マブのULハイキング研修:鳥取砂丘〜出雲大社への10日間の旅 – おばあちゃんと里帰り –

2024.08.07

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課される山と道。「願ったり叶ったり!」と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんなスタッフの日々のハイキングの記録です。今回は、山と道京都スタッフの「マブ」こと馬渕亮太が、社内で昨年から始まった「ULハイキング研修制度」を利用して、鳥取砂丘から出雲大社まで9泊10日かけて歩いたストーリー。

島根県出雲は、馬渕の亡き祖母の故郷でもあります。幼少期からお世話になった祖母と里帰りがしたいと、初めて1週間以上のトレイルに挑む馬渕。自称「考えすぎてしまう性格」を発揮して、道具選びから入念に計画を立てますが、いくら万全を期しても不足の事態は起こるもの。夜の寒さ、足のトラブル、体調不良に悩まされながらも、持ちうる道具で工夫をしてなんとか乗り越えようと奮闘します。

無事、祖母に故郷の島根を見せることができるのか。おばあちゃんとの思い出もバックパックに詰め込んで歩きはじめた馬渕の行末を、ぜひ見届けてください。

文/写真:馬渕亮太

はじめに

私は考えすぎてしまう性格だ。とある日の山と道京都でも悩んでいた。「ULハイキング研修でどこを歩こう…」と。そんな時、2022年にPCT(パシフィック・クレスト・トレイル )をスルーハイクした同僚の大ちゃん(伊東大輔)が「マブさん、ULハイキング研修どこいくん?」と話しかけてくれた。

目的地はなんとなく決まっていた。亡き祖母の故郷である島根県出雲だ。母子家庭の私は祖母が作ってくれたご飯で、高校時代は120kgまで大きく育った。そんな祖母は生前、故郷である出雲にもう一度帰りたいと話していたが、その願いを叶えてあげられないまま3年前に亡くなってしまったのだ。そのことが心のどこかに小さなシコりとして残っていた。

大ちゃんにゴールは出雲大社にしようと思っていることを伝えると「じゃあ鳥取砂丘から歩いたら?」とアドバイスをくれた。鳥取砂丘から出雲大社まではざっと約150kmだった。自身の体力と照らし合わせてみてもちょうど良い距離だ。さすが色々なトレイルを歩いてきている大ちゃん、頼りになる。そんなこんなでなんとか私のULハイキング研修が動き出した。

道具選び

さて、どんな道具でいこうか。私はいろんな想定を考えて道具を選ぶ時間が、たまらなく好きだ。この記事を読んでいる方もきっと好きなはず。「私ならこれを選ぶな」という目線で一緒に楽しんでいただけると嬉しい。

ハイキングの条件
・9泊10日
・街と山を行き来するためロード歩きが多い
・泊まるキャンプ場の最高標高は約800m
・天気予報の最低気温は15℃だが、余裕を持って10℃前後を想定
・長期計画で天候が読めないのため、臨機応変な対応が必要

バックパックを考える

バックパックはMINI2で行くことにした。途中で補給もできるし飲食店もあるので、持ち運ぶ食料は最大で3日分ほど。熊野古道の小辺路を歩いた時に3泊4日分の食料をMINI2で運んだ経験があるので十分に対応できる。

寝具を考える

今回はハンモック&タープにした。普段メインで使っているのはシックスムーンデザインのゲイトウッドケープ(285g)で、3泊4日程度なら居住性に不満はない。だが今回は9泊もあり、テント場でゆっくり過ごすことも多くなるだろう。ゆっくりくつろぎたいとなると、ハンモックという選択になった。

ハンモックはソファーにもベットにもなるし、雨が降り地面に川ができても関係なく過ごせる。

ソックスやキャップ、スマホなどをリッジラインに吊るせば物を探すこともない。

今回持っていくレレカハンモックのエルフィーハンモックは木に巻きつけるツリーハガー込みで約270g。ULハイキングの装備として十分使える重量である。

タープはDDハンモックスのDDスーパーライトタープ(3m×2.9m/456g)の正方形に近いもの選択した。正方形のタープだとハンモックをグルッと囲むことができる。天候に合わせて雨風を防げるし、機密性を高めることによってハンモックの弱点である背面の冷えも予防してくれる。

グランドシートいらずで持ち物もシンプルにできる。

DDスーパーライトタープ(456g)+エルフィーハンモック(270g)=715g。いつもよりも重量はあるが許容範囲である。

シュラフはハイランドデザインのトップキルト(360g)。中綿にプリマロフト・ゴールド・インサレーション・ウィズ・クロス・コアを使用した軽量な化繊のキルト型シュラフで、想定適応温度は12 ℃。冷え込んでも10℃くらいの予想だったのでこちらを選択した。

ハンモックの背面の冷え対策にはUL Pad 15+(100cm)を敷くことにした。ハンモックの背面をシュラフでグルッと囲むアンダーキルトという選択肢もあったが、今回はタープ泊の可能性もあるので両方に対応できるUL Pad 15+を選択した。

レイヤリングを考える

ベースレイヤーには100% Merino Light Sleeveless。今回は自分のペースでゆっくり歩く予定だったのでDF Mesh Merinoほどの速乾性を求めない。とはいえヒートアップしやすい体質なので袖なしで、柔らかな着心地が大好きな100% Merino Lighth Sleevelessを選んだ。

トレイルシャツはMerino Shirt。UL Shirtと悩んだが、今回シュラフの対応温度も12℃と夏用なので、夜に冷え込んだ際にUL Shirtだと心許ないし、10日間同じ服を着続けるので臭いを気にしたくないという理由で選んだ。

ボトムスには5-Pocket Pants。冷え対策で夜間も着用したかったので防風性の高い5-Pocket Pantsを選んだ。日中は23℃〜25℃予報で晴れていれば湿度も高くない。快適に行動できるだろう。

レインウェアにはUL Rain Hoody C PU Sosui。レインウェアとしての使用はもちろん、Zipのないシンプルなデザインで着心地が良く、肌寒い夜に着たままシュラフの中に入ってもストレスがない。UL All-weatherと比べて通気性は劣るが、その分保温できるので、アクティブインサレーションと組み合わせると保温着としての性能を引き上げることができる。

レインウェアの下はULAイクイップメントのレインキルトを選択。私はものぐさな性格なので、レインパンツを履くのがめんどくさい。いわゆるレインスカートだと雨がちちらついたタイミングで靴を脱がずにサッと履くことができるし、蒸れることなく行動できる。

就寝着にはActive PulloverLight Alpha TightsAlpha Socksを選択。テント場についたら汗で濡れたウェアを脱ぎ、肌着として上記3点を着用し、その上から汗で濡れたウェアを着用する。肌はドライに保ちつつ、濡れているウェアは着ながら乾かす作戦だ。保温性も高いレイアリングになるので、今回ダウンウェアをリストから外し軽量化を試みる。

フットウェアを考える

夏の北アルプス2泊3日でも特に足のトラブルもなく使用できた。

今回選んだシューズは防水性とクッション性が高いアルトラ オリンパス ハイク ミッド ゴアテックス だ。もうひとつの候補が非防水のアルトラ ローンピークだった。こちらもクッション性があるが、ロード歩きのことを考え今回はよりクッション性の高い前者を選んだ。

クッカーシステムを考える

クッカーはエバニューのチタンマグポット500と400FDカップを選択。食料は240ml〜430mlのお湯が必要なカップ麺やアルファ米をジップロックに移して持ち運ぶ予定だ。チタンマグポット500でお湯を沸かし、ジップロックから400FDカップにアルファ米を入れお湯で戻す想定で選択した。

熱源はフラットアースイクイップメントのモンクスストーブ。燃料をアルコールにすることで行程に対する残量がわかりやすく、燃料用アルコールは薬局などで現地調達しやすい。低燃費だから少ないアルコールでお湯を沸かすことができる。

風防兼五徳はミュニーク エックスメッシュストーブ。 チタンマグポット500の底面との相性が非常に良く、安定しない地面の上でもクッカーがズレにくい。背の高い風防に比べると耐風性は劣るが、それなりに風を防いでくれる。

さて、今回の道具選びは吉と出るのか凶と出るのか。祖母との思いも乗せて、いよいよ初めての9泊10日ロングハイキングがはじまる。

生前の祖母。

おばあちゃん
さあ故郷へ帰ろう

鳥取砂丘を出発し、海岸沿いのロードを歩いて大山の麓を目指す。大山を横切るように伸びるトレイルを歩き、島根半島を目指して再びロード歩き。島根半島に入ったら漁港を繋ぐように歩いて出雲大社を目指す。

初日。雨の中、私は前日に泊まっていた鳥取砂丘の隣にあるキャンプ場から歩き出した。初日は山陰海岸ジオパークを島根方面へ38kmの道を歩く予定だ。キャンプ場から鳥取砂丘に入り歩き始める。不思議な感覚だった。どこまで砂丘が続いているのか、遠近感がよくわからない。「周りに比べるものがないと距離感をつかめなくなるんだな」と思いながら海岸沿いを目指す。

鳥取砂丘を抜け、ロード歩きの始まりだ。街を抜けてしばらく歩くと海が見えてきた。小さい頃から海に遊びに行くことが少なかった私にとっては、曇天の海でもテンションが上がるものだ。穏やかな日本海を横目に、ひたすら歩き続けた。

海に浮いているような大きな岩を見つめるマブ。

古事記「因幡の白兎」の舞台。

次第に雨足が強くなったが、キャンプ場にたどり着いてそそくさとハンモックとタープを張り、ゆっくり休もうと靴を脱いだ。すると足の小指の内側と親指の外側にマメができている。おそらく蒸れと擦れが原因だろう。

夜はかなり雨が降ったが、タープをフルクローズで設営し、機密性と防風性を上げていたので中は快適だ。気づけばハンモックの下に川ができていた。改めてハンモックの快適性を実感した。

雨でも平気なフルクローズモードのタープ。

想定外⁉︎
寒さで眠れない夜

2日目、昨日の嵐が嘘の様に晴れて気持ちよく歩き出した。鳥取県を内陸へ進み、大山方面の野営場を目指す。

のどかな田舎道をカエルのグルーヴを感じながら歩みを進める。

長いロード歩きでもクッション性の高いシューズのおかげで足の裏は快適だ。この日は23kmほど歩き、野営場へたどり着いた。とても整備が行き届いた野営場だ。そこにはソロキャンパーがちらほら。バイクキャンパーもいる。きれいで自然豊かな道だったから、バイク乗りにも愛されている場所なんだろう。

整備の行き届いたきれいな野営場。

野営場で出会ったキャンパー。

設営を済ませ、今夜一緒に泊まる他のキャンパーたちにあいさつしに行った。みんなソロだが、打ち解けるまでに時間はかからなかった。旅の中での出会いをしみじみと感じながら、みんなでご飯を持ち寄り、夜まで話し込んだ。冷えてきたので持っているウェアをすべて着込み、シュラフを体に巻きつけて話を続けた。そのうちひとりの方が星を見ようと言い出した。聞くと山に望遠鏡を持っていき、天体観測をすることが趣味だという。

小学生以来の天体観測。

手慣れた手つきで月にピントを合わせる。「覗いてごらん」と言われ、大人4人が沸いた。こんなにきれいな月を見たことがない。おじさんに「月がきれいですね」と、夏目漱石を引用した冗談を言いながら、夜が更けていった。ふと温度計を確認すると、10℃を指していた。

想定外の温度を示す温度計。

「え? まだ10時よ?」少し戦慄が走った。この時点ですでに想定していた最低気温だと? 

天体観測が終わりそれぞれのテントに帰る。寒いがどうにか寝つけそうだ。しかし、しばらくすると寒さで目が覚めた。「寒い。今何時だ。」時計を見ると午前1時で、温度計は6℃を指していた。まずいぞ、どうにかしないと。でも持ってきた衣類はすべて着ている。バックパックを漁り、見つけたのはULAイクイップメントのレインキルト! これだ。これを体に巻こう!

しかしうまくいかない。しばらくするとズレてしまう。どうしたものか。そうだ、ハンモックを囲むようにやってみよう! ハンモックの頭から被せるようにレインキルトを設置してみた。するとどうだろう、じんわり暖かい! 少し蒸れて暖かいのか、微量な風をシャットアウトしてくれているのかわからないが、暖かい! ようやく寝付くことができ、朝を迎えた。人は危機的状況の中に光明を見いだす生き物なのかもしれない。

レインキルトをハンモックの頭に巻いてる様子。

ジリジリ焼かれる
ロード歩き

どうにか夜を凌いだが、また夜が来るのが怖い。朝になると再び4人で集まってご飯を食べた。そしてそれぞれがテントを片付け、次の目的地に向かう。ひとり、またひとりとどこかへ旅立つ。「一期一会」だ。何となく感傷的な朝だった。そして私も旅立つ。3日目は昨日以上によく晴れていた。

田園風景と美しい田舎道。

日光を浴びながら、長い坂道を登っていく。

今日は1日ロードを歩き、大山の麓のキャンプ場まで歩く予定だ。昨夜はよく眠れなかったせいか、少し疲れやすい気がする。やはり睡眠は大切だ。いつも使っている耐寒性が高い600gのシュラフにすればよかった。今回のシュラフは360gだが、240gの差でハイキングの快適度が変わるのだと感じた。日数の長い計画ならなおさらだ。軽量化と快適性のバランスが難しい。

これが仮に1泊2日の計画だと「あー寒かった」で済むが、日数が長くなればなるほど夜が怖くなる。しかも今日は晴天。放射冷却により昨夜より冷え込むだろう。まぁ仕方がない、なるようになる。そう自分に言い聞かせ歩みを進めた。前に進んでいるのかわからなくなるほどのまっすぐな上り坂を進むと、やっと今日泊まる予定のキャンプ場が見えてきた。

そして明日からやっとトレイルが歩ける! 寒さを感じないうちに寝てしまおうと、そそくさと食事をとり、昨夜あみだしたレインキルトをハンモックに設置する方法で眠りに就いた。何回か寒さで目を覚ましたが震えが止まらないほどではなかった。

ご褒美トレイルの
はずが⁉︎

4日目、やっとトレイルに入れることが嬉しかった。この日は大山を東から西へ横切るように歩く予定だ。トレイルの中は涼しく土は柔らかい。森にハグされているみたいだ。

意気揚々と歩く。

木漏れ日が気持ち良いトレイル。

「いい季節だなー」なんて思いながら登り始めたら異変に気づいた。いつもより心拍数が高いし、全然登れていない。元々体力がある方ではないが、いつもと様子が違う。エネルギーが足りてないのかと思い、消化に負担のないゼリー飲料と水を流し込んだ。これでしばらくしたらまた復活できるだろうと思ったが甘かった。休み休み登っていたがいきなり吐き気がした。さっき飲んだ水分とゼリー飲料を吐いてしまった。

かなり汗も出ている状況なのに身体は水分を受け付けない。このままでは脱水症状になってしまう。若干パニックになりつつ、少しでもエネルギーになるものを体に入れないといけないと思い、パワーバーを少しずつかじった。なかなか飲み込めないが咀嚼しながらゆっくり水で流し込む。

グロッキー状態で撮ったブレブレのパワーバー。

どうにかこうにか登り終えたところの大休峠避難小屋で休むことができた。原因は睡眠不足と食事だろう。朝夕の「カレーメシ」以外の行動食をあまり食べれていなかったため、いわゆるシャリバテになってしまったんだろう。それに寝不足が重なり最悪の体調になってしまった。ギア選びが体調に直結する。良い教訓になった。

元気だったら大山に登ろうと思っていたがそんな元気はなく、キャンプ場近くの食堂でガパオライスとソーセージの盛り合わせを食べ、しっかり栄養補給をした。今回のキャンプ場ではハンモックを張れる手頃な木がなく、タープ泊で過ごすことにした。タープは面白い。状況に合わせていろんな形に変形させることができる。グランドシートを持ってきていないのでタープでフロアまでカバーできる張り方を選んだ。キャンプ場でシュラフを借りることができたので今夜はしっかり寝れそうだ。

グランドシートいらずのタープ。

5℃対応のシュラフは安心感が違う。久しぶりに寒さに悩まされることなく眠りに就くことができ、翌朝には体調が回復していた。やはり睡眠と食事は大事だ。

岡山の寅さん

5日目はいよいよ鳥取県最終日。

道中の橋の上から、これから向かう祖母の故郷、島根半島がみえた。

大山のキャンプ場から島根半島を目指し、雨の中、ロードをひたすら下る。体力は回復し、昨日の出来事が嘘のように楽しく歩ける。そんな当たり前に幸せを感じながら歩いていると、足の指に違和感を覚えだした。きっと疲労が溜まっているだけだろう。当初の計画通り米子のキャンプ場にたどり着いたが、まだ時間も早かったので境港のキャンプ場まで10kmほど歩くことにした。

傘が飛ばされそうになるほど強い風の中、不安だったのはタープの耐風性だ。天気予報によると今夜は大荒れ。しかも海岸沿いのキャンプ場だ。こんなシチュエーションでハンモック泊をしたことはない。無事キャンプ場に着いたがやはり風が強い。

風に煽られるタープ。

タープが飛ばされそうになりながらも何とか設営できた。中は少し風が入ってくるものの、しっかりと守ってくれている。ハンモックの中で靴を脱ぐと、昼間の足の違和感の正体がわかった。1日目にできた小指のマメが急速に成長を遂げていて、小指の腹を覆うように水ぶくれになっていたのだ。絆創膏を貼るだけでは足りなかった。とりあえず塗り薬を塗り、明日には良くなっているはずと、微かな希望とともに床についた。

その夜は荒れに荒れたが、雨風はタープが受け止めてくれ、気温もあまり下がらなかったためしっかり眠ることができた。きっと指も治って……いなかった。まぁ、そうだよね。再度塗り薬を塗り、できるだけ摩擦が起きないように処置する。タープの撤収をしていると、昨夜の嵐を耐え抜いたひとりのキャンパーが話しかけてくれた。

「あんちゃん、嵐じゃったのによくそんな布で無事じゃったのー! ガハハ。」

豪快に笑うおじさんは自分のことを「岡山の寅さん」と名乗った。「男はつらいよ」のあの寅さんだ。

自称岡山の寅さん。

そういえば祖母も生前「男はつらいよ」が好きだったことをふと思い出した。自称寅さんは堺港付近のキャンプ場を転々と20連泊中らしい。「俺が寅さんで、お前さんはさながら山下清じゃのー」なんて言われながら元気をもらった。さぁ、いよいよ祖母の故郷の島根半島だ。歩き始めは痛みが出るが歩いていると不思議と痛みは引いていった。

島根半島上陸!!

6日目はいよいよ祖母の故郷である島根半島へ向かう。境港から境水道大橋を渡るが、狭い歩道のすぐそばではトラックが行き交っている。さらに強い風。何を隠そう私は高所恐怖症。ビクビクしながら橋を渡る。やっとの思いで島根半島にたどり着いた。

強風の境水道大橋を渡る。

ここからさらに日本海側へ抜ける。しかし、その前に腹ごしらえを。橋を渡ってほどなく歩いた場所にある「味処まつや」さんでご飯を食べることにした。海鮮丼を注文すると、これでもかと言うほどの海の幸が。これは本当に皆さんに食べていただきたい。

これまで食べた海鮮丼の中でいちばんおいしかった。

さて、腹ごしらえも済んだところでコンビニに立ち寄り、朝と夜に食べるカップ麺と柿ピーとスナック菓子を行動食として補給し、日本海側を目指した。トンネルを2kmほど歩くと、そこはもう海だ。なぜだろう、1日目に散々見たはずなのに、その美しさに感動した。天気がいいからだろうか。とにかく、心に響くものが確かにあった。

美しい海とかっこいい岩。

出雲大社に向かって西に歩みを進めるが、足の小指に強い違和感を抱き始めた。靴を脱ぎ確認してみると、小指が1.2倍くらいに膨らんでいる。自分の小指だが少し引いた。改めて塗り薬を塗り滑りをよくし、破裂しないように歩みを進める。山陰ジオパークとはまた表情が違う片江の海岸線を横目に、漁港を繋ぎながら歩いていく。漁港ごとに人が根付きその土地の暮らしがある。なんだか本当に山下清になった気分だった。

美しい朝焼。

やっぱりご飯は大事

7日目は朝早く装備をまとめ出発。今日は枕木山から大平山を結ぶ約14kmの稜線コース。大山ぶりのトレイルだ。海鮮丼パワーもまだ残ってるし、朝ごはんもしっかり食べた。大山の二の舞にはならないぞと意気揚々と歩みを進める。調子良く登れる。体調が違うだけで楽しさが全く違う。人間はよく食べて寝ないと歩けない。

枕木山の中国自然歩道の道標。

基本って大事だなと身に沁みて感じた。枕木山を上りきり、「稜線歩きだ!」と思いきやそこはロード。「あれ? 思っていたのと違うぞ?」とGPSを確認するも道は合っている。まぁ仕方がない。

想定外のロード。

ロードを進んでいると、大平山の手前でトレイルに入れた。

島根半島から見た大山。

いつも通り歩けることがうれしいマブ。

下りの階段に膝をやられつつも無事下山し、ローカルのお風呂屋さんで汗を流した。

マメとマブ

旅も終盤だ。8日目はこの旅最後のキャンプ場を目指す。意気揚々と歩き出したかったが、小指にできたマメが限界ギリギリだ。10km歩くごとに塗り薬を塗ろうと決めていたので、足を止めて処置をおこなった。もう1.5倍ほどに膨らんだ小指。歩き出そうと立ち上がったとき、まるで弾ける寸前の水風船を踏んでるような感触があった。

もう水を抜いてしまおうと判断し、エマージェンシーキットに入れていた小さなハサミをライターで炙り殺菌し、マメから水を抜いた。小指は本来の大きさを取り戻し、余った皮をハサミで処理して絆創膏で保護した。何故かそこで「ああ、今旅してんなー」と感じた。歩き始めは痛いかなーと思っていたがそうでもなかった。もっと早くこうしていればと思いながら、またひとつ経験を積んだ。

無事最後のキャンプ場に辿り着き、ハンモックに揺られながら旅の終わりに少し感傷的になりつつ眠りについた。

最後の夜

9日目。ハンモックを這うムカデにデコピンを喰らわし追い払う。そういえば、祖母はニワトリとムカデが大の苦手だった。祖母は幼少期に、締めたはずのニワトリが突然走り出し、そこから食べることができないほど苦手になったのだという。ムカデは寝ている間に顔面を這われて以来、苦手になったみたいだ。今日はこのキャンプ場から再び海岸側に戻り、最後の海岸沿いを歩いて再びこのキャンプ場に戻ってくる予定だ。

立ち並ぶ風車。

巨大な風車を横目にこの旅のことを振り返りながらロードを歩く。自分の体力とスキルに合わせて決めたので無理な行程ではなかった。しかし鳥取砂丘を出発した時は本当に歩き切れるのか不安だった。寒さで眠れない夜、足のトラブル、体調不良。色々あったがゴールの出雲大社まであと少し。歩くというシンプルな行動に心底感心した。

旅の終わりを感じながら歩くマブ。

キャンプ場に戻り、最後の夜を過ごしながら装備のことを振り返る。ここまで旅を続けられたのはこのギアたちのおかげだ。ハンモックとタープのスタイルはやはり大好きだ。寝心地の良いハンモックは旅のQOLを上げてくれた。タープはしっかり雨風を防ぎ、ストレスなく過ごすことができた。

シュラフはどうだっただろうか? 想定外の寒さに見舞われたが、工夫すればなんとか対応できた。良い経験ができたと思う。しかしゆっくり楽しみながら歩くなら、もう少し対応温度に余裕を持った選択をしても良かったかもしれない。

レイアリングも最高だった。9日間汗による濡れと乾きを繰り返しても、全く変わらない着心地の100% Merino Light Sleevelessは本当に最高だ。常に優しく体を包み込んでくれた。もちろん臭いも気にならない。合計2日間雨に降られながら行動をしたが、シェルの中でも不快感は少なく、快適に行動することができた。Merino Shirtは通気が良いので乾きも速い。そして臭わない。長い旅との相性が抜群だ。そんなことをメモにとりながら最後の夜を過ごした。

この旅最後のハンモック泊。

おばあちゃん
おかえり

最終日、出雲大社に向かって歩き出した。ここまで長い日数と距離を歩いたことのない私にとって、スタートの鳥取砂丘からここまで歩けたと思うと感慨深い。確実にこれまでの人生でいちばん歩いた10日間だ。自分らしく歩けた。そして心から楽しみ、祖母との思い出や故郷を感じる心の余裕もあった10日間だ。それを感じられたのは確実にウルトラライトの恩恵だ。ギア選択を自分に最適化することで、快適かつ身軽に旅を楽しむことができた。今回の旅で経験した失敗や痛い思いも、これからのハイキングに活かせるだろう。

祖母は15才で京都へ上京し、看護学校を経て看護師として沢山の人と馬渕家を支えてくれた。私が心から尊敬する人のひとりだ。昔から故郷の話をよくしてくれて本当に島根のことが好きだった。

もうすぐ祖母が子供の頃によく遊んでいた故郷の出雲大社だ。この風や香りに懐かしさを感じてくれてるとうれしいなー。ほどなくしてたなびく日本国旗が見えてきた。いよいよ最後だ。大鳥居を抜け本殿を目指す。

出雲大社到着!

本当に着いたんだな。嬉しくもあり寂しくもある。本殿を目の前にした時、自然と出てきた言葉は「歩いてたら着くもんなんだな」だった。

至極当然のこと。しかし私にとって余計な物が削ぎ落とされた言葉だった。

そのまま海岸まで歩き、この旅最後の海を見た。紛れもないおばあちゃんの故郷の海。幼少期、麻袋に小豆をいれ海で遊びながら豆をふやかし、オヤツとして食べていたらしい。ULばあちゃんだ。

しばらく海を眺めたあと、「生きてる間に連れて来れなくてごめんね、たくさんの思い出をありがとう。そして育ててくれてありがとう」と伝え旅はおわった。

心が少し軽くなるのを感じた。

BASE WEIGHT* = 4.088kg

*水・食料・燃料等の消耗品を除いたハイキング装備を詰めたバックパックの総重量

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YouTube

馬渕とスタッフJKが旅の模様をYouTubeでも振り返りました。

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