室内には2段ベッドが備え付けられており、必要最低限で飾らないその場所は、まさに旅人による旅人のための楽園だった。そして屋外には屋根付きのテラスや薪で焚き付ける五右衛門風呂、さらには焚き火場として使用できる竪穴式住居と、何とも遊び心の塊が視界いっぱいに広がっていた。日によってはカフェとして営業をしているそうで、物珍しい建築物の数々に、来店する子供たちが目を輝かせているそうだ。

自宅を建てた際、余った部材でセルフビルドしたそう。こんな生活には憧れしか抱かない。

店内にはシェルパ斉藤さんの著書やチームシェルパのオリジナルグッズ、アウトドアギアが所狭しと飾られている。

お世話になった旅人小屋の室内。ユニークなことに移動距離や手段でカンパの金額が変わる。

しばらく京子さんと話をしながら店内の著書やトラディショナルなギアに目を奪われていると、シェルパ斉藤さんが奥の自宅からわざわざ顔を出してくれた。現役の旅行作家、そして旅人なので常駐しているわけではないそうだが、この日はたまたま在宅されていた。

「急なのに受け入れてくれてありがとうございます! お世話になります。」

「よく来たね! 日本海から歩いてるんだって?」

「そうなんです! 富士山の山頂まで歩くつもりです!」

「太平洋からSea To Summitする人はたまに聞くけど、日本海から富士山へのSea To Summitは聞いたことないね(笑)。よくそんなところから歩くね〜。」

シェルパ斉藤さんの旅の記事は何度か読んだことがあり、初めはテレビの向こう側の人と話している感覚で少し緊張もあった。しかし、旅人としてまだまだ未熟なぼくの旅の話も広い心で肯定してくれ、嬉しくてついついいろんな話を大先輩に聞かせてしまった。経験や立場は違えど、旅人同士どこか通ずるところもあり、「理解してもらえる!」という同族意識のようなものがそうさせたのかもしれない。

シェルパ斉藤さんは自分の父親くらいの年齢で何十年も前からいろんなスタイルで旅を続けている。歩き、自転車、バイク、列車など方法にこだわらない旅のスタイルが、どこまでも自由でカッコ良く見える。ULなんてスタイルは存在しなかった時代に、大きな荷物でクラシックな旅をするシェルパさんに憧れを抱かずにはいられないし、言語化できないようなロマンが詰まっているように見えた。

台風に計画を邪魔され、少しネガティブな感情がぼくの心の中に漂っていたが、ここに誘われたのも、もしかしたら何かの縁なのかもしれないな。

シェルパ斉藤さんと記念写真。

近所に住むトレイル研究家の勝俣隆さん(べーさん)も駆けつけてくれた。アパラチアン・トレイルのスルーハイカーであり、日本のULハイカー第1世代の中心人物である。現在も、「みちのく潮風トレイル」や「東海自然歩道」などのロングトレイルの調査研究活動を実施している。

近所のスーパーへ行き、トレイルエンジェルごっこと言いながら、次から次へとハイカーが喜ぶものをカゴに詰め込んでくれた。

結局、雨も続いていたので2日間、旅人小屋に滞在させてもらった。屋根があるだけでもありがたかったが、五右衛門風呂で体を温めさせてもらったり、食事を出してくれたり、お茶を一緒に飲む時間を作ってくれたりと、何から何まで本当にお世話になった。

旅をしているぼくの気持ちを手に取ったように理解してくれ、そして気にかけてくれる優しさは、曇りまくっていた心をパッと晴らしてくれた。数日前ですら想像もしていなかったし、偶然の連続がもたらせる出会いに目一杯の「旅」を感じていた。

斉藤さん夫妻とべーさんと食事を食べることに。今回提供してくれた食事やお茶は、あくまで「ご厚意」でタイミングもあるので、今後利用される方は過度な期待を持たないでほしい。それが旅人の流儀だと思う。

天気も少し落ち着いてきたので、重い腰を上げ、おふたりに別れを告げて富士山へ向って再び歩き始めた。シェルパさんに「甲府方面に向かうなら川沿いのサイクリングロードが良い」とおすすめをされていたので、ひとまずそこを南下することにした。

そして、甲府からひと山越えた先には、かの有名な樹海が富士山を囲うように広がっており、そこには東海自然歩道の一部が通っている。偶然にも昨年、べーさんがトレイル調査で歩いたエリアであり、そこを通って富士山吉田口へ向かうことにした。

大雨に降られ、最初に描いた地図はインクがにじんでしまっていたが、偶然の出会いの連続が新しい地図をぼくに授けてくれた。自分の弱さに嫌気が差し、逃げるようにして歩いた先にも、また別の物語が用意されていた。

「旅としては100点だよね?」

そう無理やり自らの選択を肯定するような言葉を自分に言い聞かせていた。

サイクリングロードを進んでいると突如、目の前に現れた川。嘘だろと思い地図を確認すると案の定、道を間違えていた。

旅を初めてはや10日目。計画の変更もあったがゴールの富士山が見えてきた。

To Teppen

富士山の北側に広がる富士の樹海。「富士の樹海は一歩入ると出られない」という俗説もあり、なんとなくダークなイメージを植え付けられているが、そんな場所にこそ惹かれるのは、少年心を忘れられていない証拠だろう。まるでディープな路地裏を散歩するかのような、不安とワクワクが入り混じった気持ちで足を踏み入れた樹海は、ぼくの心境とは裏腹に、原生の苔むした森がどこまでも神秘的で、観光客も散策できるほどにトレイルはきれいに整備されていた。

神秘的な樹海のトレイルには海外からの観光客の姿も見られた。

果たしてこの先にはなにが…?

原生林に見惚れながら夢中で歩くと、あっという間に樹海を抜け、ついにぼくは「てっぺん」の入り口にたどり着いた。この時は旅が終わることの寂しさは意外なほど感じられず、葛藤が続いていた旅からの解放へと向かっていることに安心感さえ覚えた。やはり「したいこと」を選択した自分を肯定しながらも、どこか心にわだかまりが残っていた。

富士山へアクセスするのにチョイスしたのは、北側から山頂を目指す吉田ルート。なんと富士登山者の半数以上が利用する人気のルートだが、1合目からの登山者はあまりおらず、なんとも静かなスタートとなった。吉田ルートの道中には江戸時代に建てられた神社や、かつての休憩所、石畳が数多く残っており、富士山信仰の歴史が色濃く残る登山道だった。ぼくが住む関西エリアも歴史と紐づいた山や登山道が数多く存在するので、見慣れた景色に懐かしさを覚えた。

関西を代表するトレイルである熊野古道にそっくりな石畳の古道。

焼印所の跡地。今では6合目に容易にアクセスができるようになり、1合目からの登山者は減少してしまったようだ。

登山口から歩き始め、1時間半ほどすると、あたりを真っ白に包み込むガスの向こう側に、ぼんやりとではあるが賑やかな人だかりが見えてきた。多くの登山者は麓から運行しているシャトルバスで5合目まで向かい、少し歩いて6合目から登り始めるため、ここから山頂を目指す登山者の集団が目の前に現れた。しばらくあたりをウロウロし、馴染んだ顔を見つけたぼくは、手を振って合図を送った。

「お疲れ〜! ここまでの道中は大丈夫やった?」

「おぉ。お疲れさん。5合目からここまでも結構疲れたわ。」

実は旅のゴールである富士山山頂へは両親と一緒に登る予定をしており、シャトルバスを利用して6合目までやってきたふたりと待ち合わせをしていた。この旅の計画は両親にも話していたのだが、「富士山は死ぬまでに一度は登ってみたいな。いつかワシらも一緒に連れて行ってくれ」と言われていた。

個人的な考えにはなるが、「いつか」なんて思っていても、自ら行動しなければそんな日は一生やってこないだろうし、挑戦できる環境がいつまでも保証されているわけでもない。ぼくたちが数年前に経験したパンデミックが良い例だろう。「いつか」なんて信用せずに、やりたい想いがあるのならば、なるべく早く実行するべきだ。

両親共に登山の経験はないし、なんとも急な誘いだったが「それなら今回一緒に行く?」と声をかけていた。幸い、ぼくが富士山に登る予定日と両親の休みが合わせられそうだったので、今回同行することになった。

合流後、6合目を出発して5分。いや、3分も経たないないうちに、さっきぼくたちが落ち合った場所が鮮明に見えるほど近い場所で、早くも父親が座り込んでしまった。長年スポーツをしており、「体力には自信がある」と豪語していた父親だったが、やはり登山と他のスポーツでは使う筋肉もまったく違うし、酸素の薄さも相まってか、すぐにバテてしまった。

一方、母親は「自分のペースを崩したくない」とゆっくりではあるが着実に登っていっている。母親は富士登山に向けて、地元の低山をトレーニングがてら何度か登っていたそうで、その心構えの違いもあったのかもしれない。

記念撮影用に日本の国旗を掲げて歩き出す登山者。

後ろを振り返ると長蛇の列が。ガスも少し取れて視界が広がってきた。

7合目の小屋に宿泊したぼくたちは深夜1時前に山頂へ向けて出発した。暗闇の中を進み、頂上まで点在する小屋に到着するたびに休憩を挟みながら登るが、相変わらず父親がしんどそうに見える。ぼくも自分の旅のフィナーレへ向かっていることなんかすっかり忘れてしまい、なんとか無事に歩き切ってほしい一心で父親の背中を押し続けた。

気合いを入れて深夜に出発したが、富士山全体が真っ白なガスに包まれ、日の出を拝むことなく、あたりが明るくなってきた。午前6時頃、ぼくたち3人はなんとか富士山山頂にある浅間大社奥宮を眼中におさめた。本来、目の前にあるはずの見渡す限りの絶景は姿を隠し、ここまで懸命に登ってきた両親の気持ちを考えると残念で、なんだか申し訳ない気持ちも芽生えたが、こればかりは仕方がない。

天気と体力次第ではお鉢巡りをしながら富士山剣ヶ峰へ向かおうと考えていたが、ふたりの様子を見ると現実的ではない。母親は少し余裕がありそうで、父親が「休憩所で休んでいるから、よかったらふたりで行ってこい」と言ってくれたが、結局両親を残して、ひとりで3,777mの富士山剣峰へと向かった。

日の出前、一瞬開けた先の景色は異世界のようだった。

二人三脚で山頂を目指す両親。少しは親孝行できたかな?

もはや見慣れてきたガスの景色だったが、自分のペースで歩けることがなんだか心地よい。両親をあまり待たせるわけにもいかないので、日本でいちばん高いお鉢を惜しみもなく足早に駆け抜けると、20分もしないうちに山頂を期待させるような人だかりが目に入ってきた。

「日本最高峰富士山剣ヶ峰」

スタートから15日目。

ルート変更やたくさんの迷いを抱えながらも、ついに日本の「てっぺん」、そしてこの旅の終着点にたどり着いた。

海抜0mの日本海を出発し、約350kmの行程を歩いてきた旅の終わりには、何かしらの達成感や歓喜を感じるのが正解なのかもしれない。しかし、そんな感情はぼくの中にはちっとも存在せず、ただ任務をやり終えたような、どこか寂しい感覚を抱いてしまっていた。もしかしたら景色がしっかり見えていれば、もう少しぼくの中にも「ゴール感」が芽生えたのかもしれないが、今はただただ安堵するばかりだった。

ついに日本のてっぺんにたどり着いた。

そこまで行くなら太平洋まで行けよと計画段階でも言われたが、てっぺんがゴールっていうのも素敵じゃない?

今回の旅では「しなければならないこと」、そして「したいこと」、そのふたつの狭間で葛藤していた。もちろん、ULハイキング研修はテーマや課題をクリアしていく「研修」だということは理解しているし、こんな葛藤なんて本来抱くべきではない。

しかし、研修だという特別な事情を切り離して旅を振り返ると、正直、歩くことを投げ出したいタイミングなんて山ほどあった。台風が接近しているなか、山なんて歩きたくないし、いらない心配なんてせずに気持ちよく歩きたい。大雨の中、わざわざ徒歩で街道を歩いても、お世辞にも楽しいなんて思えないし、さっさと電車で移動して屋内でのんびりしたい。

そんな無理をしてまで旅をする必要なんてあるのだろうか?

もちろん困難を乗り越えてこそ得られる感情はあるだろう。実際、過去に歩いたロングトレイルでは数えきれないほどの苦しい体験をしている。乾燥地帯で水が枯れていたり、山岳地帯でスノーストームに見舞われたり、山火事で行く手を阻まれたり…。もちろんそんな時は「アメリカを徒歩で歩き切る」というロマンがぼくを突き動かしていたし、そこに美学があるのは体験してきたからこそ絶対に否定できない。

しかし、根本的になぜぼくは旅が好きなのだろう?

それはなんとも薄っぺらく聞こえる言葉なのかもしれないが「楽しい」からだ。それ以上でもそれ以下でもない。自分の感情のまま、わがままに、そして自由にその一瞬を作り上げ、「楽しい」を日々積み重ねることがなにより重要なんだ。

競争社会の中を生きているぼくたちは、どうしても結果を求めてしまいがちだし、途中で逃げることはカッコ悪いものだと感じるかもしれない。でも旅やハイキングなんて、本来自分が楽しむためにやっている遊びに過ぎないし、誰かに評価してもらうためにやっているわけでもない。

「ロングトレイルは歩き切らないといけない」

そんなふうに捉えられていることが多いように感じる時がある。本当に嫌なことに耐えて、決めたことをやり通すことだけが正しいのだろうか? 「やり切ることが正義」という固定概念で、楽しむことを忘れてしまうのはもったいないじゃないか。

つまり何が言いたいかというと、「旅やハイキングって自由でいいんだよね」ってこと。

進んでもいいし、立ち止まってもいいし、時には逃げたっていい。

ひとまずぼくは、わがままに自由に、そして楽しくを決め事に、旅を続けることになるのだろう。

次の旅の行く末は…。

GEAR LIST

BASE WEIGHT* : 3.54kg

*水・食料・燃料以外の装備を詰めたバックパックの総重量

伊東大輔

伊東大輔

山と道京都スタッフ。 もともと海外に憧れを持っており、旅中の出会いにより海外のアウトドア文化に傾倒。カナダへのカヌーツーリングやアラスカでのトレッキングを経験する。もっと長い旅を求めて2022年に北米のロングトレイル、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、2023年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)、スペインのカミーノ巡礼を旅する。旅で出会ったULやハイキングカルチャーを多くの人と共感したいと考え、山と道へ入社。「自分らしい旅」を求めてこれからも様々なスタイルの旅を模索していこうと目論んでいる。

連載「山と道トレイルログ」