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ぼくの台湾歩き旅

#1 プロローグ:四国遍路から台湾遍路へ

旅人・佐々琢哉のUL的台湾徒歩旅行
文/イラスト/写真:佐々琢哉
2025.01.21
ぼくの台湾歩き旅

#1 プロローグ:四国遍路から台湾遍路へ

旅人・佐々琢哉のUL的台湾徒歩旅行
文/イラスト/写真:佐々琢哉
2025.01.21

世界60ヶ国以上を旅してきた旅人、馬頭琴やホーミーを奏でる音楽家、ローフードやベジタリアン料理の研究家、パステル画家など様々な顔を持ち、現在は高知県の四万十川のほとりで自給自足やセルフビルドの暮らしを送る佐々琢哉さん。そんな彼が、旅歴25年にしてUL化。軽くなった荷物で、2024年に台湾を2ヶ月かけて歩いて旅をしました。

歩き旅だからこそ出会えた台湾の様々な人々や暮らしをめぐる彼のエピソードは大変興味深く、またそんな彼がUL化したら、一体どんなことを感じて、どんなことが起こるんだろう? それが知りたくて、この山と道JOURNALへの寄稿をお願いしました。

ともあれ、まだまだ話はプロローグ。今回は自己紹介と台湾の旅に行くことになったきっかけが語られるのみですが、それでも漂ってくる濃密な旅のムード! いつものJOURNALの「ハイカーの旅」とは一味違うけど、奇跡のようなことがたくさん起こった佐々さんの旅に、どうぞお付き合いを。

自己紹介 「こんにちは、佐々琢哉です」

ぼくは、2024年の1月から3月にかけての2ヶ月間、台湾を歩いて旅しました。四国お遍路の、歩き遍路さながらに、歩いて、野宿をし、また歩いて、という旅です。

そして、荷物はUL(ウルトラライト)ハイキングという概念を知ってから、初めてのULスタイル。学生時代から世界を旅して約25年。そこで挑戦した旅のお話をしていきたいと思います。

はじめに、自己紹介の意味も込めて、今までの旅の遍歴を紹介しますね。

ぼくは、20代に入った頃から旅を始め、国の数でいったら世界70カ国近くを旅してきました。いちばんの大冒険は、2004〜2005年の、中米コスタリカからグアテマラまでを1年間かけて馬に乗って移動した旅です。

「TABI」と名付けた、中米馬旅の相棒の馬。

馬旅の移動シーン。多国籍の仲間とともに1年間馬に乗り、野宿をしながら旅をした。

荷物の観点でいうと、当時、いや、つい最近までですね。「重くても担げるのなら、お楽しみは多い方がいいよね」という考え方で、70Lのバックパックにずっしりと荷物を詰めて旅をしていました。

イメージ的には「ハイカー」ではなく、「バックパッカー」や「ヒッピー」というスタイルの旅だった。

さて、当時は何をそんなに、ずっしりと持ち歩いていたのでしょうか? その頃の自分には、「ただ旅をしたい」というより「旅先で生きていきたい」という思いがありました。年単位で継続的に海外で旅を続けていくために、「いかに自己表現でお金を稼いでいけるか」ということが重要になり、その思いを実現させるための荷物を持っていました。

それらは、キャンプ道具を含めた衣食住の一式に加え、旅先で披露し、お金を稼ぐための楽器や、靴やアクセサリーなどのもの作りのための素材や道具たち。それはそれは、重くなりますよね(どんな旅だったか、詳しくは自著『TABIのお話会』を読んでね!)。

しかし、当時の自分にはそれが必要でした。そして、ULを知った今でも、その当時のスタイルは「いいなぁ」と思っています。旅先でも表現し、仕事を自分自身で作ること。それって、とても楽しく、生き生きとする行為です。今もぼくは、国内では表現をベースに社会と繋がっています。

ここ最近の旅でいうと、2021〜2022年に四国遍路を歩いたときは、グレゴリーやオスプレーの65Lクラスのバックパックに16〜18kgの荷物を入れていました。正直、ここまで長期間「歩く」ことにコミットした旅をしたことがなかったので、結願後には「さすがに、歩き旅の荷物には重かったよなー」という反省があり、そんな体験の後にULを知ったものだから「軽くできるなら、軽くしたいよね」という切実な思いとリンクしたわけです。

歩き遍路中、高知県の海岸にて。長い筒状のものは行く先々で演奏した馬頭琴。

正直なところ、ULの「軽くする」という概念自体が、今までの自分の思考の文脈からはまったく光が当てられていなかった新しい見方でした。自分の旅のアイデンティティでもあった旅先での自己表現である「音楽」「もの作り」のために「少し重たくても、やりたいことを実現するためのものを持っていこう」といった具合でここまで来ていました。

しかしですね、ULの世界を知り、思い切ってUL化した台湾旅後の感想でいうと、「荷物を軽量化することと旅先で自己表現をすることが両立可能なのだ!」という新たな境地を見つけて、より自分自身と繋がった感覚になりました。その感覚は、「自信」といってもいいかもしれません。

ということで、この記事では、台湾歩き旅の素晴らしかった体験と合わせて、旅歴25年のぼくがUL化してみての気づきや感想なども、お話しできたらと思います。

台湾の暮らしを感じてみたい

まずは、台湾に行こうと思った経緯についてお話ししますね。

台湾にはずっと旅したいと思っていました。その理由はどうしてだったかな? いつから、そんな思いを描いていたのだったかな?

振り返ると、それは東京から高知県の四万十川のほとりへ2013年に移住し、田舎暮らしをはじめた頃からずっと続いていた思いだったように感じます。田舎暮らしにぼくが求めていた要素をキーワードとして書き出してみれば、「質素」「古き良き」「自給自足」「吾唯知足」といった具合でしょうか。

これらの言葉が内包している、「美しさ」を暮らしの中に感じ、体現化しながら日々を送ってみたいと思ったのです。それが、海外の旅を散々した末の、こころが次に求めていた探求の場所でした。

そして、四万十の暮らしを営む中で、これらの要素が隣国台湾にはまだ多く残っているような感じがしていて(という勝手な期待ですが、何かしらのセンサーが反応していたのです)、それらを感じてみたい、と思うようになりました。自分の暮らしの場を四万十に持つようになり、しばしの暮らしの経験を蓄えた今、このタイミングだからこそ、日本と自然観の近い人々の暮らしや文化を感じたい、と思うようになったのです。自分の手で自給自足やセルフビルドをベースにした「暮らし」を創り、営んできたという経験の基軸があったからでしょうか。この自分の軸を持ったことによって、異文化・多文化の「暮らし」に触れた際に感じる「差異」をさらに感じ、学べることがたくさんあるだろうという感触がありました。

コロナ禍。お遍路に行くなら、今だ

しかし、そんな思いを抱いていた頃、コロナ騒動がやってきて、ぼくにとってそれまで当たり前だった「旅」という日常が、日常ではなくなりました。そんな世の変化のおかげで、ぼくは「四国遍路」に出たのです。海外に行けなくなった無念さを、国内の身近な場所への旅に昇華しようとしました。

四国八十八箇所参り、お遍路の存在は四国移住を意識しだした10数年前から知っていて、旅好き、修行好きのぼくとしては、それはたまらなく挑戦したいことのひとつでした。

札所で撮影したお地蔵さん。四国にはこんな風景がたくさん。

すべての札所で般若心経をあげる。

しかし、四国の中の四万十に住み始めてしまったばかりに、お遍路の場である四国が自分の暮らしの場、つまりは「日常」になってしまいました。なぜか、人というのは、すぐにできると思っているものには、「いつか」というボックスに入れてしまって、その反面、手に入れづらい遠くのものばかりにありがたみを感じ、欲してしまうものです。「お遍路」は近くていつでも手の届く「いつか」ボックスに入れっぱなしで、「日常」の中に埋もれたままでした。

と、と、と、そしたら、その「日常」の定義が崩れ落ちるパンデミックがやってきたのです。放ったらかしだった「いつか」ボックスを開ける時がついに来て、「お遍路に行くなら、今だ」と思い立ち、出発したのでした。

お遍路中は絵も描いた。『土佐清水を湾越しに望む』(2021年10月14日)

お遍路のスタートは、我が家の前です。一番札所から始める方も多いですが、お遍路はどこから歩き始めてもよいもの。四国にせっかく住んでいるのですから、我が家の玄関前から第一歩を踏み出すことで、日々の「日常」から「お遍路=旅」モードへ入るという意図がありました。その意識変化のグラデーションを、自宅を0ポイントとして感じ、考察してみたかった。「いままでと違った感性で、見慣れた四国の風景の中を歩いていく自分がいるのだろうか」ということに興味がありました。

そして実際に、こんなやりとりがありました。お遍路さんの白装束の格好をし、いざスタート。集落のお隣さんと遭遇した際のことです。

お隣さん「なんしゆうがや⁉︎ お遍路でも行くがかや?」

ぼく「はい、お遍路に行ってきます」

お隣さん「そうながや〜。それは偉いなぁ。まあ、がんばりや!」

もちろん、今までにしたことのない会話です。お遍路さんの白装束の格好を見たら当たり前のことですが(笑)、なんだか、言葉の中に励ましのようなあたたかな質感を感じました。この質感の違いだけでも、日々の同じ景色や人々と共にいながらも、自分が違うレイヤーに入っていく感じがありました。

また、お遍路初日、道中に訪ねた近所の友人先で、「がんばってね」とおにぎりを手渡してもらいました。道端に座って食べたそのおにぎりのおいしかったことよ。生活圏内で車で通り過ぎるだけの道でしたが、それ以降は車で通り過ぎる度に、「あぁ、おにぎりの思い出の場所だ」と呟く自分がいます。

友人が握ってくれたおにぎり。

「日常」をお遍路で歩いたことにより、日常の場所場所に「物語」という深味が与えられていくようでした。自分の立場を「お遍路さん」にし、いつもと違った意識領域に飛び込むことによって、日々の景色の中に大切な物語を紡いでいけます。慣れ親しんだ日常のあちこちから、物語の新芽たちがところかしこに芽吹き、成長していくようでした。

これは、いままでのぼくの旅の人生において大発見でした。旅とは、どこか遠くの異国の地に、出会いと発見があるとずっと思っていましたが、日々の行いを宝物に変えられるかどうかは自分次第なのだと気づけたし、慣れ親しんだものの奥にある根源との出会いに喜びもありました。

そう、ぼくにとってのお遍路の醍醐味は、人々の暮らしに近いところを歩けたことです。ぼくは、暮らしを、人々の営みを感じるのが大好きです。歩きの意識スピードだったからこそ、いつもの景色、いつもの人々と、出会い直せたことがたくさんあり、「旅」と「日常」がグラデーションで移り変わっていくような感覚もありました。お遍路さんで感じる領域には「旅」の居心地の良さと、「日常」の愛おしさ、その両方が共に流れていました。

さらには、お遍路さんは現在において四国を歩いて知るという水平方向の動きに加えて、人々の祈りの姿を目にしながら歴史や信仰の深さといった、過去から未来への垂直方向の時間軸でも四国を知れましたし、実際、お遍路を歩く一歩一歩は、今に繋がるための時間ともなりました。

そのような行為を、修行といいましょうか。しかし、思い返してみれば、「楽しかった」という言葉がひと言目に出てきます。どうやら、自分にとってとても楽しい修行だったようです。

札所にお参りする人々。

地元の方にお接待を受けた時。

稲木が美しい田園風景の中で。

そんな四国お遍路の経験を経た上で、いざ、台湾旅行と思った時に、こんなことを漠然と思ったわけです。

「なんか、台湾って、サイズも、人々の親切心も(特に根拠はないけど)四国と感じが似てそうね」

「そしたら、お遍路みたいに、歩いて野宿旅できないかな。お遍路とっても楽しかったものなぁ」

「街から田舎へのグラデーションを歩くことができたのなら、より、その土地の人々と文化に触れられるのではないか」

そんなわけで、台湾の暮らしを見てみたいという思いを叶える手段として、「台湾を歩きたい!」と強く思ったわけです。

川に飛び込んでしまえば、あとは泳ぐだけ

ということで、台湾渡航へ向けて旅の準備です。つまり「情報」、「荷物」、そして「心構え」でしょうか。

今回、「情報」は、事前にほとんど何も調べませんでした。台湾に着く日の宿も決めずに、飛行機に乗ったぐらいです。インターネットでいろいろ調べると、情報の沼にハマってしまい、旅立ち前の貴重な時間とエネルギーを使ってぐったりしてしまう自分がいるのです。まあ、調べ物が得意ではないのですね。

なので、もう今回は、潔く何も調べずに行こうと決めました。若かりし頃の旅を思い返せば、いつも現地で自分の足で確かな宿を見つけていたではないか。次の目的地も旅人同士の生きた情報をもとに、その日の朝に決めていたではないか。そんなノリの旅を今一度するのもいいなぁ、と思いました。そんな感じで、台湾へも2ヶ月後の帰りの飛行機チケットだけを押さえて、あとは、「歩けたらいいなぁ」という思いを大枠に設定だけして、海を渡ったのでした。

事前に自分が用意したものといえば、この2ヶ月の時間という「空白」だけ。どんな色に染まっていくのでしょうか。こんな大枠だけの無計画な旅のスタイルも、いいものです。お勤めされている方は、なかなかできないかもしれませんが。

こうした何も決めない旅のスタイルも、荷物が軽いことで、より身軽に行動でき、感動しました。当たり前のことですけど、今回の旅で初めて実感して、それは目から鱗が落ちるような体験でした! 今回の旅の荷物の重量は、楽器も入れて5kg程度でしたから。

大きなバックパックでの旅なら、荷物が重いので、一度駅のロッカーに荷物を預けたり、ホテルにチェックインしたりする行程がありました。飛行機でも、預け荷物のピックアップがあったりとかね。だけど身軽だと、電車やバスから降りたらそのまま街散策を始められます。荷物により移動ごとに起きる節目がなくなりなんとも心地よかったことよ。

そのことで、旅の可能性も広がりました。空港や駅からでも、いわば同じ筆圧の一筆書きで旅の散策が始められるというのは、同じ場所なのに、まるで新しい旅のマップを手に入れた気分になりました。

皆さんが気になるパッキングの話は次回以降にするとして、今回の旅立ち前に、どうにも不安や心配な気持ちに駆られている自分もいることに驚きました。この感情は自分にとって、とても興味深いものでした。久方ぶりの海外への旅に、いままで培ってきた旅の感覚が鈍っているようです。また、台湾へ行くのは初めてだったから、旅慣れた自分でも未知の場所に不安もあります。

未知だからこそ、事前に宿を確約するなどすれば安心の気持ちが生まれたかもしれませんが、まあ、ぼくの性分でそのようなことをしなかったのですね。「いくら岸から心配に思っていても、川に飛び込んでしまえば、あとは泳ぐだけ」のごとく「とにかく現地に降り立ったなら、あとは流れにまかせれば、その先はきっと楽しくなるよ」という、お気楽な気持ちもありました。いままでの旅の経験から、なんとなく大丈夫と思えているのですね。

つまり、「経験」も旅のアイテムになり得るということです。そしたら、物質的な旅のアイテムを減らしたとしても、なんとなく経験が補ってくれて、旅の荷物を減らす手段にも繋がりそうです。

この旅立ち前の程よい緊張感によって、日常からすでに旅路の入り口に足を踏み入れて行くような、非日常的な感覚になりました。

さあ、次は、荷造りです。

川に飛び込んでしまえば、あとは泳ぐだけ。『反射 と 転写』

【#2に続く】

佐々琢哉

佐々琢哉

1979年東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざまなことを学ぶ。2013年より、高知県四万十川のほとりへ移住し、土地に根ざした暮らしを志す。2016年にはローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくや サラダの本』を刊行。2020年夏からパステル画を描き始め、2023年にはそれまでの旅を綴った『TABIのお話会』、四万十の日々の暮らしの風景画の作品集『暮らしの影』を自費出版する。