#1 豊岡ファクトリーの設立と所信表明の巻
写真(中川・北島):大竹ヒカル
#1 豊岡ファクトリーの設立と所信表明の巻
写真(中川・北島):大竹ヒカル
”Made in Japan”がステイタスだった日本のもの作り神話が終焉を迎えつつあります。縫製業界もその例に漏れず、職人の高齢化が進む一方で若い人材も集まらず、先は細るばかり。もの作りの現場は中国からアジア各国にも広がり、日本以上の規模と設備で先進的な取り組みを行う工場も次々と生まれています。
ですが、このまま日本のもの作りの灯を消してしまっても良いのでしょうか。そして私たち山と道にとっても、自分たち自身の手でもの作りができる環境が絶対に必要です。
そのための現在のひとつの目標が、山と道のローカルである鎌倉に建設予定の自社工場。開発や販売、情報発信を担う本社機能の中に生産の現場を置くことで、山と道の中にもの作りがある環境を形作りたい。そして縫製という形でもの作りに携わる生き方があることを示し、若い世代にもそこに参加していってもらいたい。
その取り組みの第一歩として、長年提携している兵庫県豊岡市の鞄製造会社「タカアキ」さんの協力のもと、豊岡に研修のための工場を作り、現在そこにスタッフ2名を派遣して研修と工場設備の設営を進めています。
今回はそのスタッフ2名ーー生産管理担当の中川爵宏と修理部の北島市郎に、ここに至るまでの経緯とこれからの展望を、山と道JOURNAL編集長の三田正明が聞きました。
日本のもの作りの現状と衝撃を受けた工場
ーーまずはふたりの自己紹介をお願いします。
中川 山と道の中川です。僕は生産担当として、生地部材の調達から工場さんの手配や納期の管理を行っています。
北島 山と道の北島です。修理部として直接お客様からの修理品を修理したり、プロダクトチームの一員としてサンプルの部分縫いをしたり、試作品を縫ったり、主に作る仕事に従事しております。
中川爵宏:1年のうち9ヶ月は短パンとノースリーブで過ごす山と道の生産担当。
北島市郎:お客様の修理品をお預かりする山と道修理部主任
ーーそれで今回、今までも山と道にはONE Custom Editionを縫う用の小さな工場はあったけど、より本格的な工場を作ろうっていう所に至ったのは、どういうことがきっかけだったの?
中川 僕らがいま作ろうとしているのはバックパックの工場なんですけど、バックパック工場って日本ではなかなかやる人が少なくて、職人さんもどんどん高年齢化してるんです。それで国内の工場さんはどんどんやってくれる所が少なくなっていて、自分らでもの作りができたらいいなっていうのが始まりですね。
北島 そういう行き詰まりを感じる中で、タカアキさんの工場を初めて見学させてもらった時に、生産効率の高さにカルチャーショックを受けたんです。今年、ベトナムの工場にも視察に行ったんですが、すごい人海戦術で作っていて、人件費の高い日本ではとにかく効率化をしないともうものが作れないんだっていうことを痛感したんです。正にそれをやっていたのがタカアキさんで。
中川 正直ああいうやり方は初めて見ましたし、ああいう方法論があるっていうことさえ知らなかったよね。
ーータカアキさんにはどの辺に衝撃を受けたの?
北島 まずコンピューターミシンを使用した、今までにないような発想のもの作りですね。コンピュータミシン自体は結構古くからあるミシンで、技術的に何十年も前からあるんですけど、タカアキさんはオリジナルで工夫した治具を使用して、普通だったら一度に2工程しかできないところを、一気に3工程、4工程やっちゃうんです。まずそのアイディアがすごいのと、そうやって治具を使って誰でも縫えるような仕組み作りをされていて。職人さんだけではなくて、パートさんだったり、いろんな立場や技術力の人が仕事ができるような仕組みができているんです。
中川 画期的だよね。他では見たことない。それによって生産効率も上がるし、あと技術がなくても縫えるっていう。もう一歩踏み込んで言うと、やっぱり社長の宿南さん自体が独自に考えてるんですよね。ミシンの横には絶対に3段の棚が必要で、生地の置き方はこうだし、ものの置き方は全部水平平行直角みたいな。そういう持論を自分の中でどんどん積み上げていって、ああいう効率的な工場を作れてる。それを独自でやられているのが、本当に他で見ない感じですね。僕らはそのぐらい衝撃を受けました。
ーー他とはもう発想が全然違う。
中川 そうですね。着眼点とか切り込み方が全然違う。
北島 やっぱり僕がすごいなって尊敬した技術者の方々って、常に学び続ける姿勢を持ってる人が多くて。僕がタカアキさんを見て思ったのは、まさにその塊みたいな会社だということで。社長さんをはじめ、その精神を会社自体が体現しているし、常にもっといいやり方はないのかっていうのをみんなで模索して、しかもそれをスタッフの方も楽しんでるように見えて。だから衝撃を受けました。まだ日本にもこんな工場があるんだと思って。
中川 皆さんすごいやる気で満ち溢れてて、楽しそうで。若い人も多くて。
北島 希望を感じましたよね。
かばんの街、兵庫県豊岡市にある株式会社タカアキさん。
かばん縫製の業界で様々な技術革新を行っている宿南孝弘社長。
システマチックに整理整頓されている工場では、日本を代表するバッグメーカーの製造も行っている。
コンピューターミシンと独自開発の治具で生産効率を大幅に上げている。
ーーだから山と道でも工場を作るなら、ぜひ学ばせてもらおうと。
中川 そうですね。それで(山と道代表の)夏目にも豊岡に来てもらって、タカアキさんとちゃんと話をしたのが今年の1月でした。そうしたら「そんなもんはもちろんOKだよ」って言ってもらえたんですけど、正直、最初は山と道のある鎌倉近辺に工場を作って、そこに教えに来てもらいたいと思っていたんですね。でもタカアキの宿南社長が、「教えてもらいたいなら君らがこっちに来んとな」って話になり。
ーーそこからまず豊岡に研修用の工場を作るという話になったんだね。
中川 後日談なんですけど、そう言えばどうせ次の日くらいに「やっぱり行けません」って言ってくるだろうと思ってたら、僕たちが「すぐ行きます」って言うんで、社長も「なんなん君ら」みたいな(笑)。
北島 「諦めさせようと思って言ったのに、逆に来ちゃった」みたいな感じのことをおっしゃってました(笑)。でも、やっぱり工場さんにとって技術って宝だと思うんですよ。それを他の人に教えたりは普通はやらない。っていうかできない。
ーーそれこそ企業秘密だもんね。
北島 だからそれをできる懐の広さを持ってらっしゃるし、中川をはじめとする山と道とのこれまでの信頼関係があったうえで、それをやってみようという話になった部分はありますね。でもなかなかできることじゃないと思います。
山と道の理想の工場って?
ーーそれでこれからふたりは豊岡に移ってまず技術を学んで、工場を作っていこうとしている。どんな工場を作っていきたいと思っているの?
北島 開発から量産に行くまでを柔軟に対応できるような、そういう工場を作りたいというのがひとつ。あと、もの作りの喜びや楽しさが作ってる人も感じられる工場を作りたいなっていう思いが僕はすごくあって。やっぱり手を動かしてものを作るっていうのはすごく楽しいことだから、そこを伝えられる工場があったらいいのになって。
中川 まずはタカアキさんに僕らが魅力を感じた、超効率的で理路整然としていて、研究を重ねながら改善していくような工場を「TTP」するところから…これはタカアキの宿南社長がよく言う言葉で、「徹底的にパクる」という意味なんですけど。「もの作りはまずTTPから始めるんや!」って(笑)。でも、学ばせてもらうことは全て学ばせてもらって吸収はするんですけど、その上で山と道的なやり方、もっと言えばUL的なやり方みたいなのを掘り下げていくような工場にしたいですね。それがどういう着地になるかはまだ僕らも見えてない部分もありますけど、尊敬する方たちのやり方にプラスアルファ僕たちのやり方や生き方を透過したような工場にしたい。
ーーそれで豊岡で物件を探し始めて、いまの場所と巡り合ったいろいろ見ていくなかで、とりあえず今の場所を探り当てたとことかは、どんな感じだったの?
北島 豊岡の街の商店街にすごく古い鉄工所跡の建物があって、その佇まいに惹かれて、何となく頭の中にあったんです。その後、話が進んでいくなかで、じゃあ具体的に工場をどこにするってなったときに、その佇まいの印象がパッと頭に思い浮かんで。ものすごい古い建物なんで、正直、普通は工場をやるならちょっと選択肢に入らないような物件ではあったんですが、実際に内覧したときにその建物の持つパワーに圧倒されて。
中川 どこもすごいサビサビで茶色いし、「誰もこんなとこ借りねえだろ」みたいな物件なんですけど、中に入ってみたら結構広いし、天井も高いし、あそこから何か生まれるんだったらまた楽しいなって。ピカピカのすごいハイスペック工場みたいな物件よりは、ああいうのを手直ししていって使っていく方が、すごく僕ららしいなって。ぶっちゃけ宿南社長は僕らが決めたと言ったら「はあー⁉︎ ほんまわからんわ」ってすごい困惑してましたけど(笑)。
豊岡ファクトリーになる鉄工所跡。見るからに古い!
サビとほこりだらけの内部。ここが本当に工場になるのか⁉
ーーそこでふたりが作っていくだけじゃなくて、そこに仲間を引き入れたいと思ってるわけだよね。その辺はどういう計画なんですか?
中川 人を募集すれば来るってもんでもないと思うんですね。はたまた僕らがあの街で躍動してたら、たまたま出会う人もいるかもしれない。あとは僕らのやり方を理解してくれたり興味持ってくれる人とどのタイミングで出会えるかなので、欲を言うと秋ぐらいまでに2人とか、年内にもう2人とか、それぐらいのペースで仲間が集まってきて、それまでには僕らも知識や経験ゼロからできるようなカリキュラムを作っていくので、それを受ければ作業の中に入っていけるとこまで持っていけたらなって。
ーーその人たちにも、将来的には鎌倉に来てもらいたい。
中川 そうですね。でも豊岡工場をそのまま運用していくっていうのも選択肢としては考えてるので、縫うのは鎌倉で縫っても、裁断とか検品とかをそこでやるとか、そういうパーツ工場みたいなのも考えられるかなとは思います。なのでもう、本当に集まる人たち次第ですね。集まる人が「僕らはここに残って裁断やるよ」みたいに言ってくれれば、そういう工場にできるし、もう「僕ら全員で鎌倉に行きたい」って言えば、じゃあ鎌倉でやろうってなるし。もちろん募集要項もありますけど、その通りに集まることはないと思うんで。流れに任せて、そこでのベストを見つけられたらいいなと思います。
豊岡ではすでにふたりの研修がはじまり、タカアキ企画部の木田さんに指導を受ける中川。
タカアキさんの技術をTTP中の北島。
ーーあと、そもそも工場に職人さんが集まらなくなってきてるっていう状況もあるじゃない? その辺をどう越えていくか。魅力的な職場にしていかないと人も来ないし、働く人もいきいき仕事できる工場にしたいって思いがあったと思うんだけど。
北島 縫製業自体が楽しいものなんだなって思えるような工場ができたらいいなと思います。縫ったことない人でももの作りの喜びを学んでいけて、道具を自分で作ってそれを使えるってやっぱりめちゃめちゃ楽しいことだと思うので、それが実際にできるような仕組みを作っていきたいなと思っています。
中川 北島が言ったように、やってる人が楽しめるような、その人たちが成長していけるような工場にしたいです。縫う人が楽しんでるものって、やっぱものがすごく良くあがるんですよね。それがお客さんに伝わるようなもの作りができたらいいなと思います。
北島 結局、人がやっぱりいちばん大事で。さっき中川が言ったように、どういう人が来るかによって変わってくるっていうところはかなり大きいので。今回は工場が完全にできた上で人を募集するのではなくて、工場を作りながら「一緒にどうする?」みたいな感じで変わっていく部分も結構大きいなと思ってて。なかなかこんなことってできないし、こういうことに挑戦させてもらえる山と道は、やっぱり面白いなって思ってます。
ーーこれを読んでる人から仲間が出てきてくれたらありがたいね!
タカアキ 宿南孝弘社長インタビュー
では、最後にふたりが感銘を受け、今回のプロジェクトにも深く深く関わっていただいている株式会社タカアキ社長、宿南孝弘さんのインタビューをお届けします。
「日本の鞄業界で効率性をとことん追求し続けとる人はどんだけおる?」と語る宿南社長。日本のもの作りの底力をぜひ感じてください!
ーー最初にこれまでのタカアキさんと山と道の関わりを教えていただけますか?
宿南 5〜6年前くらいに、取引している豊岡の信用金庫から、「こんな山道具作ってる会社ありますよ」と声をかけてもらったのが最初。たぶん50本くらいの注文だったから正直、そんなに少ないロットで作るのは面倒臭かったんだけど、その信用金庫の担当が熱心だったから引き受けた。でも、それ作ってから、山と道のバックパックを鳥取の寿司屋で見たんだよ。飯食ってたらバックパック持った若い子が入ってきて、山と道のネームが目に入って。ほんで「うおー! 山と道だ!」って大きな声出したら「え、知ってるんですか? 僕めっちゃ好きなんですわ」って言うから、「これ作っとんねん」って言ったら「嘘でしょ⁉︎」って。ほんの1分ぐらいの会話だったけど、「すごいんですよこれ!」みたいなことを言うんです。それは印象的だったな。そんなに熱く語る人がいるんやって。
ーーお付き合いされている他の会社とも雰囲気が違いますか?
宿南 全く違う。あんまり会社というイメージがないな(笑)。
こちらもインタビューは三田が担当、中川、北島も同席しました。
ーー先ほど工場を見せていただきましたが、本当に様々な場面で能率を上げるような工夫をされていることに驚きました。
宿南 縫製はやっぱり生産性を高めんと原価が下がらへんし、利幅が少ない。社員の給料を上げていくためには効率を上げるっていうことを考えるしかない。あと売ることよりも、ものを作って感動してもらったり、誰かのためにを考えてやらないと、長続きせえへん。そういうことをやってきてます。なんでもやりがいを持ってやらんと、面白くない。カバン作りもこのラインのこの部分しかできないとひとつも面白くない。うちの会社は全部ができるように教え込むんで、我慢さえすればいつか絶対カバンができるようになる。
ーー普通はそうやってラインを組んで分業で作業をするんですよね。
宿南 ずっと朝からテープに紐を通してゴム通してここだけ縫ってって、こんなん絶対おもんない。自分がこんなんさせられたら嫌だなとか、こんなんしたら面白いな、ワシならどうするかを基準に考える。だって良いものを作ろうと思ったら、人を作っていかないとそうならへんから。
ーー良い人を作らないと良いものはできない。
宿南 そう。だから人作りが最初になる。ええ関係性を作っていかんと。だから何かものを売ってる人は工場をやるべき。それをやってる人じゃないと、売ったら駄目よぐらいに思う。
スタッフの皆さんにも積極的に声をかけて回る宿南社長。
新しい機材や作業方法はさっそくチェックする。
中川 多分、宿南社長がいなくて、ただ僕らが工場やりたいって言ったら、夏目のOKは取れなかったかもしれません。やっぱり社長のやり方を見て、それはもうこの人に学ぶべきだっていうのが大きかった。社長は1回生産したら次やるときにもう1回全部の工程を見直して、そこでもっとこうできるんじゃないか、もっといい方法があるんじゃないかっていうのをずっと繰り返されている。それが生産性を上げて、社員の人の給料をアップするためでもあるっていう。
宿南 だから最初のサンプルを作る段階から、うちにさしてもらった方がいいよっていうのは言ってた。山と道さんがサンプル作ると、そのサンプルを作った人の考え方になっちゃうから。量産的な考え方、これを3,000本作るのと30本作るのだと、作り方が違う。だからそれを考えるのだったら最初からした方がいいと思う。だから「自分らでした方がいいで」って。
ーーでも最初は鎌倉に工場を作るためにお知恵を借りたいって話が、豊岡に研修のための工場を作って中川と北島がそこに行くってのも、けっこうすごい展開だったなと思うんですけど。
中川 「本当に学ぶ気があるんだったら、こっちに誰か寄越せ」って。
宿南 それからやらんと無理や。鎌倉なんてよう行けへんぞって。そう言ったら絶対明日には「やめますわ」って電話かかってくるでって言ってたら、「やります。夏目に相談したらすぐ決まりました」って。うそやろ(笑)。めっちゃ笑った。大爆笑したわ。
ーーじゃあふたりはこれから豊岡で研修させてもらって、さらに効率化する方法を探っていくわけだね。
中川 タカアキさんではこれまでONEとMINI2っていうモデルをやってもらってたんすけど、まずそれのやり方を教えてもらうのと同時に、どうやって改善していくか、その見方や考え方を勉強させてもらいます。
宿南 だから山と道には全世界に行ってほしいぐらいの思いがあるな。それをオール日本製でやってほしいっていう。みんな日本でやりたいんだけど、日本ではそこまでの数ができないんでみたいなこと言うけど、何ヌルいこと言っとんねん!
宿南社長の名刺の裏に書かれている文言。「ワシはやる気と気合いと根性でやっとるんで」
ーーそういうのが実現すればもっと山と道の製品も魅力的になりますよね。
宿南 続けるか続けへんかだけで、やり続けたら絶対できるよ。だから工場をするっていうことを決めたんならやるしかない。やるんだったら一生懸命せえ、真剣にせえ。やれへんなら最初からやめとけ、っていうのが僕の考え方。
ーーでもそれにお力をお貸しいただけるっていうのは、本当にラッキーです。
宿南 それは中川が来たからというのも大きいな。
中川 ありがたいお言葉です。
宿南 でも、夏目さんが「一緒に山行きましょう」て言うてたけど、どう考えても山とワシは合えへん。三歩進んだら二歩下がるし、重荷になるだけやでワシなんか。
中川 いやいや、ぜひ一緒に山に行きましょう!
「鎌倉自社工場への道」はまだまだ続きます。中川・北島の挑戦にこれからもどうぞお付き合いください。そして「我こそは!」という方はぜひ下のボタンから応募してください。我々と一緒に新しい工場を作っていきましょう!