山と道トレイルログ

新婚ホヤホヤ ハネムーンハイキング in NZ

スタッフ木村のNZでの新婚旅行ハイキングを夫婦それぞれの目線でレポート。
文/写真:木村なほ美、木村弘樹
2023.03.23
山と道トレイルログ

新婚ホヤホヤ ハネムーンハイキング in NZ

スタッフ木村のNZでの新婚旅行ハイキングを夫婦それぞれの目線でレポート。
文/写真:木村なほ美、木村弘樹
2023.03.23

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課され、山休暇制度のある山と道。願ったり叶ったり! と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんな山と道スタッフの日々のハイキングの記録です。

今回はオンライン相談室でもおなじみ、スタッフ木村が新婚旅行で訪れたニュージーランド南島のハイキングトリップの模様をご紹介。現地から更新した彼のハネムーン日記は山と道のSNSでも大きな反響をいただきました。その内容を振り返りつつ、このJOURNALSでは視点を変えて奥様のなほ美さんの日記を中心に、旅の中でも特に印象的だったというマボラ・ウォークウェイでの6日間のハイキングの模様を木村の投稿の続きと合わせてお互いの目線で語ってもらいます。

新婚旅行に海外トレイルだなんて、なんとうらやましいこと。でも昨年山を始めたばかりのなほ美さんにとっては、少々タフなトレイルだったようで……。旅の醍醐味であるトラブルも、愛の力を備えたふたりにはなんのその。

旅行もハイキングも経験豊富で頼りになりつつ、他人の靴を履き間違えても気付かない鈍感力を備えた「ここちゃん」(木村)とハイキング初心者で運動も得意ではないけれど、今回の旅は修行だ! と意気込む感性豊かな「なおちゃん」(なほ美さん)。それぞれの視点の違いや共鳴する思いなど、それぞれの言葉から綴られるふたりのクスッと笑えて心温まる旅の記録をぜひ楽しんでください。

プロローグ

「新婚旅行、海外にハイキングに行くのはどう?」なおちゃんの一言から始まった今回の旅。付き合ってから一緒に山に行くようになったとはいえ、ゆるいハイキングに数回行った程度だったので、予想外の提案に驚いた。だけど長いハイキングに行ける上に、久しぶりの海外。そして何より大好きな人と一緒に海外の山を歩けるなんて、めちゃめちゃ幸せじゃないか! と舞い上がった。

旅先を決めるために、ふたりで本屋に通って旅本を読み漁り、情報を集めていくなかで、四角大輔さん著の『LOVELY GREEN NEW ZEALAND 未来の国を旅するガイドブック』に出会った。その本をきっかけに、これまで知らなかったニュージーランドの意外な一面を知り、旅の行き先として興味を持ち始めた。ニュージーランドのハイキング記事を掘っていくと(山と道JOURNALでも多く出している)、日本と南半球エリアとの自然の違いが面白く、なんだか人もフレンドリーそう! 危険な動物がいないことや様々なレベルのトレイルが整備されていることも決め手になった。

旅の準備では、パスポート、変換プラグなど海外渡航ならではの道具がギアリストに記載されていくのが新鮮だった。日本から食料をどのくらい持っていくか、計画を考える過程も楽しかった。

さあ、準備は万全。仕事も無事に済ませ「心置きなく新婚旅行に行くぞ!」と出発したのもつかの間、下に掲載した僕の当時のインスタグラム投稿を読んでもらえたらわかるように、とんでもないミスから旅はスタートした。今思えば、そんなトラブルもいいネタになってよかったと思っているが(不謹慎!)、こうやってふたりの思い出を形にしてもらえることに感謝。僕たちの旅が少しでも誰かの心に残ったら嬉しいです! (木村弘樹)

日本出国からの木村の日記

今回歩いたトレイル

ニュージーランド南島のマボラ・ウォークウェイ、グリーンストーン・トラック、ルートバーン・トラックの3つのトレイルを繋いで歩いた。ルートの一部はニュージーランドを南北に縦断する3,000kmのテ・アラロアの一部でもある。

Day 1
想定外の37kmから
旅が始まる

ニュージーランドに来てから最初に歩いたケプラー・トラックの3日間のあと、休息で2泊滞在したテ・アナウを出発し、6泊7日のハイキングに向かう。交通手段はヒッチハイク。大学生に戻った気分だ。大通りまで少し歩き、大きく目的地を書いたグランドシートを広げて、いざ始める。

15分経過。みんなリアクションはしてくれるものの、誰も止まってくれない。昼過ぎということもあり、交通量が少ない。目的地がマニアック過ぎるのかもしれない。そんな仮説のもと、大きく目的地を書いたグランドシートをバックパックにしまい、シンプルに親指を立てることにした。もちろん、満面の笑みで!

すると、なんと1台目で停まってくれ、目的地の途中まで乗せてくれないかと交渉すると、快諾してくれた。乗せてくれたのは、ワーキングホリデーでニュージーランドに来ているという20代半ばのドイツ人。学生時代にニュージーランドを訪れて、この国が気に入って戻ってきたそうだ。あっという間に分岐点に到着して、道端に降ろしてもらった。

無事に目的地にたどり着けるよう念じながら

ヒッチハイクは笑顔を忘れずに!

ニュージーランドの郊外はこんな感じの車道が果てしなく続く

よーし、次だ! そう意気込んだが、あたりには羊しかいない。マボラ・ウォークウェイのスタート地点のマボラ・レイクまで37kmと書かれた標識が立っている。ふたたびヒッチハイクをしようと先ほどの目的地を記したグランドシートを出すが、交通量が圧倒的に少ない。

不安がよぎる。

30分ほど経っただろうか。私たちが行きたい道へ向かう普通車はゼロ。このまま待っていては日が暮れる。私たちは潔く諦め、標識が示す方へ歩き出すことにした。今日からトレイルを歩き始める予定だったが、ロードを37km歩くことになった。

その後も、クルマは通るが反対方向だけ。歩いても歩いても、羊と牛の牧場だけが続く。

奇跡が起きることを願って、クルマが来たら親指を立ててみるが、逆方向に歩いている私たちの姿を見てもなかなか停まってくれない。まれに停まってくれても「帰宅するところなんだ」と断られる。それでも、ドライバーとの些細なコミュニケーションは、長い長い一本道を歩き続けている私たちにとっては気晴らしになった。

登山口となるマボラ・レイクまで「37km」の文字に愕然

クタクタな私たちに気もとめない、のんきな羊たちがうらやましい

エンジン音が聞こえた。だけど、前からも後ろからもクルマの姿はない。ついに幻聴か? もう10台は断られただろうか。私はとっくに気力を失っていたが、隣のここちゃん(編注:木村)は相変わらず気丈に親指を立てている。強い。

3時間ほどひたすら歩いた。途方もない道のりにへこたれそうになるが、私のこの旅の行動指針は「死ぬこと以外、かすり傷」だ。編集者である箕輪厚介氏の言葉で、言ってることは極端だけど、幾度も私を冷静にしてくれた。

しかし、ここにきて旅のはじめに歩いたケプラー・トラックで痛めたひざが悲鳴をあげ始めた。

「ボーナスタイムだよ!」

ここちゃんがそう言って私のバックパックを代わりに担いでくれた。先の行程を考え、ここで負担を減らしておくべきだと判断した。

右膝が痛むけれど、とにかく前に進む

どこでもすぐに眠れる特技で小休憩

なおちゃんの体力の20倍はあるから!と逞しいここちゃん

私はおねだり作戦を思いついた。逆方向に向かうクルマに「5分だけでいいから乗せてくれないか」とせがむ。その名も“5ミニッツ”作戦だ。

これが、なんと成功した! 帰る途中だったカップルがクルマを転回し乗せてくれた。キャンピングカーでニュージーランドの南島を1ヶ月旅しているそうだ。5分と言わず3キロほど乗せてくれた。今の私たちにとってこの距離はもの凄く大きい。感謝の気持ちでいっぱいになった。そしてまた歩き始めた。この調子で5ミニッツ作戦で乗り切ろう! と意気込んだが、もう夕暮れ。逆方向のクルマさえ通り過ぎなくなった。ポジティブが強みのここちゃんでさえ、少し不安な顔つきをしている。

そんなとき、背後からエンジン音が聞こえた。また幻聴か?後ろを振り返ると、1台のクルマがこちらに向かって来ている! 笑顔を振り絞り、神にすがる思いで親指を立てる!

…… 停まってくれた。

笑顔の素敵なおじいちゃんふたり組。鹿のハンティングに向かう途中だという。私たちの目的地の近くで降ろしてくれるとのこと。荷台に乗せてもらって発車したときは、もうジャンプしたいくらいの喜びと、温泉にでも浸かったかのような安堵感があった。

運転席のおじいちゃんは、ハンドルを握りながらもう片方の手に持った双眼鏡を覗き込んで山のほうを確認している。今宵のターゲットである鹿を探しているのだ。なんともすごいハンドル捌きで乗っているこちらはヒヤッとするが、もうなんでもいい。私たちは進んでいるんだ! 分かれ道で降ろしてもらった。去って行くクルマに思わず会釈をして合掌した。感謝の念が尽きなかった。

少年のような笑顔がキュートなハンターおじいちゃんたち

ハットまで「2km」の文字に笑みがこぼれる

そこからほどなくして湖畔のキャンプサイトに到着。今日予定していたスタート地点が、1日の終着点になった。明日から巻き返さないと、旅の後半に予約した山小屋に泊まれなくなる。とはいえ諦めて町に戻ることも考えていたのだから、今日ここまで来れてよかった。いよいよこの旅の道のりが現実味を帯びてきた。

私たちは初日だというのに、1本分しか持ってきていないワインをグビグビ飲んだ。この日の日記には、こう書かれていた。

「トルティーヤと、ソーセージと、ケチャップと、チーズと、ポテチと、ワイン!! うめぇ!!!」

疲れきった身体に染み入る初日のディナー

人生はじめての湖畔テント泊

この日の木村の日記

Day 2
遠のく日常

昨晩降っていた雨は、起きたら止んでいた。

ふたりとも昨日の疲れがあり、ぐっすり眠れた。テントの中で朝食を済ませ、早々に歩き始めると、草木の朝露が、キラッキラに輝いている。私たちも、不安でいっぱいだった昨日と違って顔つきがいいような? ようやくスタート地点に立った実感が湧いた。

湖は山と山の谷間に吸い込まれていくように、細く長く続いていた。とても静かだった。私たちは脇の林道を進み、時おり湖の水を汲んで浄水して飲んだ。そんな新鮮な行動ひとつひとつにときめいた。

山に生い茂っていた木々はだんだんと減り、森林限界を迎えた山域に入る。町で確認した予報は1週間ずっと雨だったが、山の天気は気分屋。空からは陽がさんさんと降り注ぐ。重ね着していたロングパンツを早々に脱いでショートパンツになると、少しだけ自然に近くなれた気がした。

朝は晴れていることが多い。朝日に照らされてキラキラ輝く大地

ようやくハイキングがスタートして、気分はウキウキ!

湖は南北にふたつ。サウス・マボラ・レイクとお別れして、続いてノース・マボラ・レイクに沿って歩く。先が見えないほど長く続く湖と、地上に向かって曲線を描く山々。その光景は、地球とは別の惑星と言うほうがなんだかしっくりくる。

ケプラー・トラックで痛め、初日のロードでさらに負担をかけてしまった右ひざは、なんてことのない緩やかな下りも気を遣わなければいけなかった。左足ばかりに重心がかららないようにしながら、小刻みにゆっくり歩いていく。

山から滲み出るように流れる川と、道を阻む水たまりをいくつも越えた。トゲトゲの植物で八方塞がりの大きな水たまりは、スリーピングマットを下半身のカバーにして、お互いの手を貸しながら乗り越えた。ぬかるんだ道はかなり厄介だが、緊張感とクリアしたときの達成感はなかなかいい。

ふたりで協力しながら度々乗り越えた難所

日中の気温は20度前後で、ちょうど歩きやすい気温

突如うさぎが目の前を勢いよく駆け抜けて行った。その姿を見て、足元の大きなうんちの正体がやっぱり気になった。

途中、川で頭と顔をガシガシ洗った。川の上流を辿ると、山の上に滝が見える。火照った体に染み渡る冷たい山水。

「フォオオオオォ〜〜!!!」

叫ばずにはいられない。

ハイキング中は川がお風呂代わり

痛めている膝をかばうため、下りではこの体勢がお決まりとなった

トレイルに点在するハットはハイカーたちのオアシス

そのまま川のそばでお菓子を頬張り、ひと休み。1袋にまとめておいたチョコとドライフルーツとナッツが、気温が上がったことでチョコが溶けてひとつのお菓子ができ上がっていた。偶然の産物!

ひざの不調は続く。少しでも痛みを軽減するため、下り道は後ろ向きで、ここちゃんの手を借りながら下る。

「ほい、ほい、ほい、ほほほのほーい」

この掛け声が、なかなか調子が良い。そんなこんなで今日のハット(編注:ニュージーランドの山小屋)に着いた。歩いた距離は21km。私にとって普段の何ヶ月分だろうか。

歩いてきた道をバックに記念撮影

今日のハットは、5〜6帖の部屋に2段ベッドがふたつと、外のタンクと繋がっている水道があるだけのシンプルな無人小屋。そういえば行き交うハイカーはひとりもいなかった。来訪者用の記録ノートを見ると、1日に1組来ていれば多いほうだ。今年の3月には、ひとりの日本人がここを訪れた記録があった。顔も知らない誰かに親近感を抱く。私たちも名前を記録した。

しばらく曇っていた空は、時おり晴れ間を見せた。今日は雨に濡れる心配はないと思うと、気が楽だ。昨晩使ったテントと、水たまりに浸かったシューズ類を外に干し、夕飯を頂くことにした。

天候に左右されず快適に過ごせるハットの中は安心感がある

この日はゆっくりと食事の準備ができた

トルティーヤピザにフリーズドライのマッシュポテトでボリュームアップ!

お腹いっぱいになり、横になる。いつの間にか寝落ちしたここちゃんの横顔を見て、感謝の気持ちで溢れた。今日も私の分まで荷物を持ってくれた。ここちゃんが背負っていたバックパックの重さはきっと私の3倍以上はある。全然平気だと気丈に振る舞っていたけど、熟睡っぷりを見れば疲労具合は一目瞭然だ。これ以上ひざを痛めないことが私にできることだと思った。

就寝前に明日の行程をチェックする。明日は路面が悪く、ハードな道のりだとここちゃんは言う。私は最後まで歩けるのか。不安だ。夜になり雨が降り始めた。雨足が強くなるにつれて、その不安は増した。

19時30分、就寝。

ぐっすりとお昼寝中のここちゃん

小屋利用者が書き込む記録用ノート

窓のむこうは絵画のようだった

この日の木村の投稿

Day3
歩いた場所が道になる

今日からは、オレンジ色のポールを目印に、草原の中を掻き分けながら歩く。これまでの整備された道とは明らかに違った。

「右トゲ!」「左うんち!」「下ぬかるみ!」

前を歩くここちゃんの掛け声を頼りに、辺りに気をつけながら後を追う。

毎日歩きながらいろんな話をする。ここちゃんが学生時代に世界一周をしていたとき、インドで民家が片手ほどしかない山奥の村にひとりで行き、英語の通じない相手に宿泊の交渉をした話とか。学生のときからここちゃんのコミュニケーション能力は健在だ。

いつも後ろをついていくだけの私も、話を聞いていたら積極的になりたくなって先頭を歩いてみることにした。数百メートル先の目印のポール以外は自分が歩いた場所が道になる。手付かずの自然の中を歩くのは新鮮で面白かった。

目印のオレンジ色のポールは強風で倒れているものあった

こんな藪道では、どのルートを進むかは自分たち次第

苔に覆われた湿地帯が続いた。メジャーなトレイルであれば木道を設置するような道なのだろうが、マボラはマイナーなようで丸太さえも敷かれていない。

湿原の上は、1歩踏み込むたびにジュワァ〜と水が滲み出てくる。まるで牛乳と卵をヒタヒタに染み込ませたフレンチトーストの上を歩いているようだった。靴はもちろん、防水ソックスもお手上げ。どんどん染み込んできた。

川の原型を見ているようだった

ぬかるみや湿原が続いて足元ばかりに目線がいっていたが、ふと遠くを見渡せばそこには長い年月をかけて地形を変え続ける川が流れている。高い場所から見下ろしているわけではないのに、なんだか航空写真を見ているよう。

「モォ〜」

後ろから鳴き声がした。振り返ると、1頭の大きな牛が私たちの後を追ってきている。

こわい!

初日に出会った牛は、みんな柵の中で育った家畜だけど、目の前にいるのは野生の牛。まさか牛がトレイルにいるなんて思いもしなかった。気づけば前方にも牛、遠くには20頭くらいの群れが見える。気になっていたうんちの正体は彼らだった。歩いている道が彼らの縄張りであることが、1歩進むごとに鎮座している大きなうんちでよく分かった。牛たちを驚かせぬよう、私たちは静かにその場を離れた。

生と死がすぐそこに共存していた

湿原を歩き続け、中盤からは足がずっとふやけていた

晴れ間が差し始め、気分が上がった私は鼻歌を歌って適当な歌詞もつけた。タイトルは「Sunny is coming」! 他の天気にも応用できて結構気に入っている。みんなにも聴かせたい。

ここまで大小いくつもの川を渡った。幅が広く、水かさが膝下くらいの緩やかな川は、お互いのバックパックや腰を掴んで渡渉した。水深が深く急流の川は河岸が高く、ジャンプして渡る必要があった。ここちゃんは軽々とジャンプしたが、私は昔からこういうのが大の苦手。遠回りできるルートもないので行くしかない。

まずはバックパックを対岸に放り投げた。万が一川に落ちた場合でも遠くに流されないよう、どの岩を掴むか入念に確認。

息を整え、覚悟を決めてジャンプする。両足が対岸の岩に着地。

ホッとした。あとで気づいたけど、ポケットにスマホを入れたままだった。落ちなくて本当によかった……。

ちょっとした渡渉でもなんとか濡れないように必死な私

その一方、なんてことないぬかるみに滑ったここちゃん

川の麓には、エメラルドグリーンの天然ジャグジーができていた。気温が高ければ裸になって入りたかった。これは夏にリベンジしたい。昨日から続いていた谷間が終わり、広い草原に出た。人の歩いた跡が、先までスーッと真っ直ぐ伸びている。

数日間ずっと一緒だった私たちは、少し離れて歩いてみることにした。足音が遠ざかると、静寂に包まれた。今ここにひとりで取り残されたら、私は生き延びることはできないと、大自然を前に無力さを感じた。後ろを振り返ると、ここちゃんはやさしい表情をしてこちらを見ていた。再び歩幅を合わせて歩いた。

山の傾斜は急になり、背の高い木々が増えた。2日間とても開けた場所にいたから、森の中は少し閉塞感を感じた。地図上では難関に思えた最後の渡渉ポイントは、川をいくつも越えてきた私たちにとってはなんてことはなかった。

道ってこうやってできていくんだ

川の向こう岸には牛の群れが見える

ハットに到着。私たちは小屋に泊まらず、外でテントを張ることにした。ご褒美のために2日間我慢して残しておいたワインとスプライトが、疲れた体に沁みまくった。トムヤム味のフォーは、洋風な味付けに飽きてきた私たちの舌を癒した。

夕飯を済ませても17時。まだまだ明るい。電波もなければ、タスクまみれの日常とは無縁の場所にいる。歩いて、食べて、寝る。シンプルで贅沢な時間を噛み締めた。

まだまだ道は長い。

マボラ・ウォークウェイはNZを縦断するテ・アラロアというロングトレイルの一部になっている

頑張ったご褒美にささやかな宴。歩き終えたあとの夕飯タイムがいちばん幸せ!

この日の木村の日記

Day 4
贅沢な環境にいるのに

朝方、気温が下がり、寒くて目が覚めた。今日からは、2泊3日が最長だった私のハイキングの記録更新だ。デジタルに囲まれた世界から離れて4日目だというのに、夢の内容はここ数日の出来事ではなく、出発前にインターネットから得た情報をもとに成り立った記憶がほとんどだった。

昨日洗ったシューズと靴下は、夜通し降り続いた雨のなか乾くわけもなく、むしろ水を含んで冷たくなっていた。足を入れるには気合が必要な状態だ。歩き出せば今日もすぐ濡れるとわかっていながら、私は替えの乾いた靴下を履く。濡れたシューズを履くと、当然ながらすぐに水が滲みてきた。「死ぬこと以外、かすり傷だよ」と自分に言い聞かせた。

ハットを出発。岩の瓦礫を過ぎると、幅の広い川に出た。10頭ほどの牛たちが延々と草を食べているのを横目に新鮮な水を汲んだ。彼らはいつからここにいて、いつまでいるんだろう。白骨化した牛の骨の傍を歩いていくと、なんだか恐竜の化石のように見えてきて、私たちは一体いつの時代のどこにいるんだろうと不思議な感覚に陥った。

ワイヤーでできた細い橋を渡った。ニュージーランドに来て数日はこんな場所にも足を竦ませていたが、今は下の景色を見る余裕さえある。なんならここちゃんの方がビビっていた。

慎重に橋を渡るここちゃん

橋を渡り終えた先で、背丈の低い草木が群生している平坦な道に出た。遠くから話し声が聞こえる。4日目にして初めて人とすれ違う!久しぶりの人との出会いに少し緊張しながら「Hi! 」と声をかける。イタリア人のカップルで、彼らもハネムーンだという。私たちが日本人とわかると、長い日数をかけて日本を旅した時の話をしてくれて、私たちは嬉しくなった。お互いいい旅にしよう!と挨拶をして別れた。

森を抜けると、山の谷間に広大な場所が現れた。黄色と白色の野花が無数に咲いている。鳥がさえずり、遠くで野生の牛が群れ、まるで楽園のようだ。ここちゃんが私の体力を心配してこの場所で昼寝をしようと提案してくれたが、なんとなくその誘いを受け入れる気になれなかった。歩き続けるとポツンと牛の死骸が現れ、死臭が風に乗ってきた。なんとなく魂が吸い取られるような感覚がしたのはこれだったか。私たちは、先へ進むことにした。

私たちに目もくれず延々と草を食べている牛たち

歩き慣れた地形、見慣れた景色。贅沢な環境にいるはずなのに、昨晩の睡眠不足も相まって集中力が切れてきた。単調な道のりでは、ぬかるみくらいの障害物がないと集中力が保てない。歩き続けるには、体力だけではなく気力も必要だと痛感した。

14時過ぎに今日のハットに到着。部屋では先に到着していた家族グループが荷解きをしていた。数十分後には、昨夜同じハットに宿泊していた6人組の若い衆も到着。それぞれが荷物を整理したり、濡れた衣類を干したりして、16時ごろには食堂で夕飯の支度を始めた。カップラーメンを食べる家族、大きな鍋ひとつで男らしい料理を作る若者たち。私たちはレトルトカレーに豆を足し、クスクスにかけて食べた。食後のデザートは、今日まで大事にとっておいたオレンジ。生鮮ならではのフレッシュな香りと果汁が、いつもより敏感に感じられて、ものすごく美味しかった。

食事を終えた若者たちが、地図を見ながらなにやら楽しそうに話し込んでいる。ここちゃんはすかさず「彼らのプランを聞いてくる!」と輪の中に飛び込んでいった。各々が仲間同士で楽しんでいる雰囲気だったし、英語力の乏しい私たちから話しかけるという発想はひとつも浮かんでいなかった私は、その行動に驚いた。ニュージーランドのおすすめトレイルやハイキング事情まで、いろんなことを聞いてきてくれた。自分がいる状況をいかに楽しめるか、常に考えている。我が家の外務大臣、あっぱれだ。

明日からはいよいよルートバーントラックに入る。この旅も終盤だ。

小屋のテラスは絶好の物干し場

Day 5
勇者だけの大浴場

5日目から、いよいよ待望のルートバーン・トラックに入る。

歩き始めてものの10分で、ここちゃんは両足がビショビショになった。石に滑って湖にドボンしたのだ。つくづく石橋を叩かないなぁと呆れるけど、恐れずに転んでみることも大切だな、とビショ濡れなのに楽しそうなここちゃんを見て思った。

湖を肌で感じるここちゃん。5日目は、ビショ濡れからのスタート

勢いのいい川を見つけると、「浴びとく?」と互いに確認するようになった。慣れたもんで、パパッと手ぬぐいを取り出し流水に頭を突っ込む。風呂なし生活も5日目。こんなに頭を洗わないのは29年間の人生で初めてだ。髪の「毛」というか、もはや「塊」になっていた。

ここからはしばらく無心で歩いた。大自然のなかにいることに慣れが出て、ちょっとやそっとのことじゃ感動しなくなった私たちのもとに、ルートバーン・トラックの見所と言える大きな滝が現れた。首が痛くなるほどの高さから真っ逆さまに降り注いでいる。まるで白い龍のようで、滝という漢字に竜の文字が入っているのはそういうこと⁉︎ なんて思ったりした。

カメラをワイド設定にしてやっと収まる高さの滝は圧巻!

滝からエネルギーをたくさん受け取ったおかげで、その日のハットまではあっという間だった。レイク・マッケンジー・ハットという名の通り、ハットの目の前は湖の絶景。陽が差していなくてもわかる透明度はニュージーランドで見た中でも特に綺麗だった。

景色にうっとりしていると、少し離れた場所でひとりの男性が静かに入水し始めた。凍えるくらい冷たいはずだが、そんな素振りは一切見せず、頭まで浸かってゆっくり出てきた。触発されたようにここちゃんも入水する。しかし、潜ってわずか1秒で「Too cold!」と言って慌てて出てきた。さらに横にいた男性もパンツ一丁になって入り始める。彼もまた膝あたりで頭を横に振って戻ってきた。さっきの人、恐るべし。完全に悟られておられる。

驚くことに、この2〜3時間後にも若い女の子やお母さん世代まで髪を濡らしてハットに戻ってきた。まさか、あの極寒のなか湖に入ったの!? 勇気がなくて湖に入れなかった私は、しばらく後悔の念に駆られた。

ハットまでもう少しとわかって軽くなる足取り

雪山が湖面に反射するほど穏やかな湖

次は暖かい夏に訪れて、絶対水浴びしたい

実はハットに温水シャワーがあって、みんなが浴びたのは湖ではなくシャワーだった、という夢までみた。相当悔しかったんだな、私……。この日は早めに寝床についた。明日は次のハットでもう一泊する予定だったが、ひざの調子もよく、行程も短かったので、1日巻いて明日のうちに町に戻ることにした。

今日で歩き始めて5日目。シャワーも浴びたいし、顔も洗いたい。町に戻ったら何を食べようか、そんな会話が増えてきた。いつも働いている時間分を、私たちはひたすら歩いている。普段の生活なら明日は週末。そろそろ休みたい気分だ。

明日でラスト。

明日には町に戻れることが決まって満面の笑み

Day 6
不自由さの中で
見つけた幸せ

朝方、私たちはヘッドライトの明かりを頼りに出発の準備を始めた。歩き始めてすぐ上り基調になり、あっという間に標高1,300mまで到達してハットの前にあった湖の全貌が見えた。想像より何倍も大きい姿に、自分が見えているものはその一部に過ぎないと思い知らされたようだった。

湖の奥に小さく映る建物が昨夜宿泊したハット

湖から川が流れ出していく

ニュージーランドらしい鋭い渓谷

峠を越えると、サドルと呼ばれる凹んだ稜線が現れた。奥には大きな湖。周りの荒々しい山が壮大さに拍車をかけている。湖ばかりに目を取られていると危ない。左手は崖。踏み外したら……とヒヤっとした。湖畔を半周すると、大きな湖が細い川へと姿を変えた。

遠くまで続く川も一望できる。下山後のことばかり考えてしまっていたが、今に集中しようと気持ちを切り替えた。2〜3時間、川沿いを歩いてゴール!この旅で恒例となったグータッチで6日間の旅を締めた。

ゴールして清々しい表情のふたり

乗り合いバンで町まで戻る。6日間ずっと自分の歩くスピードでしか動かなかった景色が、クルマに乗っていると移り変わりがものすごく速く感じた。

途中のパーキングで、出発前に出会った熟年ハイカー夫婦と偶然再会した。彼らも1日違いで同じルートを歩いていたそうで、同志の気持ちが芽生え話が弾んだ。ニュージーランド在住のふたりは、「次来たらうちに泊まって!」と連絡先を交換してくれた。

また会えたらいいな。

山から下りてきた私たちは、街並みすべてが新鮮に感じた

町に着き、宿でまずシャワーを浴びた。私たちが相当臭かったのか、ドミトリーの同部屋の人が部屋中に香水を振り撒いていた。ごめん……。6日ぶりのシャワーは最高だった。もう、言葉にならない。

清潔なタオル。流せるトイレ。ふかふかのベットに、足を自由に伸ばせる布団。新鮮な食事。

幸せだ。

5泊6日のハイキングを終えてみての感想は、

「やっと解放される!!!!」

そんな気持ちが真っ先にくる。

私にとって6日間というのは精神的に結構ギリギリだった。頭はかゆいし、肌は荒れるし。限界を超えた先に見えるものがあるのだろうけど、しばらくいいかな(笑)。でも初めての体験。いいチャレンジをさせてもらった! 今後、ここちゃんにハイキングに行こうと言われた時に3泊くらいなら、あぁいいよ。とふたつ返事で答えられる気がする。

最終的に25日間の旅の中で6つのトレイルを歩き、その内の3つを繋いで歩いた今回のハイキング。その中でもマボラ・ウォークウェイが一番面白かった。大自然の中をポツンとふたりで歩いているときが、いちばん日常から遠いところにいる感覚がした。トレイルの入り口まで37キロ歩く羽目になったことも、過ぎてみれば旅のいいスパイスになったよね、と話した。

しばらく町でゆっくり休もう。

エピローグ

「何年後でもこの旅を鮮明に思い出せるように日記を書く!」と、現地のスーパーでポケットサイズのノートを手に入れて、印象に残ったことを二宮金次郎のように歩きながら書き留めるなおちゃんの姿が愛おしかった。

ハイキングから戻ったあとのクイーンズタウンでの生活は、なんでも手に入って最高に便利だったが、ふと頭に浮かぶのはマボラ・ウォークウェイでのハイキングの日々だった。広大な原野でのシンプルな生活が次第に恋しさを増していく。初めての経験をあんなにもやり切って終えたなおちゃんも、同じ気持ちになっていた。

マボラの後、予定をしていた6泊7日のハイキングは積雪量が多いため諦めて、旅の途中で出会った地元の若いハイカーが勧めてくれた山小屋まで1泊2日のハイキングへ行くことにした。小屋の名前はエンジェルスハット(山と道の夏目と三田も冬期に訪れてたことに気づいたのは帰国後)。壮大な景色が望める稜線、残雪と岩稜帯のトラバース、緊張感のあるナイフリッジなど、なかなかハードな行程になったが、また新たに困難を乗り越えたことでふたりの信頼がより強まった。ここでは書ききれないので、また何かの機会に!

25日間、24時間一緒に過ごした日々は、改めて振り返ってもとても贅沢だったと思う。日々一緒に暮らしていても、実際には1日に数時間しか時間を共有していないことにも気づいた。だからこそ、毎日を大事に過ごしていきたい。

帰国して4ヶ月。「また長いハイキングに行きたいな」と、なおちゃんが言った。(木村弘樹)

木村なほ美 木村弘樹

木村なほ美 木村弘樹

山と道スタッフの木村弘樹(ここちゃん)と妻のなほ美(なおちゃん)。交際を機になほ美もハイキングを始めるが、ハイキングはあくまでも「デート」という位置付け。2022年に入籍し、理想の暮らしへの一歩として、より自然が身近な場所を求めて、神奈川県西湘エリアの二宮町に移住。ハネムーンでは、ニュージーランドの南島を25日間かけて旅をした。歩いた距離は約200km、ヒッチハイク7回。ニュージーランドの人の温かさと壮大な自然に魅了され、帰国前にはふたりで永住権について調べるほど。海外へ旅するのが好きなふたり。次はどこを歩こうかと妄想を膨らませている。

連載「山と道トレイルログ」