講義1 バックパックから見るULハイキングの歴史

2024.07.03

ハイカーズデポ土屋智哉さんをお招きして開校した「ULハイキング大学」。ULハイキングの歴史を紐解きながらULバックパックの誕生に迫った1限目に続き、この2限目では90年代後半に誕生したULバックパックとそれをとりまくシーンが、そこから四半世紀でどのように変化してきたのかを解説していきます。

それでは、チャイムが鳴ったら2限目のはじまりはじまり〜。

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講義:土屋智哉
構成/文:李生美
構成/写真:三田正明

土屋智哉:東京都三鷹市のULハイキングの専門店Hiker’s Depot店主。日本にULハイキングの文化や方法論を紹介した先駆者的存在で、メディア出演も多数。著書に『ウルトラライトハイキング(山と渓谷社)』。

さて2限目です。この時間では、ULバックパックの変化の過程を見ていきながら、今に繋がるULハイキングやロングディスタンスハイキングの変遷を紐解いていきます。

2000年代〜
ULバックパックにヒップベルトとフレーム?

1限目ではロングディスタンスハイキングの流れの中から現れてきたULバックパックがウィークエンドでも使えると、日本でもULハイキングが盛り上がりはじめたことを話しましたが、アメリカでは当然ロングディスタンスハイキングの流れも続いていきます。そんな中から出てきたのが、このULAイクイップメントのCDTというザックです。

ULA Equipment – CDT 総重量840gで最大容量54LのULAを代表するULバックパック。写真は2023年以前のモデル。

背面は取り外し可能なパッドはあるもののフレームなし。ヒップベルトは取り外し可能。

これは名前のとおり、CDT(コンチネンタル・ディバイド・トレイル*)をスルーハイクするためのザックで、パッと見るとレイウェイのバックパックなど従来のULバックパックと同じだけど、しっかりとしたヒップベルトがつきました。要はサポートがひとつ増えたんですね。ここから先の流れが今の流れに繋がっていきます。

*アメリカのメキシコ国境からカナダ国境まで、ロッキー山脈に沿って北米大陸の分水嶺を縦断する5,000kmのロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ

1限目で話したレイ・ジャーディンの方法論は、やっぱり本気で軽量化を進めないとできない部分がありました。山と道のお店でも店頭でのお客様との会話の中で、「ULに興味はあるけど、タープやツェルトで寝るのはちょっと…」という話がよく出てくると思います。ガチガチにULしたいわけじゃなくて、ちょっとULのエッセンスを取り入れたいというお客様は多いですよね。

それはアメリカのロングディスタンスハイキングを取り巻く状況でも同じで、ガチガチのULでスルーハイクできる人はレイ・ウェイを使うけど、ある意味で変態の人しかいないんです。だからやっぱり最低限のサポートは必要なのではないかと、2000年ぐらいからULバックパックにもヒップベルトがついてくるようになりました。多ければ1週間近くの食料を持つことがあるスルーハイク向けのバックパックでこの流れは顕著になりました。

でも、その頃のULマニアからすると「何でULなのにヒップベルトがつくんだよ」となるわけです。決定的だったのが、元々は1限目で紹介したマーマーのような、ゴーライトよりもかなり薄い生地を使ったシンプルなULバックパックを製作していたゴッサマーギアが、ヒップベルトとフレームを搭載したマリポサというザックを出したときです。

GOSSAMER GEAR – Mariposa 60 最大容量60Lで総重量884g(Mサイズ)の、フレーム入り軽量大型バックパックの代表格。写真は2023年までのモデル。

背面にはゴッサマーギア特有のディティールである外側から取り外せる背面パッドが。フレームザックだがショルダーの付け根の位置が高いため、ショルダースタビライザーも補助的な役割。

軽量化のために一旦切り捨てたフレームがここで戻ってくるんです。でも、「これって退化じゃん」というのが、当時のULハイカーの偽らざる心境でした。

でもなんでマリポサが出たのかというと、やっぱりPCTハイカーとの関係です。2009年に僕がZパックスのZ1というペラペラのバックパックでJMT(ジョン・ミューア・トレイル)をスルーハイクした時、アメリカに行けばJMTに行けば、ULの人たちがいっぱいいるんじゃないかとワクワクしていたんだけど、誰もいなかった(笑)。

当時のJMTハイカーやPCTハイカーのほとんどは50~60Lのインナーフレームザックを背負っていたんだよね。アメリカでもULがウィークエンドハイキングや一部のマニアのものになったことは話しましたが、スルーハイカーたちも当然軽量化を志向していました。でも多くのスルーハイカーは結局フレームを望んでいたんです。ユーザーが増えれば一般層が増えるのは当たり前だよね。

2010年代〜
さらに重装化していくULバックパック

この流れが2010年代に入って加速して、2011年にハイパーライトマウンテンギアが出てきます。

このウインドライダーというバックパックにもアルミフレームが入っています。同じ頃、Zパックスでも同じ構造の、やっぱりアルミステーが搭載された、しっかりしたヒップベルトがついたザックが出てきて、流れが一気に傾きます。基本的にはこの流れが今もずっと続いてると思ってください。

HYPERLITE MOUNTAIN GEAR – 2400 Windrider 重量798gで最大容量45Lの、ハイパーライトマウンテンギアの代名詞的バックパック。強度と防水性に優れたDCFハイブリッド素材をいち早く使用して2010年代のULバックパックの進化をリードした。

背面はフレーム内蔵だが防水性能の高いDCFハイブリッド素材の特性を活かすためメッシュパッドなし。

そして2010年前後を契機に、アメリカのロングディスタンスハイキングのシーンが一気に盛り上がります。日本でも公開された映画『わたしに会うまでの1600キロ』の原作になった本(『Wild: From Lost to Found on the Pacific Crest Trail』)が2010年に出版されてベストセラーになりました。それをきっかけに、それまでは好事家だけがやっていたロングディスタンスハイキングに注目が集まったわけです。

アメリカのアウトドアの歴史は、基本的に経済社会や都市生活に対するカウンターアクションなので、核にあるのは自分探しの旅なんだよね。だから2010年以降にPCTやAT(アパラチアン・トレイル*)をスルーハイクしようって人が急増していきます。それを後押ししたのが、軽量化を意識したULの系譜にあるけれどフレーム搭載かつヒップベルトがついたこうしたバックパックだったんです。

*アメリカ東部のアパラチア山脈に沿って南北に縦断する3,500kmのロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ

2020年代〜
先祖帰りして「普通のバックパック」に⁉︎

ハイキング人口が増えてくると、例えばアルコールストーブはちょっと面倒くさいからガスストーブがいいよねとか、テーブルがあると楽だよねとか、やっぱりタープだと虫が入ってくるからフロア付きのテントがいいよねという傾向になっていくわけですよ。そうなるとやっぱり荷物は増えてくる。その結果がどうなるかというと、今年(2024年)のマリポサを見るとよくわかります。

GOSSAMER GEAR – Mariposa 60 R 最大容量60Lで総重量962g(Mサイズ)と若干重くなったものの、背面構造の見直しなどで背負い心地や剛性感がアップ。

古いモデル(左)と現行モデル(右)の背面を見比べてみると、ショルダーストラップの取り付け位置が変わり、ショルダースタビライザーの構造が変わったことで、より一般的なフレームザックに近くなったことがわかる。

フレームが伸びて、ショルダーストラップの位置が下がって、ショルダースタビライザーがつきました。つまり、普通のフレーム入りのバックパックと同じ構造になったんだよね。今年出てる他のモデルだと、ミステリーランチのレイデックス47も1.6kgだから軽くはないけど、確実にロングディスタンスハイカーをターゲットにしてるバックパックです。ミステリーランチならではのハーネス構造で、当然ショルダースタビライザーもついてきます。

MYSTERY RANCH – RADIX 47 45Lで総重量1.6kgとULバックパックと呼ぶには少し重いものの、ヘビーなバックパックを得意とするミステリーランチとしてはかなり軽量化に振ったモデル。フロントの縦に大きく開くジッパーで本体を大きく開口できる。

フレーム、ヒップベルトと「全部載せ」な背面だが、それぞれ取り外し可能でさらなる軽量化が図れる。

今年出たブラックダイアモンドのベータライトも同じような特徴を持ったザックです。

BLACK DIAMOND – Beta Light 45 総重量890gで40L。雨蓋なしの開口部、大型メッシュポケット、ランニングベストスタイルのショルダーストラップ、ウルトラ200素材という近年のULバックパックのトレンドにフレームとヒップベルトを搭載。

フレームやヒップベルトは取り外し可能でピュアなULバックパックにもなる。

なのでULバックパックの変遷として、まず最初にスルーハイクの成功率をあげるためのモデルとしてレイ・ウェイのめちゃくちゃシンプルなザックが生まれます。そこからマーマーのようなウィークエンドや数日間のハイキングをターゲットにした超ペラペラ生地のいわゆる狭義の意味でのULバックパックが出てきました。でも、ロングディスタンスハイキングの文脈の中ではULバックパックにヒップベルトがつき、さらにアルミフレームが入り、とうとうショルダースタビライザーがつくところまでサポートが増えてきたんです。

これを「進化」と呼ぶのか「退化」と呼ぶのかは、それぞれの立ち位置によるかもしれないけども、いわゆるULを立脚点にしているバックパックメーカーがロングディスタンスハイカーに向けて作るザックは、こういう流れでいろんなサポートがつくようになっていってます。これが今のトレンドです。

それでも失われないULのスピリット

ただ、ULは死なない。

それこそレイの時代だって、ULをやる人ってのは一部だったんですよ。だってバックパックならオスプレイやグレゴリーがあるじゃんっていう中で、ULって、そういったマスに対してのカウンターアクションなんです。だからカウンターでいいんです。でも現代の流れの中でシンプルに徹したULバックパックがなくなったかというと、そういうわけでもない。日本には山と道があるし。

その中でも特徴的なのが、2015年にアメリカで生まれたパランテです。パランテのおもしろいところは、ハイキングのスタイルが明確にプロダクトに反映されてるところ。

PA’LANTE – Joey 容量24Lで重量379g(Ultraweave素材の場合)。ショルダーポケット、ウルトラメッシュ素材、ボトムポケットなど現代のULバックパックのトレンドを作ったピュアなFKTバックパック。

ショルダーストラップはポケット付きのランニングベスト形で、ファストパッキング用のザックにも非常に近い味付け。

やっぱりトピックとして残るブランドって、単にきれいなものを作りました、かっこいいものを作りましただけじゃなくて、当時のシーンを変えたというのがあると思うんだよね。つまり、新しい旅の提案。レイ・ウェイはULの原型をしっかりと世の中に出したのがトピックだったと思います。

ゴッサマーギアは、例えばバックパックの型紙を公開した*というのもそうだし、ULバックパックにフレームを入れたことで、ロングディスタンスハイカーの今に繋がる流れを生み出したブランドでした。

*初期の代表作G4の型紙を公開していた(現在はQuest Outfittersで購入できる)

ハイパーライトマウンテンギアだったらば、ハイキング文脈だけではなく、アイスクライミングやパックラフティングといった、もっと広いアウトドアアクティビティ全体に対してライトウェイトなギアを提案していくことを明確に打ち出していますね。

で、パランテはというと、「ひたすら歩く」にフォーカスしたブランドです。創業者のひとりのアンドリューがJMTのFKT*(Fatest Known Time)をするために作ったジョーイというバックパックが、ひとつの象徴ですね。速く、長く歩くために、ザックを下ろさずに歩き続けられるものを作るという理念がプロダクトに込められている。

*アメリカから広がったトレイルランニングの遊び。特定のトレイルコースのタイムを記録し、サイト上で最速を競い合う。

だからパランテのザックにはどれもショルダーポケットがついてるんだけど、いちばん象徴的なのはボトムのポケットです。ここに物を入れたらザックが置けない。それは「うちのザックは置いちゃダメなんですよ。疲れないためには軽くすればいいんです」ってことなんですよ。だからパランテのザックはめちゃくちゃ尖ってます。基本的にマスには全く向いてなくて、彼らが歩きたいために作ったザックです。正直、パランテのザックは細かい部分を見ると突っ込みどころはあるんですけど、いちばんの強みは速く、長く歩くというハイキングスタイルをゴリゴリに押し出したことだと思います。

時々こういうイカれた野郎が出てくるから、レイ・ウェイから生まれた流れは消えてないです。山と道のMINI2もトレンドにめちゃくちゃ背を向けて作ってるよね。フレームがなくて本体生地が柔らかいから、パッキングがうまくできないと使うのが難しい。THREEもそうでしょ。この大きさのザックなのにヒップベルトがテープだけなのは、ULのテント泊をするためのザックだから。これを使って肩が痛くなるんだったら、それは荷物が重たすぎるということです。

夏目さんが山と道の最初のフラッグシップモデルとしてONEを作ったときに、いみじくも自分は「MINIぐらいのサイズのザックを作った方が、最初はお客さんたちに受け入れられるんじゃない?」と言ったんです。でも、夏目さんは頑なに「ONEじゃなきゃ駄目なんです」と言ったんだよね。それは彼らがその前に歩いたJMTも含めて、自分たちが実際に体験したものを最初にフラッグシップとして出すことにめちゃくちゃこだわっていたから。だから売れるか売れないかとか、マスが受け入れるか受け入れないかではなく、自分たちがULに感じたものを形にして出していったんです。

ULに今、求められていること

アメリカでもアリゾナトレイルやコロラドトレイルだったり、東海岸のバーモントロングトレイルとか1,000km前後のトレイルだと、カリカリのULハイカーが結構います。ちゃんと生き残っています。だから今、ULの系譜のバックパックにフレームやヒップベルトがついてもカリカリのULは死なないし、ちゃんとその文脈は残る。ただ、いつの時代も必要なものだけを突き詰めて、生活をシンプルにしていくのは勇気がいることじゃないですか。

普段の生活の中でも、多くの人が「これがあると便利だ」と言ってモノを買うじゃない? 引っ越しするたびに荷物が増えていくのと一緒だと思います。だから荷物が重たくなってしまうのも否定するべきことじゃないし、ULと普通のパッキングのどっちが正しいとか、間違いとかではないんです。どちらかというと、僕らは何を信じているのか、僕らは何が好きなのかで考えていいと思います。ちなみに、僕はフレーム入りのザックは使わないですし、これからも使う気はないです。それでも十分に僕は楽しめる。そしてフレーム入りのバックパックを使っているハイカーとも一緒にハイキングを楽しめます。

そしてシンプルなハイキングスタイルを楽しむ人を増やすのが、 ULハイキングを標榜する専門店であるウチだったり、ULハイキングを企業としての核に持ってる山と道だったりが、店頭やJOURNALSでやることなんじゃないのかな。他のスタイルを否定するのではなく、ちゃんと許容した上で、「僕たちが信じるものにはこういう素晴らしさがあるんです」と言い続けていくのが大事です。

あとはファッションの世界でも音楽の世界でも揺り戻しってあるじゃないですか。『遊歩大全』のスタイルから一度極端に『Beyond Backpacking』に振れたけど、そこから20年経ってまた揺り戻しがきてるような状況です。でもそうすると、絶対にまたシンプルなUL的な姿に戻ると僕は思っています。だから次の時代のULバックパックを作るとか、ULハイキングのあり方をちゃんと提案することが、今いちばん求められてることだと思います。

ここまでULバックパックの変化に伴うULハイキングのトレンドの移り変わりをみてきましたが、3限目は実践編ということで、ULバックパックの背負い方についてお話しします。

【3限目に続く】

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